【完結】姫将軍の政略結婚

ユリーカ

第一章

第1話  開戦

 姫将軍の二つ名を持つエレノアは出陣のため身繕いしながら息を吐いた。

 また係争地帯に帝国軍が兵を進めてきた。


 先陣を切るのはアドラール帝国の将軍。黒い鎧を纏い巨大な黒い愛刀を持つことから、黒剣と呼ばれている。


 あれは恐ろしい。大きな体躯で巨大な黒剣を振り下ろす様は魔王の所業だ。一般兵など一瞬で切り裂かれてしまう。黒剣が出たというだけで軍の指揮が一気に落ちるのだ。


 だから黒剣が出た場合は同格の将軍であるエレノアが一騎打ちを申し出る。兵をいたずらに消耗したくない。

 それに自軍で相手をできる者はエレノア以外いなかった。それほどに黒剣の剣技も素晴らしかった。


 あれは生まれながらの戦神だ。


 エレノアの心に憧れと共にちくりと痛みが走る。


 なぜ自分は男に生まれなかったのか。女の身ではおそらく体力的にこれ以上の上達は望めない。ある程度剣技が磨かれてしまえば、勝敗は体力と腕力の差となる。

 今はかろうじて技で受け流しているが、ここ近日の黒剣はそれの上を行っていた。


 外交王の異名を持つ兄王ランベルトですら、帝国との和平交渉は難航していた。

 もう何回会談が行われたことか。その度に成立に至らない。帝国側が強行だということしかエレノアには伝わってきていない。

 あの格上のアドラール帝国なのだから当然ではあるが。


 一体何を要求されているのだろうか?

 あの兄王が手を焼くほどの条件などあるのだろうか?



 エレノアはハイランド王国の第四王女として生を受ける。

 母は身分の低い男爵家の出であったので後ろ盾も立場も弱い。そして秀麗な姉妹達と違い、エレノアの容姿は平凡だった。異母姉姫に事あるごとに似ていないと挙げ連ねられた。


 姉妹達のような眩い金髪もない、彫刻のような堀の深い顔立ちもない。目立たない淡い栗毛と地味な焦茶の瞳、歳よりも幼い顔立ちにエレノアはため息をついた。


 特に頭がいいというわけでもない。性格に愛嬌があるわけでもない。容姿も普通。この淡い栗毛も曽祖母譲りとおだてられるが、どれだけ血が離れているというのか。

 自分には何も取り柄もない。美しい姉妹達からも無視されている。空気のような存在。

 

 しかしただ一点、非凡があった。剣技である。


 その技は剣術の指導を受けて早々に発揮された。指南役を斬り伏せたつたないながらのそのキレに師範方が騒然となる。そこからエレノアは一心不乱に己の剣術を磨いた。そして姫将軍と謳われる程にその技は開花した。


 自分は王族としてこの程度しか役に立たない。せめて国のためにこの技を使い身を捧げよう。


 そして口数の少ない兄王ランベルトより遂に将軍位を賜った。何度も請い願いやっとであった。

 兄としてのランベルトとは記憶にある限りで数回しか言葉を交わしたことはない。それもぶっきらぼうなものだった。だか迷いなく的確に国を導くその姿にエレノアは尊敬し忠誠を誓っていた。

 

 だから絶対に負けられない。相手があの黒剣であろうとも。国を、兄王を護るのだ。そう自分に何度も言い聞かせる。


 エレノアは兜をかぶり外に出る。その白銀の鎧は将軍叙任の際に兄王より賜ったもの。戦場には必ず着ていくようにとの命も下された。

 軽量の鎧ではあったが、それでも負担にはなる。動きも制限される。だがこの鎧で護られていると感じることもあった。

 エレノアは馬に跨り、戦場を駆け抜けた。




 黒剣は今日もそこにいた。


 戦場の中央でじっと動かず、抜刀した大剣を地面に刺し両手を添えてエレノアを待っている。

 それを歩兵が遠巻きに取り巻いていた。間合いに入れば一太刀で首を刎ねられるとわかっているから。


 エレノアは内心首を捻る。やはりおかしい。


 以前であれば一か二週に一度、攻め入る程度のことだったのに。この一週間、この係争地帯に入り浸っている。なぜ帝国に帰らないのか?

 

 それはきっと弱小国への挑発。そうして和平交渉の場で相手から有利な交渉を引き出すためなのだろう。

 ひょっとしたら帝国側も外交王相手に焦れているのかもしれない。

 そう思えば、これから始まる戦いも意味があるように思えた。自分が堪えればそれほどに帝国から好条件を引き出せるのかもしれない。国の役に立てる。


 そうして馬を降り、黒剣に相見あいまみえる。


 黒剣はいつも何も語らない。エレノアを見てそして静かに剣を構える。早く相手をしろ、と言わんばかりに。闘志が漲っている。

 取り巻きの兵がその様子に慄き、さらに遠のいた。巻き込まれるのを怖ている。


 エレノアはこくりと喉を鳴らす。そしてマントをひるがえし抜刀した。

 もう連日この男と相対している。その度に引き分けてお互いに剣を引く。

 正直体力の限界だった。夏の猛暑で夜の眠りも浅い。もう帰りたい。だがこの男は引いてはくれない。帰れない。浅い呼吸から集中する。


 これはどちらかが負けるまで終わらない。


 その様子を両軍の兵が、固唾を飲んで見守っていた。戦場なのに静寂が訪れる。



 黒剣が動いた。


 巨大な剣を振りかぶり間合いを詰める。そして剣を振り下ろした。重さを感じさせないその動きはその男の怪力から。それはエレノアにないもの。これはずるい。


 太刀筋を見切りエレノアはギリギリで躱す。キィンという剣が擦れる音がする。その力を逃しエレノアは剣技で受け流す。あの剛剣をまともに受け止められない。受け止めればきっとこの細身の剣と鎧ごと砕かれてしまう。


 自分に力はない。だから技で返す。

 大振りはしない。剣先を黒剣に短く突き振るう。たまらず黒剣が間合いを取ろうとするところを踏み込んで突き払いを繰り返す。剣の鋭く打ち合う音が戦場に響いた。


 エレノアの息が上がる。暑い。そして体が重い。疲労が集中力を鈍らせる。


 強烈な斬撃で姫将軍の剣が打ち返される度、自国軍から悲鳴のようなどよめきが上がる。

 自分が倒されては自軍は皆殺しだ。将軍の自分が堪えなければ!!

 この戦神相手に勝ちはない。もうわかっている。でも今日も引き分けにしなければならない。必死で食い下がった。


 だが限界が来た。キィンという音と共にエレノアの手から剣が飛んだ。静寂の中、エレノアの剣がカランと音を立てて落ちた。疲れとひどい腕の痺れ、そして絶望にエレノアはその場に膝をついた。


 負けてしまった。


 身が凍った。負けてしまうことは考えないようにしていた。怖くなってしまうから。だからこれからの展開がわからなかった。

 自軍はどうなる?国はどうなってしまう?


 そして荒い呼吸で目の前に立ちはだかる黒剣を兜越しに見上げた。黒剣は緩やかに剣をさやにしまう。もう戦う意思がないという表れだった。


 戦場ではその場で敵将の首を切ってもおかしくないものを、エレノアの健闘を讃えてくれているのか。帝国は剣技を重んじる国風がある。存外儀礼がなっている男なのかもしれない。エレノアは場違いにふと笑った。


 話したこともないが剣で存分に語らったように思う。きっとまっすぐな性根なのだろう。この男との付き合いも長いようで短かった。もう少しあの戦いを続けたかったとさえ思えた。だがもうこの生も長くない。


 捕虜として連れていかれるのだろう。そう思っていたのだが、黒剣はしばらくエレノアを見つめた後。

 くるりと踵を返した。エレノアを残し去っていく黒剣に唖然とした。


 そうして帝国軍は係争地帯から撤退していった。



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