第2話 政略結婚
傷心のエレノアは戸惑いながらも王宮に帰還した。それしか思いつかなかった。
入城してすぐ王より呼び出しあった。ことの顛末は早馬で伝わっているのだろう。だが将軍として奏上しなければならない。
帰還後慌ただしい中、最低限の身繕いをして将軍として謁見の間に向かう。
「戻って早々すまない。お前から直接確認を取りたかった。」
玉座に座るランベルトは膝を折るエレノアに開口一番話を振る。
年若いながらもふだん冷静な王のその様子に僅かながら狼狽を感じ取った。自分が敗れたことで交渉のバランスが崩れたのだろう。
「申し訳ございません。剣を打ち取られました。」
膝をつき頭を下げる。王族であるが将軍職を賜った時点でその気持ちはもうなかった。
側近達はおぉと声をあげる。悲鳴に似ていると思った。
王はその言葉に一瞬言葉を詰まらせるも、目を閉じ静かに思案した。眉間の皺が深い。それほどに兄王を悩ませた結果になりエレノアの心はさらに沈む。
「怪我はないのか。」
「はい、ありがとうございます。帝国側も勝負がついたあとは静かに撤退していきました。」
改めてことの次第を掻い摘んで王に奏上する。
「そうか、わかった。ご苦労だった。もういい。下がれ。」
静かにただそういい王は姫将軍を見やった。王からは罵りも弾糾もなかった。
その様子にエレノアは何も言えない。
無力な自分。護りきれなかった。生き恥を晒して城に戻ってしまった。いっそあの場で首を切られていれば帝国の蛮行を詰る口実ができた。その方が国のためになったのではなかろうか?
だが兄王からいつものと違う言葉をかけられた。
「これから動くことになる。お前はそれまで余の命を待て。」
それから三日の後、和平が成立した。急展開にエレノアは愕然とする。あの勝敗がどう影響したのか。それはすぐにわかった。
係争地域の主権はハイランド王国に渡された。
帝国は今後一切、あの地域の主権を主張しないという破格の和平であった。だが条件としてエレノアの帝国への輿入れが決まった。
国民は和平成立を喜ぶも姫将軍の輿入れに悲嘆をあげる。和平を結んだとはいえ長年敵国だった国に姫を輿入れさせる。それは人質に等しいことだった。
姫将軍様と慕っていた姫を手放すことに国民は悲しみ涙した。
「お前の輿入れが決まった。」
王からそう短く言われエレノアは王女としてただ深く立礼する。王女である以上、王から命を受ければ拒否することはできない。
予想外の展開にエレノアは驚いた。だが帝国の思惑はわかった。
和平は結ばれた。だが次に何かあればこの条約を破り帝国は攻め込んでくるだろう。その時にこの国は防ぐ手立てがない。もっと後任を鍛えておけばよかったとエレノアは悔やんだ。
だが婚姻と引き換えに格段の条件を引き出せたのだと宰相から聞き、エレノアの心は少し和んだ。
一週間後に帝国に嫁ぐことが決まった。王宮内は急な準備で慌ただしくなった。
嫁ぐ相手は皇太子フリードリヒ。何も言われていないが待遇は側妃だろう。
あの黒剣は第二皇子だと聞く。あれほど戦場で切り合った男のその兄に嫁ぐ因果をエレノアは皮肉混じりに笑った。
いや、自分はただの人質だ。十分恨まれているだろう。どのような扱いを受けるかもわからない。一生幽閉だってあり得る。いやそれ以上だって‥‥
ぶるりとその身を震わせた。
輿入れにあたり王妃から面会の触れがあり、エレノアは応じた。普段簡単なドレスしか着ないエレノアは、パニエのドレスに落ち着かない。しかし王妃との面会ではドレス正装が必須だ。
兄王の正妃エルネスタは氷の貴婦人と呼ばれている。決して荒げることない氷のような佇まいからそう呼ばれるようになった。
エルネスタも政略結婚で嫁いだが、嫁ぎ先のこの国は敵国ではなかった。同じ政略結婚でも雲泥の差だ。エレノアの心は沈んだ。
ソファに座る二人に沈黙が降りる。侍女たちは一人を除き人払いされていた。人払いされている事実に警戒する。意図が判らない。世間話をするのではないのか。
エレノアは正直、この王妃が苦手だった。
四つ年上の二十一歳だが、とにかく美しい。そして何もかも見透かすような目をしている。普段全く接触がないのに今日は一体なぜ招かれたのか?
「まずは婚約のお祝いを言うわね。良いご縁ね。おめでとう。可愛らしい方。」
これは言葉通りに受けて良いのか?空気のような自分に祝いなど。しかも可愛らしい方?
それに元敵国に嫁ぐのに良いご縁というのは嫌味でしかない。心の中でエレノアは嘆息するも、顔に出さないように目を閉じて頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「眩いほどの陛下の御威光があなたをいつも守ってくださいます。それを忘れないでいなさい。」
守りがなければ危険な地なのか?心が弱っていることを自覚してはいたが、もう負の発想しか出てこない。
「はい、重々承知しております。」
「そうかしら?」
フフと艶然と微笑む王妃にエレノアは
エレノアは戦場しか知らない。王の命で夜会も公式行事にも参加はしていなかった。将軍なのだから当然だ。だからこういう腹の探り合いは慣れていない。王妃の真意はなんだろうか。
しばし扇で口元を隠し、エルネスタはじっとエレノアを覗き込んだ。そしてふぅとため息混じりに語る。
「貴方が思うよりもずっと人は動いているものよ。上に立つ者として人の心にもっと鋭くあるべきね。私が教えてさしあげられないのが残念だわ。貴方自身で嫁ぐ身としてそれを悟る技を磨きなさい。」
「はい‥‥?」
「本当に残念だわ。あのような催促がなければもう少し‥‥でも仕方がないわね。あちらで頑張りなさい。」
王妃は優雅に扇をパチンと鳴らす。
扉が開かれた。短い面会は終わった。
そうして一週間後、エレノアはアドラール帝国へと嫁いだ。
兄王より侍女を一人賜った。侍女を一人だけ伴う許可は帝国からおりていた。
侍女の名はリース。飄々とした雰囲気の十六歳の娘だったが、気配の消し方が尋常ではない。何か術を身につけているようだ。
兄王がこの侍女を自分につけた意図を考える。自分の監視用か、帝国の手駒に万一なった場合に備えての暗殺用か。もう何もわからない。
移動の馬車の中でエレノアは兄王との謁見を思い出していた。
「エレノアよ。お前はもう
王の言葉にエレノアは目を瞠る。
国のために、兄王のためにずっと鍛えてきた剣技。それを捨てるのは己の今までを捨てるのと同義だった。それこそ何も残らない。体が震えた。
「和平はなった。もうその必要もない。残りの人生を穏やかに過ごせ。」
初めて兄王の微笑みを見た。胸が苦しい。エレノアは無言で頭を下げた。
剣は手放した。せめてと下賜された白銀の鎧は持ってきた。もう纏うこともないが、手放すこともできなかった。
燃えるような思いで戦場を駆け抜けた日々。これはかつての自分の抜け殻だ。
エレノアはもう泣くこともできなかった。泣こうにも胸がつかえて涙も出ない。涙を流すその力さえ湧いてこなかった。
こんな燃えかすのような姫を見て皇太子はなんと思うだろうか。
人質の身なのに、なぜかそんなことを考えた。
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