第二章

第6話  自主練習

 翌朝、エレノアは昨日打ち合った庭のテラステーブルに腰掛けていた。背後にはリースが控えている。

 なかなかに朝早い。それなのに中庭を走る姿があった。


 走っていたのは皇太子フリードリヒ、第一皇女エルザ、第三皇子カール、第二皇女イーザの四人。マルクスはいない。

 これは自主練だから自由参加だ、とフリードに言われたが、エレノアは意味がわからなかった。


 自主練?自主練ってなに?


 言葉通りの意味であれば自主的な練習だが。

 帝国の皇家ですよね?自主的になんの練習?エレノアの頭の中でハテナが止まらない。


 見ていれば走り込みの後にカールは剣の素振りだったり、イーザは拙い手で的あての練習だったり各々行っている。帝国皇家は武術と尊ぶ風潮だと聞いてはいたが、ここまでとは思わなかった。

 フリードはエルザと剣の撃ち合いをしているが、すぐにエルザの手から剣が飛んだ。

 エルザは十四歳、淡い銀髪も顔立ちもレオーネにそっくりだ。剣の腕も筋がいいと思う。だが黒剣の相手は荷が勝ちすぎているようだ。


「フリード兄さま!手加減してください!」

「手加減したらお前が鍛えられない。オレの腕も鈍る。」


 そういってフリードはじっとテラス席のエレノアを見た。

 お前もこっちに来たらどうだ、昨日の続きをしろ、という視線の圧からエレノアはつつつと目を逸らす。

 今日は初日なので様子を見たかった。でなければとんでもないものにまで巻き込まれそうだと思った。

 

 目を逸らした先でエルザと目があった。

 にこりと微笑んで見せるが、エルザは真っ赤になってフンと言った風にそっぽを向いた。どうやら嫌われてしまったようだ。

 外からやってきた嫁などそう簡単に溶け込めるはずもない。のだが。


 今朝方、第三皇子のカールを紹介された。とても賢そうな顔をしている。黒髪黒眼はフリードと同じだが、顔立ちはレオーネ似で柔らかかった。


「初めまして。第三皇子のカール、九歳です。昨日は公務がありご挨拶できずすみませんでした。フリードにいがこれからお世話になります。あんな兄相手は大変でしょうが、どうぞ見捨てないでやってください。」


 不肖な兄ですみません。そう言い深々と頭を下げる。

 父親目線で自己紹介されてしまった。ものすごく聡い。聞けばハイランド王国との和平条約草案をこしらえたらしい。それでは上級文官並みではないか。


 これも帝国独自の風習で、公務は皇太子だけでなく兄弟全員で参加するものらしい。よって、皇女二人も仕事を割り当てられているとのことだ。

 ハイランドでは王女は嫁に出される前提で淑女教育のみ行われてた。帝国は中々に教育が厳しい。


 五人の皇子皇女中、四人が歓迎してくれている。恐ろしく好待遇ではないか。自国の姉妹たちからは忘れ去られてさえいたのに。輿入れをずっと恐れていた自分がバカらしくなった。

 ふいに向かいの席にマルクスが座った。


「おはようございます、エレノア姫。よく休まれましたか?」

「ありがとうございます。おかけさまでぐっすりできました。」


 昨日思いもよらず泣き出してしまった。あの後二階の自室に案内され、そのまま朝まで眠ってしまった。でもとてもスッキリ目覚めることができた。今までは眠った心地もしていなかったのだから。

 侍女がコーヒーを二人の前に置いた。マルクスが指示したのだろう。気配りの皇子だ。


「マルクス様は参加なさらないのですか?」

「私は運動は苦手です。最低限の訓練だけ参加します。」


 そうおだやかに言う。この男のたおやかな気配は確かにあれに混ざる雰囲気ではない。だがたまにその雰囲気が変わる瞬間がありエレノアは戸惑うことがあった。


 ふと視線を感じて庭を見ればフリードがこちらを睨んでいた。それに気がついているであろうマルクスは動じた風もない。にこやかに話を続ける。


「エルザとは話をしましたか?」

「ええ、先程‥‥。嫌われてしまいました。」


 冗談ぽく困ったように微笑めば、マルクスはほうと声をあげる。


「あれはなにも言いませんでしたか?面倒くさいやつなのでそういうことかもしれません。」


 ん?面倒くさいやつ?やんわりぼかした表現では意味がわからない。突然やってきた嫁に警戒しているだけではないの?

 背後に近づいてくる気配があり振り返ればフリードがいた。


「マルクス!お前はここで何をしている!!」

「ご覧の通り、エレノア姫のお相手をしております。」

「そんな暇があれば自主練に出てこい!エレノアではなくオレの相手をしろ!!」

「兄さんの相手はもうこりごりです。怪我をしたくありません。それよりも」


 ついと立ち上がり余裕を見せてマルクスがフリードに微笑む。


「早く着替えて来ないと朝食をエレノア姫とご一緒できませんよ?汗だくでは失礼でしょう。姫は私がホールへご案内します。」


 ギリリとマルクスを睨んだ後、フリードは着替えに向かった。やれやれとマルクスは申し訳なさそうな顔をエレノアに向けた。


「騒がしくてすみません。あの気性も慣れれば気にならなくなると思います。」

「そう‥でしょうか?」


 慣れる日が来ればいいのだが。いつも怒っている様に見える。オレ様皇太子な上に癇癪かんしゃく持ちなのだろうか。


「ああ、いえ、今はちょっと面白くて煽っているだけなので、普段はもう少し静かです。大丈夫ですよ。」


 何やら物騒なことを言いマルクスは席を立つ。慇懃に紳士の礼をした。


「朝食へご案内する栄誉をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ではお願いします。」


 クスリと笑ってエレノアは左手を差し出した。

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