第2章 皇帝を廃立するなど皆反対するに決まってる……え?

第4話 袁一族が暴れまわり、董卓は皇帝を廃立させられる


 漢孝霊帝の中平六年秋八月の出来事は多い。



 八月二十五日戊辰、(西暦189/09/22)。


 中常侍の張譲は何太后の詔書を偽造して何進を殺した。


 張譲は何進を捕まえると「天下の混乱は宦官だけのせいではないわ。そもそも何太后が先帝陛下の怒りを買った時(何皇后が王貴人を毒殺した)に、我々が泣きついてなだめて千万銭を献上してやっと取りなしてやったのだ。それを今になって我ら宦官を皆殺しにするのか。不亦太甚乎ひどすぎないか?」と言った。

 宦官は何進を斬り捨てた。


 張譲たちは次々に詔書を作って宦官派を要職につけた。朝廷の文書をあずかる尚書がいぶかしんで「大将軍に相談したい」というと、宦官は何進の首を持ってきて尚書に投げつけた。

 

 何進の部下たちは何進が殺されたと聞いて南宮に攻め込もうとしたが、宮門が閉じられてしまう。袁術は兵を率いて門を攻撃し、宦官の兵と戦い始めた。夜、攻めあぐねた袁術は南宮の門に放火した。


 

 袁術が活躍しているのは構わないが、南宮には何皇后と皇帝劉弁、そして陳留王協がいる。幾ら反乱軍とはいえまさか名族の袁術が皇帝の居場所に火を放つとは予想外であり、張譲たちは慌てて皇帝一家をつれて北宮に逃げ込んだ。

 そのころ、袁隗と袁紹は詔書を偽造して、宦官派の樊陵、許相を斬り殺している。


 袁一族がやりたい放題である。




 八月二十六日己巳(189/09/23)。 


 戦闘は続いている。袁紹たちは南宮を攻め落として宦官たちを探しては殺している。

 南宮の宦官を殺しつくすと、袁紹達は兵を率いて北宮を攻め始めた。




  八月二十七日庚午(189/09/24)。


 張譲は皇帝と陳留王を連れて北門から脱出した。


 袁紹たちは北宮を封鎖し、中の宦官たちを皆殺しにしている。およそ二千人が死んだ。宦官以外で巻き込まれたものも或有無須すこしいたかもと歴史書にある。かなり適当に殺して回ったのが伺われる。


 袁一族大活躍である。


 夜に黄河に面した小平のみなとに着いたが、そこで盧植たちが追い付いた。張譲たちは観念し、叩頭して「我らは死にます、陛下はご自愛なされますように」といい、黄河に身を投げて死んだ。




 八月二十八日申未(189/09/25)。


 董卓が追い付いて皇帝と陳留王を回収し、洛陽に戻った。

 しかし、袁隗の頼みにより董卓が政権を握ることになる。丁原が嫌味を言う。

 



 八月二十九日壬申(189/09/26) 

 

 丁原がうざいので暗殺した。

 袁隗が皇帝を替えようと言い出した。



 ― ― ― ― ―




 何進が殺されてから5日、董卓が皇帝に会ってからまだ2日。

 

 いろんなことが起きすぎている。


 

 そこに袁隗が皇帝を替えようと言ってきたのだ。

 

 「ご正気ですか?!」


 董卓としては信じられない。そもそも袁隗は太傅であり皇帝の教育係なので、皇帝劉弁を死んでも守り育てないといけない立場である。



 「いや、董公トウタクどの。これには重大なわけがあるのだ聞いてくれ」


 袁隗が話し出したのは、先代の霊帝から受けた内密の命令についてだった。


 「そもそも、何皇后は宦官と深くつながっておった。皇后に推薦したのも宦官。王貴人を毒殺した時に庇ったのも宦官。今回の何進大将軍の宦官誅殺作戦に反対し、このような大乱を招いたのも何皇后と宦官のたくらみである」


 董卓もそれぐらいは知っている。だがそれで現皇帝に何の関係があるのか。


 「先帝陛下(霊帝劉宏)は何皇后を嫌っておられた。そして唯一愛した王貴人を失った時に酷く悲しまれ、その遺児の陳留王(劉協)を皇帝にと考えておられたのだ。しかし朝廷は何皇后と宦官に牛耳られており、陛下と言えども本心を言うわけにはいかなかった。そのため、限られた忠臣にのみ内密に命令を頂いておったのだ。これだ」


 袁隗は懐から豪奢な絹に書かれた書を取り出した。霊帝の密勅である。そこには「次の皇帝には協をつけよ」と書かれている。

 

 「この密勅は表に出すわけにはいかん。よって、本心から陛下に忠義な臣が伊尹霍光のこと(皇帝を廃位すること)を行わないといけないのだ」


 (いや、それなら袁隗老師せんせいがやってくださいよ)


 先帝の思いは分かったが、董卓としては極めて迷惑である。皇帝の廃位などは極めて難事だし、評判も悪くなるだろう。


 「それに、今の何皇后と陛下で漢朝が安定すると思っておるのか。何皇后は宦官が居なくなったことに文句ばかり言っており、陛下は泣いて政治に興味も持たれない。それに対して陳留王はまさに聡明で溌剌、皇帝の気風がおありだ。天下のためを思うならばどちらが良いと思う!」

 「それは陳留王でしょうが」


 董卓は北芒ホクボウ山であった新帝と陳留王を思い出していた。たしかに新帝は頼りないし、陳留王は9歳の若さなるも人の君主たる気品があり、受け答えもはっきりしていた。

 軍人である董卓がどちらを君主に持ちたいかといえば、これはもう陳留王劉協である。



 「だろう! さらに考えよ。陳留王を立てたいというのは先代の母君であられた董太后の願いでもあった。残念ながら何皇后と宦官の企みで董太后は無惨にも殺されてしまった。董太后は董公トウタクどののご親族ではないか」

 「いや、姓が同じだけで、出身は隴西と河間で四千里(1600km)も離れて」

 「今はそうかもしれんが、姓が同じならば尭舜の世には同族だったに決まっておるだろう」

  

 無茶苦茶である。


 「董公よ、今の朝廷を落ち着けておるのは貴公の武力だ。ここで断固たる改革の意思をしめして、二度と宦官の支配する世にするのが我らの責務ではないか。それを想って、ご先代はこの密勅を託されたのだ」

 

 袁隗は少し口をつぐむと、頭を下げた。


 「……そなたしかおらんのだ。先帝も天下万民もただ、そなたを頼りにしておるのじゃ」

 「そこまで言われては。この董卓、一命にかえましても」



 董卓は武人である。そして頼りがいのある親分として多くの私兵を集めてきた。「あなただけが頼りなのです」と言われて断ったことが無い。



 ― ― ― ― ―

 

 袁隗は実に上手く行ったと思っている。宦官皆殺しが天下の望みだったとしても袁一族はやりすぎた。宮殿に火をかけ、宦官を皆殺しにしたことで何皇后は激怒している。その息子の新帝劉弁が母に言われればいつ袁氏を懲罰するか分からない。ならば今皇帝を替えてしまうべきだ。しかし皇帝の廃立などという危険なことを名族である袁一族で被るわけにいかない。


 董卓という忠実な元部下が今使いやすい地位にいるのは偶然とはいえ大変な好機である。


 袁隗は自分で書いた密勅を懐にしまい込んだ。



 ― ― ― ― ―

 


 八月三十日癸酉(189/09/27) 


 朝廷に百官を呼び集め、董卓は皇帝の廃立を提案した。

 公卿以下百官は恐れおののき、席で震えているだけで反論もない。


 ただ一人立ったのが尚書の盧植ロショクであった。

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