第6話 皇帝を廃立し人事を一新して暗雲を晴らす
漢孝霊帝の中平六年だった年、秋九月一日甲戌(189/09/28)
董卓は百官を連れて崇德前殿に向かい、何太后に新帝劉弁の廃位を告げた。
「皇帝は喪中でありながら、人の子としての心が無い。人の君主としても威儀がよくない。ここに皇帝を廃して弘農王とし、陳留王協を皇帝として立てる」
董卓が発言を終えた。
太傅の袁隗が劉弁に近寄り、皇帝の
何太后はそれを見て嗚咽して泣き、百官は皆、顔を伏せたが、誰も何も言わなかった。
(黙ってみて見ぬふりか。嫌なことは全部わしにさせやがる)
今回の廃立を完遂するためには何皇后が朝議に出席できるままにしておくわけにいかない。
董卓は続いて言った。
「何太后は董太皇太后を脅し、死に至らしめた。姑に対する不孝であり、礼儀に反している。このままにはしておけぬ」
董卓は何太后を永安宮に閉じ込めるよう命じた。
百官が新皇帝に万歳を叫び、劉協が新皇帝となった。
これにより天下に大赦が行われ、改元して永漢とした。
(まぁ、これで賢い皇帝が立ち、何進の部下たちが落ち着いて、天下が安定するならば無駄ではないだろう)
董卓は百官を眺めながらそう思った。
― ― ― ― ―
もちろんそうはいかない。
董卓軍に取り込んだ何進の元部下たちは何太后への憎しみが爆発していた。現皇帝の劉協と何太后とでは直接の血のつながりがない。なので仕返しを遠慮する必要がなくなった。そもそも何進をむざむざ宦官たちに殺させたのは腹違いの何皇后と何苗ではないか。と彼らは思っている。
その怒りのままに何皇后を暗殺し、何苗の墓を暴くように董卓に迫ってきた。
董卓としては今の政権の基盤が彼ら何進の部下であるので、無碍にもできない。
やむなく、何進の元部下たちの要望を容れることにした。
漢孝霊帝の中平六年、改元して永漢元年の秋九月三日丙子(189/09/30) 。
董卓の部下になっている何進の元部下たちが何太后に
百官は葬式や喪に服そうとせず、平服で過ごした。
(百官の誰も同情していない、哀れなものだな)
何進の元部下たちはその勢いで何苗の棺桶を暴いて遺体を切断し、さらに何太后と何苗の母を殺した。
― ― ― ― ―
なお、このころ董卓は三公の司空を兼ねている。
六月からの長雨がなかなか止まないため、司空に徳が無いということで辞任させられたのだ。
おかげで洛陽の空にはずっと暗雲が立ち込めており、董卓の気分は晴れない。
司空は罪人と治水の職である。武人の董卓には似合わない。
気分が悪いのはこれも原因の一つだろう。
「こういう時は人事を一新するのだ」
董卓は宦官皆殺しで空いた官位に公卿の縁者を採用して埋めさせた。
さらに、反乱の討伐で名声の高かった劉虞を太尉(軍務大臣)から、大司馬に昇進させた。大司馬は古い官職であり職掌は太尉と同じだが、官位は三公の上と位置付けられている。
そして太尉に董卓が就任した。後任の司空は袁一族に匹敵する名族の弘農楊氏の
三公の筆頭の司徒には三公の孫の黄琬を付けた。
そして前に述べたように党錮の禁で追放された儒者を大いに呼び戻している。
朝廷には董卓本人以外は名士名族が満ち満ち、名儒・大儒がずらりと立ち並んだ、まさに当時の感覚からすると理想の政治体制が敷かれたのである。
(ここまで頑張ったのだから武官職の太尉ぐらいは貰っても構わんだろ)
董卓は名士や学者の再登用と、皇帝の廃立以外はほとんど政治に口を出していない。登用した名士たちが素晴らしい政治をするはずであり、軍人の董卓が政治に口出しなんかしなくてもうまくいくはずなのである。
登用についても董卓は方針だけを示し、実際の人選については反宦官派の推薦するに任せている。
天下も何とか治まりつつあり、朝廷には賢人が推薦されて一新された。
これでなんとかなる。
「おお、晴れてきたか」
素晴らしい人事を褒めてくれるように天は雨雲を取り除き、晴れ晴れとした秋空を董卓に見せた。
これは良い兆候に違いない。
きっとすべてよくなるだろう。
そこに急使が駆け込んだ。
「袁紹が逃げ出しました!!!」
「はぁ?????」
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