スノウリア
ファリエム王国、その都たる城下町。
仕事を終えて酒場が込み出す宵の口。
人々の喧騒が満ちる程には、大事件の影響は薄れてきていた。
以前の栄華を取り戻しつつある。復興が上手く進んでいる証拠だ。
ただ、だからこそデュレインは立ち竦んでいた。
人の多さに体が震える。喉が渇く。未だ慣れない賑やかさに早くも失神寸前だった。
それでも諦めようと思わないのは、隣に彼女がいるからだ。
「やはり人波は苦手ですか?」
「……い、あ……うむ。だが、逃げる訳にはいかん」
深呼吸し、気分を落ち着けて向き合う。
その先にはアリル。上司である魔術大臣。
ただし普段とは姿が違う。
くすんだ赤茶の髪、濁った碧瞳。そして顔は青白く、頬がこけている。森の屋敷からエボネールに出かけていた時のように。
アリル自身がかつてクラミスに習った、己自身の姿を変える魔法によって。
騒動後の街と人々の視察、あるいは息抜き。
なんにせよ今日は独断、城の者にも秘密の行動。
『お忍びですから、正体を隠すのは当然でしょう?』
それは一理ある。
だとしてもこの姿である必要はないはずなのだが。
『それに、私は貴方が見つけてくれたこの顔が、嫌いではないのですよ』
そう言われては否定も出来ない。
だが、分かっている。
これは気遣いの一部。共に過ごした思い出のある、親しみやすい顔でデュレインが緊張しないように、との配慮なのだろう。
かつてのエボネールでの流れと同じだ。
この視察自体も、というのは流石に傲慢だろう。立場上、直接見て確かめたいという責任感があるはずだ。
なんにせよ不甲斐ない。全くもって。
「……感謝する」
「ふふ。何の事ですか?」
アリルは柔らかく微笑む。
やつれていようと、生者の眩しさが目に刺さる。そんな場合ではないと思うのに、つい見惚れてしまった。
生真面目な視察ではなく、観光するように二人で街を歩く。
物珍しそうにキョロキョロするのが元王女の大臣だとは誰も思うまい。
服や雑貨を扱う店を見て回り、幾つか購入。またこうしてお忍び視察をするかもしれない、とお互い相手に似合う大衆的な服装を選ぶ。
可愛らしいと笑う顔は年頃の少女らしかった。
それは演技か、素の姿なのか。
「城を抜け出すお転婆王女、なんて物語でしかありえないと思っていましたが、意外となんとかなるものですね。もう王女ではありませんが」
「……そ、それにしては、やけに手慣れていないか?」
「ふふ。そう見えますか? 初めてですよ。あの出来事を乗り越えて少し大胆になりました」
悪戯っぽく微笑む彼女と、まともに目を合わせられない。
無邪気に見えるのはデュレインの思い込みではないだろう。
ただ自分が楽しいだけではなく、街全体の雰囲気が心地良いのだ。
他人の幸せに敏感で、人々の活気を本心から喜んでいる。確かに気分が高揚している。
やはり彼女自身にとっても大いに有意義な息抜きらしかった。
そうして食事は、人気のある食堂へ。
肉と野菜の煮込み料理を注文する。
彼女の立場からすれば不相応な環境だろうに、すっかり馴染んでいる。
やはり心から楽しんでいるようだ。
しかし、この見た目は逆に目を引く。
クスクスと笑い声、しかも嘲笑が近くの席から届く。柄の悪い男達だ。
その中の一人がニヤニヤと立ち上がり、しかし、二人の下には辿り着けず苦しそうに
「う、うう……っ!」
「おいどうした!」
男達は仲間を心配して近寄り、声をかけたり背中をさすったりしている。
周りの客もザワザワと動揺。怖々と遠巻きに見守っている。
二人だけが、何事もなかったかのように落ち着いていた。小声で言葉を交わす。
「……ありがとうございます」
「じ、自分は何もして、おらぬ」
そう答えるデュレインの目は泳ぎ声は震え、嘘なのが丸わかりだった。
異変の理由はデュレインによる死霊術。男に憑かせて苦痛を生み出させたのだ。
直接対峙しようものなら目も合わせられずに怖じ気付くかもしれないが、この形なら大丈夫だった。せめて護衛としては役に立たねばならない。
全てを理解しているからこそ、アリルは顔を曇らせる。
「しかし今用いたのは……」
「……動物の霊だ。この都に、恨みを抱えた霊など……」
しどろもどろに答えるデュレインは、いつもより更にぎこちない。
その原因もしっかり見抜いたか、じっと見つめるアリル。
やがて、デュレインは降参した。
「……今のは、本当に動物霊だ。見かけた人の霊は、天へ送った」
「非業の死だったのでしょうか」
「……断定は、出来ん。が、安らかな死ならば、とうに天へ向かっていただろうな」
「やはり、援助は不足していますか。それに治安も良いとは言えないようですし」
死霊術から流れるように厳しい話へ。
きらびやかに見える都も、闇は深い。
富は偏るものだ。不幸、病、飢え。災いは蔓延り、人は苦しむ。国全体を見れば更に増える。
政治がそれらを変えられる。全力で救う手立てがないかと考える。
息抜きを楽しんでいたと思っていたら、いつしか真剣に検討。いや常に二つを両立していたのか。
「帰ったら忙しくなりますね。まだ私達に出来る事はあります。より良くしていかなければなりません」
王族の立場は捨てても、志は健在だ。
眩しい程に熱い。
隣に立つには、何もかもが足りないとデュレインは思う。
「……それを、自分も魔術で助ける。それが皆の生きた証にもなるのだからな」
だから、どれだけ苦労してでも、全力でその背中を追いかけたいと思う。
両親、家族達の残したものを繋げていく為に。彼らに恥じない生を全うする為に。
せめて目は逸らすまいと、真っ直ぐに見つめる。
「はい。期待していますよ」
そして、いつかは並べると、彼女から本気で信じられているのを感じて、自然と気力が湧いてくるのだ。
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