第11話 屍は未来を祈る

 すっかり夜となった森を窓明かりで照らす、立派な屋敷の前。

 デュレイン達の出発からずっと、スノウリアはこの場に留まり一行を待っていた。途中でサンドラやクラミスが来て中に入るよう勧めたが、それでも固辞して。一行が戻ってきた時の準備がある彼女らとは違い、こうする事でしか敬意を示せなかったからだ。


「……っ…………ありがとう、ございました」


 そして時が経ち。婆やとスタンダー、そして背負われるグッタリしたデュレインが闇の中から現れた、次の瞬間。

 彼女は反射的に言いかけた謝罪を呑み込み、代わりの言葉と共に丁寧に頭を下げていた。生屍アンデッド達からは見えないだろうが、その顔は感情を塞き止めるようにきつく唇を結んでいる。


 とはいえその様子を見て内面を察したか、婆やは優しく落ち着いた声音で気遣う。


「……顔をお上げ下さい。そう心配する必要はありませんので」

「そうですそうです。一晩寝ればまた元気になるはずですよ」

「はい……」


 二人にそう言われても、スノウリアは顔を上げない。不安と後悔の表情を、そんな顔がしたくても出来ない彼らに見せる訳にはいかなかったから。




「やはり、追手でしたか……」


 婆やから事の顛末を聞いたスノウリアは真顔で思案げに囁いた。今は事態の把握が優先だと決め、胸中は綺麗に包んで表へ出さずに。


 そこはデュレインの寝室。彼が眠る寝台の真横に置かれた椅子に、彼女は座っていた。

 婆やはその前に立ち、スタンダーは隅で弓の手入れ、クラミスは薬の調合、サンドラはその手伝い、グロンは寝台の足元に行儀よく伏せる。馬のセディ以外の生屍が集まっている。

 緊迫した空気が、冷気と相まって肌を刺すようだった。


 婆やは直立したまま、報告に自らの見解を補足する。


「ええ。それもなかなかの手練れでした。ですが引き際からすると判明した居場所から貴女様を連れ出す為……ではなく、捜索の一環として候補を探った程度でしょう」

「……そう、ですか。では、切迫した事態という訳ではないのですね」


 確認したそれは、今現在正しい事実であっても時間の問題だろう。単なる気休めである。

 心中に満ちるのは不安。

 ただし我が身可愛さではない。自身よりデュレインの方が気にかかる。今後も彼らには危険が降りかかるはず。道連れは望まないのだ。


 だが、だからこそ。

 この場面でスノウリアは、手強い老生屍へ切り込む。


「主がこのような目に逢いましたが……貴女方としては、どんなに危険だろうと構わないのですよね?」

「はい。ワタクシ共としては貴女様を離す訳にはまいりません。なんとしても残って頂きます」


 はっきり言葉として語られた、婆やの意思。口調も雰囲気も強い覚悟を感じさせる。彼女以外の生屍もまた、無言で同意を示していた。


 スノウリアは唾を飲み込む。他人の事情へ深く踏み込む決意をし、そして口を開く。

 今まではぐらかされてきた、彼女らの真意を問いただす、潮時だった。


「……それが、私を匿った理由という事でしょうか? 危険を冒してでも得たい、それだけの価値が私にあると?」

「はい、そう受け取って頂いて構いません」


 改めて一同を見回す。

 生屍全員が手を止めて、神妙な面持ちで見つめ返していた。期待、愛情、固くはあっても人間らしい感情が顔に浮かぶ。


「まず、事の始めからお話ししましょう」


 そして婆やは語り出した。


「元々この屋敷には、古くから死霊術師の一族――坊ちゃまの先祖が住んでおりました。治療、魔除け、弔い。この辺境の地における仕事を一手に引き受ける、貴重な魔術師です。故に地域からの信頼を集め、地方の有力者としての地位を築いていました。この屋敷も、昔はより多くの人間が暮らしていたのです」


 丁寧で静かで、自然と話に引き込まれる語り口。


「それがこの状態になったのは十年前。原因はここ一帯を襲い多数の死者を出した、疫病です」


 重い響きが寒い室内を更に冷やす。

 十年前の疫病。スノウリアは城で聞かされた事を思い出した。かつて王国の北方を襲った未曾有の災害があったのだと。


「助けを乞われた先代と奥様は、全身全霊を捧げて周辺住民の治療に尽くしました。当然ワタクシ共も、当時の使用人全員が一丸となってお手伝いを」


 病魔を相手に多くの命を救った魔術師の、それは英雄譚。

 ただし、結末は分かってしまっている。


「ですが、前代未聞の大規模な疫病。人手も薬の材料も体力も……全てが足りませんでした。しかもより多くの命を、と治療を優先。先代と奥様、ワタクシ共もまた過労や二次感染により、全員が命を落としました……屋敷に残していた坊ちゃまを残して」


 優しく、気高く、他人思いで、それ故に英雄は終わりを迎えた。

 そして悲劇は尚も続く。


「ワタクシ共四人は幼い坊ちゃまを世話する為にと、先代の手によって生屍となりました。子供一人には重過ぎる事実でしたから。……ただ、初めはここまで永らえるつもりはなく、坊ちゃまの傷が癒える間だけの予定でした」


 ずっと平坦だった声と表情が、僅かながら揺れた。混ざるのは後悔の念だ。


「しかし先代もワタクシ共も読み違えていました。坊ちゃまはまだ子供だったのです。無意識に刷り込まれたのか……御両親を連れていった町の人間を――生者を恐れるようになっており、外部との接触、その一切を拒絶したのです」


 スノウリアが生者だと知った際の過剰反応は、心に深く根を張る精神的な傷痕のせい。


「そして坊ちゃまは独学で死霊術を修め……先代の魔力が尽きれば終わるはずだったワタクシ共の新たな主となり、グロンとセディも生屍として甦らせ、長持ちさせる冷却魔術も施しました。生者を捨て、生屍との生活を選んだのです。初めは時間が傷を癒してくれると思っていましたが、これでは癒えるはずがありません。坊ちゃまの心は子供のままです。死んでいるも同然なのです」


 失礼で物騒だが、的を射た表現。若い死霊術師は、生屍同様に時が止まっていた。


「そして、その選択は今になって悪影響を及ぼします」


 寝台のデュレインに、婆やは労りの視線を送る。


「……これは魔力の過剰使用により体に負担がかかった状態。スタンダーの損傷を修復した結果です」


 あえて淡々と。単純作業の手順でも説明するように。

 ずっと見守ってきた彼女はデュレインの現状を告げる。


「普段から六の生屍と冷気の魔術を維持している坊ちゃまは、余計な負荷がかかる度に限度を超え、こうして寝込んでしまうのです。そしてそんな事を続けていれば体にガタがくるのは必然」


 ここまで来たら人体や魔術など専門外のスノウリアにも分かってしまう。

 彼に待ち受けるのは、最悪の未来。 


「そう遠くない内に……ワタクシ共もろともただの屍となるでしょう」


 家族を失い、生屍にすがり、最後に自分すら。


 スノウリアは反射的に寝台で眠るデュレインに顔を向ける。そう年齢の変わらない少年の寝顔は、運命に反して安らかだ。

 似た境遇だった。あるいはスノウリアよりも過酷な人生だった。悲劇などこの世界には何処に転がっているのだ。

 無意識の内に唇をきつく閉じ、拳をぎゅっと握る。


「……アリル様は疑問に思いませんでしたかぁ? 本来寒さなど関係の無い私達が、何故防寒着を着ているのかぁ」


 婆やと代わり、問いかけてきたのは自然体のクラミスだった。

 それにスノウリアは沈黙をもって返事とした。

 今までは大して気にしていなかったのだ。あまりに自然に溶け込んでいて、そういうものだと思っていたのかもしれない。

 無言の促しに、今度は笑みを消したスタンダーが回答する。


「若様は『見てるこちらが寒い』なんて言ってましたけど、本音は違うんです。僕達生屍を、あくまで人間扱いしてるからなんですね」

「わたし達の死を認めたくない……というより、認めたら心が耐えられない……そういう事なんだと思います……」


 最後に元気の無いサンドラが締め括った。

 命を度外視した、歪みすら窺える家族への思い。言外のそれを察する理解者達。


 そのある種一心同体の共同体に、必要とされる意味。その重みに呑まれかけていたスノウリアは、すっかり乾いていた口を恐々と開く。


「……つまり、貴女方が私に望む事とは……デュレイン殿にこの生活を止めさせて森から連れ出す事、ですね」

「はい。ワタクシ共を単なる死体に戻すと決意させる事です」


 あえて避けていた内容を、婆やは直接的な表現で言い直した。現実が剣の切っ先のように突き付けられる。

 生屍は生屍。

 例えデュレインが考えを変えずとも、彼女らの死は変わらないのだ。既に大切な存在を失っている事実は。


「ワタクシ共はずっと、幼いからと過保護に甘やかし続け、苦痛を遠ざけ過ぎて、気づけば手遅れになってしまいました。ですから今を生きる誰かを望み、強引に匿ったのです。重大な理由があるのでしょうが、ここへ来たのが貴女のような女性で助かりました」

「その……やはり、私がデュレイン殿にとって貴女方より大事な存在になる事は難しいのでは……? クラミスさんやサンドラさんは恋仲にしようとする節がありましたが」

「それも手段の一つですが、坊ちゃまが生きて下さるならばどんな理由だろうと構いません。恋慕でも、友情でも、忠誠でも、憎悪でも」


 全員が強い緊張感を持った真剣な雰囲気で頷く。

 本気だった。仮初の命への未練無く、デュレインの未来だけを望んでいる。形にこだわらず、過酷な人生すら候補に入れて。

 言語に絶する覚悟に気圧される。

 それもそのはず。人一人の命がかかった問題だ。生半可な決意では応えられない。


 ならばスノウリアはどうなのか。

 立場を追われ、命を狙われるこの状況。本来なら自分自身の問題で精一杯だ。そうなるはず、だが――


 思い起こされるのは、彼らとの記憶。


 温かい食事。優しい言葉。柔らかい思い。強い笑顔。久しい涙。

 この数日間は、彼らは、スノウリアに何を与えてくれたのだろうか。


「私、は……?」


 礼儀の為に、恩の為に。真剣に、ひたむきに。彼女は己の心と、正面から向き合う。

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