董卓は涼州の牧(総督)である。馬を駆り、異民族や山賊と戦って暮らしてきた。董卓は、謀略が分からぬけれども皇室に対しては人並みには忠誠を感じている。この男は、中央のある恩師に呼ばれ、洛陽へと派兵することになっていた。大粛正も間近なのである。
しかし到着した董卓は、首都の様子を怪しく思った。死臭に包まれている。大粛正をしたので当たり前だが、けれどもなにやら、宦官以外にも一般官僚や女官たちまで殺してまわったらしい。
けれども董卓には政治がわからぬ。恩師である袁隗に従い、名士や儒家を推挙していると、袁家の者達が逃げ出した。董卓には謀略が分からぬゆえ、困惑しているとどこからともなく董卓討伐連合なる軍閥がやってきた。董卓には国家運営がわからぬ。ただただ漢室のために武力を振りまくが……。
三国志演義の董卓と言えばはじめのラスボスといった感じで凄まじい存在感を示しています。また演義でなくとも、たとえば約二百年後の中国ではすでに悪逆非道なやつとして槍玉に上がっています。こんな感じ。
夏后之罹浞豷
有漢之遭莽卓
夏は(寒)浞や豷に、
漢は王莽や董卓に蹂躙された。
(宋書 巻一 武帝本紀)
ここで夏の時代の二人は、臣下でありながら王を殺した「中国史上最初の」弑逆者。要するに問答無用のクソ邪悪。そして王莽も前漢を滅ぼすという、これも問題外のクソ邪悪。
この問題外どもに、董卓は並びます、と宣言されてるわけです。
その辺り、三国志演義を通過してる現代の我々にとっては、問題なく「まぁそうだよね」って感じに、なる。
けど、実際に董卓の伝が載る後漢書や三國志を読んでみると……?
というのが、この作品のテーマ。その内実については、作品のタイトルが宣言するとおり。なんつーか、かわいそう。胃がキリキリすること確実です。
もちろん、本作の解釈が本当に正しいかどうかについては、興味を持った方が実際に原典に踏み込む必要があります。ハードルはくっそ高いと言わざるを得ませんが、ただ当作と原典を引き引きすれば、意外と行ける……かも? 行けないかも? どうでしょう。
新しい董卓像を示してくれる本作は、「よく知ってる歴史」のありように一石を投じてくれています。
さぁ、みんなも読もうぜ! 三国志の原文!(ひどいことを言い出した)