第五 両方与力領状、勢揃、梟自称、両方官位姓名着到事

其之一

第五 両方与力よりき領状りょうじょう勢揃せいぞろえ、梟自称、両方官位姓名着到事


 その間にも正素まさもと文使ふみづかいは軍勢催促の廻文めぐらしぶみを携えて諸方に翩々へんぺん触れて飛ぶ。

 先ずは一門、【高島万木ゆるぎの森殿】(※一)には近江湖水のみぎわにて求食あさるところの鷺をば悉皆ふつくあどもい上洛すべしと触れ、当国山城につきても鴨川、白川申すに及ばず、大堰おおい川、桂川、竹田川、鳥羽、富森に宇治洲崎すざきの諸方、木津こづ川、芋洗等々、大方の川は鷺の知行ちぎょうの如くにて、淙々そうそうたる淀川の水流つるには洩らさず触れ下る。

 水無瀬わたりを打ち過ぎて、鵜殿、高浜、【禁野きんやや】(※二)、江口、森口、吹田すいた河浜ほとりに到りては「【難波潟なにわがた】の(※三)面々は一羽ひとりとして上洛あるべからず。【生田いくた森烏衛門尉もりうえもんのじょう】が(※四)多勢にて攻め上らんとするに飛馳はせて迎えち、足止めして京方みやこがた扶翼ささえを担われたし」と触れるのであった。

 森と林は鴉と鷺の知行相半ばする地なれども、支証を古歌ふるうたに引けば、松原はおよ正素まさもと一円不輸いちえんふゆの領知であろう故、先ず【佐野の松原、ひなの松原、昆陽こやの松原、和歌の松原、つのの松原、御津みつの松原、あられの松原、生の松原、これらは『八雲八雲御抄』に見出される地】(※五)であって、そのほかにも諸国に松原多しと云えど、差し当たっては畿内近国の松原に廻文めぐらしぶみは飛んで行く。

 これに応ずる御味方のともがらには、先ず【和歌の浦の寄浪よせなみに心寄する葦辺あしべたづ(※六)こと鶴紀伊守ツルきいのかみ、【鵠越後守クグイえちごのかみ(※七)菱喰大炊助ヒシクイおおいのすけ鴈金大納言カリガネだいなごん、鴨の一類につきても、真鴨マガモ黒鴨クロガモ田鴨タガモ鈴鴨スズガモ山鴨ヤマガモが同心、他にも【紫鴛シエン白鴎ハクオウ赤頭アカガシラ(※八)、【あをすひ】(※九)、【黒鳥コクチョウ】、(※十)ニオ、【さきまろ】、(※十一)シギの一類何々ぞ、田鴫タシギ海鴫ウミシギ羽斑鴫ハマダラシギ、なれど山棲む山鴫ヤマシギは鴉の方に寝返るか、沈鳧タカベ、【味村アジムラ】、(※十二)鸊鷉カイツブリ】、(※十三)チドリ鶺鴒セキレイ河翡翠カワショウビン、【稲負鳥左馬允イナオウセさまのじょう】、(※十四)ウヅラ雲雀ヒバリウソ獦子鳥アトリ、【社日しゃじついそツバクラメ】、(※十五)太山燕ミヤマツバメ石燕イシツバメ、その名も高き都鳥ミヤコドリ、歌に心を懸くるばかりで弓箭いくさの道はさて如何いかならんウグイス少将殿始め、イスカ連雀レンジャク尾長鳥オナガドリヒワ額鳥ヌカ猿子マシコ四十柄シジュウカラ虫喰ジュウイチ、加えて松毟マツムシリ目白メジロ大雪加センニュウ、【菊戴キクイタダキ】、(※十六)鷦鷯サザイ風情の鳥共ものどもは、取りに足りなき合力よ、スズメの一族誰々は、河原雀カワラスズメ川雀カワスズメ入内雀ニュウナイスズメ薮雀ヤブスズメ、僅かにこの勢ばかりとぞ。

 また【大伴おおとも喚子鳥ヨブコドリ】、(※十七)猪名野いなの息長鳥シナガドリ】の(※十八)もとにさえ、文使ふみのつかいは飛び到る。喚子鳥ヨブコドリには「【遠近おちこち活計たづきも知らぬこの山中までも、然る者ありと思し召して】(※十九)御触れにあずか悦喜うれしう存じまするものの、我等は禽獣とりけものとして別々の身、し敵方に四足よつあしやから助勢みつぐと承るときんば、いそぎ馳せ参じましょうぞ」とのいらえあり、息長鳥シナガドリにも「【猪名にはあらねど】(※廿)、我等は同名異体どうみょういたいの身、故に喚子鳥ヨブコドリ同篇ならう」との返報あって、かねて思うた程には及ばぬ寡勢かぜい……。


※ネッケの“Csikós Post (Arr. P. Breiner for Orchestra)”を聴きながら

 https://www.youtube.com/watch?v=UuSdGIgbn3k


【私註】

※一:歌枕。近江国高島郡万木ゆるぎ(現在の滋賀県高島郡青柳、与呂伎よろき神社の辺りに比定)にあったとされる森。別名「鷺の森」とも呼ばれた。『古今和歌六帖』に「高島やゆるきのもりの鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」(第六・鳥、詠者未詳)と見えるのが早い例で、『枕草子 』第三十九段「鳥は」にも是を引いて「鷺はいと見目も見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、ゆるぎの森に一人は寝じと争ふらむ、をかし」とある。一説には後鳥羽院がこの地を訪れ、諸国から「よろづの木」を集めて植えたことに由来する地名ともされる。

※二:歌枕。河内国交野かたの郡(現在の枚方市・交野市の辺り)の所名。葛葉くずは郷(摂関氏長者うじのちょうじゃに代々伝領される「殿下渡領でんかのわたりりょう」の一つ「楠葉牧くずはのまき」の所在地)、鳥立原とだちがわら等を含み、天川あまのがわの流れる地。「禁野は皇室の御猟場の地。「みや」は「のや」の誤りか」(底本脚注)とされる。『鴉鷺』と同じく二条良基の著とされる『嵯峨野物語』にも「禁野と申は、人を通はせで鳥を多く伏せをきて雑人を禁ぜし程に禁野と申也」 「宇多交野の御野と申すは天皇の御鷹場のゆへなり」などと見える。「禁野きんや」の狩場は「標野しめの」若しくは「御野みの」とも呼ばわれたことから、或いは「御野みや(みの?)」の意と解することも出来ようか。

※三:歌枕。難波江。旧淀川河口付近の海の古称。入江が深く入り組んで潟湖せきことなり、芦が繁茂していたとされる。著名な歌に「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢、新古今 巻一一・恋歌一〇四九、小倉百人一首一九番)があり、「干潟」「芦」は何れも鷺や水鳥を連想させる常套語。

※四:拙私訳の第四「其之二」私註※一を参照。真玄さねはるたのみとする有力な鴉。

※五:順徳天皇撰『八雲御抄』(第五 名所・原)にすべて見え、「佐野の松原」「ひなの松原」は和泉国、「昆陽こやの松原」「つのの松原」「御津みつの松原」「あられの松原」は摂津国、「和歌の松原」は伊勢国に所在したとされ、「生の松原」のみ遠く筑前国に所在(『古事類苑』地部・四十五を参照)。なお博多湾に面したこの「生の松原」は神功皇后による三韓征伐に所縁のある地であり、諏方・住吉両神の活躍した(拙私訳の第五「其之四」にも前出)元寇の際の防塁が残る。

※六:「若浦尒塩満来者滷乎無美葦邊乎指天多頭鳴渡若(和歌)の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺をさして鶴なき渡る」(山部赤人、万葉集 巻六・雑歌九一九)。なお「紀伊守きいのかみ」の官名は「和歌の浦」の所在地である紀伊国に因むか。

※七:「クグイ」は白鳥の古名。「越後守えちごのかみ」の官名は『古事記』『日本書紀』に登場する蘆髪蒲見別王あしかみのかまみわけのみこ(別名は足鏡別王あしかがみわけのみこ日本武尊やまとたけるのみことの子)が、異母兄である仲哀天皇に「越国こしのくに(令制国以前、後の越後国を含む日本海側の地域)」から献上されるはずだった白鳥を奪ったため兄帝に誅殺されたという故事に因むものか。

※八:「紫鴛シエン」は鴛鴦オシドリのことで、雄の羽色に紫色の目立つことによる美称。「白鴎ハクオウ」は白鴎シロカモメのこと。また「赤頭アカガシラ」は葦鴨ヨシガモの雄、或いは緋鳥鴨ひどりがものこととされる。当該部は『本朝文粋』(巻十一 詩序四・草)に載せる源順「秋日遊白河院、同賦秋花逐露開」の「南望則有関路之長 行人征馬駱驛於翠簾之下 東顧亦有林塘之妙 」を踏まえたものか。傍点部は他に『和漢朗詠集』(巻下・山家558)や『平家』(巻第三・少将都帰 )等にも引かれる。後続の「あをすひ」「黒鳥コクチョウ」と併せて色彩も面白い。

※九:「アオクビ(青頸)の誤りか。青頸はマガモ」(底本脚注)。

※十:「クロガモ」(底本脚注)とされるものの、直前に挙げられた「黒鴨クロガモ」と重複する。後考を期する。

※十一:不詳。

※十二:䳑群アジガモの群れ、また一説に巴鴨トモエガモの異名とも云う。

※十三:直前に挙げられた「ニオ」は「鸊鷉カイツブリ」の古名とされており重複する。

※十四:「稲負鳥イナオウセドリ」は古歌に多く詠まれた鳥の名で、「百千鳥モモチドリ」「呼子鳥ヨブコドリ」と合わせて「古今伝授」(『古今集』解釈の秘伝)の「三鳥」の一つ。稲刈りの時期に飛来する秋の渡り鳥とされるものの、具体的に何の鳥を指すのか古来不詳であり、セキレイ、クイナ、スズメ、タマシギ、トキ、バンなどに充てる諸説がある。「「中古にいなおほせ鳥を馬と云説ありし」(竹聞)」(底本脚注)とあり、「左馬允さまのじょう」の官名は是に因むか。

※十五:「社日しゃじつ」は春分と秋分に最も近い、その前後のつちのえの日のこと。中国ではツバメは春の社日しゃじつにきて、秋の社日しゃじつに去るとされた。なお「鴉鷺合戦」の勃発は「烏鵲うじゃく元年九月上旬」とされる(拙私訳の第一「其之一」)。

※十六:直前に挙げられた「松毟マツムシリ」は「菊戴キクイタダキ」の古名とされており重複する。

※十七:古歌に多く詠まれた鳥の名で「百千鳥モモチドリ」「稲負鳥イナオウセドリ」(前掲私註十四)と合わせて「古今伝授」の「三鳥」の一つ。実体は不詳。ヤマバトやツツドリなどの他、猿や鹿など獣類に充てる諸説もある。

※十八:「息長鳥シナガドリ」も「鸊鷉カイツブリ」の古名とされており、前出の「ニオ」などとも重複する。「猪、白鹿など諸説がある」(底本脚注)。

※十九:「遠近のたづきもしらぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな」(詠み人知らず、古今集 巻一・春上二九)。「呼子鳥ヨブコドリ」は「猿」の異称とされ、これを「然る」と掛けたもの。

※廿:「息長鳥シナガドリ」は「ゐな(猪名)」に掛かる枕詞であり、これを「いなというわけではないが」(底本脚注)と掛けたもの。

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〔私訳〕鴉鷺合戦物語 工藤行人 @k-yukito

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