第16話 呂布

 孝献皇帝乙初平三年(壬申,西暦一九二年)。


 董卓は牛輔に援軍を送り、朱儁を討伐させた。李傕、郭汜、張済などが歩騎数万を率いて洛陽の東、中牟県に攻め込む。朱儁は後漢末では皇甫嵩と並ぶ名将であり、陶謙から兵三千の支援を受けていた。おそらくだが、袁術とも連携しようとしていたと思われる。


 しかし、袁術は袁紹と劉表を攻めるのに忙しく、董卓との戦いに手を抜いていた。結果的に朱儁は牛輔の大軍に撃破されてしまう。


 つい去年まで兵力不足に悩んでいた董卓軍は見違えるように兵力が豊富になっていた。皇甫嵩の精兵3万を補充したからである。


 李傕たちはそのまま陳留や潁川まで攻め込み散々にあちこちを荒らして回った。地方から税が送られてこないため、兵は補充されたが兵糧は自弁だったからである。



 ― ― ― ― ―


 董卓は気分が晴れない。


 何もかもがこんなはずではなかった。


 今まで自重していたのを忘れたかのように、身内に高位高官と爵位をばらまいている。


 董旻は左将軍。董璜は中軍校尉。董一族が朝廷にずらりと並んだ。


 (儒教の学者の言う通りしていたら不利になるばかりではないか)


 孫娘の白に渭陽君の封号を与えたのもこのころである。董一族であれば爵位や官位を得られるので、赤子にも印綬が与えられ遊び道具にされたと言う。


 さらに領地の郿県に城塞を築き、そこに財宝と兵糧をため込んだ。地方の税収がないため、朝廷の財政は破綻状態である。無能な朝廷に財産を管理させてはどうなるかわからないので全部自分の持ち城に置くことにしたのである。


 「事が成れば反乱軍を悉く平らげて天下に雄を唱えよう。成らずば老いるまでこの城を守ることにするか」


 董卓はすでに55、56歳になっている。いつ死んでもおかしくない年齢だ。母は90歳という。最近はもう疲れてしまっていた。


 そんなおり、護衛をしている呂布がつまらない失敗をしたことがあった。


 「貴様ぁ!」


 董卓はだんだん衰えつつある自分への怒りを込めて呂布に手戟を投げつける。

 戟は力なく飛んで行き、呂布は軽々とそれを避けた。


 「申し訳ございません!お許しください!」

 「……すまん、ついカッとなってしまった」


 真っ赤に上気させて謝る呂布に董卓は気を取り直して優しい声をかける。呂布は主君殺しの罪を被らせて、味方に引き入れた男だ。ずっと護衛を任せているではないか。こんなことで部下に当たってどうする。


 しかし、ひたすら謝る呂布が董卓を見る目は冷ややかだった。



 ― ― ― ― ―


 呂布は董卓の侍女と密通している。董卓は政権を握って高位高官を得て、改めて後継ぎを作ろうと若い侍女を増やして頑張った。しかし、さすがに年が年であり、その甲斐は無かった。むしろ疲れてしまい、女に触れるのも面倒になってくる。

 

 こうなると大勢の若い侍女たちは中途半端に手を出されて放置され、困ってしまう。特に美しくて健康的な女が集められているのである。そして護衛の呂布は常に近くにいる。


 呂布が一番美しい侍女に手を出した時、侍女は全く抵抗しない。むしろ大喜びで呂布と仲良くなってしまった。


 さて、呂布は董卓が戟を投げつけたのを見て、怯えた。まさか侍女に手を出していることがバレたのではないだろうか。


 呂布は同郷の王允に相談を持ち掛けた。王允は董卓から朝廷の一切を任されており、董卓には一切逆らわずに粛々と仕事をしていた。呂布にも普段から丁寧に応対している。

 

 その王允がずっと董卓を殺したがっている。呂布を誘った。

 

 「しかし、董太師は俺を子と呼んでくださっている」

 「あなたは呂姓ではないですか。なぜ董姓の子と言えましょう。親子の情があれば戟を投げつけたりしますまい」

 

 王允は呂布を説いた。真に子と呼ぶつもりなら自らの姓を与え、相続もさせるはずだ。それがないということは、結局利用だけして富貴を分け与えるつもりがないということではないか。

 

 「そうだったのか」


 呂布は迷いから覚めたような眼をした。


 ― ― ― ― ―


 夏四月。献帝の病が癒えたということで未央殿に百官が集められた。普段は朝廷に顔を出さない董卓も、皇帝のためならば出てくる。董卓は皇帝を軽んじてはいない。

 

 董卓は用心深く、大勢の兵を引き連れ、呂布も武装させて連れてきている。権力者を朝廷におびき寄せて殺すのは何進もそうだし、過去何度も繰り返されてきている使い古された手である。


 そこに呂布と同郷の李粛が戟で持って襲い掛かり、董卓を突いた。


 董卓は油断していない。董卓が用心深く着込んでいた鎧に戟があたり、董卓には刺さらない。しかし戟は槍だけではなく、横にも鎌のような刃がついている。それがわずかに腕を傷つけた。


 董卓は姿勢を崩して車から落ち、呂布を呼ばわった。

 「呂布!呂布はどこだ!」

 「ははっ!ここに!」

 呂布が矛を構えてやってくる。


 董卓は呂布を見てほっとしたように命じた。

 「賊だ殺せ!」

 「はっ!勅命により賊を殺します!」

 しかし呂布が矛を向けたのは董卓に対してだ。


 「この庸狗バカイヌがぁ!!悪さばかりしおって!」

 董卓が叫び、その声を聴いて呂布は矛を董卓に突き立てた。


 董卓は死んだ。


 呂布は董卓の護衛兵に呼び掛けた。

 「勅命で董卓を討ったまで、そなたらに罪はない」


 兵はそれを聞いて万歳三唱した。


 董卓の三族は皆殺しになり、郿県の財宝は王允に接収された。


 王允は録尚書事となり、呂布は奮威将軍・仮節・三公待遇となり河内郡に領地を得て温侯となった。王允と呂布はともに朝廷を牛耳った。

 

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とても困っている董卓さん 神奈いです @kana_ides

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