第14話 軍事的に成功、政治的には……

「これはいかん」


 胡軫と呂布が孫堅に敗れたため、董卓は疲れた主力の兵をかき集めた。形成を立て直さなければならない。しかし部隊の旗は揃って上がらず極めて雰囲気が悪い。もともと涼州兵や董卓軍に参加している羌族、匈奴族は戦争に悪い意味で慣れている。味方が勝つと思えば強くなるし、形勢が悪ければ逃げ腰になってしまう。


(勝ちの勢いで連合軍が一気に攻め込んで来たらまずいぞ)


 孫堅の部隊は一度撃破しているのだが、後ろには袁術の軍がまるまる残っているのだ。さらに北には袁紹の部隊も無傷である。そのような連携を袁一族が見せてくれば、董卓も対応のしようがなかっただろう。



 しかし、反董卓連合軍の実力は董卓の想像をはるかに下回っていた。


 まず、袁紹と袁術が仲たがいをしている。


 袁紹は袁術に「帝(劉協)はそもそも霊帝(劉宏)の御子ではない、ここは劉虞様を立てるべきだ」と手紙で書いて送った。袁術は「言うに事欠いて陛下が先帝の子供じゃないなんてよく言えたな?! 今は董卓を倒す時期じゃないのか?!」と返信し、そもそも国家をどうするかの大方針から一致できていない。



 さらに勝利した孫堅は、袁術から兵糧を止められていたのである。


「孫堅が洛陽を確保すれば、狼(董卓)を除いて虎(孫堅)が出てくるだけで将軍(袁術様)の得になりません」

 袁術の部下でそのようなことを言うものがいた。袁術は孫堅を疑って兵糧を止めた。


 当然、孫堅は勝ちに乗じて董卓を追撃したかったのに、補給が差し止められて激怒する。即座に南陽郡に舞い戻って、袁術に噛みついた。


「そもそも俺は董卓に何の怨みもない。その俺が身命を顧みずに董卓と戦っているのは何のためですか! 上は天下国家のため、下は将軍(袁術)の家門の仇を雪ぐためじゃないんですか!」


 詰め寄られた袁術は急におどおどして、すぐに兵糧を用意したと言う。



「なるほど、ワシに怨みはないのか」


 それを聞いた董卓は李傕を派遣して孫堅を寝返らせようとした。孫堅に出した条件は孫堅の子弟にどこの刺史、太守であっても与えるという過大なものであった。


 しかし孫堅はそれを一蹴した。


「大逆無道の董卓は三族を皆殺しにしないと俺は死んでも死にきれん!」


 さっきと言ってることが違うじゃないかと董卓は思ったが、孫堅にしてみたら兵と兵糧の補給を得られたので当然言う気分は違うのである。孫堅軍は勢いに乗って洛陽に接近。洛陽郊外で董卓直卒の軍と出くわした。


「ここで無理に戦う必要はない」


 味方がやる気を失っているのを見ている董卓の判断は早い。あっさりと兵を退かせた。そのために洛陽を焼いたのだ。洛陽を奪われようが痛くも痒くもなかった。むしろ早く長安にもどって皇甫嵩の兵3万と合流したほうが良い。

 当初の作戦案に比べると孫堅が異常にしぶとかった。しぶとすぎたといっていい。そのために手持ちの精鋭軍がすり減るなど思わぬ痛手を被りはしたが、反董卓連合軍の半分はすでに解散している。また、袁紹と袁術も上手く連携がとれていないようだ。ここで洛陽を引き渡したところで長安までまとまって攻められる可能性は低い。それどころか反董卓連合軍同士で争うだろう。


「関東の軍勢は弱すぎたな。まぁ孫堅がすこし小癪だったが、前に涼州の反乱の時、張温のやつは孫堅を上手く使えずに負けた。さらに無能な袁術に孫堅が上手く使えるわけがない。袁家のクソガキに従っている限り孫堅は死ぬしかなかろうな」


 董卓は捨て台詞を吐いて兵をまとめて長安に帰還した。



 孫堅は洛陽に入り、荒らされた陵墓を修復して天下の名声を得た。しかし、袁紹も袁術も兵を率いてやってこないため、やがて兵糧が尽きて魯陽に戻らざるを得なかった。董卓の読み通り、反董卓連合軍の進撃は洛陽で止まってしまったのだ。


 孫堅が董卓に勝って洛陽を落としたことで、反董卓連合軍は目標を失い、解散した。董卓は連戦連勝して、最後に孫堅にやられたが、結局決定的に負けることはなかった。


 董卓の判断は軍事的には常に正しい。


 董卓は長安に帰還した。


 ― ― ― ― ―


 


 長安に戻ると、司徒の王允以下、朝廷の百官が出迎えのために出てきた。

 

 そこに董卓は皇甫嵩を見つけた。すこし悪戯心をおこした董卓は皇甫嵩を手招きして言う。


「義真(皇甫嵩)よ、少しはビビったか?」


 しかし皇甫嵩は動じもせずに苦笑して言うだけである。


「明公(董卓)が朝廷を見事に治めておられて、喜ぶしかないのになぜビビる必要がありましょう? 逆にもし万が一明公(董卓)が悪逆非道で天下を脅かしていたとしたら? それならば天下万民が恐れおののいているでしょうから、私一人がビビったか考える必要がありませんでしょうな」

「いや、相変わらず嫌な奴だな。義真(皇甫嵩)は」

 

 ついこの間まで殺されかけていたくせにこの物言いである。董卓は苦笑して皇甫嵩と百官を解散させた。皇甫嵩の兵はすでに奪っているのでもはや軍事的には無力である。軍人の董卓としてはすでに彼は無価値であり、多少根性が悪いままでもあえて何か考える必要はなかった。


 それよりも董卓軍将兵に広がっている負けたという空気の一掃が大事である。


 大勝利を喧伝して俺たちは強いと言い続けないと、異民族を含めた董卓軍の士気は保てない。


「わが軍功は限りない、古の太公望(呂尚)に倣って尚父の地位を授けてもらうべきかと思うがどうか?」


 董卓の部下や将兵は大賛成だったが、しかし大学者の蔡邕が冷静にツッコミを入れた。


「太公望は関東の敵を倒してから尚父と呼ばれたんですが?反乱軍はまだいますぞ」

「……いや、その通りだな?」


 董卓は恥ずかしくなってその案を引っ込めさせた。


 董卓は後世の評価では帝位の簒奪を狙っていたとされる。しかし簒奪を狙うならば倣うのは忠臣でありつづけた太公望ではなく王莽だろう。董卓は侯爵のままで爵位を公や王に上げることはせず、九錫を授からず、摂政や仮皇帝などを名乗ることもなかった。


 董卓自身は、他人からの評価は散々だったが、漢の忠臣として国を立て直したかった、と考えられなくもないかなと思わないこともない。


「では、理想の国造りのために儒教の教えを徹底しようではないか」


 董卓は西方辺境の異民族のような印象を持たれており、羌族や匈奴の論理で政治をして失敗したと言われることがある。しかし、董卓の政治は儒教の学者を重用し、儒教の教えを徹底するというものだった。


 よって、董卓は部下に命じた。親不孝な子、兄に不順な弟、国に逆らう官吏、汚職して私利を得る官吏、その他儒教的に好ましくないものを退治せよと。


 数千の死体が長安の市に転がった。


 天下万民は恐れおののいた。


 


 

 


 




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