第10話 曹操は各個撃破され、劉虞は皇帝にならない


 漢の孝献皇帝 初平元年 三月。(うまどし、西暦190年)


 孫堅は荊州の刺史王叡を殺して、南陽郡で袁術の配下をやっている。

 孫堅は代々県の役人レベルの家からでており、家柄はそこまで良くない。長年武人として活躍しており、長沙の太守になったときも反乱対策であった。そのため名士出身の王叡からはさんざんにいびられており、その怨みを晴らすために殺したのだ。


「荊州が空いた、このまま袁術に支配させるわけにはいかん」


 董卓は党錮の禁で清名を博した前漢皇族の劉表を荊州刺史に任命し、荊州に赴任させた。

 そのころ南陽郡は袁術が支配していたので、劉表は袁術を避けて、南郡の宜城に赴任した。宜城は昔、エンと呼ばれ、戦国の楚国の副都として重要拠点であった。

 そこで劉表は蒯良と蒯越、蔡瑁を招いて作戦を立てた。荊州南部の豪族たち五十五名を今後の相談をしたいとして招き、皆殺しにして兵を奪った。そして襄陽から南、江南の土地を支配することに成功した。

 孫堅が命じた後任太守なども解任して長沙も奪った。


 三国志演義では劉表は反董卓連合軍に参加していることになっているが、どう見ても董卓派であり、董卓の命令を受けて荊州を支配して袁術孫堅を牽制するのが目的だと思われる。現にこのあとも長安の朝廷に仕え続け、孫堅と戦って殺している。


 


 ― ― ― ― ―



 反董卓連合軍についに動きがあった。


 曹操が董卓軍に攻めかかったのである。他の諸侯たちと比べ、曹操には官位も根拠地もない。すべて私財である。滞陣すればするほど自分の金が減っていくのである。


 よって曹操は酸棗に集まった諸侯に怒り、泣き、脅し、頼み込んで共に戦おうとしたが、誰も一緒に行こうとしない。そもそも盟主の袁紹が動かないのになぜ彼らが先陣を切らなければならないのか。

 唯一、曹操の親友の張邈が衛茲将軍を援軍につけてくれたため、連合軍の大軍から曹操隊と衛茲隊の2隊のみが董卓軍に攻めかかった。


「曹操は馬鹿だったのか」


 董卓はわざわざ訓練も未熟な少ない兵力で攻めかかってきた曹操を笑った。

 もともと各個撃破の作戦ではあったが、このような愚かな戦い方をするとはさすがに思っていなかったのだ。ありがたく攻め潰すことにしよう。


 董卓は西方からつれてきた精鋭騎兵を徐栄に率いさせ、洛陽のほぼ全軍をもって曹操軍を迎撃した。


 勝敗は圧倒的だった。


 兵も少なく練度も低い関東軍と歴戦の精鋭を多くそろえた董卓軍では雲泥の差であり、まさに鎧袖一触で曹操軍は壊滅した。


 曹操は乗馬を矢で射殺され、曹洪から馬を借りてやっと夜闇にまぎれて酸棗に逃げ帰った。衛茲はあえなく戦死している。


 徐栄は戦果におごらずさっと兵を回収して本陣に戻り、董卓に復命した。


「よく分かっておるな!」

 

 あくまで董卓の作戦は内線作戦での各個撃破であり、しびれを切らして攻め込んできたやつを叩けばよいのである。わざわざ酸棗に攻め込んで相手を本気にさせる必要はなかった。


 なお、そもそもその必要もなかった。


 曹操は兵を失ってしまったので募兵のためあちこちに部下を派遣していたが、酸棗に戻ると諸侯たちは解散を決定していた。


 劉岱と橋瑁が喧嘩をはじめ、橋瑁が殺された。酸棗の諸侯の相互不信は極限に達している。さらに陣地の兵糧が尽きたのだが誰も兵糧を補給しようとしない。


 盟主の袁紹はまだ何も動きを見せない。

 しかも関東の諸郡では黄巾残党がうごめき始めていた。


(なぜ我らが戦わねばならんのだ)


 反董卓連合軍の諸侯は馬鹿馬鹿しくなり、一人また一人と解散し、本拠地に帰ってしまった。


 曹操は兵をやっとあつめたが、反董卓連合軍が解散してしまったので行き先が無くなりやむを得ず河内の袁紹のもとに身を寄せた。



 ― ― ― ― ―

 


「袁紹が劉虞を担ごうとしているらしい」


 洛陽で情報収集している董卓についにその情報が入った。

 さすがにそこまでされるともはや長安の宮廷の権威は地に落ち、関中と河北で二つの朝廷が並び立つことになろう。

 さっそく止める必要があった。


 董卓は袁隗の後任として皇帝の教育係である太傅の位を劉虞に送った。そして「長安に来て皇帝を導いてほしい」と頼んだ。


 董卓としては割と現状に辟易していたので、劉虞に政権を譲ってもいいとまで思っていた可能性はある。董卓は洛陽で軍事に専念している。反乱軍に対して勝利をつづけるのは大変気分が良いのだ。それに引き換え朝廷でうだうだと議論をするのは性にあわないため、長安の朝廷は司徒の王允に任せっきりである。


 しかし、劉虞は来なかった。「反乱軍で道がふさがっており、朝廷に赴くことができません」という使者を送ってきている。


「使者が通れるなら劉虞が何故通れないのだ」


 あからさまな言い訳に董卓は怒ったがどうしようもない。

 関東の諸郡および劉虞は中央に租税を送ってくる様子すらない。


 そのころ、袁紹は曹操を迎えて、劉虞の擁立に参加するように誘って断られている。劉虞は皇帝への即位も、領尚書事を自称して官位を配ってほしいという要請もどちらも断っていた。


 劉虞は本性は明らかにしないが、明らかに独立を狙っていると言えた。しかしいきなり皇帝は自称しない。機会が熟するのをじっくりと待っていたようである。


 いきなり皇帝を自称した群雄がどうなったかを考えると、間違いではなかっただろう。


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