第17話 討伐③

 再びカールの長い笛が辺りに響き渡る。ヒュドラの傷口を焼いた火はもう消えている。傷だらけで焼け焦げていたがヒュドラは起きあがろうとしていた。


 カールが手を挙げる。カールの傍には迷彩柄の服を身につけたリース。目を細め大弓を引いている。弓がリースの背ほどに大きい。つがえた矢の先には小さな火薬筒、その長い銅線にはすでに火が付いていた。


「撃て!!」


 カールの声と共に手が下ろされ矢が放たれる。矢は寸分狂いもなくエレノアの剣が刺さっている首の、剣の横の鱗が剥けた肉に刺さった。


 爆発音と共にヒュドラの首が飛ぶ。エレノアの剣が折れてからんと地面に落ちた。口論していた二人が怒声をあげる。


「「何をする!!」」

「つまらない喧嘩をなさっていたから攻撃させてもらいました。さっさと止めを刺して下さい。でないとこちらから射掛けますよ?」


 カールの声が怒りで凍てつく。絶対零度だ。司令部にいたカールの取り巻きがその冷気に後ずさる。


「カール!お前には後で話がある!!」

「奇遇ですね、僕もですよ!フリード兄!!」


 フリードの熱気とカールの冷気が睨み合い、取り巻きがさらに後退あとじさった。

 岩場を飛ぶように駆け降りてきたスノウから黒剣を受け取り、フリードは折れた剣を投げ捨てた。ギラギラとした目で大剣を鞘から払う。


「最後の一本はオレが落とす!」

「させるか。俺が落とすぞ!」


 黒い親子がヒュドラに襲いかかる。それをエレノアは茫然として見ていた。色々とおかしい。戦闘狂の一言では説明できない。黒剣を理解したつもりだったがまだまだ甘かった。


 あの男は本当にバカだった!!!


 あんなに心配して泣き腫らしたのに、必死になって助けに来たのに、この男は嬉しそうに剣を振るう。エレノアの覚悟も知らないで!籍まで入れて駆けつけたのに!!

 再会の喜びから一転、ふつふつと体が怒りで震えてきた。安堵も助けになって抑圧されていた感情が爆発した。


 この腹立たしさをどうしてくれようか。

 エレノアの手が静かに伸びた。



 ヒュドラの最後の一本首は一番太くて長い。黒い楔が食い込むも徐々に押し出されていた。動きこそ鈍っていたが回復能力は残っている。傷が塞がってしまう。

 急がなければならないのに、親子が首を取り合うようにお互いを邪魔をする。それをイライラした顔でカールが、呆れを通り越して残念なものに向ける顔でマルクスが見ている。

 いっそ場外で二人で喧嘩でも何でもしていればいい、その場の皆が心中そう思っていた。


 二人が争っている間にこちらがヒュドラの首を落とせば烈火の如く怒るだろう。皇帝に皇太子、二人の圧で兵士達もスノウ達もヒュドラに手が出せない。

 陽が落ちる前に、毒が抜ける前に、ヒュドラが逃げる前に止めを刺さなくてはならないのに。


 だがそのあらがいはその後あっけなく終わることになる。


 イライラしたカールがリースに矢をつがえるよう言おうとしたところでヒュドラに向かう人影があった。

 その手には先程フリードが投げ捨てた黒い大剣。しかしその刃は砕かれ短い。それを両手に持った乙女が空を駆けるように舞いヒュドラの背に飛び乗った。ヒュドラが慄き身をひるがえす。その場にいた一同に戦慄が走った。


 栗毛の愛らしい乙女は襲いかかる首をひらりと躱す。その隙をついてヒュドラの首の背後、楔の反対側から黒き大剣で薙ぎ払った。鱗が剥けたそこの肉を断つがガツンと骨に当たる音がした。

 ヒュドラの首が絶叫して襲いかかるも動きは鈍く、乙女は易々とそれを躱す。そうして寸分違わず同じ場所をもう一度薙ぎ払う。再びガツンと音がしてヒュドラが悶え地に伏せる。三度目にはその首が骨から折れねられた。既に一度楔が入り脆くなっていたところだ。


 のたうつ首の止めに黒剣を突き刺し、地面に首を縫い留める。その様子をその場の全員が息を飲み見ていた。

 乙女の見た目とは裏腹にその体から尋常ではない怒気がみなぎっていたから。


 黒剣の柄に右手を、ヒュドラの頭に左足をのせ、その勢いのままエレノアはフリードを見下ろした。それは武勇伝サーガに謳われる竜を仕留めた姫将軍も斯くやという姿だった。違うとすれば聖剣に相当する剣のその色だろう。

 その美しくも苛烈な表情にフリードはたじろいだ。


 エレノアは低い声で厳威に言い放つ。


「討伐は完了しました。総大将として全兵に拠点への速やかなる帰還を命じます。カール!各々に撤収の指示を出しなさい!」

「仰せのままに。」


 崖の上より恭しくカールが応じる。ヒュドラから降りて歩み出すエレノアの先を兵士たちが無言で道を開けた。


「まだ戦いたい者は止めません。好きなだけ打ち合っていればいい。」


 去り際にエレノアはそう言い捨て、凍りついたフリードを睨み付けた。

 マルクスは堪えきれずその場で笑い出していた。





「これでわかりましたか?上の者が勝手をすればどれだけ周りに迷惑がかかるかということが。」


 拠点に戻りフリードは手当を受けたが、やはりひどい怪我も衰弱もなかった。

 兵の撤退後自分も逃げる予定だったがヒュドラに敵視された。自分が下山してはヒュドラもついてくる。仕方なくヒュドラの相手をしていたという。

 食料は入山時に携帯しており逃げるために放棄した兵士たちの分も合わせ食い繋いでいた。


 では元気ですね、ということでフリードは現在カールのお説教にあっていた。フリードの隣にはヴォルフが腰掛け面白げにその様子を見ていた。向かいに座るカールの隣にはエレノアとマルクス。

 フリードは目を閉じて眉間を揉んでいた。悪かったとわかっているのか殊勝な様子を見せている。


「言いたいことはよくわかった。以後単独行動はないよう気をつける。」

「どうだかな。こんなことでわかればとっくの昔に矯正されてただろうよ。」


 ヴォルフが説教に茶々を入れる。それをカールがぎろりと睨んだ。


「父上、ご自分が今、息子の反面教師にされていることをご存知でしょうか?」


 ご存知だとしたら由々しき問題です!と今度はヴォルフがネチネチお説教された。


 聞けばこの皇帝、フリード生死不明のあの時偶然にも外遊先からちゃっちゃと帰ってきていたらしい。外遊先には今でもそっくりさんが滞在しているそうだ。そしてあの家族会議にも軍議にもカーテン越しから参加していたと聞いてエレノアは驚いていた。

 レオーネの不機嫌な態度にも頷けた。ヴォルフはカーテンの影からエレノアの将軍叙任と出兵の許可を出しまくっていた。それをレオーネが無視して留めていたそうだ。


 マルクスやカールがそれを知ったのは軍議の後らしいが、エレノアには隠されたままだった。


「せっかくフリードを射止めた愛し姫に会えるのだから、歓迎の意も兼ねて何か特別なことをと考えたわけだ。」


 エレノアにそう言いヴォルフは微笑んだ。

 こいつはそんなんじゃない!何を言ってるんだ?!と真っ赤になって喚くフリードをさらりと黙殺中だ。

 いたずら半分、素のエレノアを見たくてわざわざ素性を隠すあんな手の込んだことをしたらしい。

 恐れ多くもアドラール帝国皇帝陛下がこんなお茶目な性格。なんというか、アドラール家はかなり変わっているとエレノアは思った。


「言っておきますが!エレノア妃!あなたも鈍すぎます!!」


 そんな思考中にいきなりお説教の矛先が自分に向いてエレノアは驚いた。


「私?‥‥ですか?」

「僕が父を紹介した時になぜもっと怪しまないのですか?!あんな仮面の剣士など!怪しさ爆発でしょ!せめて素顔を確認するくらい疑ってください!あなたが気が付かないせいで、父の大根演技が‥‥三文芝居が最後まで続いてしまいました!!」


 ああもう!とカールはうんざりした様子だ。どうやらあの芝居はエレノアが気がつくまで、ということだったらしい。マルクスとカールは芝居に強制参加だったようだ。

 え?それ私のせい?カールに紹介されたのにどこを疑うの?それは言いがかりでしょう。


「名前だって髪だっておかしかったでしょう?あんな色の髪があるはずないのに!」


 確かに名前はそのまんまだった。髪も黒髪を無理矢理染めた結果だったらしいが、そんなにありえない色なのか。ほうほうそうか、とカールの指摘に心中で頷いた。


「あなたはもっと周囲の思惑に、機微きびに聡くあるべきです。上に立つものとして、将来帝国に立つ上で必須ですよ!おわかりですか?!」

「そ、そう‥ですね?部下の健康管理には常々そうありたいと‥‥」


 カールの圧にエレノアはしどろもどろでそう答えると、カールの目が底光りした。


「‥‥なるほど、あなたとはもっとお話しせねばなりませんね。」


 あれ?あの答えでは間違いだった?エレノアは青ざめた。

 フリードが顔に手を当てて俯いている。マルクスも残念そうにエレノアを見て呟いた。


「これは長くなりそうだ。」


 そうしてフリードの隣に座らされたエレノアも延々とお説教を食らってしまった。


 

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