第10話 マルクスの剣
エレノアがマルクスの細身剣を盾で横にいなし、体が開いたところでマルクスの左手が動いた。そこには特殊な短剣。衣服の中に隠しもっていたのだろう。それを下から振り上げた。
やはり両手持ちだったか。
エレノアは顔を顰める。しかもその短剣が面倒だ。
エレノアは一度だけそれを見たことがあった。
短剣の片刃にはいくつもの溝があり、そこで相手の剣を受けて剣の動きを封じる。あれに武器を囚われると刃こぼれや運が悪ければ壊されてしまう。刀身の反対側や先端は刃がついているので通常の短剣としても扱える。
エレノアは振り上げられたその短剣を躱す。エレノアの剣は長剣、簡単に壊されないだろうが動きを封じられる可能性がある。短剣を剣で受けられない。受けるなら一瞬で決めきらねばならない。
突いてくる細身剣を盾で受ける。マルクスの短剣が左手というのも厄介だ。エレノアの盾は左手、左手の短剣を盾で受ければ次の攻撃の邪魔になる。
兄フリードの実直な剣と比べれば、マルクスのそれは真逆だった。
柔らかい剣捌きで自分は組みしやすいと擬態する。それはまるでひなを守るために母鳥が
フリードがマルクスの剣は性質が違うと言っていたが、これは違いすぎるだろう。
この男のそれは闇の部類‥‥暗殺術に通じている。
だが討ち取れないわけでもない。
エレノアは左手の盾に力を込める。そして間合いを詰めて盾を突き出した。細身剣ごと押し切ったところで短剣が振り下ろされるも長剣で受ける。短剣を滑らせ長剣の
軋む金属音とともにマルクスの手から短剣が飛んだ。
マルクスは固まったまま飛ばされた短剣を見ていた。驚いているようだ。
「‥‥お見事です。このように剣を飛ばされたのは初めてでした。」
マルクスは感じ入った様にエレノアを見た。
表情が戻ってよかったと思った。無表情の顔は怖すぎる。
「盾がありましたのでなんとかなりました。運が良かったです。」
剣を鞘にしまい短剣を拾いマルクスに歩み寄る。短剣を渡しながら周りに聞こえないくらい低く囁いた。
「左利きでいらっしゃいますか?」
「完敗です。そこまでバレてしまいましたか。やはり手合わせするべきではありませんでしたね。」
柔和な笑みを顔に貼り付けてマルクスは短剣を背後の
フリードの黒剣もすごいと思った。まさに戦神の剣だと思った。だがこの弟も別の種類の恐ろしさだ。これがアドラール帝国皇子たちの力なのか。
興奮したカールやイーザがエレノアにわっと駆け寄る。話を聞くと第二皇子の剣に勝てたのは三人目らしい。アドラール皇帝陛下、皇太子フリードリヒ、の次。恐れ多い名前の次に自分とは、なんとも光栄なことだ。
エルザの姿は見えない。もう部屋に戻ってしまったそうだ。兄が負けて気分を悪くしてしまったか。
フリードがふぅと息をついてエレノアに声をかける。
「エレノア、話がある。ついてこい。」
もう訓練は仕舞いだろうか。木の収納箱に剣を戻した。
くいと歩き出すフリードを見たマルクスは苦笑する。エレノアに声をかけた。
「多分私の話だと思います。どうぞよしなにお願いします。」
よしなにって何を?マルクスの意図がわからないまま歩み去るフリードを慌てて追いかけた。
フリードの執務室まで戻り二人はソファに腰掛けた。ローランドは紅茶を出して部屋を退室した。人払いされたのだ。フリードが開口一番に問いかけた。
「マルクスの剣をどう思う?」
いきなりの問いかけに面食らった。この場合どれが正解?褒める?貶す?迷って問い返してみた。
「‥‥どうとは?」
「あれの剣は‥‥捕縛に特化しすぎだ。もちろん戦闘にも参加はできるのだが。オレとしてはもっと楽しんで剣の道を極めて欲しいのだが。」
確かに皇子が身につける技ではない。剣技を極めたいと思って磨く技でもない。
「確かに。珍しい技でいらっしゃいますが、道はそれぞれですので。」
受けてはいないが、よしなに、と頼まれた手前当たり障りなく流そうとした。フリードはふうと天井を仰ぐ。
「あいつは昔からああなんだ。第二皇子の自覚がない。」
「は?」
「第二皇子なら皇太子に万が一があれば跡を継がなければならない。その気概がない。いや、やる気がないんだ。」
柔和な仮面を被った腹黒いマルクスを思い出す。
見た目は優しい王子様風、やってることは暗殺術紛い。あの気遣いも腹黒を偽る術と思えば納得がいく。
だが確かに為政者というには違うかもしれない。あの男から国民のこの字も聞いたことがない。
頭の先からつま先きまで真っ黒で黒剣を振り回していたフリードは戦場では死神のようだったが、こうして話せば国民のことに気を配り国を憂える。帝国にとっては大切な皇太子だ。見た目とは真逆な二人だと思った。
「それは‥‥まあ珍しいですが、フリード様がご無事であれば問題ないのでは?誰もフリード様を打ち負かせません。」
「剣の上でならな。だがオレに何かないわけではない。毒にやられるか、病に倒れるか。ある朝冷たくなっているかもしれない。」
え?そこまで生々しく想像するの?自分の死を?為政者として当然なのだろうか?
戦場では無双を誇るオレ様皇太子が冷たくなって目の前に横たわっている。それを想像しエレノアは体の底からぞっと背筋を震わせた。青ざめたエレノアにフリードは気づかない。
「国のために皇太子になる備えをしろといっているのに言うことを聞かない。あれは従順そうに見えてものすごい石頭だ。それはカールにさせろとがんとして応じない。自分を皇子と思っていない節がある。」
その違和感は感じていた。
あの暗殺術のような剣術も主を守るために用いられるもの。皇子が身につけるものではない。それを成すために大変な努力を払っている様に思う。
ではマルクスの主人とは誰だろう、と思った。
「ならば皇太子として命じてみてはどうでしょう?」
エレノアの言葉にフリードが怪訝な顔をする。
「命じる?弟皇子に?」
「厳命です。勅命のように。きちんと備えよ、と。ゴネるかもですが、意外とすんなり言うことを聞くかもしれませんよ?今までなさったことはないですか?」
「ないな。兄として口うるさくいう位か。なぜ命じればいいと思った?」
先程の手合わせで感じたことを言っても大丈夫だろうか。少し逡巡したのち、思い切って言ってみた。
「マルクス様の剣は皇帝を守るためのそれです。捕縛に特化しているのも刺客を生け捕るため。その技は現皇帝陛下のためではなく、つまり——」
エレノアは表情を引き締めた。
「マルクス様は次期皇帝であるフリード様に忠誠を誓っている様に思います。」
フリードは目を瞠った後、ふぅと眉間を揉んで目を瞑る。
「なるほど。言われてみればその気配がある。何につけてもオレより一歩下がる様な素振りは嫌がっているのではなく身を引いていたのか。その発想はなかった。早速試してみる。これであいつも動いてくれればいいのだが。助かった。お前に話してよかった。」
そうしてフリードはエレノアに微笑んだ。凛々しくも厳しい表情が多い皇太子のいつもと違う柔らかい表情にエレノアはどぎまぎする。
これは困る。オレ様皇太子らしくない。だから思わず目を逸らしてしまった。訓練着の裾を揉みながら困った様に質問を投げる。
「なぜこの様な話を私に?」
「お前はオレの妻になる。今後はこういった話もしなくてはと思っている。」
思いのほか真っ当な答えにエレノアは衝撃を受けた。
あれれ?オレ様的にはここは、オレの言うことを聞いてついてこい!ぐらい言うのかと思ってた!
「オレの両親も何かあれば時間を取っていつも相談していた。それはいいことだと思う。だからこれから毎日午後の茶の時間はオレに付き合え。」
「ま、毎日ですか?それはちょっと‥」
「毎日だ!二度は言わんぞ!よく聞け!明日から必ず屋敷のオレの部屋に来い!一時間だ!何か問題があるか?!」
ええ?大ありでしょ?!
明日から?執務室ではなく皇太子の私室に?それも一時間も?まさか二人っきりですか?!
「え、えーと、スケジュールはどうでしょう?」
「もう差し替えた。後ほど改訂版を届けさせる。絶対来いよ!」
もう決定事項じゃないですか!このことについては相談してくれないんですね!もういいですけどね!!
エレノアは目を閉じて心の中で嘆息する。だから顔を背けたフリードの耳が真っ赤だったことに気がつかなかった。
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