第12話 ずっとそばに

 レオーネにもらったドレスは足捌きが良く本当に走りやすい。走る前提に作られているようだ。左手で塀をついてひらりと難なく飛び越える。身軽な体のキレも毎日の訓練の賜物だ。


 飛んでくる短剣を細身剣で弾く。木の影に隠れ追っ手の剣を叩き落とし斬り伏せる。ついでに後ろ蹴りを入れて吹き飛ばした。肉弾戦は久しぶりだったが勘は鈍っていなかった。

 いける!あと二人、そう思い正面の敵を見やったところで。


 背後に殺気を感じた。咄嗟に身を躱すが右手に何かが掠める。そして痺れるような痛み。右手の剣が落ちた。


 毒だ!浅い傷だが焼けるようなその違和感でわかった。もう一人潜んでいたのか。だからここに自分を追い込んだ。なかなかに周到だ。


 三人がエレノアを囲む。背後には壁。もう逃げられない。エレノアは右手の傷を庇う。

 手足が痺れて寒気がした。それなのに汗が滝のように出てくる。これは良くない。視界が霞む。暗殺者たちは動かない。そのまま毒に倒れるのを待っているのか。

 エレノアはたまらず膝をついた。体に力が入らない。舌が動かない。毒耐性を身につけていたがこれほどのものは初めてだった。


 黒太子より自分が先に死んでしまうなんて。人の心配をしている場合ではなかった。

 剣技をあれほど必死に身につけても命を落とすのは一瞬。そして死ぬ時も独りだったか。寂しさからあの男の笑顔を思い出せば、悲しくて恋しくてじわりと目に涙が浮かんだ。ああ、こんな時にこの気持ちに気がつくなんて。

 霞む視界の中、正面の男が手の剣を振りかぶったのを気配で察した。エレノアは身を震わせた。


 最期はあなたに一緒にいて欲しかった。


 瞼が重くなったところで黒いものが目の前をよぎったように思った。それが人の形で大きな剣だとわかったところでエレノアは意識を失った。





 エレノアは重い瞼を開けた。黒い誰かに抱きしめられている。その誰かが必死に自分の名前を呼んでいる。目の焦点が合わないが、声でそれがフリードだとわかった。


「エレノア!大丈夫か?!」

「‥‥なぜ‥ここに?」


 フリードは血の気のない顔でエレノアを覗きこみ、エレノアの額の汗を拭った。傍にはエルザ。エレノアの右手の治療をしていた。二の腕が縛られているのは毒が身体中に回らないようにだろう。


「軽い毒としびれ薬が含まれていたみたいです。重い毒と勘違いさせて心を折るつもりだったのでしょう。毒耐性がある相手に有効です。毒の種類がわかりましたので、ひとまず手元の血清で応急処置しました。医師が来たらきちんと治療させます。」


 テキパキと毒の対処と傷の止血をするエルザの様子を、その背後に転がる暗殺者三人の体をぼんやり見やった。おそらく全員事切れている。フリードがやったのだろうか。面倒をかけさせてしまった。


「‥‥‥すごい。‥的確な治療ね。」

「エルザは毒と治療が専門だ。」


 へぇ、そうなんだ。ふわふわとした思考でエルザを見れば、エルザはボッと赤面した。そしてふいと顔を背ける。


「いぃぃぃいい、いえぇ!こ、ここここのぐぐぐらい‥‥」


 どもりがすごくて何を言っているのかわからない。目が霞んで顔がよくみえないが何があったのだろうか?その様子にグライドがため息を落とした。


「こいつは面倒臭いやつでね。話は後か。医師が来た。」


 屋敷へはフリードがエレノアを運んだ。初動対応が良かったためそれほどひどくはならなかったらしいが、エレノアの体にはまだ痺れが残っていた。


「すまない。もう少し早く駆けつけられれば良かった。」


 そう言いフリードは悲しそうな顔をした。




 フリードは『視察』先の村についたが、魔物はいなかった。

 村人もそんなもの見ていないという。情報が誤っていたのか?ニ晩待ってみたが魔物の様子は伺えなかった。

 念のため一部の騎士を残しフリードは先に城へ帰還した。駿馬で駆ければかなり早くついた。


 はやる気持ちを抑え、帰還のその足でエレノアが居るという温室に向かえば目の前をドレス姿のエレノアが駆け抜ける。そして白昼堂々とそれを追う覆面の一団。

 フリードも跡を追ったが一瞬見失った。物音を追って塀を駆け登ればそこに傷を負いひざまずくエレノアがいた。


 塀より宙を舞ったフリードは瞬く間に三人の首をねていた。




「予定より早く帰られたのですね。」

「ああ、あちらは無駄足だったがこちらに間に合って良かった。」


 フリードはベッドに横になるエレノアの額を撫でる。エレノアはその心地よさに目を閉じた。剣だこのあるごつごつした手が大きくて暖かい。

 安堵からか意識が混沌とする。意識が闇に落ちようとする中で死を覚悟した時の想いが溢れ出した。

 それは普段であれば言ってはならない言葉。その時だから言えた言葉。


 あなたにあいたかった。

 もうはなれないで。ずっとそばにいて。


 エレノアの囁きを聞いてフリードは目を細める。規則正しい寝息が聞こえてきた。そうしてフリードはエレノアの手を握りしめて自分の額に祈るように当てた。





 それからしばらくエレノアはベッドで過ごした。体からはもう痺れは取れているのだが、フリードはベッドから出さなかった。


「手に傷がある。」

「かすり傷です。」

「利き手だろう?もっと大切にしろ。」


 表情が険しい。何かを話に来た様子だ。言いにくそうだったからこちらから水を向けてみた。


「何かお話がありますか?」


 フリードは疲れたように嘆息する。膝の上で組んだ自分の手をじっと見下ろしていた。


「今回の件、完全にこちらの不手際だった。すまなかった。」

「謝罪はたくさんいただきました。フリード様のせいではありません。」

「いや、お前の知らない事情がある。‥‥嫌な話だが聞くか?」


 エレノアが頷けばフリードが語り出した。




 エレノアが暗殺者に狙われている。


 諜報からその第一報が入りアドラール家内ではその対策を立てた。王宮よりも警備がし易く手厚い屋敷になるべくエレノアを滞在させる。常に誰かがエレノアの側についている。間者を放ち暗殺の出どころを探る。そうしてエレノアを守っていた。

 暗殺者の襲撃を二回止めた。そして首謀者をあぶり出し身柄を押さえた。


「首謀者は帝国内の貴族。和平が気に入らなかったらしい。どこにでも戦い続けたい輩はいる。そいつはあの紛争で儲けていた輩だった。」


 これで解決した。アドラール家は油断していた。暗殺集団はもう一組いた。

 フリードが城を出たタイミングを狙われた。さらにたまたま攻撃力の弱いエルザが側にいる時を狙われたのが間が悪かった。その後の治療を考えればエルザは適任ではあったのだが。


 フリードは暗殺者を三人切り捨てた。エレノアが斬り伏せた一人も事切れていた。エルザが短剣に塗った痺れ薬で抑えた者も自害した。リースが拘束した二人は生きていたが、その後服毒が確認された。

 実行犯が全員死亡。見たことがない装備。帝国内のものではない。首謀者がわからない。


「だがお前の侍女が言っていた。あれを見たことがある、と。」


 ぞくりとした。リースが見たことがある。それは‥‥


「ハイランド王国のものだろう。おそらく第ニ王女。お前が帝国皇太子の正妃になるのが許せないと言い回っていたらしい。お前を消せば自分が成り代われると思ったようだが、愚かしいことだ。」


 フリードが冷たく言い放つ。その目は鋭く光っていた。


「どうやら和平条約の内容までは知らなかったようだ。和平の条件にはお前と帝国皇太子との婚姻が明記されている。そのお前を害することは和平条約を害するのに等しい。国同士の約束事を反故しようとする行為は大罪だ。」


 フリードはそこで言葉を切った。部屋に沈黙が訪れる。


「ハイランド王国にはこの旨を伝え厳重に抗議した。どうやら第ニ王女は王族から外され修道院に行くようだ。」


 エレノアはその話を静かに聞いていた。身をして守っていた王国と王族。その一人、次女に命を狙われた。それほどの恨みを買っていたのか。体を張って必死に守っていたかつての自分が滑稽に思えた。


「すまない。嫌な話だったな。でも知らせておかなければならないと思った。」

「いえ、むしろすっきりしました。気になってはいたので。」


 ハイランドが自分をどのように思っていたのか。おそらくエレノア個人が故国に関わることはもうないだろう。




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