概要
人斬り半次郎の、「人斬り」とは――
【あらすじ】
薩摩藩の軍事指導を担う赤松小三郎は、信州松平上田藩を出て、広く長崎に江戸にと学び、最終的には英国将校から、英語と兵学を学び、ついには英国歩兵練法を完訳するに至った俊才である。
薩摩藩士・野津道貫の依頼を受け、薩摩藩の京都藩邸において塾を開き、中村半次郎をはじめとする薩摩藩の子弟に、兵学を教え、練兵し、薩摩藩の軍事運用面を徹底的に英式へと転換を図った。
さらに、議会政治の可能性を模索し、越前の松平春嶽に建白書を提出し、また、薩長が武力倒幕を目指しているのを知り、幕府と薩摩の融和を求めて奔走していた。
しかし一方で、その赤松の才を買って、幕府からは招聘され、故郷・上田藩からは帰国を促され、小三郎は進退窮まり、ついに懇望もだしがたく、帰郷を選ぶ。
慶応三年九月三日夕刻――帰郷を目前に
薩摩藩の軍事指導を担う赤松小三郎は、信州松平上田藩を出て、広く長崎に江戸にと学び、最終的には英国将校から、英語と兵学を学び、ついには英国歩兵練法を完訳するに至った俊才である。
薩摩藩士・野津道貫の依頼を受け、薩摩藩の京都藩邸において塾を開き、中村半次郎をはじめとする薩摩藩の子弟に、兵学を教え、練兵し、薩摩藩の軍事運用面を徹底的に英式へと転換を図った。
さらに、議会政治の可能性を模索し、越前の松平春嶽に建白書を提出し、また、薩長が武力倒幕を目指しているのを知り、幕府と薩摩の融和を求めて奔走していた。
しかし一方で、その赤松の才を買って、幕府からは招聘され、故郷・上田藩からは帰国を促され、小三郎は進退窮まり、ついに懇望もだしがたく、帰郷を選ぶ。
慶応三年九月三日夕刻――帰郷を目前に
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★★ Excellent!!!敬愛する人物の命を絶った茜色の……
赤松小三郎という、傑物ですが歴史にはあまり大きく名を残していない人物。
正直私も赤松と同じ県で生まれ育ちましたが、作者の四谷軒様の作品を読むまでは存じておりませんでした。
この暗殺事件の下手人ははっきりしているのです。
なにせ下手人自身の手記が後年発見されたのですから。
中村半次郎自身が書き残しているのです。
ただ、この暗殺事件の全貌というのはまったくわかっていないのです。
その当時の情勢からこうであったのであろうという推論はされていますが、一体この暗殺をどこまでの人間が知り得て、誰が命令を下したのか全ては謎に包まれています。
作者の四谷軒様は、この謎に包まれた暗殺事件を、当時の世情を…続きを読む