第6話 太陽は暗くとも
「うん……ん」
柔らかい温もりを感じる寝台の上。スノウリアは心地よさを名残惜しみつつ目覚めた。
随分深く眠っていたようで頭がぼうっとする。それでも寝ぼけ眼で毛布をめくり、ゆっくりと上半身を起こした。
「っ! なに、誰か……っ!」
その瞬間。身を刺すような冷気に襲われ、急激に眠気が吹き飛んだ。自らの震える体をきつく抱き、急いで毛布に潜り直す。
混乱し、動揺し、頭は真っ白。優秀なはずの理性もその機能を停止してしまう。
とはいえ、その時間はあまり長くなかった。
「あ……」
奪われた体温が再び高まり、心が落ち着いた事で思い出す。
ここは
森で行倒れになりかけ、紆余曲折の末に匿われる事になったのだ。
らしくなく寝惚けたのは、久方振りの心地よい寝台のせいだろうか。思えば城を出てから――いや、そもそも逃亡生活の遥か前からろくに眠れていなかったのだ。
悪意持つ身内がいた城内より、この怪しげな赤の他人ばかりいる屋敷の方が居心地は良いらしい。
ふふ。
鬱屈した、歪んだ笑いが不意に漏れる。
食事と睡眠で多少は改善されたような気もするが、未だにスノウリアは酷くやつれた顔だ。二つが重なれば寒気を感じる不気味さを生み、さながら邪悪な魔女のよう。
高貴な人間の醜さと邪悪とされる存在の良心、奇妙であべこべな体験ばかりでおかしくなりそうだった。
「今は……」
窓の外はうっすらと明るかった。あの鬱蒼とした森の内部とは思えない。目映いばかりとはいかなくとも朝を告げるその光は、昨日までの逃亡生活も終わりだと示しているかのよう。
単なる一時凌ぎで、一切何も解決していないというのに。
スノウリアは懐から指輪を取り出し、ぎゅっと握る。王家の紋章が彫られた、王族の証たる金の指輪。今では意味を奪われた、しかしかつての思い出が刻まれた品だった。
父を失い、助けてくれた騎士さえも犠牲にした。
彼女に残されたものといえば、数えるのに両手も必要ない程だった。
「はあ……」
ずっと一人で寝台の上にいても、今より更に気分が沈むだけ。心を病む一方だ。
だから、新たに得たものを。
スノウリアは昨日、心から笑えた事を思い出す。だから今日も、と期待した。
話が、したい。あの厳しくも温かい生屍と。そしてあの臆病でも優しさのある、不思議な死霊術師と。
その為に寝巻を着替えようと、再び毛布から出る。
が、やはり非常に寒い。暖炉に火は入っているが、とても着替えなんて出来そうにない。
そこでスノウリアは腕を伸ばし、毛布の中に着替えを引っ張りこんで着替えた。一国の王女としてはあり得ない程のはしたない行為だが、今は逃亡中の罪人なのだから問題ない。そもそも昨夜も婆やに言われ、抵抗を覚えながらもそうやって着替えたのだ。今更である。
そして完成したのは、素材も縫製も上質な服装の、しかしやはり室内では違和感を覚える姿だ。スノウリアには少し大きく、袖や裾が余っている。
この厳重な防寒着がこの場所では必要不可欠。体を縮こませながら、あてがわれた私室から出た。
すると、
「あ……」
「ぬ?」
あの臆病でも優しさのある、不思議な死霊術師、デュレインとバッタリ遭遇した。
生者が苦手だという彼はスノウリアを見るなり目を白黒させ、バタンと勢いよく後ろに倒れた。そして、絶叫。
「……ぬ、ぬぅありああぁぁぁぁぁ!」
こうしてスノウリアの、死霊術師達との共同生活二日目が始まった。
「昨日あれだけ騒いでらっしゃったのに、まだ足りなかったのですか。坊ちゃま」
「うるさいぞ。いきなり出てきたら心臓に悪いであろうが!」
「失礼、ワタクシの心臓は止まっていますのでその感覚はとうに忘れております」
「よかろう、体験談ならば幾らでも話してやるわ!」
「寛大な処置、痛み入ります」
昨夜にも訪れた食堂でスノウリアは朝食を食べていた。デュレインと婆やがする言い合いを聞きながら。
賑やかで仲が良くて大変羨ましい事である。
つい先程の遭遇後、デュレインはすぐさま自室へ逃げようとした。
だが悲鳴を聞きつけた婆や達が駆けつけ、彼女らの手により速やかにここまで移動させられていた。本人は時間をずらすと主張したのだが、抵抗虚しく席に着く羽目になったのだ。勿論一番離れた場所に、ではあるが。
「ところで、アリル様」
唐突に、言い合いを断ち切って婆やはスノウリアに顔を向けてきた。
後ろでデュレインが「話は終わっておらぬぞ!」と喚いているが、完全に聴こえてない振りでいなしながら平然と話を続ける。
「食事がお済みでしたら、スタンダーにでも屋敷を案内させましょう。待つだけではお暇でしょうから」
「……ええ。お願いします」
確かに二人が言い合っている内にスノウリアは食べ終えていたのだが、なんとなく名残惜しくて残っていたのだ。
だから少し迷ったものの、婆やの背後を見たところ提案を受けざるをえなかった。一人で騒ぐデュレインを不憫に、世話になっておいて悪いと思ったのだ。
婆やを彼の所に戻し、自分は離れた方がいいだろう。話はまたの機会に。
「そうですね。中庭などはいかがでしょう。庭園ではなく実用的な畑ではありますが、素敵な暇潰しになると思いますよ」
「アリル様、でしたね。僕はスタンダーというんです。屋敷専属の猟師みたいなものですね」
案内してくれるという生屍の男が自己紹介をした。
笑う顔立ちは爽やかで、防寒着が包む体つきはたくましく。男らしい見た目の好青年だった。無論生屍でなければ、の話だが。
生気の無い姿には不安定な違和感がある。
しかし、やはりどうにも人間らしくて、未だに信じ難い。失礼だと思いつつもまじまじと見てしまう。
ただ、それはお互い様。
固い笑みを浮かべる彼もまたスノウリアをしげしげと眺めていて、そして出し抜けに言うのだ。
「……こんなこと言うのは失礼かもしれませんけど」
「なんでしょう?」
「そんなにやつれる前は、凄くお綺麗だったんじゃないですか?」
その疑問を聞いて、スノウリアは反射的に顔を伏せた。感情的に歪みそうになった顔を、相手へ見せないように。
やつれる前――城にいた頃を思い出してしまったのだ。幸福と、後の苦境と。その両方を。
「……前はどうあれ、今はこんな顔です」
これをどう受け取ったのか。
少し目を泳がせた後。スタンダーは笑みを消し、真面目な顔で頭を下げる。
「やっぱり失礼でしたね。すみません。アリル様は今もお綺麗ですよ」
「……いえ。お気になさらず」
的外れな訂正か、理解した上での気遣いか。生屍特有の表情も相まって意図は読めない。
どちらにせよ、スノウリアは指摘せずに流した。今の容貌については本当に気にしていなかった事もある。
とはいえ今のやり取りは気まずく、居心地が悪い。
そんな空気を一変させるように、固くて明るい奇妙な笑い声が響く。
「あはは。許してくれてありがとうございます。でも、もっと綺麗な姿も見てみたいですね。健康体に戻るにはたくさん食べて栄養を摂るのが大事です。僕は猟師なんで肉なら調達してきますよ?」
「ここの料理の肉は全て貴方が? 昨夜も今朝も素晴らしいものでした。是非お願いします」
「お褒め下さるのは嬉しいですけど、全部が僕って訳じゃないですね。狩りには若様も同行しますから」
初めは気まずさを払う為、話に合わせたつもりだった。
だが、意外な言葉にスノウリアは更に乗り気になる。
「……あの方は、魔術が専門ではないのですか」
「ああ、はい。若様の弓は趣味みたいなものですね。僕が手ほどきをさせてもらったんですけど、なかなか筋が良くて。今では人並み以上の腕だと思いますよ」
「人は見かけによりませんね……では、貴方自身の腕前は?」
「えーと、僕はまあ、そこそこ……なんとか人に教えられる程度です。いやこう言うと若様やお婆殿には嫌味が過ぎる、って怒られるんですけど」
「どちらが真実でしょう。具体的な礼を示してはくれませんか?」
「具体的……えぇと、そういえば余興で豆粒を射抜いた事がありましたね。所詮止まった的なんで大した事無いんですけど」
「嫌味が過ぎます」
二人の声は途切れぬままに繋がっていく。
話は思いの外弾んだ。それこそ普通の人間が世間話をするように。
おかげですっかり生屍に対する不気味な印象は消え去った。ここの生屍だけが特別なのだとしても。
そして、そうこうしている内に目的地へと到着した。
「……さ、着きました。どうですか、うちの庭は?」
「これは……」
スノウリアは思わず目を見開いて息を呑む。
見事な庭園だった。
やはり吐く息が白くなる程寒い。にもかかわらず、色とりどりの花や野菜が栽培されている。実用的な植物も多いが、どれも鮮やかで目を楽しませてくれる。寒さに強い品種か、なんらかの魔術のおかげか。
そして、それらの世話をしていたのは、スノウリアと同世代の少女だった。
「あ、アリル様ですねっ! わたしはこのお庭を任されているサンドラと申しますっ!」
客人の来訪に気づいた彼女は飛び跳ねるような勢いで立ち上がり、木槌を降り下ろすような勢いでおじぎをした。
束ねた亜麻色の髪、頬にはそばかすの素朴な外見。婆やと同じ防寒仕様の使用人の服に、作業用の前掛けを足している。
元気な言葉や行動とは逆の、青白くて生気の無い顔をした、生屍だった。
すっかり生屍に馴染んだスノウリアは当然のように会釈を返し、問いかける。
「貴女は庭師なのですか? 使用人の恰好ですが」
「はい、昔はそうでしたっ。でも今は、お婆様が一人いれば、お屋敷の仕事が全部済んじゃうんですよ……わたしはまだまだですし……」
「まあ、僕らは使用人泣かせ、って事なんです」
スタンダーの補足でスノウリアは事情を把握した。彼らは生者と違い、必要な物が少ないのだ。
サンドラのしゅんとして寂しそうな様子からすると、彼女は以前の仕事にやりがいを感じていたらしい。
これはあまり触れない方がいい、変えた方がいい話題だったようだ。
そう判断したスノウリアは屈み、そこで咲いていた小さな青い花に手を伸ばす。
「これはまた、可愛らしい花ですね」
「あ、それには触らないで下さいっ! 魔術触媒用の花で、毒がありますのでっ」
警告され、スノウリアは慌てて手を引っ込めた。顔はひきつっている。この屋敷で感じた初めての危機だった。
ここは死霊術師の舘。危険な植物が栽培されていてもおかしくなかったのだ。
「あっ。で、ですが全部が毒じゃないですからっ! あちらの方は安全ですよっ!」
「……では、そちらへ」
「はいっ。この雪羽草なんかは丁度見頃ですよっ!」
「ええ。本当に、綺麗ですね」
気を取り直して、庭園の観賞を始めた。この空間の作り手であるサンドラと一緒に。
「これは気分を落ち着ける効果のある薬草ですっ。薬というより、お茶にして飲むのが主な使い方ですねっ。爽やかな香りと甘さがあってお勧めですっ!」
「そのまだらの花は赤金草と言いましてっ。腐蝕の魔術に使う触媒なんですけど、独特な外見から観賞用にも用いられるんですよっ!」
「あ、それは兎芋ですっ。実ならともかく、花を見る機会はありませんよねっ。実は可愛い花を咲かせるんですよっ!」
庭巡りはスノウリアにとって楽しく、興味深いものだった。
サンドラの植物解説付きで、それは一つ一つ細かく事前知識が無くとも分かりやすかったから。話す様子は熱心な上に誇らしげで、心からこの仕事を好んでいると感じられた。
使用人の仕事が無いと寂しそうにしていたが、これはこれで天職なのではないか。言いはしなかったが、本人の働きぶりを見る限り言う必要も無さそうである。
「一通り見ましたけど、次はどうするんです?」
と、そんな思考に割り込んできた、スタンダーの声。庭を一周したところで声をかけられ、もう一人いた事を思い出す。
彼はずっと固い笑いを浮かべて見守っていたのだ。
「……あの、スタンダーさん。すみません、私達だけで……」
「あ、僕は大丈夫です。女性同士楽しそうだっんで、邪魔なんてできませんよ。見ている僕も楽しかったですし。それで、どうするんです? まだ見ていきますか?」
「そうですね……」
少し考え、視線をさまよわせて、その果てにサンドラへ行き着いた。それにより、次にしたい事が決まる。
当の見つめられた彼女は生屍の顔を更に強張らせ、身構えていた。緊張させてしまったかもしれないが、何も大したことではないのだ。
クスッと笑い、優しく告げる。
「貴女方二人と婆やさんの他にも生屍の方がいますよね?」
「えっ? はい、クラミスさんですねっ」
「次はそのクラミスさんとお話がしたいのです。皆様良い方々でしたので」
「そんなっ、わたしは褒められるような……あ、いえっ……分かりましたっ。では、丁度この薬草を届けるように言われてたので、ご一緒に行きましょうっ」
「ええ、ありがうございます」
感謝と期待。両者共に、温かい感情の元に微笑み合った。寒くても華麗に咲く花々のように。
そしてスノウリアとサンドラ、それからスタンダーも中庭をあとにしたのだった。
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