茜色した思い出へ ~半次郎の、人斬り~

四谷軒

01 兵学者、赤松小三郎

 赤松小三郎は、信州上田藩の出身で、長崎海軍伝習所で勝海舟の門下として学び、やがて江戸に出て、そこで英国軍人アプリンの知遇を得て、そして英国陸軍の兵学、それに伴って英語を学んだ。

 そこを、江戸に出て洋式兵学を学ばんとしていた薩摩藩士・野津道貫と知り合い、野津から師事の懇望を受けた。

 赤松は当時最高、最新であった英国兵学の研究を修め、それをあまねく諸国の士に広めんとする志を抱き、野津と共に上洛し、京に私塾を開いた。

 その私塾には、薩摩藩士だけでなく、長州や諸藩、果ては新撰組の隊士まで通うほどの盛況を見せた。


「諸君。僕の塾では、ノーサイドだ」


 だが赤松の人柄によるものか、出自が人それぞれの私塾ではあったが、少なくとも塾内では深刻な争いは生じなかった。

 むろん喧嘩はあった。

 仲間内でも生じる程度のは、当時のこの私塾に足しげく通い、赤松の一番弟子を自任する、この男が間に入り、大喧嘩になることは無かった。


「おはんら、ええ加減にせい。ノーサイドじゃ!」


「中村!」


「……半次郎か」


 喧嘩をしていた二人は、思わず手を止める。

 薩摩藩士・中村半次郎は、かねてから神戸海軍伝習所に通うことを切望していたが、それがかなわず意気消沈していたところを、野津から赤松の私塾のことを聞き、勇んで通い出していた。

 赤松の話す英語、そして英国流の軍事学は、半次郎にとって何もかも新鮮で、喜びであり、共に学ぶ塾生は、みんな仲間だった。

 だから、そんな仲間たちが小競り合いをするのなら、見逃せないし、何より、


「先生の話ィ、聞こえんじゃろが! おはんら、斬るぞ!」


 そう言って、手と指で刀を構える真似をする。


「ぷっ」


「分かったよ。しゃーねーな」


 それが何とも言えず剽軽ひょうきんで、塾生らは喧嘩をやめるのであった。



「……中村君、いつもご苦労様。Thank you」


は……」


 赤松が半次郎を労いつつも、英語で話しかけ、勉強の成果を試そうとする。

 聞かれた半次郎は、頭を掻きながら、うんうん唸って、ついに答えをひり出した。


「そうじゃ! You are welcome!」


「うん、よくできたね、中村君」


 他の塾生なら、勘弁して下さいと逃げるところであるが、半次郎はむしろ、赤松が塾代以上に教えてくれていると感謝し、それに応えるのであった。


「ところで中村君」


ないですか、先生」


「僕はこれから越前侯に面会を申し込みに行くから、塾はめる。薩摩の皆には、今日は行けないと、伝えといてくれたまえ」


うけたまわりました」


 慶応三年。

 幕府はその勢威を大いに弱め、後世で言う薩長土肥の勢力が伸長していく時代である。

 赤松は京において私塾を開いたあと、評判を聞きつけた島津久光と、かねてから師事されていた野津道貫から、薩摩藩においてその洋式兵学を教え、かつ、薩摩藩兵の調練の依頼を受けた。

 赤松としては、その学んできた成果を実地で試す良い機会であり、一も二もなく引き受けた。薩英戦争で、英国のやり方の強さを身に沁みていた薩摩藩士たちは良き生徒であり、良き兵士であった。

 赤松は自分の学んできたことは無駄ではなく、今や一藩を、そして世を動かすほどの力を持つのだと実感した。

 実感したら、行動するのは早かった。


「この国――特に幕府は、変革を志すべきである」


 洋式兵学を学び、そして西洋思想もまた吸収していた赤松は、この国において洋式の兵制だけでなく、洋式の政治体制もまた、いていくべきであるという確信を抱いていた。

 すなわち、西洋風の議会体制。

 議会を元に、今日でいう、内閣を。

 それはあたかも同時代を生きる、坂本龍馬という男と、軌を一にしていた。


 そんなことを知ってか知らずか、赤松は動く。

 まず、己の所属する上田藩。

 そして、その上田藩を通じて、幕府へと、建白書をしたためた。

 成算はあった。

 上田藩は、その兵制を改革したのが自分であるからだ。

 また、幕府。

 この越前候――松平春嶽という、幕府の枢要に居る人物を口説くことが出来れば。


「そうすれば――幕薩一和が成せる」


「先生?」


 幕薩一和とは、赤松が使っていた言葉で、当時、緊迫感を高めていた幕府と薩摩を和合させ、もってこの国に平和をもたらそうとする、赤松の心意気が表れていた。


「すまん、こっちのことさ。では頼んだよ」


「あ、先生」


「何だい?」


「あまり遅くなるようでしたら、迎えに行きましょうか」


「いや、いいよ」


 赤松は懐にある短銃をのぞかせた。


「もし、賊が来たら短銃こいつで何とかするさ」


 いかにも洋式兵学の徒らしい、言い様だった。

 

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