第20話 婚礼の儀
婚礼まであと三日というところで、エレノアに面会の申し入れがあった。ハイランド王国国王ランベルトであった。
「元気そうだな、エレノア。」
応接室で久しぶりに会ったランベルトは少し困ったような笑みを浮かべた。初めて見る兄王の表情だった。
「まずは謝罪を。色々とすまなかった。」
躊躇いなく兄王に詫びられエレノアは慌てる。何が、と問うには色々あり過ぎた。
「レオーネ皇后より親書が届いてな。色々痛いところを突かれたよ。」
レオーネ様が?何を仰ったのだろう?エレノアが不思議顔になる。
「まずお前が王宮で蔑ろにされていた件。調べてみれば第二王女が糸を引いていた。あれは私の前ではいい妹姫だったから見抜けなかった。具体的な害ではなく無視というあたりも目立たない。なかなかに陰湿だ。」
あれはいじめだったのか。首謀者も意図もわからないくらいぼんやりしたものだったが、エレノアの尊厳を踏み躙るには十分だった。容姿も似ていないと散々言われたようにも思う。そういうことだったのか。
「その上であの騒動だ。あそこまで助長させた私にも責任がある。当初手放すのはどうかと思ったが、お前がアドラール帝国の庇護下にあって良かった。」
「なぜ私は恨まれたのでしょうか?」
そう問われランベルトは逡巡するも、躊躇いがちに答えた。
「そうだな、私がお前に目をかけていたからだったようだ。国民にも姫将軍は人気だった。子供じみた嫉妬だ。」
よくわからない。自分は将軍として目をかけられていただけだ。そこを嫉妬するというなら自分も戦場に出れば良かったのに。すっかり脳筋になってしまったエレノアは無自覚にそう思った。
「この婚姻の意味もそうした中でお前に伝わらなかったようだ。お前が酷く怯えていたと親書にあった。私自身が伝えていれば良かったと悔やまれたよ。だが。」
ランベルトは微笑んでエレノアの頭を撫でた。
「今は幸せそうでよかった。」
記憶の中でもこれほど喋る王は初めてだった。そのためエレノアは驚いた。これほど優しい兄王だったかと。自分に心を砕いていてくれたと。兄嫁が言っていたことが今ならわかった。
「リースをつけて頂いてありがとうございました。」
「一番の手練れをつけた。役に立ってよかった。」
エレノアは兄王の優しさに涙を堪えた。もっと周りに目を向けていればよかった。大切なものを見過ごしていたのだから。
「エレノア、一つ頼みがある。」
「はい、何でしょうか?」
「その‥‥今だけでいい。私を兄と呼んでみてはくれないか。」
エレノアは目を見開いた。王をそのように呼ぶ事さえ頭になかった。でも王が望んでいる、今だけならいいのではないか?
「はい。ランベルトお兄様?」
小首を傾げて微笑んで見せればランベルトはうっと心臓を押さえて俯いた。そうしてブツブツと何か呟いているがエレノアには聞こえない。
「何という破壊力!やはりこの呼び方にしておけばよかった‥!!」
そんな時に応接室に乱入するものがあった。フリードだ。後から匙を投げた様子のマルクスがついてくる。これでも一応止めました、と顔に書いてある。
「誰の許可でエレノアに面会してるんだ?!この偏屈王!!」
仮にも和平を結んだ相手国の王にその口の利き方はまずいのではないか?焦るエレノアの背後からそれ以上の怒声がとんだ。ランベルトの腕がエレノアの肩を抱いた。
「貴様の指図は受けん!!エラの面会は附随書に明記しただろうが!愛しいエラとの大事な時間を邪魔するな!!」
兄王の豹変にエレノアが心底仰天する。
えええー?!ナニコレ?!
「あんなもの知ったことか!もうオレの嫁になった!エレノアに会いたければオレに這いつくばって願い出ればいい!」
「王籍には入っていないだろうが!今からでもハイランドに連れて帰ってやるわ!やはり貴様如きにエラは勿体ない!!」
「させるか!エレノアの剣を勝手に折りやがって!オレのこともわざと話さなかったろう?!」
「卑怯な手でエラを下しておいてそのセリフか腹黒皇太子め!もうエラは無理に戦場に行く必要はない!貴様の脳筋は目障りこの上ない!!」
「お前こそ目障りだ!とっとと国に帰れ!いや先にその手を離せ!!」
ぎゃあぎゃあ罵り合う二人を後退ったエレノアは遠い目で見ていた。兄嫁の言う眩いほどの御威光ってこのこと?自分がもっと鋭くなればこの兄にも気が付いたのだろうか?
「この二人の和平交渉はそれはそれは難航しましたよ。あなたの処遇で始終罵り合いでしたから。」
マルクスから和平交渉の真相を聞き、さらにどっと疲れたエレノアであった。
王太子婚礼の儀はアドラール帝国の王城、謁見の間で行われた。和平条約締結もありハイランド王国国王もその場に立ち会う。和平条約を公にする為に、遠巻きに来賓の席も設けられた。
流れとしてはエレノアが王籍の記された分厚い書に著名し皇帝よりティアラを受ける。これだけのことなのだが手順が恐ろしく複雑で煩雑だ。
エレノアは何度も練習したが本番で記憶がとんだら大変だ。エレノアはガチガチに緊張していた。
エレノアの右傍には漆黒の礼服を纏った皇太子フリードリヒ。黒太子の呼び名の通り肌と手袋、白い襟元以外は真っ黒だ。所々に施された金糸の刺繍が豪奢に煌めく。
前髪を上げて普段より晒された端正な顔にエレノアは胸をときめかせた。普段はいっそ荒々しい風貌も着飾ればこれほどに凛々しく衆目を惹きつける。眼差しもいつもと違い威厳ある皇太子然としていた。
差し出されたフリードの左肘にエレノアは右手を置いた。左手には床まで届く長いブーケ、長いベールを被っており顔も正面から動かせない。純白のウェディングドレスの裾は長く、侍女が常に形を整えてくれる。よって不要に体も動かせない。
直立不動で入場を待つ間にフリードの声が耳に届く。慣れているのだろう、緊張のそぶりもない。
「エレノア、そのままで聞け。」
極限状態のこの時になんだろう。視線だけでフリードを見やった。
「和平条約の話は聞いたか?」
エレノアは頷いて見せた。
「婚姻で揉めに揉めたというお話は聞きました。」
「和平条約にお前の婚姻を捻じ込んだのはオレだ。」
エレノアの頭が真っ白になった。ナンデスト?!
身動きができるフリードはエレノアの顔を覗き込んだ。自らの肘に置かれたエレノアの手を握りエレノアの目を見つめる。
「そもそも草案時点で婚姻のくだりもなかった。婚姻を捻じ込んでハイランド王国王女とするところをお前を指名した。あの時は意識してなかったがオレなりに必死だったと思う。」
聞いてはダメだ!色々段取りがとんでしまう!だけど両手が塞がり衣装で身動きも取れない。
フリードはそれを気にせず語る。
「戦場でお前と
エレノアはガチガチに震えながら真っ赤になっていた。ヴォルフとレオーネの話を聞いた後だった。そうであればどんなによかったかと思った。だけど本当だったなんて!!もう腰が抜けそうだ。
「今回は全部聞いたか?」
「き、ききましたぁ!」
「ならば返事は?」
「私も!大好きです!」
エレノアは涙目をぎゅっと瞑った。極限状態で告白されて恥ずかしさは吹っ飛んでしまった。
フリードは安心したように嘆息し動けないエレノアをふわりと抱きしめる。そして目を瞠るエレノアの顎をくいと上げてベール越しに口付けを落とした。ベールにうっすらと紅がついた。
あれほどたくさん
「やっと後半が伝わった。間に合ってよかった。特訓の成果だな。式の前に伝えたいと思っていた。」
「い、今である必要ありましたか?」
「今なら耳を塞げなかっただろ?」
まさかの戦略的か!しかしこちらの被害が甚大です!!エレノアは顔を茹らせたまま涙目で訴える。
「そうですが!色々吹っ飛んでしまいました!」
「別にいいさ。オレが導く。お前はオレについてくるだけでいい。」
フリードはそういい歯を見せて笑う。エレノアが一番好きな笑顔だ。心が温まる。体から力が抜ける。緊張がほぐれてきた。
初めてフリードの気持ちを聞けて嬉しかった。でもやっぱりひどい。この状況では抱きしめ返すことも口付けの余韻に浸ることもできない。
自分ばかり余裕でずるい!悠然とした風の皇太子を恨みがましく見れば耳が真っ赤だった。それを見てプッと噴き出せば、目元を染めたフリードに睨まれた。
入場の合図があった。
「こんなところで言われても式のせいで私は忘れてしまうかもしれませんよ?」
またあの言葉が聞きたくてエレノアはわざと口を尖らせて見せる。
「忘れたら何度でも口説いてやるさ。特訓はこれからもずっと続くんだからな。これからもオレについてこいよ!」
エレノアの意図を理解したフリードは微笑んでエレノアの手を引き、壇上へと導いた。
この日、アドラール帝国皇太子妃にハイランド王国王女エレノアが就いた。アドラール帝国とハイランド王国との和平条約の要であった姫は、その後も剣を片手に黒剣と共に国内を飛び回ったという。
そうして帝国内でもその姫はこう呼ばれたという。
アドラールの
【完結】姫将軍の政略結婚 ユリーカ @Eu_ReKa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます