第5話 陽の下との繋ぎ目
「ぬ、う、ぬぬぅ……」
冷気に満ちた屋敷の食堂に、その主である
デュレイン・グレイバースは危機に直面していた。
見ず知らずの生者――しかも病のせいか情緒不安定な――と二人きりになってしまったのだ。
元を正せば見つけた時に早合点し、屋敷につれていくと言い出した自分自身の責任。
だとしても酷だと、彼は思う。
婆やは行ってしまった。
薬を用意させる為だが、それならば代わりに他の者を手配すべきだったのに。普段から雑になる事があるとはいえ、特に今日は気遣いが足りない。それも
「全く、なんなのだ……!」
一人で息荒く愚痴る。体ごと壁を向きながら、アリルという少女を一切視界に入れないように。
デュレインは生者が苦手だ。
ここ十年近く森にこもり、生屍としか接していなかった。そもそも「初対面の相手」というのが懐かしい経験だった。その為必要以上に怯えてしまったのだ。
そう、驚いただけ。断じて怖い訳ではない。もう情けない子供ではない。
心中で誰かに言い訳するように唱え、無理矢理に平静を保つ。
ただやはり、いくら否定しても、彼の底には生者への恐怖心があった。
その一番の理由は、過去が――この森で生屍達と暮らすようになった経緯が甦るから。幼い頃に刷り込まれた意識が今もデュレインを縛っているせいだった。
それでも、自分で「任された」と言った手前投げ出す訳にはいかない。
凄腕の死霊術師は責任感と使命感に燃えていた。この屋敷の、そして生屍達の主として。威厳を取り戻す為にも。
だからデュレインは意を決して声をかけた。
一度深呼吸して、咳払いして、水を口に含んで、もう一度深呼吸して、それからやっと。
「……なっ、なな、なあ。なにか……あるか?」
「……」
声量が小さく、噛んでいて、具体性が何もなく、更に相手の顔もまともに見ていなかった。みっともない出来だが、デュレインとしてもはこれでも必死の思いで振り絞ったのである。
しかし、少女は答えない。そもそもまるで聞こえなかったらしい。いくら待ってもずっと同じ姿勢のままで無反応だった。
至極当然の話である。
「……っ!?」
だがデュレインは絶大な衝撃を受けたように固まっていた。渾身の行動が破れ、早速心が折れそうになったのだ。
陰った表情に立ちこめるのは絶望の気配。呼吸が乱れ、挙動も怪しくなる。既に敗走する兵士めいた有り様だった。
しかし今もこの戦いは続いている。
まだ、まだまだ。ここで諦めたら一族の名折れ。立場が無くなってしまう。
デュレインは自尊心を頼りに、なけなしの気力を奮わせる。
まずは目に見える努力を。椅子から立ち上がり、少し、三歩程少女へ近付く。そして気持ち大声を出すよう気を付けた。
「なな、なあ。どうすればいいのだ?」
「………………あ…………いえ……すみません。なんでもないんです……」
今度は反応が返ってきたが、答えは素っ気なかった。
少女は痩せこけた頬を伝う涙も拭わず、放心したままだ。こちらを向いてはいても、落ち窪んだ眼にはデュレインは映っていない。丁寧な拒絶だろうか。
これでは役目が果たせない。
何がいけないのだろう。やはり心を病んでいるからか。それとも他に原因があるのか。
しばしデュレインが考えたところ、すぐ思い当たる節に辿り着く。
その結論は自業自得なものだった。反省と気まずさで顔が苦く、ばつの悪いものになる。
だが自分の責なら背負うのみ。それが上に立つ者なのだと、必要なあと少しの気力を捻り出す。
もう一歩だけ傷ついた少女に近寄り、視線も顔の方に動かし、可能な限りの声を出した。
「……そ、その、なんだ? うむ、そうだ。最初に死人だと勘違いしたのは謝ろう。済まなかった」
「……え?」
深々と頭を下げたデュレインと対照的に、アリルは意外そうに顔を上げた。
余程の予想外だったのか、あれほど止めどなかった涙すら引っ込んでいる。まじまじと見つめてくる様子は信じられないと言わんばかりだ。
デュレインとしてはあまりにも気まずい。あまりにも。
声につられて顔を合わせてみたものの、チラリと見ただけですぐに限界が来て逸らしてしまった。まともに目を合わせようものなら、動揺で踏みとどまれず壁まで下がっただろう。
だから異常な寒さの中で冷や汗をかきながら、それでも彼は立ち向かう。
「……お、お主が生者だと知ってうるさくしたのも、単に驚いただけなのだ。死んでおった方が良かった、などとは思っておらぬ。だが不快だったならば、自分に、落ち度がある。済まなかった。こんな、無礼者が居っては不愉快であろうが、婆やが薬を持ってくるまでは、どうか辛抱してくれ」
真摯に。ひたすらに真摯に。デュレインは思いを込めて述べ切った。
傷つけてしまった少女への、せめてもの罪滅ぼしとして。
そして恐る恐る視線を卓の隅へ。その席には無言でパチパチと瞬きを繰り返す、戸惑った様子のアリルがいた。
「…………いえ……いえ。決して不愉快ではありませんし、貴方にも落ち度はありません」
今度はデュレインが怪訝な顔で黙る番だった。
精一杯の謝罪を受け取ったアリルから、呆気ないほど簡単に許しを得られたせいだ。有り難いのだが、不可解である。
それどころか彼女は、水差しに映った、生気の薄い自身の顔を見て自嘲の色を浮かべるのだ。
「それに……この顔では、確かに死人のようです。思い違いも無理はありません」
「……お、おおい、そんな卑下など、するものではないぞ」
「……いえ。本当に、気を使わなくて良いんです。むしろ……先程も今も、温かくして下さって有り難い限りです」
そう言ってアリルは微笑んだ。
やつれた顔であっても生屍の固い笑みとは違う、柔らかい微笑みだった。その輝きはまさしく雨上がりの青空に浮かぶ虹。
やはり、死人でない。あんな卑下は似合わない。
そう思いつつも、だがそれは些細な事柄だった。
首を振って雑念を払ったデュレインは前のめりになり、深刻な顔で食卓を叩く。アリルの言葉から得た結論が、それだけ重要かつ危機的なものだったから。
「この寒い屋敷で温かい……だと? やはり病ではないか!」
「え?」
「早くクラミスに見せねば。婆やはまだなのか!?」
「……いえ、あの……少し落ち着いては、どうですか」
「落ち着いておる場合か! 一大事やもしれぬのだぞ!」
「だから、その……私は平気ですので……」
「何を言う。病を甘くみてはいかんぞ! 本人に自覚が無い厄介なものもあるのだ!」
「え……あの……ええと……」
病に対して過剰な反応を見せるデュレイン。相変わらず距離はとっているが、人が変わったように生者の為に騒いでいた。真剣に、必死な表情で。
アリルの方は戸惑いつつも、いつの間にか逆転した立場でなだめようとしていた。表情から判断すれば困惑より心配の方が勝っている。優しさ故のこの状態。だが、行動は伴わない。
両者共、出口を見出だせずに迷う一方だった。
そんな混沌さを増し続ける食堂にハッキリと通る、第三者の声。
「何を騒いでおられるのですか、坊ちゃま」
「おお、婆や! ようやく来たか!」
救いを見つけたデュレインは喜色満面で走り寄っていく。
だがそれを婆やはスルリとかわし、少女の前に進むとポットとカップの乗った盆を置いた。
「いえ、私は……」
用意された物を見て一度は断ろうとしたアリル。そんな彼女も、婆やが耳元で一言囁くと目を見開き、そして反対を取り下げた。丁重に注がれた薄い黄緑色の液体を口にし、ほっと白い息をつく。
その様子を見届けてから、婆やは床で恨みがましい目をしているデュレインに向き直った。
「これでひとまず安心です。さて、それではアリル様は客人という事でよろしいでしょうか」
「ぬぅん? 自分はまだ納得――」
「つまり、あの状態のアリル様を森に放り出すのですね。確かにそれならば新たな生屍を作り出せるでしょう。死霊術師としては正しい選択です」
「…………う、う……うむ…………仕方あるまい。あやつはこの屋敷で面倒を見よう」
苦渋の決断。とうとうデュレインは渋々とだが頷いた。ただ表情には不満だけでなく安堵もあり、心中は複雑そうである。
そして次はもう一人の当事者へ。
「アリル様もよろしいですね? 貴女の事情が解決するまで、ワタクシ共がこの屋敷で匿うという事で」
ここでアリルも即断、とはいかなかった。彼女は婆やとデュレインの顔を見比べ、逡巡の素振りを見せる。
それは迷いではなく、躊躇い。死霊術師と生屍を気遣っての事のように見えた。だが彼らの了承はある。
あとは彼女の覚悟次第。
一度目を閉じ、しばらく沈黙。
そして再び目を開けると、柔らかい微笑みと共にアリルは言った。
「……はい。よろしくお願いします」
これが、死霊術師と生屍に大きな変化をもたらす決定がされた、その瞬間であった。
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