第4話 日常は変わらず流れていった
「じゃあぼくは帰りますんでみなさん頑張ってください、
なんなら今から違約金をまきあ……かき集めてこようと思います」
モスプラムは猫と荷物を抱え上げ、そそくさと退室しようとしていた。
「一度請け負った仕事から逃げるのか」
ゼンの叱咤の声に、モスプラムはとても嫌そうに振り向く。
バルバリッチが殺される一部始終の中継映像を見せられても、
ゼンは動揺していない。彼にはそこが不気味でたまらない。
「たしかに難易度は上がったが、やることは変わらないだろう」
「無理じゃん!! 反則技を使う殺人鬼に
いきなり外付けで復活機能がつくなんて聞いてないじゃん!!
おまけに主砲は先走って死んだんだよ!」
ゼンは立ち上がり伸びをした。
肉体の緊張をほぐすために、あえてゆっくりと動く。
「奴が一度で殺しきれないのは、
元々チェシカとの取引の可能性があったし、想定範囲だ。
それにあの天使は、ここで見慣れた悪魔達ほどの脅威にはなりえない」
「何を根拠に?!」
「奴は煙にならなかった。おそらく、なれなかった」
モスプラムはもう一度映像を見つめた。
天使を名乗った超常現象は、まだ片脚をひきずって歩いている。
「……たしかに土埃にまみれた悪魔って見たことない」
「それが奴の奇跡の代償なのだろう。合っているか?
ここには悪魔が何体もいるのだから、誰かわからないか」
ギイ、と椅子がきしむ音が響く。
人間達の後ろに控えるサリィだった。
「命を蘇らせる手管は、悪魔にとっても人間にとっても、
あまりに価値がつり上がり過ぎた。
おいそれと手を出せるものではなくなってしまったのだ。
だからここの皆は、死をごまかす手管の方が上手くなった」
部屋にあったのは安い骨組みの椅子だけのはずだが、
いつの間にか彼女お気に入りのロッキングチェアとすり替わっている。
サリィはゆらりゆらりと座ったまま揺れて、ゼンを見つめた。
振り返るゼンは、椅子を反転させてから座り直す。
「人を復活させる、それ以外の特権をできる限りそぎ落とし、
ようやく現実的な範囲で扱える力にした者……
そうした見立てで合っていると、私も推測する」
「あんたは殊更に親切だな、
私から直接取引するわけでもないのに」
憂鬱なサリィが、そこで初めて表情を変えた。
人形のように整った顔立ちに、つぅっと、
両耳まで裂けるような切り込みが入った。
彼女は口元をつりあげて、笑ったのだ。
「我々は、人間に親切だよ。
マニアリどのも貴方を気に入っているから、
どうぞ仲良くしてやっておくれ」
ゼンは視線をマニアリにやった。
その悪魔もサリィと似たような陰気な印象を受ける。
マニアリは片眼鏡を眼窩に嵌めた壮年男性の姿をしている。
両こめかみからは、人の指によく似た角が三本ずつ生えている。
「私は、サリィ様の親切の邪魔なんてとんでもない。
可能性だけでも畏れ多いため、黙っておりました」
マニアリは言いつくろった。
「ふん」
ゼンは、モスプラムから気味悪がられていると自覚していた。
だがむしろ彼女にとって不気味なのは、
悪魔達と、悪魔に慣れ切っている人間達だ。
本来、彼女は悪魔とは敵対すべき生業の人間であったのだから。
もはや彼女にとっては、遠い昔の話だが。
(私もこんなところまで流れつくとは……思いもしなかった)
彼女は自分の境遇に少しだけ思いを馳せた。
モスプラムは出口のそばで、やきもきと地団駄を踏んでいる。
「あのねえ、いくらアルルカンが
なんでも叶えてくれるたって命あっての物種でしょうが!
こんなの刺客じゃなくて生贄の間違いじゃないの?!」
「勝てば賄える」
「ウウーン!」
モスプラムがゼンにどう言い返すべきか唸りながら考えていると、
腕の中の猫が頭をぶつけてきた。
「カクタス、こんな時にやめてよ!」
「……だって、ゼンの言う通りだし、どんなに悩んでも仕方ない。
この仕事を投げ出しても、
君にはどん詰まりが待っているだけさ、モスプラム」
猫はなめらかに、そして小さく人語を発した。
カクタスの垂れた耳の内側には、
小さな突起がいくつも生えている。
「……やる、やるって、やるよう」
とうとうモスプラムは諦めたかのように、
もとい決心がついたように、とぼとぼ歩いて席に戻った。
「最初の標的はチェシカだ。可能なら天使がその次だな。
あとは我々の寿命が尽きるより先に、レナードをすり潰し続けて、
終わったらアルルカンに補填と報酬をもらう。
予定に大幅な変更はない」
ゼンは自分に言い聞かせるように、計画を再確認する。
モスプラムもそれを頭の中で繰り返した。
映像の中でのレナード達は、
移動手段のバイクを掘り起こし、街の中心部に出かける様子だった。
「私達も昼飯を食べに行こうか」
「場合によっては最後の昼ごはんになるんだよなあ」
悲観的なモスプラムであったが、
(せめてカクタスに頼んで、ちょっと豪華なごちそうを食べよう。
そうさ、勝てばいくらでもステーキでもパフェも食べられるさ!)
なんて考えると、少し元気と勇気が出てきた様子だった。
ゼンは自らの得物を背負い直す。
「……ではこれで、説明会、兼ブリーフィングを解散、ということで」
マニアリが宣言し、映像と部屋の明かりは途絶えた。
ゼンについていくため、彼の姿もふっつり掻き消えた。
しばしサリィが、無人となった部屋の暗がりに佇む。
ロッキングチェアが揺れる音をただ響かせて。
---
「なあ、あれ、ひょっとしてレナードじゃないか」
貧相なキッチンカーの前に、何人かの客が並んでいた。
薬物中毒者とおぼしき者はひどく酔ったような目つきをしていたが、
向かってくるバイクを、そして乗り手の
黒コートの裾がはためく様子を見止めると、一気に顔を青くさせた。
「――レナードが出たぞォ!!」
「ヒイィーッ!」
ちょっとしたことで殺し合いと略奪が発生するイースト・スラムだが、
レナードの存在は誰にとっても恐ろしいものとして広まっていた。
むくつけき悪人達が一様に恐怖し、我先にと逃げ出す。
遊具の残骸がいくつか配置された広場の中で、
レナードのバイクはキッチンカーの手前で停まろうとしていた。
彼はヘルメットを装着していたが、
座席の後ろに乗せられた少女は、金の長髪をなびかせるままだ。
クリスは乱れた髪とヴェールを整えてから、肌寒そうに腕をさすった。
そして錆びかけた小さなパイプを杖代わりにして、そっと地面に降りる。
怪我をしている天使には眼もくれず、
レナードはキッチンカーの店主に声をかけに行く。
「よう」
脂汗とひきつった笑みを浮かべる店主の目線は、
レナードと対面する度にひどく泳ぐ。
死神を前にしても、彼だけは逃げ出せない。
ここで逃げ出せば追いかけられるか、さもなければ死ぬのだ。
「これと、これ二つずつだ。あとコーラ」
レナードはメニューを指差してから、
無造作にシワの寄った紙幣を渡した。
「誠心誠意お待たせすることなくお渡しいたします!!」
「飲み物はせめて無塩トマトジュースにしては?」
レナードの隣でそっとクリスがささやくが、彼は無視した。
レナードは風のように動く店主を目で追い、ふと気がつく。
車内の暗がりに見覚えのない男が立っていたからだ。
固定客がいるとはいえ、人を雇うほど儲かっているとは思えない。
そして、男が雇われた人間ではないとすぐにわかった。
後頭部から角が生えているのだ。
「あっ、ヤベ……殺さないでくれよ!
もちろんおれじゃなくて店主の話だ!
用心棒やるにしちゃ、あんたはかなりやりづらい」
レナードと目が合ってしまったことに気がつくと、
牽制したいのだろうが、悪魔はしどろもどろと腕を振った。
「あら、てっきり料理スキルで売り込んでいるとばかり思った」
ついさっき泣きわめかせたばかりのシャンを、
何もない空中から湧き出たチェシカがからかう。
彼女は渋い顔をするレナードに笑顔を向ける。
「ただいまレナード、10分もかからなかったでしょう?
正確にかかった時間を言えば6分42秒。
だからそんな怖い顔しないでよ!」
「お前がいない時の俺は、
普段の倍、余計な気を遣わなきゃならねえんだぞ」
事実、レナードの余計な殺意が道中で数名の命を奪っている。
だがその実数は、レナード自身にも把握できない。
チェシカをはじめとした悪魔だけが、
正確にカウントしているかもしれない。
「お待たせいたしましたァレナード様ァ!!」
「うるせえ」
「すいませんでした……殺さないで……」
「その髭面が見えないように引っ込んでろ」
やがてレナードはキッチンカーの側面に背を預け、
出来上がったばかりのホットサンドをむさぼった。
遠くに銃声や怒り狂った叫びが聞こえるが、この広場は静かなものだ。
レナードが殺そうなんて思わなくても、
いつもどこかで誰かが死んでいた。
現在、レナードの気を病ませる可能性があるのは、
人間達の生活行為よりも、悪魔達のおしゃべりだった。
「予報紙を更新してきたのか、忌々しいなあ」
「あんたもあのあと最新版を取ってきたみたいじゃない?」
「そりゃあ、そいつの存在を知ったら、そうなるだろ!」
シャンはいまいましそうにクリスに視線を向けたが、
クリスの方は、チェシカが手にしたものを熱心に見つめている。
それは新聞紙のようだが、紙面の文字は人間ではとても読めない。
あまりに小さく、複雑な画数の字がびっしりと並んでいるのだ。
「イレギュラー極まる小娘の天使め……あれ?
なんかもうそこまで小さくない?」
クリスの身長は、シャンが最初に見かけた時よりもかなり伸びた。
どちらかというとふっくらした腕も、いつのまにかすらりと形を変えている。
幼い子供からちょっとだけ成長した、少女の姿だ。
「とにかく、アンタみたいな客が来るなんて、
朝の時点ではだーれも知らなかった。
この街の全てを観測している魔神ですら、予報紙に示さなかった。
しかし現れた後の予報は一変していた!」
「まあ。私、どちらかといえば
力のない存在だと自認しているのですが」
事態をわかっているのかそうではないのか、
クリスは驚いたような声をあげた。
「絶対えらいことになるぞ、見たろこの……このへん!
かき集められるだけの価値を集めなきゃいけない!」
「そこでなんでこんなさびれた屋台の用心棒を志願するやら」
「パッとしてないところで頑張ってる奴ほど
肩入れしちまいたくなるの!!
わかってんだろ、後先考えられない人間ほど応援したくなるんだよ……」
壁越しにシャンの声を聞いた店主が、
密かに傷ついた顔をしたが、今度こそ悪魔達ですら気がつかない。
「まあ、そのへんはよその価値観だし、どうでもいいけどね」
「おい、チェシカ」
レナードは触れられないだろうとわかっていても、
悪魔の予報紙をむしり取ろうと手を伸ばした。
それをチェシカはつま先立ちして、腕を高く上げて邪魔をする。
つま先が拳二つより更に浮いて、レナードの手には絶対届かなくなった。
「貴方には詳しい内容を教えられない。
でもお互いの不利益にならないよう努めさせてもらうわ」
「せめていつ、誰が襲ってくるか教えろ」
「そのあたりの記述はねえ、
アルルカンに買収されてるみたいなのよ。
向こうはずいぶんと払いが良いみたいで、
私から価値を積むのはためらうのよね」
やれやれ困った、というような態度をとってはいるものの、
悪魔の顔は楽しげでもある。
未来予想を眺めてうきうきしている時のチェシカは、
レナードにとってろくでもないことが起こる前兆に違いない。
「くそったれが」
レナードは残っていたコーラを一気に飲み干し終え、
少し考えると、夕飯の分も買い込むことにした。
「追加だ、早く出てこい」
「ハイッ!」
「レナードさんはサンドイッチが好物なのですか?」
「違う。まともな食材がまともな味付けで出るのが
このへんではそこのオンボロしかねえんだ」
レナードが移動しようとすると、クリスも隣にくっついていこうとする。
「お前はいい加減その足を治せ! うっとうしい!」
杖をつく音がうるさく思えて、レナードは怒鳴った。
「私を気にかけてくれているのですか?」
天使が嬉しそうな顔をするので、彼はなおさら気に入らない。
「人が誰かのことを考える時、それは愛に変わることもあります。
世界に愛が増えれば、私は価値を感じます……」
「気にかけてはいない。いいか。
てめえは俺が死ぬのは困るんだろ。
それで自分の傷を治せる力もあるだろうに、
あとで俺のために使おうと思ってケチってやがる」
「その認識で間違いありません。
この姿は、私の力として燃やせる価値は有限ですから」
「大通りでマシンガンを乱射してきた奴がいるとする。
ここではさほど珍しくもない。
そこで走って逃げたらなんともなかったかもしれないが、
足引きずって逃げ遅れて体を穴だらけにしたとする。
大損だろうが」
「なるほど、それもそうですね」
レナードの端的な説得を聞くと、クリスは納得したようだ。
彼女は杖にしていた鉄パイプをそっと脇に置いて、
二本の脚でしっかり立った。
あざの浮いていた脛は、すっかり元のきれいな肌に戻っていた。
(なんてのんきな奴だ。
こいつは人間よりよほど愚かなのか?)
レナードは呆れたというよりは、愕然としていた。
今までどんなところで生きていたら、
こんな荒んだ場所でも、こんな振舞いをするようになるのだ。
(悪魔達が人間達を食い物にする時と同じように
俺はこいつを食い物にしてやる。
人にいいことをしてやりたいなんて、
こいつも、こいつの取引相手もただ利用されるだけの大馬鹿だ)
人間達が寿命を支払うのによく似て、
この天使の姿は成長して、やがて朽ちていくのだろう。
レナードは殺意とも違う、暗い眼を天使に向けていた。
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