コープスホワイト
右中桂示
第1話 冥界へと続く道
肌は雪のように白く、瞳は黒檀のように黒く、髪は黄金のように眩しく、顔立ちはどんな絵師にも再現出来ない程整っている。
大陸の中でも比較的大きな版図を誇る豊かな国――ファリエム王国には、絶世の美貌を讃えられた王女がいた。
名はスノウリア・ティル・ファリエム。
その美しい顔立ちは幼い頃より目立ち、少女となる年頃には社交界の華となった。王女という身分とかかわりなく、本人の資質だけで。
更に、彼女の優れた点は美貌だけではなかった。口数少なく物静かな性格だが、慈愛の心があり、かつ聡明。周囲に抱かれる将来への期待は非常に大きい。
王侯にも愛され、臣下にも愛され、民衆にも愛され、祝福された人生を送っていた。
とはいえ不幸が皆無だった訳ではない。幼い頃に母を亡くし、父王の後妻と彼女の一派には人気を妬まれ酷な扱いを受けたのだ。
そんな境遇にも決してスノウリアは歪む事無く、一国の王女として相応しい教養と振る舞いを身に付けていく。そしてその評判は国外にも轟くまでになった。
しかし、スノウリアの年齢が十六になった年。
彼女の父、つまり国王が病に伏せると王女を取り巻く状況は一変する。
敬愛する父王、残った肉親の危篤。狂おしい程の悲嘆の中、それでも王女らしい振る舞いをしなければならない。精神的な疲労からやつれ、美貌に影が差していた。口数は更に少なくなり、他人への慈愛も失われたようになってしまった。
しかも、追い打ちをかけるように、
「ああ嫌だ。ああ、嫌だ。あの顔の異様な白さは気味が悪い。まるで病人、いや死人のようじゃないか。呪われた子が本性を表したに違いない」
憔悴した姿を利用され、手酷い誹謗中傷を受けた。
言うまでもなく立場や美貌を妬む継母とその配下によるもの。虎視眈々と待っていた彼女らが逃すはずもない好機だったのだ。
一派は貴族から役人そして一介の兵士、城内の至るところにまでその悪評を広め、美しい王女の印象を変えていった。呪われた邪な姫へと。
憔悴した本人に撤回する余裕は無く、伏せる父王にも不可能。評判は悪化していくばかり。
勿論スノウリアにも味方は少なくなかった。有力貴族を筆頭に、高潔な者達が声高く現王妃一派を糾弾。しかし彼らの行動は実を結ばず、それどころか処罰を受ける羽目になってしまった。
相手の権力に正当性があったからだ。
スノウリアの腹違いの兄弟――まだ幼いとはいえ男子として王位継承権を持つ王子がいたという事。現王妃が前王妃より上位の貴族出身という事。他国との繋がりを持つ事。理由は様々だが、どれも覆らない事実。
無駄に終わる反抗はしばし続くも、やがて抗う声はなくなった。
しかも、それが最悪ではない。とうとう国王が崩御すると、事態は更に悪化した。
耐え難き喪失感により、スノウリアの憔悴は酷くなる。衰え、やつれ、美貌の王女と呼ばれた以前とは最早別人のような有り様。
しかも、やはり、継母は更なる攻勢を仕掛けてきたのだ。
「陛下の病は不自然だった。あの娘が呪い殺したに違いない。国王殺し、父親殺し、ああ、なんて邪悪な娘だろう!」
城内に根拠のない、噂以下の虚言が流れた。
だがその悪意は真実として扱われた。無論、現王妃派の工作である。
ちっぽけな王女にはもう、抗うだけの力も味方もなかった。
スノウリアは牢に入れられる事こそなかったが、城内の奥まった一室に幽閉されていた。
王族としての輝かしい日々は一転、罪人扱いにまで落ちた。それもいわれの無い罪で。
嫉妬、権力、人の欲望に絡んだ悲劇。悪意に満ちた、世にも醜い
ただしそれは、当の本人にとってはどうでもよい事だった。
狭い空間で、スノウリアは一人思う。
――全てが終われば、父上と母上に会えるでしょうか。
希望は死の先にしか無かった。目は虚ろに、頬はこけ、肌は荒れ、心の動きも薄れ、全てが衰えていくばかり。
まさしく、死人のようだった。
そんな日々に、不意に転機が訪れる。
囚われてから数日後、静かに訪ねてくる者がいたのだ。その姿は年若く、精悍な体つきの男。王女に仕えていた近衛騎士だった。
「王女殿下、お逃げ下さい。手立ては用意しております」
この状況を打開する、願ってもない唯一無二の提案。
だが、スノウリアは緩慢な動きで、しかし一瞬の迷いも無く首を横に振る。
――私の味方になれば、貴方も貴方の家族もただでは……。
スノウリアの声は徐々に小さくなっていき、最後にはかすれて消えた。
騎士を慮っての事というより、全てを諦めた、道連れを望まぬだけの話。そう絶望に墜ちた瞳が物語っていた。
変わり果てた容貌と声に騎士は一瞬たじろぐも、すぐに表情を引き締め直す。その意見は不変だった。
「私の家は、殿下の亡き母上様に大恩があります。今こそ報いる時なのです。それに考えがあります。時を稼げば悪評も晴らせましょう」
騎士の悲壮な決意を窺わせる表情で、スノウリアは否応無く理解した。
数少ない味方は議論による解決を捨て、強引な手段を進めていた。今更断ろうとも手遅れ、とっくに道連れなのだと。
そして王女は逃亡者として城から脱出した。
王女は動きやすさと擬装の為、称えられた髪を短くして服装も粗末な村娘のものにした。残るはその身と、隠し持った王家の紋章が彫られた指輪のみ。
道中では人家に近付かず、月明かりの下を進み、危険な獣が住む場所で野宿した。
身分を偽装し、隠れて逃げる。
言うは易いが、とてつもない苦難の連続だった。
そこまでしても追手は現れる。
権力者の命を受けた直属の手練れが、殺意を持って。
とはいえ、こちらの味方もまた手練れ。
騎士は近衛に任命されるだけあり、剣の腕は確かだった。突然の奇襲も、たった一人で撃退していく。
それでも幾度も続けば、負傷は重なる。無理をしているのは明らかだった
そして遂に失ってしまう。
ある時の襲撃の際。スノウリアを隠れさせ、敵を囮となって引き付け、そのまま帰らなかったのだ。
『夜が明けても私が戻らなければ、殿下は先にお逃げ下さい』
残された言葉がある。だから、進んだ。たった一人で。
――たった一人の味方を置いて、何処へ何をしに?
王女は罪悪感と虚無感を抱えながらも、一人で逃避行を続けた。忠誠心に報いる為に。
地図も読める。現在位置も把握できる。あらかじめ騎士に言われた通り、目的地への道を進んでいく。
ただ無心で。犠牲を無駄にしたくないという一心で。自らの身を省みない、本来の目的を忘れたような無茶な旅程で。
その姿は動く人形か、あるいは死人のよう。既に彼女からは、知性の輝きすらも失われていた。
――え?
そんな状態だった彼女は、気づけば地面に倒れていた。
歩みが止まって、ようやく正気を取り戻す。そこは鬱蒼とした不気味な森だった。
整えられた馬車も通れる広い道はあるのに、生命の存在を感じられない。静寂が支配する空間。
そして、この森にはそれ以上に奇妙な点がある。
今は春のはずだったのに、異様に寒かったのだ。国の北側だという点を踏まえても異常な、凍てつくような寒さだ。
まるで厳冬の真夜中。
没頭していた間は気にならなかった気温も、一度意識してしまえば耐えられない。
容赦の無い冷気がスノウリアを凍えさせ、震わせる。騎士が「寒くなるはず」と防寒具を用意してくれていたが、それでもこの寒さは遮る事が出来ない。
首を縮め、腕を固く組み、小さな抗いをしながら惑う。
道を間違えたのでは。入ってはいけない場所に入ってしまったのでは。
森を引き返して出ようとするも、囚われの生活と無茶な逃走の中で衰え、寒さでかじかんだ足では最早満足に歩けない。それどころか立ち上がる事すら出来ない。
やがて体力も精神力も尽きる。森の柔らかく冷たい土の上で、眠るように目を閉じた。
もう駄目だと諦めた。冥界での幸せを願った。
死を抵抗無く迎えようとしたのだ。
――しかしその時。
突如、犬の鳴き声が聞こえた。
猟犬か、野犬か。前者ならば助かる可能性がある。後者ならば命の刻限が短くなる。
しかし限界が近い王女は、顔を動かせも瞼を開けられもしない。
どちらにせよ運命に任せるしかなかった。
そして運命の瞬間を迎え――
「何処へ行くグロン! もうスタンダーは見つかっ……むう?」
続く足音と少年の声で危険は無いと判明した。
ひとまずは安堵する。だが希望は抱けない。生き永らえるには間に合わない可能性が高いからだ。現に、今にも意識を失う寸前だったのだ。
「行き倒れか? ……もう、死んでおるのか?」
少年の足音は恐る恐る近寄ってくる。そこに表れているのは、急いで救わねばという焦りではなく、根元的な忌避感。やつれた見た目で既に手遅れだと思われたらしい。声からも大きな悲しみや哀れみを感じられた。
しかし彼の声は、最後には興奮したものに変わる。
「……おおぉ……おおお! 五体満足で傷も無く腐敗も無い素晴らしい状態……なんと美しき死体か!」
薄れゆく意識の中で、王女はそんなおかしな称賛の言葉を聞いたのだった。
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