第2話 黒き森の白き住人
異常な冷気が漂う、鬱蒼とした不気味な森。その奥深くに、森の異質さを物ともしないどころか、雰囲気を塗り替える場違いな存在があった。
ユラユラ揺れる
「よいな、急がねばならん。しかしだからといって、決して雑に扱ってはならぬのだぞ!」
「あはは。そんなに言われなくても分かってますよ、若様」
デュレイン・グレイバースは森の中に整えられた道を早足で進む。
十代後半頃の細身な少年である。重ねた服の上から更に厚手の
瞳は乾いた血のように赤黒く、その下には濃い隈。帽子からはみ出た癖毛の黒髪が顔を隠すように伸びる。
人相がいいとは言えない風貌が笑う様は、見る人に近寄りがたい感覚を生じさせるだろう。
彼の後ろには、一回りは年上の男が続く。
背も高く、よく鍛えられた体格の青年だ。弓と矢筒と重そうな袋を背負い、デュレインの服装から外套を引いたような格好をしている。
男の見た目で何より目立つのは、角灯の灯りに浮かび上がる病的に青白い顔だ。一見爽やかな好青年といった印象だが、その顔が浮かべるのは不自然に強張った笑み。生気が無く、顔色と合わせて見ると、人間らしさすら感じられない。
歩いているという事実だけが彼を彫像ではないと照明していた。
そして青年はその腕に、意識の無い少女を抱えている。
かなり汚れているが金に煌めく髪と男の顔には負けるが白い肌を備え、しかしすっかりやつれている顔立ちが美しいそれらを台無しにしていた。
体には青年のものであろう外套がかかっており、抱え方も優しく包むよう。男は指示通り、彼女を丁重に扱っているようだった。
そして一行にはもう一匹、犬がいた。
耳は垂れており、体毛は黒白茶色の斑模様。周囲を警戒するように進み、人間達を先導する。ただし、瞳はどこか虚ろで恐ろしい。動物としての自然な姿ではなかった。
明るい顔をしているのはデュレインだけ。その彼も風貌は不気味な森に似つかわしい。
生け贄の少女を連れた邪悪なる存在の行進。そう評するのが相応しい光景だった。
急いでいる為か余計な会話は無く、警戒は杞憂で何事も無く。奇妙な三人と一匹は、やがて道の終わりに到着した。
そこにあったのは立派な屋敷。
窓から漏れる灯りと煮炊きの香りが、暗く寒い中を歩いてきた一行を温かく迎え入れる。
見たところおかしな点はなく、不気味な森とは違う安心感があった。この一帯だけは木々が切り開かれており、頭上に薄闇の空が見える。
森に溶け込むように、外部から隠れるように建つそれは彼らの住居だった。
「只今帰ったぞすぐに儀式だクラミスを呼べい!」
デュレインは勢いよく扉を開け放ち、興奮のままにまくしたてるように叫んだ。明らかに無遠慮で必要以上の大声だったが、眠る少女は目覚めない。
そんな主の帰還発言を受け、瞬く間に年老いた女性が姿を見せた。
切れ長の目には厳しさがあり、姿勢も綺麗に伸びている。防寒仕様らしい使用人の服を着用し、男同様肌が青白い。充分な灯りがある環境では両者共浮いて見える。まるで亡霊か死人のように。
その暗い彼女から、見た目通りの平坦な声が発された。
「坊ちゃま、どうされました? そんなに興奮されて…………おや、その方は?」
「ふふん。婆やよ、よくぞ聞いてくれた!」
探るように観察する婆やからの、当然の疑問。
それを待っていたとばかりに、デュレインは得意げな笑みを見せた。それから手を大きく広げ、声高く宣言する。
「勿論決まっておろう。この館の新しい住人にするのだ!」
「……その方を、ですか?」
「うむ!」
「……間違いは、ありませんか?」
「無い!」
「…………本当に、よろしいので?」
「くどいぞ! もう決めたのだ!」
「かしこまりました。坊ちゃまが仰るならばそう致しましょう。それではクラミスを呼んで参ります」
しつこい確認と変わらぬ答え。しばしの問答の後で婆やは深々と頭を下げ、足早に去っていく。
それとほぼ同時に、デュレインは意気揚々と背後の男に呼びかけた。
「さあ来い、スタンダー! 先に儀式部屋に行くぞ!」
幾何学的な模様が描かれた木片、干された薬草、磨かれた動物の骨、自然界には無い色の液体が入った瓶、妖しく煌めく宝石。怪しげな道具類がところ狭しと部屋に並ぶ。
魔術儀式の為に作られた部屋。そこに館の住人達は集まっていた。
デュレインはブツブツと唱えながら髪の毛や骨をいじっており、なにやら作業中。少女は部屋中央に敷かれた毛布の上に寝かされ、スタンダーは部屋の角に離れてじっと控えている。
更に若い女が加わっていた。束ねられた長い髪が腰まで垂れ、当然のように厚着。そしてやはり、人として異質な青白い肌だった。
彼女は毛布に編まれた模様を指でなぞり、寝かせた少女に薬を飲ませ、肌に塗り、デュレインと別れて着々と魔術の作業を進めている。
その手を止めた彼女は、色気を帯びた、しかしうすら寒さをも含んだ顔と声で呼びかけた。
「若ぁ。もう準備は整いましたよぉ」
「うむ、ご苦ろ……む? 何をしているのだ? クラミス。それは気付けに、防寒の術ではないか」
手助けを労おうとしたデュレインだったが、少女の様子を確認すると怪訝な顔で尋ねた。
助手の有り得ない間違いを指摘するものだった。だが青白い顔の女はそれを意に介さず、むしろあっけらかんと認める。
「ええ、そうですよぉ。では、始めますぅ」
「ぬ? 何故無駄な事をするのだ?」
「若はお気になさらずぅ」
女が問いに返答しながら少女の腹を軽く叩く。すると、
けほっ。
可愛らしい咳の音がやけに大きく響いた。
「ぬ? おい何の音なのだ?」
余程予想外だったのか、不思議そうな顔で戸惑うデュレイン。ぎこちなく笑う男と不気味な微笑みを浮かべる女を見て、それからキョロキョロと音の出所を探す。
そこに婆やがやってきた。湯気があがる桶と衣服を持って。
「おや、目を覚ましたようですね」
「ぬぬ?」
婆やの目線を辿れば、その先では無意識だった少女が上半身を起こしていた。灯りが白い肌と金髪を輝かせ、やつれた顔に影を作る。
デュレイン以外の者達と似ている容姿だが、彼らと比べれば決定的に違う生き物としての存在感があった。
彼女は呆けたように目をまばたき、やがてキョロキョロと不思議そうに辺りを見回す。怪しい道具類を見て、青白い顔の人間達を見て、そして今は硬直している先程まで同じ行動をしていたデュレインと目が合う。
すると彼は顔をみるみる内に青ざめさせて、
「うあああぁぁぁ! こここ、こやつっ、生者ではないかあぁぁぁぁ!!」
屋敷どころか外の森にまで響く大きな悲鳴をあげたのだった。
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