第8話 揺れる馬車道
スノウリアが冥界の森に来てから三日目。
まだ低い日差しが木々に遮られる為に暗く寒い、この場所ではいつも通りの朝。屋敷の裏手に建つ小屋の前に、三つの大小異なる影があった。
「おおぉ……グロン、セディ。今日も愛らしいな。存分に手入れしてやろう。なに、気にするでない。自分の味方は最早お主らだけなのだ」
デュレインは相手に寄り添って話しかけながら、優しい手つきで撫でていた。その表情は非常に穏やかで、木々に切り取られた今朝の空のように晴れやか。いつかの慌てぶりを披露した彼とは別人のようだった。
ちなみにグロンとは垂れた耳と黒白茶色の毛が特長の
それぞれ猟犬と馬である。
今朝もまた婆や達の手により強引にスノウリアと朝食を共にさせられ、まだ心の準備が不完全だったデュレインは酷く人間(の生屍)不信に陥っていた。その為、動物(の生屍)にすがるしかなかったのだ。
その哀れな姿には同情の念を禁じ得ない。
「……あの、婆やさん。デュレイン殿はあれでよいのですか?」
「はい。今はそっとしておいてあげましょう。苦労続きの坊ちゃまには癒しが必要なのです。まあ、普通ならばそんなもの不必要な程度の苦労ですが」
スノウリアと婆やは近付き過ぎず離れ過ぎず、影からこっそりと見守っていた。
食堂から飛び出していった様子を見て心配になりあとをつけてきたのだ。クラミスに望まれた上に自分から「仲良くして下さい」と言った事もあって、意識していたという心情もあった。
デュレインもそれは同じ思いなのか、今朝は限界寸前まで頑張っていたように思える。ただ実力と経験と根性とその他諸々がついていなかっただけだ。
とはいえ、彼女が何をしても悪化しそうであり、婆やの言う通りそっとしておくしかなかった。
その婆やも目を離す訳にはいかないと同行してきた。
厳しい言い草だが、見守っているのはやり過ぎたと反省しているからだろうか。生屍の固い表情では読み取れない。この老練な人物なら生きていたとしても読み取り難かっただろうが。
二人の目線の先で、デュレインはブラシを手に取り上機嫌で世話をしていく。表情も手つきも優しく、本当に動物達を思っている事が窺えた。
しかし世は無情。
盛大にガブリ。彼はセディに頭を噛まれ、「おのれ、お主もかああっ!」と叫ぶ羽目になった。執拗に撫で回されるのが余程鬱陶しかったのか。
哀れ。彼に優しい味方は少ない。
「もうよい! グロン、お主だけが頼りだ!」
デュレインは涙目で捨て台詞を吐き、猟犬を連れて走り去っていく。何度も足をもつれさせながら。
その後ろ姿は、哀愁とも呼べない残念な居た堪れなさを醸し出していた。
あまりにも寂しげな背中。スノウリアとしては放置するのは忍びなかった。かといって追いかけたところで、かけるべき言葉が見つからない。己の無力さを恥じるばかりだ。
だが、婆やの方は何事もなかったかのように淡白な態度だった。
「さて、セディが空きましたね。よろしければアリル様も付き合いませんか?」
「……ええと……あの、何の話でしょうか?」
「お買い物ですよ。外の方と接触しますから、貴女様の事情についての情報も手に入るかと」
「……ええ。確かに待つばかりでは解決しません。私も同行しましょう」
居心地の良さで実感は薄れてきているが、かつての王女は現在逃亡中の身。無力さに立ち尽くしていていい身分ではないのだ。それよりは、行動を。
スノウリアが承諾すると、婆やは準備をすると言い残し素早く去っていった。
となれば、一人手持無沙汰になってしまうスノウリア。
自然と無意識に、視線は先程騒がしかった場所に向く。丁度いい機会だと、興味のあった馬小屋に近付いた。
恐る恐る、ゆっくりと手を伸ばしてセディに触れる。主の時とは違い、撫でても平然と受け入れてくれた。
たてがみは少し固いが、手触りは悪くない。
だがその下、皮膚は冷たい。瞳に光が無い。鼻息も、特有の匂いもない。
れっきとした死体なのだ。
それでも、生屍達に慣れた今となっては親しみも持てる。安心出来る存在だ。この屋敷の、温かい家族の一員なのだから間違いない。
だからスノウリアは口を出す。良好な関係を願う、部外者からのお節介として。
「……もう少し、優しくしてあげて下さいね。貴方達の主はまだまだ子供なのですから」
その言葉が通じたように、生屍の馬は高く長くいなないたのだった。
「アリル様、乗り心地はどうです? あまり揺れるようなら速度落としますけども」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
角灯の灯りが闇を照らし、馬蹄と車輪の立てる音が静寂を払う。常冬の森の道を、セディが引く馬車が走っていた。
御者はスタンダー。その隣に婆やが座り、スノウリアは荷台で枠に掴まる。正直乗り心地は良くないのだが、幽閉以来の苦難続きで耐性がついてしまった。
後ろには樽や麻袋などの荷物が積まれている。数日に一度の大きな買い物、というより取引を行うらしい。
スタンダーの呼びかけを機に、スノウリアは前に座る生屍達へ会話を求める。
「それにしても……森の外とも交流があったのですね」
「はい。流石に菜園と狩りだけで生活は無理ですので。どうしても外からの物資が必要なのです」
「ええ、意外でしたが考えれば分かる話でした。しかし、貴女方は森を出ても大丈夫なのですか?」
「いいえ、森は出ませんよ。町との中間辺りが取引場所ですね」
「……という事は、相手は生屍への理解がある方なのですか」
「はい。その通りです。少々込み入った事情はあるのですが」
「あははは。アリル様には説明いらずですね」
婆やはスラスラと返答してくれ、スタンダーは笑い声をあげる。淀まずに流れる会話に寒さの影響は微塵も無い。
だから馬車の揺れも、スノウリアには大して気にはならなかった。
話し声を供に進んでいくと、やがて道の真ん中に停まる馬車が見えてきた。傍には厚着の取引相手、恰幅の良い中年男性が震えながら待つ。
婆やは完全に止まる前に馬車から飛び下り、丁寧に頭を下げた。
「失礼、寒い中お待たせして申し訳ありません」
「いやいや、私が早かったのです。信用を守るのは商人として当然の事ですから」
「そう言って頂けて助かります……では、今日も宜しくお願いします」
「こちらこそ」
取引自体は何の問題も無く、速やかに終わった。
あちらからは小麦粉や調味料といった森では手に入らない品々を受け取り、こちらからはデュレインとクラミスが作った薬や狩った動物の毛皮などを差し出す。
こちらの馬車へ運び込むのは婆やとスタンダーが担当した為、スノウリアは商人に見られていない。買った量が多くて行きの時より狭くなった荷台で、ただじっとしていた。
「御曹司は、お変わりありませんか」
作業が完了すると、そう男性は尋ねてきた。世間話というには深刻な顔をして。
「はい。むしろここのところは元気に騒いでおりますよ。懐かしい日々を思い出させてくれます」
「あはは。確かに違いないですね。最近は旦那様に憧れて頑張っていた頃みたいです」
婆や達から近況を聞くと、男性の顔が綻んだ。
心から安心した、嬉しそうな様子である。御曹司という呼称といい、彼にとってもデュレインは特別な存在らしい。
その機嫌の良くなった男性へ、婆やが切り出す。
「前回話題になった王都の騒動はどうなりましたか? この付近にも影響も出ていないか心配なのですが」
途端に商人は浮かない顔となる。
困った様子で口を開閉して頭をかき、それでも彼はとつとつと話してくれた。
「それが……妙な事になっているんです。前は一部の貴族が謀反を起こしたという話だけだったのですが、最近では実は首謀者は王妃様だったとか、呪いの子だった王女様が引き起こしたとか。荒唐無稽な話もあり、どれが真実でどれが噂か分からなくなってまして……正直なにがなにやらで……」
「……成る程……」
小さく呟きを漏らし、婆やとスタンダーが目配せ。明らかに戸惑い、考え込む様子が見受けられた。
だが、ひとまず今出来る事は無い。
話を切り上げ、世話になった商人に婆やが丁重に頭を下げた。
「ありがとうございました。次回の取引も宜しくお願い致します」
「はい、こちらこそ」
馬車が揺れる。
石を踏み、窪みを乗り越えて。不規則かつ不安定に跳ね、スノウリアを揺らす。
取引からの帰り道。彼女は思考に頭を悩ませていた。
世間の噂は興味深い。何者かの意図が感じられ、改めて事の規模を思い知らされた。婆や達も最初から勘づいてはいたが、今は把握出来ていないかもしれない。
しかし、それよりも。
あの商人の態度に、生屍達の言葉の端々に違和感を抱いていた。
勿論世間の噂も気になるが、自身にとっては重要なはずなのだが、それ以上にどうしようもなく心を占めていた。
「あの方……貴女方を全く怖がっていませんでしたね」
「はい。そうですね」
「……それに。あの薬や毛皮の量では、受け取った品物と価値が釣り合いません」
王族だといえ、スノウリアは世間知らずではない。
物の価値は知っている。薬の効能は作製した本人から聞いている。それらと宮廷魔術師から教わった知識を合わせると、辻褄が合わなかった。
先程は等価値の取引ではなかったのだ。
問題は、その理由。
商人の態度からすると、死霊術師と生屍を恐れて渋々不利益を被っているのではない。かといって純粋な善意や厚意でもない。
彼が表していた感情は――
「あれは……負い目を感じている顔です。感謝か償いか、何にせよ借りを返す為の行動ですね?」
「はい、その通りです。貴女様は聡いお方ですね」
婆やは誤魔化したりせず、あっさりと肯定した。
そして淡々と、事務的に報告するように続ける。
「先程の方だけではありません。あの町の方々には本当に世話になっています。取引した品々は町全体からのものですし、不粋な余所者を入らせないように噂を流してもらってもいます」
「あはは。僕たちは適正な取引でも良いとずっと言い続けてるんですけどね」
「ずっと……? どの程度の期間でしょう」
「十年ぐらいですかね」
スタンダーが乾ききった笑いで締めた。答えを求めたのはスノウリア自身だが、その内容には難しい顔で押し黙る。
十年。長い月日に渡って尾を引く、それほどの、深い負い目。
その正体を想像する。想像してしまう。そしてそれを、確かめずにはいられない。
「もしや……デュレイン殿以外の、貴女方が亡くなった原因に関係が?」
重く、かすれた声。馬車の音にかき消されそうな程の問いかけ。
それに、当の生屍二人は、
「やはり、見込んだ通りの方ですね」
「当たってはないですけど、間違ってもないです。長くなるんで、続きはまた今度にして欲しいんですけど」
内容に反した軽さをもって答えた。生屍である事を踏まえても、表情の変化が薄い。
あらかじめ予期していたような反応。
だとしたら全てが繋がる。買い物への同行を提案したのは、この事を教える為だったのだ。
――私に、何かをさせようとしている。
今までも感じてきた、それが確信になった。
デュレインの、貴重な生者の友人になる事。それよりも、もっと深く重大な何かだ。
ただ――
だとしても、構わなかった。
何故ならスノウリアにはまだ少ない、しかし濃厚な彼らとの記憶があるのだから。
「私は、貴女方が悪人ではないと信じています。知っています。ですから、安心して時を待っていますよ」
「……本当に、見込み以上のお方ですね。では、時が来たら……遠慮なく頼ませて頂きます」
振り返った婆やは固くとも笑みを見せてくれた。厳しさの薄れた、優しいお婆さんの姿だった。スタンダーも明るめに笑い声をあげる。
意味ありげな台詞だろうと期待が嬉しくて、スノウリアもまた微笑んだ。
石を踏み、窪みを乗り越え。不規則に不安定に揺れながら。しかし前へと、馬車は進む。
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