第16話 討伐②

 エレノアとマルクスが崖を駆け降りる。そこには既に大剣を構えたヴォルフがいた。

 狼犬に追い立てられたヒュドラは傷だらけだった。本来は緑色のその体は肌色のように色が薄い。

 丸太のように太い六本の首のうち二本の首は切り取られ傷口が焼けただれていた。そして三本目の一番太い首に黒剣の先端が刺さっている。


 ローランドの話では撤退時、ヒュドラの首は落とされていなかった。フリードが一人でヒュドラの首を二本落とした。その証に黒剣の剣先がくさびのように三本目の首に刺さっている。だが黒剣の持ち主であるその男の姿がない。


 その楔を見てエレノアの心が躍った。ヒュドラの楔の傷が新しく血が滴っていたからだ。


「どうやら我らが黒太子はお元気なようでなによりです。」


 マルクスがヒュドラから目を逸らさず抜刀する。両手にはエルザの毒が塗られた片手剣クレイモア短剣マンゴーシュ。エレノアも同じ片手剣を抜刀し左手には盾を構える。

 ヒュドラが渓谷の中央に来たところで短い笛の音とカールの号令が掛かる。渓谷の上より一斉に矢がヒュドラに射掛けられるが鱗に遮られた。雨のように降る矢にヒュドラが口を開けて威嚇の声を上げる。


「総大将、これは私の憶測なのですが。」


 剣を構えヒュドラから目を離さないヴォルフがエレノアに話しかける。


「恐らく一太刀ではあの太い首をねられません。だからあのように楔を首に残し、さらに楔に打撃を加え骨を断ち切り落としたようです。そして回復させないように傷を焼いた。皇太子殿下はヒュドラをよく理解しておられる。」

「まずは首に楔を打ち込むということですね?」


 ヴォルフが無言で頷いた。

 ヒュドラの首に傷が多い。楔を打ち込もうと散々狙った跡なのだろう。鱗が剥けたそこにならエレノアの力でも太刀を入れられそうだ。

 

 ヴォルフが左に、マルクスが右に駆ける。兵を連れてヒュドラの周りを囲む。兵士達は匂い袋を身につけている。その為かヒュドラが兵士達を忌諱きいする素振りを見せた。

 狼犬の威嚇にヒュドラが慄く。その隙にマルクスが背後から首を狙うも躱される。動きが素早い。

 ヴォルフが楔に剣を打ち込んだ。ごぎりと音がして楔が埋め込まれる。骨に響くような音。だがまだ首は落ちない。ヒュドラの絶叫がこだました。


 エレノアも参戦しヒュドラを翻弄するように三人で剣を打ち込んだ。そして笛の合図とともに渓谷の上から火炎瓶や投石が落とされる。ヒュドラが火から逃げようとする退路を兵で追い立てる。スノウ達が吠えたて蛇の尾や体に鋭い牙で噛み付いた。


 毒が効いているのかヒュドラの動きが心なしか鈍くなった。スノウの威嚇に意識のいった首の背後をエレノアがとる。

 いける。そう思い盾を捨てて両手で首に剣を突き刺した。エレノアの剣がヒュドラの首にのめり込む。硬い感触に骨まで至ったとわかった。


 成功した!と手を離そうとした時にその首がエレノアを振り解こうと大きく振りかぶる。その勢いで剣から手が離れそのままエレノアは投げ飛ばされた。身軽な格好が仇となった。

 思いの他高く飛んだ。いけない!受け身を取らなくては!だがそのいとまもない。


 衝撃に備えて目を瞑れば何かに受け止められ地面を転がった。そして転がる勢いのまま抱き上げられ岩影まで運ばれる。誰かの荒い息が聞こえる。恐る恐る目を開ければ、そこに夢にまで見た顔があった。


「フリード様!!」


 駆け込んできた為か息が上がっている。伏せていた顔がエレノアを見てそしてくしゃりと苦笑した。


「なぜ‥‥ここにいる?‥いや、それはもう‥いい。‥‥まったく。」


 お前というやつは!そう囁いてフリードはエレノアをきつく抱き締めた。

 フリードの呼吸はまだ落ち着いていない。でもそれが生きていることを教えてくれていた。エレノアはフリードの背に震える手を這わせる。心臓の音がする。呼吸が耳にかかる。

 暖かい。ああ、確かに生きている!


 強い抱擁に胸を締め付けられエレノアは声を詰まらせる。


「よく‥ご無事で‥‥」

「流石に今回はキツかった。あれに追い詰められてたからスノウ達が来てくれて助かった。」


 フリードは抱擁を解いて腰の剣を抜いて見せる。剣は途中で折れていた。


「予備も含めて三本折った。首を二本落とすのに折らざるを得なかった。もう後がなかった。」


 そう語るフリードは意外に元気そうだった。黒い鎧は着ておらず、ボロボロな格好で疲れた顔をしてはいたが大きな怪我もなさそうだ。

 夢ではないと確認したくてフリードの頬に手をやれば、フリードの手がエレノアの手を包み込みフリードは目を閉じた。記憶にあるあのごつごつとした大きな手に、その温もりに本物だと安堵した。

 ここに来て、間に合って本当に良かったと思った。


「イチャイチャしているところ申し訳ありませんが、そろそろ戦線に復帰してもらえませんか?」


 少し離れた岩場からマルクスの声がして二人は我に返る。そういえば魔物の討伐中だった。

 エレノアがボンと音が聞こえそうなほど真っ赤になった。


「マルクス!見てたのか?!」

「見られるのが嫌ならもっとこっそりやって下さい。」


 目元を朱に染め声を荒げるフリードに目もくれずマルクスは走り去った。


「まあ無事で良かったです。スノウ!行け!」


 カールの声でスノウが崖から駆け降りて来る。背には黒い大剣を背負っていた。それを見たフリードがニヤリと笑う。

 エレノアは唖然とした。この男、まだ戦うつもりなのか?


「お前はここにいろ。剣がないだろう?」


 エレノアの剣はヒュドラの首に刺さっている。さっきの戦いの様子を見ていたのか。


「でも体は‥‥」

「オレはまだ戦える。あれの相手は体力勝負だ。お前にはキツい。いいな!ついて来るなよ!オレの命だ!」


 その言葉とは裏腹にエレノアの頬をするりと優しく撫で、フリードがスノウ目がけて岩影から走り出した。フリードを見たヒュドラが岩場を這い上がり襲いかかる。フリードはヒュドラに敵視ヘイトされていた。


 ヒュドラの首はいつの間にか二本まで減っていた。その両方にフリードとエレノアの剣の楔が食い込んでいた。

 ヒュドラの尾がスノウとフリードの間に振り下ろされ岩が飛んだ。スノウが足場を失い後退あとじさる。襲いかかる首を躱そうとフリードは岩場を駆けるも大きな岩が行手を阻んだ。

 折れた剣を抜刀し首を払い除けようとした時、駆け込んでくる錆び色の髪の大男の姿がフリードの目に入った。


 ぐずりと音がした。下から弧を描き振り上げられた戦鎚バトルハンマーがヒュドラの喉に当たる音。いつの間にか持ち替えていた大きな戦鎚を軽々と振り回す、相当な腕力だ。

 ヒュドラは殴られたその勢いで仰向けになり岩場から転げ落ちた。狼犬達が尾に食らい付いて引きずり下ろしている。


 カールの長い笛の音が辺りに響いた。これは火で上から攻撃する合図だ。仰向けにもがくヒュドラを残して兵と狼犬が退避する。口の開いた油袋が投げ落とされヒュドラに油が散った。


「射掛けよ!」


 カールの声と共に火矢がヒュドラに飛んだ。引火した炎でヒュドラが悶えた。切られた首の傷を再生できないように焼かなければならない。



 戦鎚を軽々と持ち飄々ひょうひょうと立つその男、ヴォルフを見上げ、フリードは目を見開いて驚愕の声をあげる。


「親父?!なぜここに?!」


 その様子を見ていたエレノアはカチンと固まった。そしてギギギと首を動かしヴォルフを凝視した。


 フリードの親父?皇太子の父親?!

 それは——


 アドラール帝国の現皇帝

 ヴォルフガング二世


「つまらん。黒剣が生死不明と聞いて笑いに来てみれば元気そうではないか。」


 戦鎚を肩に背負いヴォルフは目元の仮面を外す。黒い瞳の精悍せいかんな顔が現れた。フリードにそっくりだった。


「答えになってない!皇帝が現場に来るなと何度も言ってるだろ!!」

「六本首のヒュドラが出たと聞いてすっこんでる場合か?こんな大捕物久しぶりではないか。」

「だからって皇帝は出て来んじゃねぇ!宰相が心臓麻痺で死ぬぞ!!」

「そういえばあれは随分禿げてしまったな。」


 ヴォルフは悪びれることなく顎をさする。


「仕方がなかったんですよ。とにかく火力不足でしてね。」


 退避してきたマルクスがフリードを恨みがましく見下ろしていた。


「国内最強の黒剣が勝手に生死不明になったので最終兵器を出さざるを得ませんでした。」

「全くです。こちらはいい迷惑でした。お陰で三文芝居にも付き合わされました。」


 マルクスの嫌味にカールの冷たい声が崖の上から賛同する。エレノアだけが状況を理解していなかった。

 ヴォルフが楽しそうに言い放つ。


「今俺が二本首を切った。お前も二本。残り二本どちらが早く切り落とすか勝負としよう。」

「オレは一人で二本切ったぞ!条件が違いすぎる!援護付きの親父と一緒にするな!」

「お前は何日かけて二本切った?ずいぶんゆっくりじゃないか。楽だったろう?」

「傷なし六本首の相手を親父にもさせてやれば良かったな!!」


 二人の罵り合いがあたりに響く。皇帝と皇太子、ではなくただの戦闘狂の会話だ。マルクスが目を閉じてふぅと呆れたように嘆息する。











 

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