第11話 カタストロフ(下)

レナードは鼻血をこぼして膝をつく。

自発呼吸と同じぐらいたやすく人を殺せる彼が、

初めて自分の限界に挑戦している。

脳の血管全てが千切れるような負担にショック死しかけても、

赤毛の悪魔との契約がそれを許しはしなかった。


「王様なんてのはひとりじゃできねえだろ?!

 だからこの街の殺せるもの全部ぶッ殺す!!

 てめえら悪魔は誰もいなくなった廃墟で、

 アホ面さらしていやがれェッ!!」


その場にいる悪魔達は全員、顔を見合わせた。

彼らはレナードが本気であることを確認する。

クリスだけが、ただレナードの背中を見つめている。


真っ先に行動したのはアルルカンだった。

彼はまったく余裕なく

椅子から立ち上がって駆けだそうとした。


「――あのっ、アッ、あの、

 それはマジでよくないな!!

 ちょっと待ってくれ?! あっ?」


ばりばり、と枯れた木が裂けるような音が、

アルルカンの背中から響いた。

彼の体の内側から、別の男の腕が生えていた。


あたかも蛹から羽化するように這い出てくるその男は、

アルルカンそっくりの体格で、

しかし頭に羊に似た角が生えている。

仮面はなく、彼は涙を流しながら笑っていた。


「俺の砂場がまさに壊れようとしているなんて!!

 なんてことだ!! あはははは!!

 俺の大好きな『破滅』じゃあないか!!」


「あああアなにやってんだおまえエえ?!!」

アルルカンはアルルカンを内側に押し込もうとする。

激しく動いたせいか、彼は仮面を取り落とした。

悪魔と瓜二つの、恐怖に歪んだ人間の顔があった。


(……なるほど、たしかに愉快かもな)

レナードには余裕がないため、声しか聞きとれなかった。

そして、その焦燥と絶望の色に納得した。


「こんな、狭い部屋に入ったままでいられるか!

 絶対に特等席で見守っていなきゃ、

 おいサリィ! 腕引っ張ってくれよ!!」


「サリィ!! サリィッ、どうにかしろ!!

 どっちからでもいい今すぐやめさせろ!

 こんなの俺達の法に反しているじゃないか!!

 街が無くなっちまうかもしれない!!

 最初からやり直しになるんだぞ……!」


二人のアルルカンがわめきたてている中で、

これまでずっと椅子を揺らしていた大悪魔も、

ようやく立ち上がった。


彼女が持っていた予報紙が宙に舞いだした。

それぞれ違う魔神の出している予報紙がいくつも。


「……サリィ、まさかお前」

アルルカンは顔を更に青ざめさせた。

無論、人間の方だ。


「……天使が私の結界を素通りできたのは、

 当然、私自身の采配だから。

 天使が訪れた場合、何が起こりうるか、

 こういう事態になる可能性は調べて知っていた。


 のだ。

 我々は、最高の破滅と絶望の瞬間を待っていたのだから」


運命の家畜達が殺されていく。

全てが台無しになり、全てに終わりがやってくる。

収穫の季節がやってきた。


「街中から麗しき音が聞こえてくる。

 なんと甘美な絶望の味だ。

 我々はずっと、こんな瞬間を望んでいた。

 我々が丁寧に肥やしてきたこの街が、ある日突然……」


サリィの眼も、興奮でうるみ始めていた。

そして彼女は一礼をした。


「これまでの取引に感謝しよう。

 アルルカン、そしてアルルカンの憑りついた人間よ。

 人の身で死神の誉れを受けるレナードよ。

 利己主義の人間を愛するチェシカよ。

 そして固有の名前すら力に捧げた天使よ、ありがとう」


名前を呼ばれたチェシカについてだが、

さっきからずっと部屋の中をぴょんぴょん跳ねていた。

自分が大悪魔に呼ばれたことも気がついてないかもしれない。


彼女は彼女で、最高の春を謳歌している最中だ。

なんといっても歴史の中で最悪に類する虐殺者が今、生まれ、

その寿命が彼女の手元にまるごと転がり込むのだから。


「今日はレナード殺りく記念日だわッ!!

 やったー!!」


彼女は興奮のままに、

ちょうどそばにあったという理由で、

悪魔のアルルカンの腕を思い切り引っ張ってやった。


一心同体であった悪魔からの保護がなくなった途端、

街の王様だった男は絶命した。


アルルカンとチェシカは興奮の涙を流しながら、

共に手をとり、手を離し、激しく踊りだした。


サリィは孤独に、

しかし自由と栄華を確かめるように、たおやかに舞った。

マニアリはそれらを見て、

悪魔達が気持ちよくステップを踏めるように照明を調整した。


『あーあ! だめだァこりゃ!』

人間達の悲鳴に混じって、そんな声もあったという。

街中のあちこちで悪魔達が破滅を嘆き、

やがてひきつけたように笑って、

自棄を起こしたように踊りだす者であふれかえった。

人間に抗う術は皆無。みな死んで物言わぬ体になっていく。


老婆と成り果てたクリスだけが、

枯れ枝になりかけたレナードの隣に佇んでいた。

レナードはまだ何かの死を望み続けている。

そのせいで死に至らないよう、クリスは手を握り続けている。


「どうして、愛を受け入れるつもりになったのですか。

 どうして突然? あとで教えてもいいと言っていました」


「俺は……」


お互いに声帯を震わすのも苦しくなるほど、年老いてしまった。

レナードはぼんやりする頭で、言うべきことを吟味した。


「俺はてめえが憎たらしい。

 最初から気に入らなかった、今も変わらない。

 気が向かなかったから、教えない。ざまあみろ」


けれども。

レナードは最初に天使の姿を見て、話を聞いた時、

(きっと夢見がちで不幸も何も知らない子供が、

 愚かな願いをこのクソ野郎に託しただけだ)と感じた。


だけど天使は自分と同じ年かさの姿になり、

それさえも追い越した姿になり、まだ力を使い果たさない。

レナードにはそれが信じがたかった。

それほどまでに長い年月を生きてきて、

最期の瞬間、ただ人に親切にしようと考えられる人間がいたことを、

まざまざ意識させられた。


もし本当にそんな人間が世界のどこかにいるとしたら、

眼前の人でなし以上に憎たらしいことこの上なくて、

なにより羨ましくて、みじめで悲しくてたまらない気持ちになる。

絶望にも不信感にもさらされなかった、幸せな人間がいるなんて。


彼女は世界のどこかにいたという。

彼女を知った時にはもう死んでいたので、今はどこにもいない。

レナードには彼女を羨望と憎悪のままに殺してやることも、何もできない。


天使がレナードの残虐な行為に手を貸そうとした時、

彼は激しい怒りを感じた。

知らない女の願いが汚されたように感じた、やるせなかった。

自分にそうした感性が残っていたことにも動揺した。


『世界中で最も愛されない人に、愛を与えられるだろうか』

実はそこまで深く考えて願ったのではないかもしれない、

どうかそうであってほしい。


けれども。

もしもレナードが善い人の無償の愛に報いるとしたら、

たとえば、一体何ができるだろう?

彼にはひどく短絡的で、むごくて、

どうしようもない方法しか思い浮かばなかった。


世界中の悪党どもが取り除かれれば、

幸せな善人は増えるのだろうか。

父親のようなクソ野郎がいなければ、

その後、幸せになれる子供が増えるだろうか。


到達した結論が絶望にせよ、希望にせよ、

それはレナードに街との心中を決めさせる最後の一押しになった。

どうせ自分にはもう、どこにも行き場がないのだ。


ひとでなしどもには散々振り回されたが、

せめて終わり方は自分で決めてもいいだろう。

そうした思いは自分の内に秘めたまま死ぬべきであって、

決してひとでなしどもに打ち明けようなんて考えない。


(世界中の悪人どもが、俺のために、

 天使が俺に見せた幻のせいで死ぬがいい)


チェシカは踊っている最中だったが、少し振りつけを変えた。

静かに眠り行くレナードを振り返るために。


「ありがとう、レナード。最高の夜よ!

 そして、おやすみなさい!」


(うるせえ、最後ぐらい静かにしてろ)


---


「最低の夜だ。えらいことになっちまったぁ……」

死体しか乗っていないキッチンカーの上で、シャンはたそがれていた。

利益がたっぷり出たものも、大損こいたのを自棄になるのでも、

ともかくほかの悪魔のように笑って踊るつもりになれなかった。


「こんなのってないぜ、

 だって一日で二回も取引相手が死んじまうなんて。

 人間の命ってのはこの大地よりも価値があったんじゃないのか?

 こんな紙吹雪みたいに散っていいもんじゃねえだろ!」

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