第5話  涙

「殿下。休憩はとっくに終わっております。少しだけというお約束でしたがいつまで休憩なさるのですか?」

「いや!ちょっと楽しくなってしまってな。悪気はなかった。」

「さあ執務室へ。本日分はまだまだ終わっておりません。」


 そう言いエレノアをついと見た。三十前半くらいの鋭利な感じの男だ。膝をつき頭を下げる。


「エレノア姫様、お初にお目もじつかまつります。皇太子殿下のお側に仕えておりますローランドと申します。今後とも何卒良しなに。」

「は、はい、こちらこそ‥‥」


 ひくついて返事をした。気配がちょっと怖い。冗談が通じない雰囲気だ。


「こちらにたどり着いてみればお二人が打ち合いをなされておいででした。見事な太刀筋に感服しておりました。誠に福眼でございました。」


 ほうとため息をついて褒められた。この男も剣術をたしなんでいるようだ。


 諦めたように息をついたフリードリヒはエレノアを見た。


「やはりお前、姫将軍か。いい剣だった。信じられんが認めてやる。」


 その尊大な言い様にカチンと来たが心の中で呪文を唱えてぐっと堪えた。

 これでも皇太子!こんなんでも皇太子!

 それを気にした風もなくフリードリヒはマルクスを睨む。


「ちっ仕方ない。マルクス、お前も手伝え。さっさと終わらせて先程の続きをするぞ。」


 まだやるつもり?どんだけ戦闘狂なの?

 楽しかったのは確かだが、正直エレノアは結構疲れていた。長旅で今日帝国に着いたばかりなのに!

 それを理解したかのようにマルクスが目配せをしてきた。


 大丈夫です。明るいうちには帰しません。


 気遣いができる第二皇子だ。こちらの方が皇太子向きではないのか?


 そんな二人の目配せを見たフリードリヒが面白くなさそうに、ずいとエレノアに詰め寄り顔を見下ろした。


「エレノア、オレの名はフリードリヒだ。皆にはフリードと呼ばせている。呼んでみろ。」

「は?」

「オレの名前を呼べと言った。呼んでみろ。」


 いきなり何を言っているのだ?意図がわからず、エレノアは小首を傾げて言われるままに呼んでみた。


「‥フリード‥様?」


 そう呼ばせたのに本人が目を瞠る。口元に手を当てて震えていた。

 何この反応?言わせておいて失礼じゃない?


「くそっ何だこの破壊力は!!」

「呼べと言われましたから呼びました!ご不興を買ったようですのでもう呼びません!」

「いやそれでいい!その呼び方を許す!」


 ぷいと顔を背け、フリードはくすくす笑うマルクス、ローランドと共に去っていった。





 残されたエレノアはその時誰かの視線を感じて振り返った。

 草むらの中に子供がいた。まだ幼い少女。つぶらな目がじっとエレノアを見つめていた。


 レオーナが笑顔で名前を呼んだ。


「イーザ、出てきてご挨拶なさい。」


 草むらから少女がおずおずと出てくる。身体中草だらけだ。レオーナにイーザと呼ばれていたので下の姫だろう。その後をあくびをしながらのっそりとした大きな白い犬がついてきていた。

 犬までいたのか?エレノアは更に驚く。

 少女がもじもじと手を揉んでエレノアの前に立った。


「えと、イーザです。エレノアひめさま、はじめまして。」


 歳のころは六歳くらいか。歳のわりにとてもしっかりとしていると思った。そして可愛らしい。だからエレノアもきちんと笑顔で返した。


「こちらこそ初めまして。イーザ姫様、ご挨拶いただいてありがとうございます。」


 にっこり微笑めば少女はきらきらした目で見上げてきた。


「ありがとうございます、ひめしょうぐんさま!おあいできてこうえいです!」


 舌ったらずだが歓迎の気持ちが伝わりくすぐったい。


「少し冷えてきましたね。中に入りましょうか。今お茶の準備をさせますね。」


 レオーネが穏やかにそういう。部屋に戻り三人はソファに座る。イーザはちゃっかりエレノアの隣を陣取っていた。


 ついとレオーネが顔を上げる。


「あなたはもう下がりなさい。エレノア姫と話があります。」

 

 見上げた先にはリースが立っていた。気配を絶っていたためか、エレノアはこの侍女の存在を完全に忘れていた。


「姫様のお側を離れないようにと言い遣っております。」


 言い遣っている。言外にランベルト王の指示を匂わせた。

 丁寧な物言いだが皇后相手に反抗の意を表した。エレノアは内心焦る。今後のためにもここでこの侍女の悪印象を残したくない。


「リース、下がりなさい。部屋で‥‥荷解きをしていなさい。」


 やんわり指示を出せば、リースは黙礼をいて部屋を辞した。


「侍女が大変失礼いたしました。」

「よい侍女をお連れね。強い意志を感じるわ。」


 ふふと穏やかにレオーネが答えた。


「帝国に単身で嫁ぐのであれば、侍女はあれくらいでなければなりません。ランベルト王の心遣いは素晴らしいわ。」


 レオーネはわふと側にやってきた白い犬の頭を撫でる。スノウっていうのよ!とイーザが犬の名前を教えてくれた。


「今日は久しぶりに頑張ってアップルパイを焼いたの。お茶請けにしましょうね。」


 皇后手ずからパイを焼く。恐れ多すぎる!

 こういう場のマナーがわからない。多分目上の方から手をつけるんだよね?

 そう固まっていればレオーネはにこやかにパイを取り分けた皿をおく。


「堅苦しいことはなしよ。この家では皆が好きなようにするの。この家は皆の息抜きの場なのだから。」

 

 エレノアは納得した。王とは心身ともにきつい仕事だ。皇帝となれば尚更だろう。だから家族との時間は普通の家庭のように過ごす。ここはそのための家なのか。

 出されたパイを一口食べた。素朴な味でとてもおいしかった。


「私も嫁いで来た時は驚いたわ。でも慣れてしまうととても居心地いいものよ。他所の王家にはこんな風習はないものね。」


 レオーネはフッと笑う。この笑顔は癒される。エレノアは笑顔で応じた。とても穏やかな時間だった。


「さて、と。あの長男が帰ってくるまでまだ時間があるわ。聞いておきたいことがあるかしら?なんでも答えるわ。」


 エレノアは少し思案し、最大の疑問を聞いてみようと思った。


「なぜ皇太子のフリード様が黒剣なのでしょうか。」


 先程マルクスは重要機密と言っていた。対外的には第二皇子が黒剣のはずなのだが。


「ああ、それね。流石に皇太子が将軍を賜るのは外聞が悪い、というのが一番の理由かしら。だからマルクスが賜った形をとってフリードが戦場に赴いていたのよ。」


 それでは答えになっていない。皇太子が戦場で先陣を切る。いつ死んでもおかしくないだろうに。

 その思考を読んでかレオーネがクスクス笑う。


「おかしいわよね。でもあの子は聞かないから苦肉の策なの。まあもし戦場で死んでしまうならそれまでの子だったのでしょう。」


 笑顔でバッサリ言うレオーネにエレノアは面くらった。流石は皇后様なのか。


「あの子がなぜ黒剣として戦場に出ていたか理由は聞いていて?」

「理由‥でしょうか?いいえ?」

「そう、あなたのお兄様もなかなか困った方ね。それでは帝国に嫁ぐのはとても恐ろしかったでしょう?」


 前半よくわからないことを言われた。けれども後半の言葉に体が震えた。心臓を鷲掴みにされたようだ。

 レオーネは真摯な目を向ける。それは優しい語り口にそぐわなかった。


「我がアドラール帝国はエレノア姫に無体は強いません。皇后レオーネの名に於いて誓うわ。ハイランド王国の姫君としてきちんと大切にお迎えするつもりよ。だってこんなに可愛いらしい方が私の娘になるんですもの。」


 最後ににこりと笑う微笑みがにじんで見えた。気がつけばエレノアの目から涙が溢れていた。

 もう泣けないと思っていた。先程は怒りの涙を堪えた。でも今は気がついたら泣いていた。後から後から雫が溢れ出していた。


「まぁまぁ、怖かったのね、もう大丈夫よ。」


 エレノアの隣に腰掛け肩を抱いてくれた。イーザがよしよしと頭を撫でてくれた。


 暖かい。母が生きていればこのような感じだったのだろうか。幼い頃に亡くなった母をふと思った。


 エレノアはその後しばらく涙が止まらなかった。


「ごめんなさいね、なぜあの子が戦場に出ていたのか、それはやはり本人から話をさせるわ。重要機密だから。」


 レオーネに抱きしめられてエレノアは優しくそう言われた。



 


 





 


 

 






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