第3話 拷問向きの無垢なる加護

「やったあーッ!!」

バルバリッチの鎧から金色の煙が立ち上ると、

それはすぐに黒スーツの男悪魔となった。

後頭部からフックのように捻じ曲がって生える角が特徴的だ。

「とうとうチェシカを出し抜いてやったぜ!! やったよぅ!!」

「だーから俺一人でもイケるって言ったんだよ、なあ?!」


悪魔シャンと血みどろのバルバリッチは腕を組み、

その場でスキップしながら旋回し、喜びを分かち合った。

やや遅れ、やはり煙となって霧散していたチェシカが元の姿を取り戻す。

「こ、こんなことって……」


せっかく姿が戻ったのに、

チェシカはがっくりと膝をつき、輪郭をしおしおとぼやけさせる。

「だから『せめて一回分は常に前払いして』って、

 しつこく勧誘してたのに!!

 どうしてギリギリまで嫌がるかなぁーッ!!」


シャンは優越感を隠さずニヤニヤと、うずくまるチェシカを見下ろした。

打ちひしがれる彼女に声をかけたのは、バルバリッチの方だ。

「おうチェシカ、残念だったな……だが考えてもみろよ、

 俺は『この街で一番凶悪な死神を殺した男』になったんだぜ?」


「……それは」

「ちょっと、バルバリッチ何考えてんの」

「チェシカは『とにかく凶悪な奴』が好きなんだろ?

 有名らしいじゃないか。

 じゃあレナードを殺した俺には価値を感じるのか?」


「かなり魅力的」

悪魔は自らに対して正直であった。


「やだよチェシカと一人を取り合いなんて! おれだけにしてよ!」

「どうせなら外見がかわいい姉ちゃんの方がいいに決まってら」

「薄情者め!! おれだって取引してくれればムネぐらいつける!」

「そういうのがダルいんだって。なあチェシカ、考えておいてくれよ!」


立ち上がったチェシカがくるりと振り返ると、

流れるような赤髪が元気に揺れた。

「やぶさかな話ではないわね!」

泣いたカラスがもう笑う。

これこそチェシカが人間砲弾を逸らし損ねた理由のひとつである。


人や、人との関わりが生み出す価値を信仰しているからこそ、

悪魔は軽々しく人間の命を奪うことをためらってしまう。

どうしても邪魔な人間がいるのならば、人間同士をそそのかし、

殺し合わせた方がドラマチックな価値も生まれよう!

イースト・スラムの悪魔達の不文律のひとつである。


チェシカが愛嬌を振りまき、シャンがそれを威嚇し、

バルバリッチが今後の輝かしい未来を想像していた頃、

瓦礫の中から、白い腕がそうっと這い出してきた。


最期にあらわれるのは、招かれざる客だ。

天使はレナードがどこにもいないことを、改めて確認する。

そして表情を浮かべないまま、両目から涙をぽろぽろと流した。


「……えっ、誰? ドレスコード守ってないじゃん。

 新人がサリィと話つけないでここに入ってきてるのか?」

シャンはチェシカと目を合わせた。

(私だって詳しく知らないわよ)


とはいえ、声も出さずに泣く姿を見かねたのか、

チェシカは声をかけてやった。

「あー、貴方もそんなに悔しがらなくってもいいんじゃないの。

 なんといっても愛も知らない、救いようのない人間なんてのは

 この街にはいくらでもいるのだから、たぶんすぐ二番目が見つかるわよ」


クリスはかぶりを振り、チェシカの提案をやんわりと拒絶したらしかった。

「私が愛を与えるべきだと判断したのは、レナードさんただ一人です」


砂埃にまみれてもなお白い少女は立ち上がり、天を指差した。

「私が信ずるは人の愛。

 愛を知る者から授かったこの価値を燃やし、

 愛知らぬ者にもう一度よりよく生きる機会を与えましょう」


クリスが宣誓を終えると同時に、彼女の体はよろけた。

細腕の中には、レナードの体が抱きかかえられていたのだ。


何が起こったのか、

悪魔も人間も瞬時には把握できなかったらしい。

真っ先に、気を失っていたレナードがカッと目を見開いた。

即座にバルバリッチが血を吐いた。


「……がはっ」

「おう、いいからそのまま死ねッ!」

レナードはクリスを突き飛ばしながら跳ね起きた。

銃もない、刃物もないが、殺意さえあればいい。

立ってにらみつけているだけで、バルバリッチは苦悶する。


「やばいやばいヤバイって!! いきなり何?!」

泡を食ったシャンが落ち着くよりも、

バルバリッチが腹を決める方が早かった。

「やれよシャン、寿命ならもっていけるだけもってけ!」


「いいの?! ありがとう!!」

シャンの姿は掻き消え、再びバルバリッチの鎧に憑りついた。

鎧の男は消えるはずの命を、先に悪魔の力にくべてやり、

辛うじて生きながらえる。


(この街には悪魔と同じぐらい、

 おかしな力を使う人間が集まってきやがる。

 だが実際にここまで手を焼くのはそう多くない。

 俺の殺意の方が早いから……)


だがレナードは再びバルバリッチに轢かれた。

最高速に達するには距離が足りないが、

それでも人間に致命傷を負わせる衝撃には十分だった。


「ああくそっ、また間に合わない!」

宙に浮くチェシカが掴めたのは、引き千切れたレナードの片腕だけだ。

レナードは先程のようなくず肉にはならなかったものの、

全身ぐちゃぐちゃの赤いなにかに成り果てた。


バルバリッチは『とてつもなく早く』走ることができた。

彼が本気なら音速と等しい速度も出せるが、

それには彼の知覚や身体の頑健さが追い付いていなかった。

ゆえにシャンは、自身が憑りついた鎧でバルバリッチを保護した。

こうして常人には知覚できず、

悪魔なら気がついても妨害をためらう人間砲弾が完成した。


(そんで作戦は二度も成功してる、完璧だった!

 なのにどうしてこんなことになってる?!)


無謀に燃やしてしまったバルバリッチの寿命が

全体の採算に見合うのか、シャンは焦って考えている。

なによりもこの状況、まだ何度も同じことが起こりえるのだ。


「どうか、慈悲を」

少女の柔らかな声に、悪魔と人間はぞっとする。

彼らの眼の前にあったレナードのミンチが消えた、

そして代わりに、直前のまっさらな姿に復元されたレナードがいる。


(がんばれぇ!! 頼むから勝ってくれぇ!!)

「状況全てをまだ把握できてないけど興奮してきた!! やれー!!」

シャンの声なき声とチェシカの歓声は、

バルバリッチの吠え声に掻き消えた。


誰の予定にもなかった、血なまぐさい泥仕合が始まってしまった。


レナードの主観では、相当長い時間、地獄が続いていた。

全身の骨と筋線維が砕ける激痛がどこかぼやけて記憶に残っている。


チェシカは三度目にしてようやくレナードの体を捕まえ、

クリスの腕の中からひったくる。二者は高く宙に浮いた。


「――うええッ」

復元による思考の混濁と、

全身が振り回される感触に、レナードは吐き気を催した。

どうにか殺意を絶やさぬままこらえる。


人間達は焦燥のこもった視線を互いに向けた。

バルバリッチは脚に力を込める。

(ダメだァ!! ジャンプはダメだ、カモにされるぞ!)

シャンの警告もむなしく、

死に物狂いのバルバリッチは大地を蹴り上げた。


「よくよく見たらそれだけ丈夫な殻に守られてるってことは、

 私は中身の心配しなくてもいいわよ、ねっ!!」


チェシカの宣言と共に、

バルバリッチの進路は検討違いの方向へ弾かれた。

(「ア―――ああァァァ―――!!!」)


人間砲弾は天高く打ち上げられたあと、

瓦礫にぶつかりながら着地した。


バルバリッチの体は、なおも傷ひとつ負っていない。

だがその肌は枯れ木のようにしなびていた。

死ななかったことにするため、支払っていた寿命が尽きかけている。

仰向けに倒れたのは、自らの着込んだ鎧に今にも潰されそうな老人だ。


チェシカはレナードを地に降ろすと、すました顔で隣に並んだ。

「うん。死んだ時の契約確認は先送りだったし、

 こうして無事に? ……立っているし、取引は続投ってことで」

レナードは返事をしなかった。

チェシカはその態度を、拒否されなかったと解釈した。


単にレナードは、今はチェシカのことより

クリスの方が気になっているだけだ。

「なにしようとしてやがる、てめえ」


クリスは枯れたバルバリッチの隣へ、

脚をくじいたかのような歩き方で、近寄ろうとしていた。


「私は、貴方に罪を重ねて欲しくありません。

 人殺しは、人間の心を病ませる原因になりますから。

 それをただ見過ごすのは、愛を与えるのにふさわしくないかと」

「余計なことをするんじゃねえよ。

 俺の機嫌を取りたいなら、俺にだけその力を使えばいいだろ」


「どうか、慈悲を」

少女の瞳は、凪いでいた。

それは憐れみを乞うにしては、あまりにも無感情な顔だ。


クリスの力によって、老いたバルバリッチの心臓は動き出した。

「……たすけてくれ」

バルバリッチはしわがれた声で、

無垢な白のヴェールを被る少女にすがろうとした。


しかし、クリスは彼の体を

心臓が止まる前に復元したことにより、何かを悟った。

「ごめんなさい、私の力では、

 老衰による天寿を迎える方は救えません。

 どうかその眠りが、安らかでありますように」


バルバリッチは今度こそ息絶えた。

そのうち鎧からぐずぐずと煙が漏れて、

地にふきだまったかと思うと、

それはうずくまったシャンの姿になった。


「こんなのってあんまりだぁよー!!!」

シャンは地面に突っ伏しておいおいと泣き叫んだ。

必要性はなかったが、チェシカは嘲笑われた仕返しとして、

シャンの隣に立って高笑いしておいた。


「ハーハッハッハ!! 悪くない気分!」


レナードとクリスは、沈黙していた。

クリスは黙ってバルバリッチの死体を見つめていたが、

やがてレナードの視線に気がつくと、

そちらにしっとりと笑いかけた。


「さてはてめえも、結構いい性格だな?」

レナードの言葉に、クリスはなにも答えなかった。

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