第十一章 エミリアン・ビヤール教授の講演

 その後平凡な数日が過ぎて行き、八月十一日の朝を迎えた。とても明るくアントニオとナタリアの部屋を太陽が照らしている。そして庭にある中位の木々に小鳥がとまり、さえずりをしている。太陽の光がアントニオの顔を、とても強く照り付けた。アントニオは、眠気から覚まされた。アントニオは、上体を起こして、起き上がると、ベッドの横にある目覚まし時計が置いてある、小さなテーブルに眼をやり、時間を確かめた。今日はスペイン軍将校たちも休みや短い勤務である日曜日だ。いつもは日曜日にはゆっくりと起きるのだが、今日は楽しみにしていた『世界最強を目指すリーダーたちへ』の講演会のある日だ。そしてアントニオは、自分の傍らに寝ているナタリアの頬にキスをすると、ベッドから出て、二階にある洗面台でうがいや洗顔をし始めた。それから日曜なので奥さんのナタリアを起こして朝食の用意をして貰うのは気が引けるので、自分でモジェテといわれるパンの大きさに、パン・コン・アセイテ・イ・トマテという調理を施し、飲み物は濃いコーヒーを入れて、朝食を取る事にした。パン・コン・アセイテ・イ・トマテとは、エクストラバージンオリーブオイルをパンに塗って、細かく刻んだトマトを載せて、そのトマトに塩をふりかけて出来た物だ。毎週日曜日という日は、いつも疲れを取り去る日であるのだが、今日は出かける日なのだ。しかしこの外出は、自分の信念の常により上を上をという考え、今よりも素晴らしい人間となり、そして今よりも素晴らしい指導者となるべきだという事への大きな手助けとなる事だと思い、講演を聴く前から、今にも発作でも起こしそうな程、内心興奮しているのだった。朝食後アントニオは、中庭に出てそこに置いてある植物や中庭の芝生の手入れを始めた。中庭でのガーデニングはアントニオの家族と一緒にいる事を除いた、いくつかの楽しみの一つである。ガーデニングを済ませると、アントニオは二人の娘のアンナとフランシスカにせがまれて、彼ら二人が前々から楽しみにしているディズニー映画のプリンセスもののDVDを見る事になった。アンナとフランシスカはとても仲が良くて、二人の姉妹の役割が固定されているらしくて、とてもお互いを信頼している様だ。アントニオは、二人の娘のアンナとフランシスカとの時間を暫し楽しんだ後に、午後四時からの講演会の為に昼食を済ませた。今日の昼食はトルティージャ・エスパニョーラとパタタス・ブラバスと中位の大きさのパン二つを用意した。この昼食はアントニオが家族の分まで作った。子供には料理の量を調整して、パンの大きさを小さめにしておいた。トルティージャ・エスパニョーラは、スペインで作られるオムレツである。パタタス・ブラバスは、スペインにおいてのフライドポテトのトマトソース添えである。それから、アントニオは奥さんのナタリアと子供たちのアンナとフランシスカに今日の予定を言ってからスペイン海軍将校の制服姿で、家を出てから車の停めてある駐車場に行き、車のエンジンをかけて、スペイン海軍基地へと向かった。

 暫く優雅に車を走らせて行くと、休日である事でマドリードの街はとても賑やかである。午後になってからまだ間もないのにバルやレストランはとても込み合っている、色々な人の楽しそうにしている様子や笑い声が聞こえて来る。みんな休日を楽しんでいる。休日のこんな時間にエンリケスは車を走らせながら、マドリード市内を見る事はほとんどないので、とても面白い光景であると思った。エンリケスは心の中で、私も今日は楽しく過ごすつもりだぞと思い、一人ほくそ笑んだ。そうこうしていると、目的地のスペイン海軍基地が見えて来た。いつもの手順通りに正面玄関でガードマンに身分証明書を見せると、ゆっくりと車のアクセルを踏み、海軍基地の中へと向かった。当然の事ながら、海軍基地の駐車場はいつもよりも空いている、休日に来るのは限られている人たちだからだ。エンリケスは駐車場を見渡しながら、自分がいつも停めている駐車スペースを確認した。すると、そこには誰も駐車していない事が分かり、再びほくそ笑んだ。いつもエンリケスが停めている駐車スペースは正面玄関に向かうのにとても便利な場所なのだ。エンリケスは首尾よく車をいつもの駐車スペースに停めると、車のエンジンを切り、荷物を手に取り、車から降り立った。それからエンリケスは時計を見ると、計画通り、午後四時より十分前に着いた。エンリケスは、車に鍵をかけると、海軍基地の建物の中へと入って行った。講演会場のミーティングルームへと向かう中、たくさんのスペイン軍将校たちが自分が向かっている方向と同じ方向へと急いでいるのが眼に入って来た。エンリケスは、もしかしたら急がなくては座る席が無くなるのではないかという考えがよぎった。すると、エンリケスは少し歩く速度を速めて、ミーティングルームへと向かった。エンリケスは少し息を切らしながら、ミーティングルームに入ると、そこにはたくさん人々がごった返していた。人の人数の多さからすると、当然ではあるが、スペイン軍の至る所から将校が来ているのだろうという事が分かった。エンリケスは見通しの良い座席に座ると、荷物を足元に置いた。ミーティングルームに集まっている人々は、スペイン軍将校たちであるがゆえに威厳があり、また気品のある人たちであるのが、良く分かった。彼らは、知り合い同士で、これから始まる講演会の話しをしているらしかった。さすが将校たちであるのか、話している内容がとても意識の高い事柄であるのが、漏れ聞こえて来た。エンリケスもとても共感する様な事を言っているのだ。彼らの熱気が、離れている自分の所まで伝わってくるのが、感じ取れた。将校たちの会話から今回講演を担当するフランスのパリ大学出身のエミリアン・ビヤール教授は哲学の合理主義哲学を専門にしている教授で、歳が二十二歳ととても若く、そして哲学の分野で世界的に有名な教授である事が分かった。エミリアン・ビヤール教授は、いわゆる天才といわれる人物である事が分かった。彼は世界各国で哲学の講演や大学での講義を行っているという事も聞こえて来た。先程よりもビヤール教授の講演を聴く事が楽しみになって来た。エミリアン・ビヤール教授は世界屈指の哲学者なのだ。講演を聴く私たちももしかすると、世界レベルのリーダーに成れるのが夢ではないという考えが浮かんで来た。エンリケスは、この講演を聴く事の出来る幸運さを噛み締めた。すると、ミーティングルームが静まり始めたのだ。どうやらビヤール教授が到着したらしいのだ。ミーティングルームの部屋の出た所の廊下からコツコツという足音が聞こえて来た。エンリケスは、この足音はビヤール教授の足音だなと思った。エンリケスは、この天才であるビヤール教授の風貌は、どんな姿をしているのだろうと考えた。天才だから人間離れした様な感じなのだろうか?それとも私たちの様な人間と同じ様な感じだが、頭の中だけが普通の人間と異なるのか?と考えに耽った。一分位経っただろうか、一人の若い男がミーティングルームに入って来た。部屋の中に入って来たのは、そうビヤール教授だった。彼はとても綺麗な明るいブロンドの髪で、目がグレーで、肌はとても白く、遠目からでも美青年であるのが分かった。彼はとても若い、とエンリケスは思った、しかしビヤール教授は若さゆえの愚かさや未熟さを感じさせないのである。ビヤール教授は、今回の講演会の為に用意してある教壇に立つと、集まっているスペイン軍将校たちに、礼儀正しくお辞儀をすると、気持ちの良い、良く通る声で話し始めた。ビヤール教授は、教壇に両手をついて、将校たちに「今日はこの僕の講演を聴きに来てくれて、どうもありがとう。これから僕は『世界最強を目指すリーダーたちへ』に欠かせない事を、君たちに伝えたいと思っている。まず初めに手元にあるパンフレットを、開いてみてください。ページを三ページ分めくって下さい、そこに白紙の紙があると思います。その紙を自分の手元に置いて、今座っている机の右上に、鉛筆と消しゴムが用意してあると思いますが、その鉛筆を使ってあなたが、リーダーに必要と思われる事を書いてみて下さい。」といった。ビヤール教授の講演が始まった、そう私が思ってから、あっという間に、講演時間いっぱいの時刻に、差し掛かり始めた。ビヤール教授は、若くてとても情熱的に、スペイン軍将校たちに「それではみなさん、今日の講演はどうでしたか?楽しめましたか?楽しんで頂いたらとても嬉しいです。今日の講演は学生の授業の様でしたね」といった。部屋中の将校たちに、がやがやと笑いが起きた。少し間が空いて、再びビヤール教授が話し始めた。ビヤール教授は、眼をキラキラと輝かせながら、スペイン軍将校たちに「では今日の講演会は終わりとなります、出口にあるテーブルに置いてあるのは、世界レベルのリーダーシップについての僕の著書の『世界の救世主』です。もし宜しければ僕の著書を、買って下さる事を期待しています。その本があれば、その本を読む事で、どこにいても、リーダーになる要素について学べます。本を再読すれば何度も学びなおせます、どうぞ僕の著書の『世界の救世主』を手に取ってくれる事を望みます。どうぞよろしくお願いします。では今日は講演に来てくれてありがとうございました」といって、会釈した。ミーティングルーム中の将校たちが、一斉に拍手をした、もちろんエンリケスもである。彼はその場で立ち上がり、夢中で拍手を送っていた、そして熱気を帯びていた。エンリケスは、ビヤール教授の推薦図書の『世界の救世主』を早速購入すると、鞄の中に大切そうに本を入れて、ミーティングルームを出ると、海軍基地の駐車場へと向かった。エンリケスは、自分の車に到達すると、鍵で車のドアを開けると、車の中へと乗り込み運転席に座り、隣の座席に荷物を置いて、車のエンジンをかけた。

 エンリケスは、車を走らせると、通常通りに車を海軍基地の正面から外へと出して、マドリード市内を走らせて、カフェにでも入ろうかと、辺りを観察しながら車を走らせた。すると、道路脇にとても室内が明るいカフェが見えて来た。そのカフェの駐車場に、器用に車を停めると、エンリケスは車に鍵をかけて、荷物を手にカフェの中へと消えた。エンリケスは、カフェの中へと入ると、辺りを見廻した。カフェ内は白い壁に赤茶色のテーブルや椅子が並べられていて、とても奥行きが広い上品な造りの建物になっていた。エンリケスは、ウェイターを発見すると、右手を上げて、自分の所へと来る様に手ぶりをした。ウェイターは、軽やかで速い足取りで近づいて来ると、エンリケスに「お一人で宜しいでしょうか?」といった。エンリケスは、元気のよい口調で、ウェイターに「ああ、そうだ。カウンター席は空いているかな?カウンター席が良いんだ」といった。ウェイターは、愛想の良い笑顔を見せながら、エンリケスに「はい、丁度カウンター席の方は空いていますので、案内させて頂きます。ではこちらへ」といって、手ぶりでも自分に付いて来る様にいった。エンリケスは、ウェイターに導かれて席に着いた。すると、ウェイターが料理のメニューを渡しながら、エンリケスに「ご注文が決まりましたら、そこの呼び鈴を鳴らして下さい」といった。エンリケスは、さわやかに、ウェイターに「ああ、ありがとう」といった。エンリケスは、ウェイターから受け取ったメニューの書いてある冊子をゆっくりと見ながら、今自分が食べたい物を選んでいる。美味しそうな料理の写真を良く見ながら、注文する物を決めかねていると、ふと目の前のページに、小腹が空いている所をなんとかする事の出来る様な料理が現れた。それはクロケッタというスペインにおいてのコロッケだ。クロケッタは、塩漬けハム、鶏肉などとジャガイモを使ったコロッケである。エンリケスは、クロケッタとしっかりした苦みのあるカフェ・ソロといわれるコーヒーを注文する事にした。エンリケスは、カウンター席から厨房を覗き込み、厨房の店員に「早速頼みたいんだが、良いかな?」といった。店員は、ちらっと見て、ウェイターとエンリケスに「はい、はい。おーい、こちらさんの注文内容を聴いてくれ、頼むぞ。」といった。厨房の店員は、身を乗り出しながら、エンリケスに「直ぐに御用を聴きに来ますので、待っていて下さい」といって、厨房の中へと引っ込んだ。エンリケスは、席から室内を見廻すと、ウェイターが小走りでこちらに来るのが分かった。ウェイトレスが、メモ用紙とペンを持ちながら、エンリケスの前で立ち止まった。エンリケスは、メニューを開きながら、ウェイトレスに「このクロケッタとカフェ・ソロを貰いたいんだ」といった。ウェイトレスは、メモ用紙に書き込みをしながら、エンリケスに「分かりました、直ぐにお持ち出来ると思います。少々お待ちください」といった。エンリケスは、嬉しそうにしながら、ウェイトレスに「それは嬉しいな、では楽しみにしているよ」といった。エンリケスの注文を聴いた、ウェイトレスは厨房に消えた。エンリケスは、鞄から先程講演会場で買った『世界の救世主』という本を取り出し、カウンター席でその本を開いた。本を読み始めると、本の世界に吸い込まれて行った。エンリケスは、本を読み始めてると、ウェイトレスが戻って来て、目の前にたっぷりの、クロケッタと生ハムにレモンを添えた皿と、カフェ・ソロを置いた。ウェイトレスは、にこやかに微笑みながら、エンリケスに「ご注文は以上でしょうか?ごゆっくりどうぞ」といった。エンリケスは、本から顔を上げて、ウェイトレスに軽く頷いた。そしてウェイトレスがその場から離れて行くと、エンリケスは再び本の世界へと戻って行った。エンリケスは本に没頭していると、店の外が騒がしくなって来て、人がたくさん店の中へと入って来た。客たちはこれから酒を飲みに来たのか年配の人たちがたくさん来たのだった。エンリケスは時計を確認した、するともう午後の六時半だった。エンリケスは、少しだけゆっくりと本を読もうとしていただけなのに、こんな遅い時間帯になってしまったと心の中で思った。エンリケスは慌てて、半分程まで読んだ本にしおりをはさみ、閉じて鞄の中へとしまった。そしてエンリケスは、食事の会計を済ませて、店から出て、駐車場に停めてある車へと乗り込んだ。荷物を隣の座席に置くと、ポケットから携帯電話を取り出して電話をし始めた。少しばかりか、携帯電話の発信音を鳴らしていると、電話相手の声が聴こえて来た。電話相手は、元気の良い声で、エンリケスに「もしもしナタリアよ、どうかしたの?あなた。」と携帯電話でいった。エンリケスは、陽気な口調で、ナタリアに「ナタリアかい?私だ、アントニオだ。今から帰る所だけど、何か買って来て欲しい物はあるかなと思って、電話したんだ。どうかな?何かいるかい?」と携帯電話でいった。ナタリアは、明るい口調で、エンリケスに「今日は特に買って来てもらいたい物は無いわ。そうなの、講演会は楽しかったぁ?どうなの?」と携帯電話でいった。エンリケスは、元気で力強い口調で、ナタリアに「そうか、分かった。それがね、今日の講演会は凄く素晴らしい話しだったんだよ。これからの仕事にも、そして人生にもとても役に立ちそうなんだよ、これからの私の活躍に期待していてくれよ、ナタリア。良いかい?」と携帯電話でいった。ナタリアは、電話口で楽しそうに笑い、エンリケスに「はい、分かりましたよ。直ぐに帰って来てね、愛しているわ、アントニオ。待っているからね」と携帯電話でいった。エンリケスは、しっかりとした口調で、ナタリアに「そうか、それは嬉しいよ。ああ、分かった、私も愛しているよナタリア。では後でね」と携帯電話でいった。エンリケスは、ナタリアとの携帯電話での通話を終えると、自分の車のエンジンをかけて、カフェの駐車場から発進させた。

 それから数日が過ぎ、平日のある朝だ。エミリアン・ビヤール教授が自分の出身大学のパリ大学の哲学の教授室で自分宛てのEメールが来ていないか確かめる為に、パソコンを起動させた。ビヤール教授がEメールの受信箱を調べた。すると、その受信箱にスペイン海軍将校のアントニオ・エンリケス海軍少将から連絡が来ているのが眼に入って来た。エンリケスが、ビヤール教授に送ったEメールの内容は、次の様に書かれていた。『エミリアン・ビヤール教授へ。こないだの海軍基地での講演会はとても素晴らしい講演でした。それであの講演会を聴いて、私はとても感銘を受けました。それで実は私は単発での講演会だけでなく、継続的にビヤール教授の講演を聴きたいのですが、何かその様な物は無いでしょうか。ありましたら是非教えて下さい。宜しくお願いします』という内容であった。ビヤール教授は、嬉しそうな顔をしながら、エンリケスからの、問い合わせの返事を書き始めた。ビヤール教授のEメールの返事の内容はこうだ、『エンリケス様へ。こないだの講演会を聴きに来てくれて、どうもありがとう。喜んでくれてとても嬉しいです。エンリケスさんの質問に対しての回答は、継続的に聴く事の出来る講演が実はあるんです。ですからもちろん、エンリケスさんに教える事が出来ます、その講演を聴く為のパスワードをお送りしますので、“ビヤール教授の思考の科学”というホームページに行って、お送りするパスワードでホームページに設けているサイトに入ってください。すると、僕の講演を聴く事が出来ます、それを聴いてみて下さい。何か分からない事がありましたら、連絡をくれればお教えします。それでは僕の講演を楽しんでくれれば幸いです、それでは失礼します。エミリアン・ビヤールより』という内容だった。そしてビヤール教授は、Eメールの返事を送ると、自分の講義の学生の提出物に眼を通し始めた。

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