第9話 厳冬の花々
「このお茶はどうですかぁ? 遠方から取り寄せて貰った高級品ですよぉ」
「確かに……珍しい香りです。味も素晴らしい。これは淹れる技術の良さもあるのでは?」
「お褒め下さってありがとうございますぅ。手間をかけた甲斐がありますねぇ」
「そちらの焼き菓子はわたしが作りましたっ。ほとんどの事はお婆様には負けますけどっ、お菓子については自信があるんですっ!」
「ええ、美味しいです。婆やさんの料理にも負けていません。幾つでも食べられそうですね」
「良かったですっ。お望みなら幾つでも作りますよっ!」
森にぽっかりと開いた空へと、賑やかな女性の声が生まれては上っていく。
発生源は中庭に用意された小さな食卓。そこに並ぶ湯気上るカップと焼き菓子をお供に、スノウリア、クラミス、サンドラの三人が席に着き談笑している。
小さな茶会が催されていた。
スノウリアが屋敷に来てから四日目、その昼下がりの事だ。昨日知った情報について客室で思い悩んでいたところを連れ出されたのである。
この場所は寒く、とてもお茶をする環境ではない。だがどうせ中も温度は変わらない。ならば鮮やかな花々が咲く景色の良いこの場所で。そういう事だろう。
確かに美しく整えられた庭は観賞に相応しい。王城での茶会が思い出される。飲食物の質も良く、優雅で楽しい時間となるだろう。
――いえ、そういう事ではなくて。
しばらくはいつかのように
「……あの……何故、このような集まりを?」
「アリル様と友好を深める為ですっ」
「いけませんかぁ? やはり貴女様は身分が高い人間で、卑しい私達とは友誼を結べないのですねぇ」
「いえ、そのような事はありませんが……」
クラミスの発言をスノウリアは素早く否定した。大袈裟で冗談めいていたが、こちらは本心から真面目に。
身分など今や無意味な上、彼女らには恩がある。決して無下に出来ない。それらの事情を抜きにしても人間性を好ましく思っていたからだ。
しかしその先を言い淀む。
――貴女方は、召し上がりませんよね?
浮かんだそれは、答えの分かりきっている不粋な問いだった。和やかな空気に相応しくない。
だから呑み込み、代わりに笑う。
これはお茶会で、友好の席なのだ。
並ぶ品々はあくまでお供。そして客人であるスノウリアもまた話をしたいのだから。
「……私も貴女方との友好を深めたいと思います。ですから、楽しみましょうか」
「はいっ!」
「勿論ですぅ」
心地よい返事に微笑みを。
スノウリアはこの会を楽しむべく、ごちゃごちゃとした思考を捨てて切り替えた。
まずは二つ目の菓子を手に取り、口に運ぶ。用意された分は一人で食べるには多いが、折角のもてなしを無駄にしたくないのだ。
「ではアリル様ぁ。若とスタンダー、どちらがお好みですかぁ?」
「……っ!」
先制攻撃。
初手からの容赦ない問いかけで、スノウリアは焼き菓子を喉につまらせかけた。苦しげに咳き込み、お茶で無理矢理飲み下す。
生屍に心配されながら、なんとか人心地。息を整え、クラミスにその意を質す。誰もが何も起きなかったという体裁をとる中で。
「……それは、どういう……?」
「どういうもなにもっ、恋の話ですよっ!」
「老いも若きも生者も生屍も、女性ならばこの手の話が大好物なのは当然ですよぉ」
意気込むサンドラと色っぽく笑うクラミスに言い切られてしまった。
確かに貴族であっても女性ならばその手の話は大好物だ。数人集まればそんな話題で盛り上がる。だから素直に納得出来た。
とはいえスノウリア自身は王女という立場上、どうしても政治が絡むのでどうしても乗り気にはなれていなかった。
だが今は今。これもまた、折角の機会。
一度、改めて真剣に考えてみる。
デュレインはどうか。あの他人を気遣える性格は好ましいと思う。ただ、少し子供過ぎて男性として見るのは厳しくないだろうか。
スタンダーはどうか。好青年だとは思う。ただ、少し礼儀や真摯さが足りないのではないだろうか。
友人としてならともかく、どちらも恋愛の対象からは外れてしまう。と、そんな結論に至る。
が、これでは失礼だった。彼らに対しても。お茶会を盛り上げようとする彼女らに対しても。
だが、やはりもっと男性らしく――
「……ぁ」
その思考はスノウリアを冷ます呼び水となった。
罪悪感に無力感。胸が潰れそうな程締めつけられる。体温がここの気温よりも低くなったように感じられる。
どうしようもない重苦しさの中、思い詰めた顔でスノウリアは沈黙し続けるばかりだ。
「あっ、あのっ! すみませんっ。そんなに考え込まなくてもいいのですよっ!」
「うちの男性陣はどうにも不甲斐なかったですねぇ……」
生屍からの助け船。
サンドラは必死な様子で身を乗り出し、クラミスは深くうなだれていた。責任を主に被せてスノウリアを庇う。身内より客人優先の姿勢である。
ただ、残念ながら勘違い。苦しさの理由はスノウリア自身にあるのだった。
「いえ……違います」
男性らしい男性。
そう言えば真っ先に思いつく、しかし今まではどうにも出来ないとなるべく考えないよう記憶に蓋をしていた、忘れようもない人物がいた。
「私の為に、犠牲になった男性がいるのです」
あの、逃亡を手引きしてくれた近衛騎士だ。
無力故に置き去りにし、見捨てた、救い人。
考えれば考える程に、気持ちは重く、スノウリアの表情は厳しくなる。
空気の変化を感じたか、二人の生屍は黙ったまま大人しく聞き役に徹している。
「この森に来るより前。私を逃がす為にはぐれてしまい、それきり……恐らく命は……」
弱々しい声を発したスノウリアには暗い悲愴感が漂っていた。サンドラも共感したのか、同様に悲痛な面持ちだ。
この寒さは防寒具も熱いお茶も温めてはくれない。
ただし、クラミスだけは平穏を保っていた。
「……アリル様。貴女様がこの屋敷に着いてから既に数日経っていますよねぇ」
「ええ……そうですね……」
「だというのに無礼な余所者が一人も来ていないという事は、その殿方が別の場所へ誘導しているから……少なくともなにかしらの手を打っているから、なのではありませんかぁ?」
「…………え?」
その推測は今まで考えもしなかった。ずっとそれだけの余裕がなかった。だからスノウリアの理解は少し遅れてしまった。
しばらく呆然としていた顔が、徐々に徐々に理性の色に染まっていく。
あくまで可能性ではあるが、それは希望だった。
「ええ……その可能性はあります……!」
「あらぁ、お顔が明るくなりましたねぇ」
「えっ? その方は御無事なのですかっ! よかったですっ……!」
安堵を得たスノウリアに生屍からの祝福。
薄く細い希望の糸が、頼もしい綱へ変じる。錯覚だとしても顔を上げるには充分だった。
とはいえ。
スノウリアの、それから騎士の安全が揺らいだままなのに変わりはない。事態を打開するにはどうすれば。
彼女は再び思い詰めた雰囲気を纏う。悲壮。そこに芯の強さはありつつも、多くは暗さが占めていた。
しかしやはり、再び固い表情の生屍が柔らかな光で照らしてくれる。
「アリル様ぁ。囚われの姫は勇敢な殿方を大人しく待つものですよぉ。無力を気に病む必要なく、救いだけを享受する権利があるのですぅ」
「そうですよっ。アリル様は時が来るまで笑って過ごせばいいんですっ。いえ、むしろ元気になっておかないといけませんっ!」
生屍達は必死に主張した。一人は唇に指先を添え妖艶に、一人は立ち上がって意気を奮わせて。
多少不謹慎ではあっても、重荷を払う怠惰の推奨。
おかげでスノウリアは随分と気が楽になった。本当に助けられてばかりだ。
「……分かりました。今はやはり、このお茶会を楽しみましょう」
適材適所。人にはそれぞれの役割があり、役割を果たす時がある。難題はひとまず後回し。
だからスノウリアは、女性の集まりでの定番の話題を差し出した。
「では、貴女方はどちらの男性が好みなのですか?」
「私は正直、どちらも好みではないですねぇ。年上の渋い男性が好みなのでぇ」
「えっ……若様はやっぱり、年が離れているので……スタンダーさんの方が……いえっ、若様も決して魅力が無い訳ではないのですがっ……!」
「あ……はい……そうなのですか」
クラミスは真っ直ぐきっぱり、サンドラは目を逸らしながらおずおずと、それぞれ主を切り捨てた。自然と哀れみを抱いてしまう。
再び庭を包む妙な空気感。
今度はスノウリアが空気の入れ換えを行うと決める。
幸い話題を逸らすのに丁度いい違和感があった。
年が離れている。デュレインと同じ年頃に見えるが、彼女らの方は生屍なのだ。
「貴女方は、十年止まったままなのでしたね」
胸に満ちるのは言い知れぬ奇妙な感慨。
十年続く生屍。死霊術師からしても普通ではないだろう。想像もつかない。
労るように、優しく問いかける。
「長年ずっと……大変だったのでは?」
「いいえぇ。生屍生活も慣れれば悪くありませんよぉ。余計な面倒も随分減りましたからねぇ」
「はいっ。わたしも、お仕事は減っちゃいましたけどっ、楽しく過ごしてきましたよっ! ……でも……」
クラミスから引き継いだ元気なサンドラだが、途中でしんみりとなって語り出す。
「……もうすぐ、終わっちゃうんですよね……寂しいですっ」
「え?」
不穏な単語にスノウリアが疑問と不安を覚える。
その直後に生屍達の人間的な反応。サンドラは口を開けたまま固まり、クラミスは咎めるような顔をしていた。
まるで時間が凍ったかのよう。
解凍は時間任せ。ひきつったサンドラの大声によって動き出す。
「あ、あああっ! い、今のは忘れて下さいっ!」
「え? あの……」
どう受け取っても穏やかではない。触れられたくないとの主張だった。あまりの慌て振りに、スノウリアの方もおろおろと戸惑ってしまう。
そこに、突然。
クラミスが明後日の方向へと声を張り上げた。
「あらぁ? そこにいるのは若じゃありませんかぁ?」
彼女の視線の先、屋敷に通じる扉を見やる。
するとデュレインがばつの悪い顔でじりじりと出てきた。心なしか傷心気味な気もする。
クラミスはずっと気づいていた上で無視していたが、話題を逸らす為に呼び出した。そんな感じだ。
だがスノウリアは、こ指摘せず乗っかるべきだとの判断を下す。
「若、盗み聞きだなんて、趣味が悪いですよぉ?」
「仕方ないではないかっ。用があるというのに、あれではどうやって入ればよいのだ!? 時を待たねば無理であろうが!」
「心の準備はまだ終わっていないのですかぁ?」
「そんなもの朝で使い果たしたわ!」
情けなく叫ぶデュレインの意見はやはり子供らしくて、苦笑が漏れる。必死にスノウリアから視線を逸らしているのも相変わらずだ。
体調と考えに、なんら変化は見られない。
もうすぐ終わり、とは到底思えなかった。
「それで、用というのはぁ?」
「うむ。新しい殺虫薬について意見を聞きたかったのだ。毒はお主の方が得手としているからな」
主の要請を受け、クラミスは艶かしく溜め息を吐く。そしてスノウリアに頭を下げた。
「では、残念ですが、お茶会はお開きですねぇ」
「アリル様っ、よろしければまたの機会にっ!」
「ええ、機会があれば是非お願いします。楽しみにしていますので」
片付けをするサンドラと別れ、スノウリアはデュレインとクラミスの後ろからたっぷり距離を空けて屋敷に戻った。
明るい希望に期待をしながら。新たな不安に苛まれながら。
スノウリアは非常に複雑な気分で、客室でもくつろげはしなかた。輝かしい可能性、不穏な予感。二つが均衡を保っていたからだ。
しかしその天秤は、空が宵闇に覆われ始めた頃、片方に大きく傾いてしまった。
原因となったのは、一つの報告。
「すみません、アリル様。今夜の食事は遅くなります」
客室を訪れた婆やはそれだけ言い残すと、速やかに去っていった。
表面だけはなんて事のない、しかし雰囲気はいやに物々しい報告である。
なにやら胸騒ぎ。スノウリアは不安を感じて跡をついていく事にした。婆やはそれを確認しても何も言わなかったので、許可されたのだと受け取った。
「坊ちゃま」
デュレインの下に着いた婆やはノックもせずに室内に入って告げた。
慌てた様子。火急の報せ。
デュレインもまた、異常を察して表情を引き締める。
「……どうしたのだ?」
「それが、この時間になってもスタンダーがまだ帰っていません」
スノウリアは息を呑んだ。
責任を感じて。追手ではないかと疑って。
一方のデュレインはうつ向いて、握った拳を震わせている。生屍を心配し、不安になっているのだ。
かと思いきや、彼は呪いめいた低い囁きを発していた。
「ややこしい……ああ、ややこしい……なにもこんな時に……おのれっ、あの面倒な迷子がぁっ!」
そして顔を上げると、大きく甲高く、苛立ちを解き放つように叫んだのだった。
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