終末は星を蹴りにいきませんか

近藤銀竹

終末は星を蹴りにいきませんか

『米軍の爆破作戦失敗。スミス船長以下生存絶望視』


 消音で点けっぱなしにされたテレビ画面の上に臨時ニュースが表示され、同時に無言劇を続けていたお笑い番組の再放送はニュースセンターに切り替わった。

 リモコンに手を伸ばす――が、


「やめて! 音、出さないで!」


 母のヒステリックな叫びに慌てて手を引っ込める。


(…………)


 聞こえないようにため息を漏らすと、ダイニングテーブルの席を立った。


「散歩に行ってくる」


 母も父も返事をしない。姉は数日前に家を出てから行方知れずだ。


「行ってきます」


 誰に言うでもなくいつもの挨拶をして、僕は家を出た。





 先週の木曜日に配信されたそのニュースは世界を変えた。


「40日後、私達の地球に巨大隕石が衝突します」


 直径は約1キロメートル。

 落下点は不明。

 起こる地震はマグニチュード9前後。

 仮に海上に落ちた場合、やってくる津波の高さは120から250メートル。

 地球の反対側に落下したとしても、舞い上がった塵などで太陽が覆い隠され、数年に渡り農作物に深刻な被害をもたらすという。


 世界は混乱のどん底に突き落とされた。

 僅か2日で、毎日の報道のほとんどは暴動のニュースになった。暴動が起きていないのは、日本くらいじゃないだろうか。

 核爆弾を積んだ宇宙船が何度か世界中の期待を背負って打ち上げられ、数日後に世界中の人々を落胆させた。

 少なくとも、日本社会はほぼ通常運転らしい。40日間の金銭的蓄えがある人は退職して余生を過ごすのも選択肢のひとつらしいが、そうじゃない人や働きたい人は終末まで働くことになるし、給料も出るそうだ。特に、操業をやめたらメルトダウンする原発作業員には、ボーナスを支払って働いてもらうそうだ。


 ま、どうでもいい話だ。

 とっととこの世から退場したくてできなくて、日々時間を浪費している僕にとっては。むしろ誰にも迷惑をかけず僕をこの世から消し去ってくれる巨大隕石は、歓迎する存在だった。


 昨日は小学校の最終授業が夕方のニュースで取り上げられていた。先生が能面のような顔で「だいぶ早いですが、皆さんとの1年は終わりになります」とか言ってた。子どもたちは泣いてたっけ。その後、校長先生が「先生方は最終日まで学校にいますので」って言ってたのが笑えた。


 いいなあ。

 学校との別れで泣けて。


 僕はしばらく学校に行ってない。

 いわゆる、不登校ってやつだ。

 きっかけは……わからない。誰かになにかされたわけでもない。小学5年の頃だ――ある日急に校門を跨ぐのが怖くなった。

 その恐怖感は霧のように纏わり付き、ずるずると中学校も……午前には2、3度しか登校していない。それでも出席を認めてくれて、高校にねじ込んでくれた中3の担任の先生には感謝しかないけど。

 結局、高校もほとんど行かず、この日を迎えてしまった。僕はよわい16にして命尽きるのを待っている抜け殻だ。

 みんなそっとしておいてくれてる……っていえば聞こえはいいけど、

 僕は知ってる。

 みんな僕のことを諦めてるって。


 いつものルートで散歩して、いつもの公園に辿り着く。

 コンクリートのベンチがあり、遊具は鉄棒と、半円の雲梯、そしてブランコという小さい公園だ。

 ベンチに座り、しばらく目を閉じるのが日課だ。午前だし、こんな小さな公園に僕以外の誰かがいることはない――いつもは。


 先客がいた。

 女の子だ。

 制服を着ている。あれは確か、同じ学校だったはずだ。

 知らない子だ……まあ誰も知らないけど。

 ただ、ブランコと一緒にゆるゆると揺れるミルクティー色の髪が、とてもきれいだった。


 彼女がブランコを止める。


「なに?」

「あ、いや」


 透き通った声に、思わず口ごもる。


「僕も……よく来るから」


 なに言ってるんだ。

 公共施設なのに、言い訳がましい。


 でも彼女はなんの感情も沸かない様子で、ふうん、と答えた。


 いつものベンチのはずなのに居心地が悪い。

 いつものように目を閉じてみるが、心は鎮まる気配を見せなかった。


「ねえ、なにしてるの?」


 閉ざされた視界を、透き通った声が揺らす。


「え、と。いつもこうしてるから……」

「おもしろい」


 彼女の声に愉快そうな響きが混じった。


「ね……キミ、学校行けてないよね?」

「!」


 朝食のメニューを聞くようなノリで図星を突かれ、思わず肩が跳ねる。


「いや、別に……」

「わたしと一緒だ」


 意外な言葉に相手の顔を見つめてしまう。


「一緒、って……」

「わたしも行ってない」


 彼女はいたずらな笑みを浮かべた。


「仲間だ! えーっと……」

陸斗りくと

「陸斗君。わたしは乃愛のあ。学校に行けない者同士、仲良くしよ」

「今週から、誰も学校に行ってないけどね」

「確かに」


 それは本当に久しぶりの、家族以外とのコミュニケーションだった。





 その日から、僕が公園に行くと必ず乃愛がいた。

 僕はベンチに、乃愛はブランコに座る。


「チョコ好き?」

「うん」

「仲間だ!」


「サイダー飲む?」

「うん」

「仲間だ!」


 乃愛はことあるごとに「仲間」という言葉を口にした。

 実際、僕と乃愛には共通点が多かった。

 同じ高校なのも、何となく不登校になってしまったことも。

 なぜか自然に、自分のことを話せた。

 最期に出会ったのがこの人で、本当によかった。





 そんな日が続き、一週間。

 いつものように話の口火を切ったのは乃愛だった。


「ブランコ好き?」

「え……? 好き……なのかな」

「じゃあこっちにおいでよ」


 いつもの「仲間だ」じゃないことに、僕の脳は一瞬思考を止める。

 どういうことだ?

 こっちって、隣?


「いいの?」

「嫌なの?」

「別に……」

「じゃあおいでよ。汚れてたりしないよ?」


 全身が緊張する。こんなに緊張したのはいつぶりだろう。

 乃愛の隣のブランコに腰掛ける。


「いいね。離れてて話しにくかった」


 横を向くと、にっと笑う乃愛が大きく視界に入った。色白で、よく見ると瞳の色素がかなり薄く、ミルクティー色の髪とよく似合っている。


「ありがと」

「なにが?」

「『ブランコで友達と喋る』っていうの、やってみたかったんだ。へー、結構楽しいじゃん」


 なんの話題にも入る前から、乃愛は満足したようにけらけらと笑った。

 つられて、僕の口角も上がるのを感じる。

 友達と呼ばれたことも、「おいで」なんて言われたことも、あまりにも久しぶりだった。


「仲間だ」

「それ、わたしの台詞」


 乃愛はゆるゆるとブランコを漕ぎながら、視線を自分のつま先に向ける。


「陸斗君って――」


 前を見ながら、乃愛が言葉を紡ぐ。


「自分が消えてもいいと思ってるよね」

「!」


 思わず強く握ったブランコの鎖ががちゃりと鳴る。


「どうして……そう思ったの?」

「自分の気持ちに投げやりだから、かな」


 乃愛は相変わらず自分のつま先を見下ろしながら、そう答えた。

 誰にも自分の本心を伝えたことはない。でも乃愛になら言ってもいい気がした。


「ああ、そうだよ」

「仲間だ」


 間髪入れず、いつもの言葉を返す乃愛。

 息を飲んだのが聞こえたのか、彼女は僕に顔を向けた。


「ん? なにかおかしなこと、言った?」

「乃愛ちゃんはそんなこと言っちゃいけない」

「なんで?」

「それは……」


 それは……なんだろう。

 いるだけで辺りが明るくなるような、まるで太陽のような乃愛が、燃え尽きるのを待つ炭火のような僕と仲間じゃいけないってことか。

 それとも、そんな僕を気に留めて、哀れんでほしくないってことか。

 堂々巡りをしているうちに、乃愛の顔は出会って初めて曇った。


「仲間外れにするの?」

「違う! 違うんだ。そういうんじゃ……」


 なんて言ったらいいんだろう。

 一緒であってほしい。でも一緒ではいけない気がする。僕の方に引き込んではいけない……いやそもそも『僕の方』なんてエリアが存在すると思ってるのは傲慢なのか?


 乃愛は慌てる僕を見て陰を晴らした。


「ありがと……」


 彼女の声はどこまでも透明で、澄んでいた。


「でも、そうなの。仲間なの」


 僕もまた、つま先に視線が落ちていた。

 うん、と乃愛が決意したように小さく声を出した。


「わたしのお父さん、学校の先生でさ」

「ん」


 なにか言ったら嘘っぽくなる気がして、僕はただ頷いた。


「わたしが不登校になったら『なんでだ、なにがあった』って。別にはっきりなにかあるわけじゃないのにね。しまいには『元気じゃないか。とにかくなんでもいいから学校に行け』とか言い出してさ」

「キツいね」

「うん。仕事先では『漠然とつらくなることもあるから無理せず』とか言ってるらしいけど、我が子だとダメなんだね」

「お母さんは……?」

「ああ。わたし、お母さんいない」

「あ、あの、ごめん」

「いいよ。慣れてるし」


 乃愛が透明な笑顔を作る。

 普通、寂しげな笑顔を見せるタイミングだけど、彼女の笑顔は完璧だった。


「だからさ、仲間でいいよね?」

「うん。仲間だ」

「嬉しいな、それ」


 僕が、僕という乃愛の仲間――関係者をひとり増やす。それが彼女のなにかを満たせれば、ただ消えるだけだった僕にも多少の価値があったと言えるだろう。


 乃愛が「嬉しい」と小さく繰り返した。

 彼女の声はどこまでも透明で、澄んでいて、でもそれは虚ろだからこそキレイに響くのがわかった。




   ☆☆☆




『ニッポン、ついに独自の隕石回避作戦始動!』


 隕石衝突まであと14日。

 スマホのニュースには、『ネパール行き輸送機避難打ち切り』の悲報を押しのけて威勢のよい見出しが並んだ。

 思わずタップして記事を読む。


「あちゃー」


 最初に口をついて出た感想は、それだった。


 横浜に飾られていた巨大ロボットに改造を施してロケットで打ち上げ、隕石を外宇宙に向かって蹴り出す、と書いてあったのだ。

 皆、なにかの冗談だろうと思ったはずだ。だけど、どうやら違うらしい。防衛省、JAXA……錚々そうそうたる組織か名を連ねている。


 本気なのか。


 声に出しそうになるのを堪えて、記事を読み進める――


「本気、なのか……」


 声が出た。


 本体が巨大ロボットな時点でツッコミどころ満載だが、話には続きがあった。

 蹴り一撃で直径1キロメートルの隕石を弾くために、量子コンピュータが接触ギリギリまで計算して向きやタイミングを決めるはずだったのだが、全高18メートルのロボットには量子コンピュータを絶対零度付近まで冷やす冷却装置が乗らなかったというのだ。

 そこで代替案として、人間の脳2つを並列繋ぎして演算させる作戦が採られた。これによりスーパーコンピュータよりやや速い演算速度が得られるらしい。

 ただし、この作戦には1つの問題点があった。

 隕石を蹴った後、ロボットはエネルギーを使い果たして地球に落下する。パラシュートは装備されるが、大気圏突入時の摩擦熱で乗組員は非常に高い確率で命を落とすというのだ。

『戦後』と呼ばれる今の日本では真っ先に却下される作戦だろう。それがまかり通るのは、市井しせいだけでなく政治の世界もまた霧に包まれたかのような混乱状態だってことだ。

 でも僕をずっと包んでいた霧は僅かに薄れ、行き先を見せていた。





「……で、3日間希望者ゼロ、と」


 隣のブランコに座った乃愛が他人ごとのように言う。

 この3日、僕たちは隕石蹴りの話ばかりしていた。


「仕方ないよ。理系の『非常に高い』は『絶対』みたいなものだもん」


 僕もまた、半分上の空で答えていた。


 言おう。

 今日こそ言おう。

 3日も言えずにいたことを。


 深呼吸。

 生唾を飲み込む。


 口を開きかけたとき、乃愛がこっちを見た。色素の薄い瞳が僕の目を射抜いている。口を開く。


「わたし、明日からもう陸斗君に会わない」

「え?」


 決意が吹っ飛んだ。

 酸欠の金魚みたいに口をパクパクやってると、乃愛は再び同じことを言った。


「もう陸斗君に会わない」

「なんでだよ!」

「陸斗君が嫌いになったんじゃないの。むしろ逆で……ええと、なに言ってるんだろ……」


 乃愛は時々恥ずかしそうにチラチラと視線を外しながらも、僕をじっと見つめ続けた。


「……でも、確かに言えるのは、最期に出会えたのが陸斗君で本当によかった。ただ一緒にいてくれたのが嬉しかった。この三週間くらいの間、人生で一番楽しかった。いくら感謝してもし切れない」


 急にブランコから立ち上がる乃愛。僕が手を伸ばす隙もなく、後ずさる。


「だから……さよなら」


 乃愛は駆け去った。


 ――追え。

 ――今なら間に合うぞ。

 ――僕の方が足が早いかも知れない。

 ――追いかけて、追い縋って、言え。


 動けなかった。

 立ち尽くしていた。

 最後かも知れなかったのに。

 言えなかった。


「仲間だ……」


 口をついて出る言葉。

 届くはずがないのに。


「感謝してるのは、僕の方だ……」


 同じ気持ちだった。

 乃愛と出会って、どれほど救われたか。

 乃愛はこれからどうするのだろう。海外避難の目処がついたのだろうか。それとも、もう外に出るのも辛いのか。


 いや――

 それはもういい。

 乃愛がこの世界にいてくれるなら。


 僕は乃愛にあげたいものがある。

 感謝の気持ちの他に、あげられるものがある。


 その夜、僕は新幹線に乗った。





 東京都調布市。

 調布航空宇宙センター。

 脳提供希望者はここに来るよう宣伝していた。


 早朝の静まり返ったエントランスは、スニーカーの靴音も大きく感じる。


 音を聞きつけて、陰から職員が顔を出した。


「あの、先ほどメールした者ですけど……」

「ああ、君が。ありがとうございます。早速ですがこちらに来ていただきたい」


 職員は畳み掛けるように答えた。余程切羽詰まっているのがわかる。


「これで2人の脳提供者が揃った……この部屋です」


 部屋に入ると、既にひとり目の脳提供者がパイプ椅子に座っていた。ブラウスにパンツのスタイル。こちらに背を向けているが、長い髪から女の人であることが予想された。


 物音に気づいた女の人が振り返る。ミルクティー色の髪がふわりと広がり……


「乃愛ちゃ……」

「陸斗君! どうしてここにいるの?」


 僕の言葉を遮って、女の人は――乃愛は詰め寄ってきた。


「わたしは! 陸斗君には生きていてほしくて!」

「……仲間だ」

「え?」


 僕のシャツの胸元を掴んだ乃愛の気勢がそがれる。


「僕も、乃愛ちゃんには生きていてほしくて、それで……」

「…………」


 僕を睨みつけていた乃愛の顔が下がる。

 肩が震えていた。


「乃愛ちゃん……」

「……バカ」


 乃愛が頭頂を見せながら呟く。

 そのままの姿勢で3度呼吸し――彼女はブラウスの袖を顔に念入りに押し付けると、頭を上げた。


「バカだよ。わたしも、陸斗君も、バカ仲間」


 そして僕に曇りのない笑顔を見せてくれる。目だけ少し赤かったけど。


 再会の挨拶を待っていた職員も喜びの表情を浮かべていた。


「君たちは知り合いですか。それはありがたい。知り合いだと成功率が0.4パーセント上がる計算なのです。さあ、早速種子島へ行きましょう。ヘリの準備はできています!」





 ヘリで羽田へ。そして飛行機を乗り継いで種子島へ。そこで僕たちはロケットに搭載された巨大ロボットとともに宇宙へ上がる。


 深夜――

 天気がよく、すぐに出発の手はずとなった。


 飛行機に乗る様な気軽さで、僕たちは巨大ロボットの腹部にあるコクピットに乗り込んだ。ビジネスクラスのような少し余裕のある椅子に深く腰掛け、レーシングカーのようなシートベルトを腰で締める。

 すぐ隣には乃愛。ブランコのときより少し近い。

 程なくコクピットに先ほどの職員の声が聞こえてきた。


『頭を背もたれに押し付けるようにしてください。すぐにカウントを始めます』


 大空港のようなせわしさで、点火、そしてカウントダウン。


『5、4、3、2、1、0、1、2……』


 爆音、加速で背中が椅子に押し付けられる。「ゼロのあともカウントするんだな」とか考えている間に、目の前のディスプレイに映し出された地表はみるみる離れていき、20分後には地球が球に見えるところまで飛んでいた。


 1時間ほど経って。

 揺れが落ち着いた頃に通信が入った。


『右の肘掛けに電極パッドがありますね? それを首の後ろに貼ってください』


 確かに肘掛けにはパッドが取り付けてある。ケーブルは肘掛けの中に伸びていた。

 言われたとおりに首の後ろに貼る。すると皮膚に吸い付くような感覚が伝わってきた。


『電気信号が脳に干渉して、首の皮膚呼吸を制御し、しっかり貼り付きます』

「あの、僕達はどうすれば?」

『電極を通して命令すると巨大ロボットの手足を動かして遊ぶことができます。作戦が開始されてからは、何もすることはありません』

「えーと、自動で動く様子を見ていればいいんですか?」

『いえ。脳をフル活用するために、外界からの刺激が全てカットされ、お二人は意識を失います……あ、安心してください。その間は夢……というか、VRの世界で待機してもらいます』

「了解しました」


 ロボットを動かして遊ぶ。

 水泳のポーズ。

 宙返り。

 バレエ。

 器用なロボットだ。動きも機敏で滑らかだ。地上に立っていたときののんびりした動きとは雲泥の差だ。


 感心していると、ブザーが鳴った。


『作戦開始』


 程なく僕らは眠りに落ちた。


 夢の中は、小さな町になっていた。

 駅があり、改札前に乃愛がいた。


 どちらからともなく手を握る。夢だから恥ずかしくなかった。

 商店街を抜け、住宅街を抜け、校門の前を通り、砂浜へ。


「わたし、校門が視界に入るのも無理だった」

「仲間だ」


 笑い合いながら護岸を越えて砂浜へ。


 砂浜にはぽつんと1つ、サッカーボールが転がっていた。

 顔を見合わせ、頷きあう。


「せえ……のっ!」


 ふたりの靴は同時にボールを捉え、ボールは海の向こうへ飛んでいった。





『作戦終了』


 意識がロボットのコクピットに戻ってきた。

 外で、たくさんの小石がぶつかる音がする。


「作戦、は……?」


 独り言のように呟くと、無線から返事が返ってきた。


『作戦は成功です。隕石は真っ二つになり、地球落下の軌道から外れていきました』

「よかった……」


 乃愛が安堵の声を漏らした。


『ありがとう……ありがとう……』


 無線から感謝の言葉が返ってくる。だが、それは絞り出すような声だった。


「落ちるんですね」

『はい。既に落下コースに入っています。推進剤は尽きています。パラシュートは開く予定ですが、コクピット内部は……保ちません』

「いいですよ。わかってて志願したんですから」


 機体が揺れる。

 地球の重力に引かれてるのだ。


『罪滅ぼしにもなりませんが……落下が始まったら君たちの全ての感覚を遮断し、VRの世界で、その、待機……てもら……ます』


 電波が途切れ始めた。外装にダメージが出始めてるんだ。


 ああ、終わる。

 最期に乃愛が見たい。

 隣の席では、乃愛もこちらを見ていた。

 乃愛が手を伸ばしてきた。


「ほ……ほら、手を握ってあげるよ」

「ん」


 僕は素直に握り返した。

 現実の彼女の手は暖かく、僕に力をくれるようだった。


 首の電極を通して機体を動かす。

 内壁を通して微かにモーター音が響いた。


「なにさせてるの?」

「体育座り」

「おもしろい」

「あれ、落ち着くんだ……」

「わかる。包まれてる気がするんだよね」


 乃愛は相変わらずこっちを見て微笑んでいる。でも、その表情はなにかに満たされているような気がした。


 せわしなく響く警告ブザー。

 軋む機体。

 大気圏が近い。


 こんなときにずるいかも知れないけど――

 わがままかも知れないけど――


「あの……」


 僕は口を開く。


「僕は、乃愛ちゃんが……好きです」


 やっと、僕から言えた。

 きゅっと、握った手に力がこもる。


「仲間……」


 言いかけた言葉を飲み込み、乃愛はもう一度言葉を紡いだ。


「……わたしも、陸斗くんが、好きだよ……」


 その言葉を最後に、意識はさっきの架空の町へと向かう。

 ブラックアウトの瞬間、彼女が微笑んだ気がした。




   ☆☆☆




「……か? ……すか?」


 その赤さが、瞼に光が当たったものだと気づくのに暫くかかった。


 ゆっくりと目を開く。

 眩しい。

 人影がちらちら揺れて、日光が点滅するように目を焼く。


 身を起こし――慌てて隣に目を遣る。


「ん……」


 いた。

 隣のシートでは、乃愛が眩しそうに眉根を寄せながら頭を揺らしていた。


「両名の生存を確認!」


 人影が叫んだ。





「乃愛ちゃん……」

「陸斗君」


 僕が差し伸べた手につかまり、乃愛が立ち上がる。

 搭乗扉の外では、濃灰色のボートが待っていた。

 ロボットからボートに乗り移り、乃愛に手を貸して移動を助ける。


「君たちは運がいい。落下時のロボットの姿勢がよかったそうだよ」


 自衛隊員の格好をしたおじさんが、毛布を手渡しながら満面の笑みで説明する。


 振り返ると、ロボットは早くも遠くで待つ自衛隊の船に曳かれていった。よく見ると、頭と、そして下半身と両腕の肘から先が溶け落ちていた。


 ありがとう、ロボット……。


 ふと気づくと、僕は乃愛の手をずっと握っていた。


「ん?」


 視線に気づき、乃愛が振り向く。


「僕はもう少し生きようと思う」

「……わたしも」


 乃愛が僕の手を、強く握り返してきた。


「「仲間だ!」」


 声が揃った。

 思わず笑いがこぼれる。

 乃愛も笑う。

 いつもの透き通った声。


 今、その透明な器には僕が映っている――





    (了)

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