第2話 名士を登用し政治をただす

「いやいや、老師せんせい。なぜワシが政権を取るのですか」


 宦官皆殺しの乱のすぐあと。

 まだ洛陽城内には袁紹たちに殺された二千人の宦官の血の匂いが漂っているかのようで、人々は心落ちつかないまま、次は何が起こるのかヒソヒソと噂しあっている。


 董卓トウタクは自分の兵と何進何苗兄弟の兵をまとめ、城内の要所に配置して治安を回復させると兵営に引っ込んで朝廷の沙汰を待っていた。



 その董卓の元に訪れたのが、名族汝南袁氏の総帥である袁隗エンカイである。


「大将軍、驃騎将軍、車騎将軍がすべて亡くなられた。よって洛陽にいる将軍の最高位は前将軍である董公となる」


 大将軍の何進、車騎将軍の何苗は今回の乱で殺され、驃騎将軍の董重は先に何進と権力を争い自決している。

 前将軍は大臣級である。洛陽にいるものでは確かに董卓が最高位なのであった。



 袁隗が説得を続ける。


「まぁ、難しいことをするのではない。朝廷に出仕し、朝議を主催してもらえばあとは公卿百官が議をすすめるゆえ。大乱のあとであるからやはり朝議には名声の高い人間を置いて重しにせねばならんのだ」


 董卓は納得がいかない。


「老師が主催されればよいのでは? 太傅の任におありでしょうに」


 太傅とは皇帝の教育係である。皇帝からも敬意を払われる役職であり、官位としては最高位にある。


「いや、袁一族は謹慎じゃ。何皇后もお怒りでな。なにせやりすぎた」


 袁隗はいやいやと手を振った。


 そもそも、宦官皆殺しについては何皇后は反対であった。何皇后を皇后に推薦したのも張譲たち十常侍であるし、張譲の養子には何皇后の妹を嫁がせている。何進と何皇后は腹違いの兄妹であり、そこまで仲がいいわけではなく、宦官を殺したい何進と、自分の忠実な召使を奪われたくない何皇后とで対立があった。


 なので、何皇后は禁中に兵を乱入させて宦官を殺戮して回った袁紹・袁術に対して激怒しているのだ。なにしろ皇室の生活の世話をしている宦官を悉く殺しつくした上に、ついでに後宮の役人や女官も多数巻き添えになっている。


 その結果、後宮はすっかりすっからかんになっており、日々の生活すらまともに送れない。料理の膳ですら全部そろわないような状況に置かれているのだ。


 今の朝廷で、漢の皇室を代表しているのは若い皇帝の母である何皇后である。そこに袁氏がしゃしゃり出て政権を担当すればいつ誅殺の勅命が降ってくるか分からない状況であった。



「いや、董公もここは考えてくれ。宦官をようやく一掃できたのだ。ここで新しい政治の方針を示すことこそが董公の初志ではないのか。もちろん袁一族を上げて支援いたそう」

「わかりました、老師がそこまでおっしゃるなら」


 袁隗が頭を下げため、董卓も慌てて頭を下げる。


 董卓は袁隗には頭が上がらない。元はと言えば、袁隗が三公の筆頭である司徒であったときに、まだ若い董卓を洛陽に呼んで政治を教えたのが袁隗である。その後の董卓の出世は、もちろん戦場での功績もあるが、袁一族の引き立ても大きかった。


 袁隗から頼み込まれると断ることなどできないのである。



 ― ― ― ― ―



 董卓はさっそく朝廷に出仕すると、武官筆頭として朝議を開いた。


 最初の議題は人事案である。なにせ宦官を討滅したのだ。宦官派の官僚を追放し、宦官に追放されていた名士たちを呼び戻さなければならない。


 まずは宦官討伐に失敗して死んだ竇武陳蕃の名誉を回復。そして穎川の陳紀(陳羣の父)、おなじく荀爽(荀文若の叔父)、陳留の蔡邕など名高い名士を招かせた。また地方の官職に韓馥(冀州刺史)、劉岱(兗州刺史)、孔伷(豫州刺史)、張咨(南陽太守)、張邈(陳留太守)などに任じて人事を刷新した。


 当たり前だが、董卓の部下を高位高官につけたりはしていない。董卓の望みは宦官の討滅で名士が政治に復帰することであって、自分の粗暴で無学な部下たちで朝廷を支配することではないのである。


 文書を揃えると、何皇后の裁可は簡単に下りた。というかおそらく読まれてもいない。何皇后はそもそも政治に興味があるわけではないので、四角い文字が並んで四角四面な説明をされると「よきにはからえ」で通してしまう。



 問題は、朝議である。



 董卓の人事案は名士たちの意見をくみ取っておりとくに文官からは異論はでなかった。問題は武官である。朝廷でいちいち董卓に噛みついてきたのが并州刺史の丁原だ。

 

 丁原は董卓と全く同じ立場にあった。何進大将軍の密命を得て軍を洛陽の近くまで派遣し、黒山の山賊のふりをして孟津の渡しに放火までやらかしている。なお、放火作戦を提案したのが袁紹だ。


 丁原にしてみれば、そこまで危ない橋を渡ったのにたまたま董卓が先に皇帝を保護したばかりに朝廷を牛耳って好きかってしているように見える。なので人事の提案や政策について次々に文句をつけているのだ。


(いや、武官が朝議で内政に口出しするとはなんてやつだ)


 董卓からしてみれば、せっかく事態を落ち着かせて、政治を宦官から取り戻しているのに、それらに文句をつけてくる神経が信じられなかった。


「洛陽で兵を率いているのが董公だけと思わんほうがいいですぞ?」

 

 丁原はついに反乱をほのめかすようなことまで言い出している。



(このままにはしておけぬ)


 放置していては新政権の権威がゆらぎ、また反乱や内戦になりかねない。

 丁原は戦場の男だ。理解できるのは兵力と生の武力である。



 董卓は夜中にこっそり配下の部曲を洛陽の城外に出し、そして毎朝「西から董将軍の援軍が来たぞ!」と大々的に呼ばわらせた。兵を大きくみせようとしたのだ。


 洛陽の住民や文官たちは大人しく騙されてくれたが、丁原は鼻で笑っているらしい。



(やるか)

 

 董卓の武人の心が定まりつつあった。






参考文献 : 後漢書、資治通鑑、三国志魏書

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