第3話 黒太子
アドラール帝国には三人の皇子がいた。
皇太子フリードリヒは二十歳。黒太子という呼び名もある。戦場に立つことはないが、為政者としての才覚は高いと評判だ。
第二皇子のマルクスは十八歳。エレノアより一つ上だ。将軍職を任されている。その二つ名は黒剣。その剣技をエレノアはよく知っている。
第三皇子カールは九歳。この歳では
他に姫が二人いるがこちらの情報はない。調べる時間もなかった。それくらい慌ただしい輿入れだったのだ。
なぜか帝国より矢の催促が入った。条約を守るかそれ程不安だったのだろうか?
帝国領に入れば迎えの護衛騎士が待っていた。物々しい雰囲気で王城へ向かう。まるで罪人の搬送のようではないか。自分は帝国にとってそれ程の恨みを買ったということだ。嘆息するエレノアはリースに下車の準備で頭からベールをかけてもらう。
兄王からベールを纏う指示が出ていた。指示がなくともこの凡庸な顔を晒すつもりもなかった。しかし改めて指示が出れば心が傷ついた。
王宮の入り口で馬車を降りれば、伏して出迎える大勢の使用人の中で一人立っている男が見えた。
どきりとした。あれが皇太子なのか。
その男はにこやかに歩み出て頭を下げる。完璧な紳士の礼だ。
「アドラール帝国へようこそ、エレノア姫。第二皇子のマルクスです。皇太子に代わりお迎えに参りました。」
エレノアは目を瞠る。今マルクスと名乗ったのか、この男は!いきなり
淡い銀髪に青眼がよく映えている。背は高いが細身であの黒い鎧を着こなせるとも思えない。
エレノアの震えにマルクスはああ、と合点のいった顔をする。微笑んで前屈みになり声を顰める。
「失礼しました。黒剣は私ではありません。極秘事項ですので、説明は後ほど。」
そうしてエレノアを伴いマルクスは歩き出した。
迷路のような王宮を進み、一行は中庭らしきところに出た。王宮内にあるとは思えないほどの広大さにエレノアは驚く。高く生い茂る森まである。
「こちらです。」
マルクスは迷いなく森の小道に入った。マルクスの後をエレノアはリースを伴い進む。森の中だが旅装のドレスであったので難なく歩けた。薄暗い小道を進み、しばらくすると森が開けてそこに一軒の家があった。
大きさは手広くやっている商家の本邸程度。石造で二階建てのそれが王宮内にある異常にエレノアはさらに驚く。蔦が這った家は年季を感じさせた。
マルクスは迷いなく玄関から家に入る。使用人が見えない。本当に民間の家のようだ。
一階の音楽室と思しき部屋に導かれる。さんさんと太陽の光が入るその部屋、そこには淡い銀髪の美しい夫人が腰掛けて待っていた。その顔がエレノアを見て破顔する。
「あたながエレノア姫ね。ようこそアドラールへ。お疲れでしょう?こちらにいらしてゆっくりしてくださいね。」
優しく微笑まれエレノアは動揺する。一目で高位の貴婦人だとわかる。これは予想外の展開だ。自分は人質ではなかったのか?なんだこの待遇は。
唖然とするエレノアにマルクスが優しく囁いた。
「母のレオーネです。」
はは?第二皇子の母?それは——
エレノアは慌てて淑女の礼をとった。
アドラール帝国皇帝の正妃
皇后レオーネ
その様子にレオーネはくすくすと笑い声を漏らす。
「まあまあ、そんなものは不要よ。ごめんなさいね。本当は迎えに行きたかったのだけれども、お腹に赤ん坊がいて今はあまり動けないの。」
「当然でしょ。父さんに止められなかったら行くつもりでしたね?」
「だって娘ができるのよ?待ち切れないじゃないの。」
そんな普通の親子の会話を二人はしているが、エレノアは背中に滝のような汗が流れている。
思ってたのと違う。ものすごく普通。庶民的、そして家庭的で友好的。
いや、帝国の王家にしてはこれは異常なのかもしれない。
促されるままに皇后の対面の長椅子に腰掛ける。エレノアはもう毛の先までコチコチだ。二人を横から見る席にマルクスがつく。
「長旅お疲れ様でした。道中なにか問題はなかったかしら?」
「は、はい!大丈夫です!おかげさまで!」
なんのおかげさまなんだろう?
マルクスは心中思ったが面白いのでツっこまないでおいた。
レオーネはすまなそうに頬に手を当てた。
「ごめんなさいね。皇太子のフリードは公務が長引いているようなの。本来ならあの子が出迎えるべきなのに。」
皇后に詫びられた!!これはどうすればいいの?!
受けるの?不遜じゃない?否定する?失礼では?エレノアはパニックになった。
ぐるぐる考えていると、ばん!と扉が開かれた。
「エレノアは?!姫将軍はついたか?!」
カツカツと背の高い男が部屋に入ってきた。
歳のころは二十代前半か。黒髪黒眼の男が目に飛び込んできた。背はエレノアより頭二つは大きいのではないか。服装も羽織るマントまで漆黒のため日焼けした肌以外全身真っ黒に見える。その目には強い意志が伺えた。
顔立ちは整っていたが、表現するなら麗しいというよりは
そのすらりとした偉丈夫が部屋を見回し、ベールをかぶるエレノアに向けられた。
エレノアに向けられる黒い瞳が颯爽として見えエレノアは目を見開いた。しかしその口から出た言葉はキツい口調だった。
「お前!お前が姫将軍か!!」
なんだこの男は。皇后の御前で!一瞬エレノアは
この男が黒太子フリードリヒ!!
その男、フリードリヒは無遠慮にエレノアの側にしゃがみ込み顔を覗き込む。
「このちびっこいのが姫将軍?なんだこのベールは?顔を出せ。」
「兄さん、附随書に書いてあったでしょう?姫は随時ベールをかぶることって。」
「オレの妻なのに、なんでオレの前でベールをかぶるんだ!!」
そういって乱暴にエレノアのベールを剥ぎ取った。突然のことでエレノアは反応できなかった。
そして一同がエレノアの顔を見た。
見られてしまった。
ソファにいた三人の目がエレノアの顔に向けられた。エレノアは固まった。初日早々に凡庸な顔を見られてしまった!!
部屋に沈黙が降りた。しばし後——
「まぁまぁまぁ!!!」
レオーネの嬉しそうな声だけが部屋に響いた。
エレノアはフリードリヒの手からベールを取り返そうとするが、フリードリヒがベールを後ろに投げてしまった。なんて失礼な男だ!
エレノアはその男を睨みつけた。その顔を見たフリードリヒがさらに目を見開いた。しばし睨み合っていた。が、我に返ったようにフリードリヒが怒りを露わにして立ち上がった。
「お前、姫将軍じゃないな!!」
「はあ?!」
エレノアの口から思わず声が出てしまった。皇后の御前で失礼だとわかっていても止められなかった。わなわなと体が震えた。
あんなに覚悟を決めてここまで来たのに、言うに事欠いてなんてことを!しかも皇太子本人が!
それに構いもせず黒太子は怒鳴りつける。
「あのペテン師王め。替え玉を寄越したな。これは歴とした条約違反だ!すぐに兵をあげるぞ!!」
その
「言いたいことを言っていいのよ?」
発言の許可がおりた!!こうなればエレノアも黙っていられない。
「私がエレノアです!将軍職を賜っていたものです!なぜ替え玉などというのですか!我が国の王をペテン師扱いなど!失礼でしょう!」
「兄さん、私も流石にそう思います。」
呑気な口調でマルクスがエレノアを援護するも、エレノアの耳には入っていない。完全に頭に血が上っているようだ。
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