第10話 覚悟の形

「あああっ、スタンダーめ! 普段のせいでややこしいではないか!」


 木々の切れ間から藍色の空が覗く、不気味な森に建つ屋敷の玄関口。

 そこには大声で愚痴るデュレインがいた。頭を乱暴にかきむしる様から見てとれるのは苛立ち。怒りとは違う微妙な感情である。

 ひとしきり不満を叩いた後、彼は息を整えて婆やに問いかけた。


「……それで? そもそもあやつは何故勝手に森へ入ったのだ?」

「狩りのはずです。アリル様の為にと張り切って出ていきました」

「それも持ち帰ってこねば意味が無いであろうに。グロンを連れていくだけ成長はしておるが。全く、悪い癖は死んでも直らんな」


 デュレインと婆やが立ったまま、顔を付き合わせて話し合う。雰囲気は真剣そのもの。

 スタンダー捜索の為の緊急会議が玄関口で行われていた。


 ただこれは身内の問題。デュレイン達の移動にもついてはきたが、事情を把握できていないアリルがおずおずと尋ねてくる。


「……あの、悪い癖とは?」

「……ぬ……あ、ああ、スタンダーはすぐに迷うのだ。他に誰かがおらねば、屋敷にも帰ってこれん。まあ、弓の腕はともかく、狩人には向いておらんのだな。つくづく困った男よ」


 相手の方は見なかったが、デュレインは律儀に答えた。呆れた、しかしそれだけではない情のある声音で。

 世話のかかる問題児について語るように。あるいは婆やが彼について語る時と同じように。そんな形とは裏腹の思いがあるものだった。


 ただし、それはそれとして。

 察しの良いアリルは決して楽観せず、真剣に話を先へ進める。


「しかし……今回はやはり、私を狙った者の仕業、でしょうか」


 ささやくように言った、その表情が沈む。

 責任感。罪悪感。重圧に苛まれている。痩せ細った体が更にか細く見える。

 生屍アンデッドとの交流といい、やはりどうしても他人が気になるらしい。自分の身だけを心配していればいいのに。生者と無理矢理付き合わされる事以上の迷惑などないなのだから。

 こんな事態の最中でもデュレインは心中で呆れ、同時に心配になる。


 そしてその思いは彼一人のものではなかった。

 彼女が勝手に背負う重圧を、婆やが優しく否定する。


「責任を感じる必要はございませんよ、アリル様。ワタクシ共は全て分かった上で受け入れましたから。甘く見たこちら側が悪いのです」

「……そ、そうだ。そもそも、やはりスタンダーは、ただ迷っておるだけかもしれんしな」


 デュレインもまた、どもりながら背中を向けながら続いた。これは言わねばならないと覚悟を持って。

 客人への寛容な許し。

 空気が変わった。楽観的だと、単なる慰めだと、誰もが理解していても、空気だけは。


 だが折角の優しさも、実にあっさりと打ち砕かれる。唐突に響き渡った犬の鳴き声によって。


「グロン!」


 生屍の猟犬が木々の間から飛び込んできたのだ。そしてデュレインが着る外套の裾を噛み、森へ引っ張ろうとする。その勢いは獰猛な獣を連想させた。

 グロンは賢い犬だ。これは重要な意図のある行動である。


「おい、婆や」

「はい。どうやら、的中してしまったようですね」


 死霊術師と生屍は目配せを交わす。

 それから婆やは見た目に見合わない軽快な動きで駆け出し、デュレインは屈んでグロンに合わせ情報を得るべく魔術を行使する。 

 迅速な対応。冷静に的確に、彼らは急いでいた。


 そして残された形のアリルは、ただ立ち尽くすだけをよしとしない人物だった。


「あの、私はどうするべきでしょうか?」


 びくり。

 デュレインの体が跳び跳ね、顔が強張る。婆やという安心感がいなくなり、人見知り状態になってしまったのだ。

 だが、事態が事態。放置は出来ない。彼は目こそ合わさなかったものの、会話に応じた。


「……お、お主はっ、気にせずともよい。……こっ、ここで待っておれ」

「ですが……」

「でではっ。な何が出来るのだ? 囮かっ? ……そんな事を強いる程、自分は恥知らずではないのだが」

「ええ……それは分かりますが……」


 声は尻すぼみになって消えたが、デュレインを真っ直ぐ見て立つ彼女は引き下がらない。重荷を受け入れたような悲壮な佇まい。

 全て任せればいい。それはもっともだ。そう判断している。待つべきだ。そうも理解している。

 それでもじっと待つ事には躊躇してしまうらしい。つくづく面倒な女だった。これはこれで難敵である。

 引き下がらせるには骨が折れる事だろう。


「というより、アリル様がいては坊ちゃまが使い物にならなくなりますので」

「何を言っておるのだそんな事あるまい!」


 と思っていたデュレインだが、いつの間にか戻ってきた婆やの言が簡単に解決してしまった。

 本人は強く反論したが、アリルは納得顔だったのだ。婆やと目で会話し頷き合う姿からは諦めすら見える。

 勿論彼は納得いかない。アリルが引き下がったならいいのだろうが、やはり納得いかない。そんな顔で拗ねていた。


「さ、参りましょう」


 婆やが持ち出してきたのは弓矢、そして棍棒。荒事への備え。二人共武器を携えた立ち姿は隙が無く、様になっている。準備は万端。

 そして最後に、デュレインが振り返らないまま、アリルへと言葉を投げかける。


「……あっ、あ安心しておれ。自分達は、余所者になぞ遅れはとらん。この森を庭とする、死の眷属であるのだからな」

「……ありがとうございます。ご武運を」


 静かな激励を、死霊術師と生屍は駆ける背中で受け取ったのだった。




「ぬ?」


 森の道無き道を駆ける事しばし。デュレインは怪訝そうに声をあげた。

 先導していたグロンが止まり、低く唸り出したのだ。

 威嚇するように一点を凝視している。その見つめる先、一本の木に変わった様子は無い。


「全く見えんが……あそこか」

「はい。音も気配も消しています。かなりの手練れですね」


 相手の力量を察し、二人は緊張感を持って身構える。

 見つけられたのは猟犬が備える嗅覚の賜物だ。


「スタンダーはおらぬが、移動してきたか、二人以上か」

「どちらにせよ、先にあの方の相手をしなければなりませんね」

「うむ。無粋な客人など追い払ってしまえ」


 決断は素早く単純に。

 婆やとグロンが二手に別れ、あえてゆっくりと歩いていく。その後方で、デュレインは弓に矢をつがえた。


 十年の間、スタンダーに習った弓術だ。無論本職の魔術の方が得意ではあるが、決して不得手ではない。

 地面を踏み締め、弓を引き絞る。呼吸を整え、狙いを定める。

 そして放たれた矢は空を切り裂き、あやまたず客人の潜む木の梢に突き刺さった。宣戦布告としては充分。


「……よくぞ我が領域に入ったな愚かしき生者よ。貴様も我が生屍にしてくれるわ」

「……ア……アアア……」


 低く、しわがれ、しかしよく通るおぞましい声が冥界の森の死霊術師と生屍を演出する。

 演技であった。

 アリルの事を悟られぬよう、あくまで噂通りの死霊術師として振る舞う。帰って上の者に報告してもらう為だ。

 それにしても婆やの喋りは、あまりにはまりすぎていた。デュレインですら寒気を覚える程度に。


 その婆やが、棍棒を打ち込むべく木々を回り込む。相手の出方を窺いはせず、凶暴な化け物を装っての突撃をかけたのだ。

 すると木の影から、短剣の投擲。鋭いそれを生屍は器用に棍棒を使って叩き落とす。彼女にとってこの程度の技は容易い。

 とはいえそれは牽制。この時間を使い、遠ざかっていく後ろ姿が見えた。


 迷いの無い撤退。

 デュレイン達の望む展開ではある。だが。


「逃がすでないぞ。あやつには罪を思い知らせねばならん」

「ア……アア……ッ!」


 追撃の嘘。不審を与えないよう、徹底的に演技を貫く。

 二射三射と矢が放たれ、棍棒が後を追う。決して手は緩めない。


 が、そこに、グロンのけたたましい鳴き声が待ったをかけた。しかもそれは悪寒を呼び起こす、警告の響き。


「退け!」


 デュレインが叫び、婆やが足を止めた直後。

 風がごうと唸った。樹上より落ちてきた斧が、地面に深い痕を残す。

 注意して目を凝らせば、木や下草に隠して様々な異物が仕掛けられていた。

 危険な罠。しかも魔術仕込みのものだ。撤退を達成する為の万全の備えだった。


 既に姿は見えず、足音も聞こえない。既に遠くへ去ったと、グロンも保障してくれた。逃げ足が速く、恐ろしく手際が良い。

 まさしく専門家の仕事。引き際を見極めてくれて助かった。

 デュレインは安堵し、力の抜けた深い溜め息を吐く。


「……さて、こちらはもう大丈夫だな。では、スタンダーだな」

「はい。迷子を迎えに行きましょう」


 演技を止めた婆やも頷いて同意。いよいよ本題。

 まずは罠だらけの前方から進路を変えた。余計な事で迷う暇は、今は無い。




 グロンが先導し、問題のスタンダーを探す。木々の間を抜け、強引に突き進む。

 デュレインの立てる、慣れているはずの森で何度も踏み外す足音と荒い息遣いが静かな森を騒がせていた。

 招かれざる客人の危険度を目の当たりにし、焦りがあったのだ。内面が表に出づらい生屍も、普段より更に固い顔によりその焦燥が表現されている。


 だから発見の喜びと、そこから落ちる振れ幅は非常に大きい。

 木にもたれかかる彼を目にした瞬間、デュレインは大口を開けて叫んだ。


「スタンダーッ!」

「あはは……すいません。怪しいのは追い払ったんですけど、少しやらかしちゃいました」


 頭に手を乗せ、なんでもないように謝るスタンダー。

 防寒着のところどころが破れ、肌が裂け、足に至っては片方がちぎれている。酷く傷ついた姿だ。

 しかし出血はなく、乾いた笑みはこれまで通りと変わらない。生屍故の奇怪な状態。これでも命に別状は無いのである。


 しかし、それを一番理解しているはずの死霊術師は平静を失っていた。

 歪んだ表情も落ち着かない仕草も、完全に恐慌状態のそれ。

 そんな中、慌てるせいか危なっかしい手つきで懐から小袋を取り出す。中身は獣の骨や血肉、多様な薬草、それらの粉末。魔術触媒であった。


「今、治してやるからな!」


 触媒を用い、魔術を行使。

 するとちぎれた足が再び一つになり、身体中の傷も塞がっていく。死霊術による奇跡。スタンダーは瞬く間に元通りの姿へと戻る。

 それを見たデュレインは嬉しそうな顔で、心からの実に嬉しそうな顔で笑ったのだ。当のスタンダーと婆やが苦々しい顔をするのとは反対に。


「よかっ……た……」


 そして、スタンダーと入れ替わるように、その場へと倒れ伏したのだ。

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