第5話 二輪車が元国道を行く


レナードのバイクは街の中心部へと向かっている。

彼の(もう全壊した)根城周囲は更地のようだと表現したが、

実はイースト・スラムのほとんどは更地と廃墟で構成されていた。


荒れた景観の中ではごく稀に、

人間が悪魔との取引で得たであろう豪邸が建っていることがある。

ただしそれぞれ建築様式も違うので、

それらが連なって並んだりすると不要に混沌とした景色になった。


どこもかしこもちぐはぐな街の中に、

遠くからでもそれとわかる、ひと際高い建造物があった。

かつてこの街が主要都市であった面影を、唯一残している区画でもある。

観光客向けのホテルであったそこが、アルルカンの根城であった。


風を切って走る黒鉄の隣で、悪魔のチェシカが飛んでいる。

鳥のように軽やかに浮かび、並走していた彼女はふと空を見上げた。


「ごめんレナード! また離れる」

「またか!」


ヘルメットに覆われたレナードの表情は不明だが、

間違いなく機嫌が悪くなった。

「こんな時でもそれなりに大変なものが降ってくるらしいから。

 ほっとくとレナードも危なくなりそうだから許してよ」


そう言う間にもチェシカの体は、高く高く飛び上がっていく。

「今度こそ5分ぐらいで帰ってくるから!」

彼女の身体はあっという間に天の彼方へ、

レナードとクリスの位置からは黒い点のようにしか見えなくなった。


「さて」

チェシカは高層雲と並べる高さまでやってきただろうか。

既に何体か他の悪魔の影が見える。

予報紙にも載っていたので、察知した者は多いだろう。

チェシカは両手でひさしをつくるようにして、遠くを覗き込んだ。


空の彼方から音よりもなお加速してやってくるのは、

悪の巣窟イースト・スラムに着弾予定のミサイルだ。

どこから飛んできたかは、この際あまり重要ではない。

悪魔と悪魔に囲われた悪人だらけ街なんて眼の仇にされがちなのだ。


「よし、やるか」

チェシカは両腕を伸ばす。

レナードを狙う銃弾を逸らす時と同じように、

しかしいつもよりは気合をいれて、空の一点をじっと見つめる。

特に示し合わせた訳でもないが、

チェシカ以外の悪魔達も同じ体勢をとった。


「……しんどいなー!」

チェシカは辛そうな声を出したが、彼女達の仕事はもう終わった。

巨大質量の軌道を変更するのはそれなりの負担だったようで、

宙を飛ぶ悪魔達は各々肩を回したり伸びをはじめる。


ミサイルの軌道は、街のはずれの方へと逸れた。

速度も落ちていき、ほとんど墜落するかのような恰好だ。

妨害専門家の悪魔達の次にあらわれるのは、

物質的な価値に執着する悪魔達である。


街の領域に入った時点で、それは街の所有物であり、

(早い者勝ちではあるが)街の悪魔と人間たちが所有する権利をもつ。

彼らはミサイルが地面に到着するよりも早く、その表面に取りつく。

兵器は爆発するよりも先に黄金の煙に分解されて、無力化させられた。


「これでよし」

鉄くずひとつ残さず消えたミサイルを見届けると、

チェシカは満足気に頷いた。

同業者たちへの挨拶は省略し、

手を振りながら地上へと降りて行った。


彼女の背中を見送る悪魔の中には、

片眼鏡を嵌めた陰気なマニアリの姿もあった。


「マニアリはさ、サリィと繋がりがあるんだって?

 なんとか会わせてくれよ、

 でなきゃあの人の気が変わるように説得してくれ」

悪魔のひとりが彼に話しかけたが、マニアリは断った。


「サリィ様の意向に背くことはできませんな」

「直に取引したか、弱音でも握られてる訳ェ?」

「強いて言えば最近の趣味です」


「趣味かァ……

 趣味って言われちまうと人間相手でも悪魔相手でも

 めんどくさいんだよな……」

同業者がぼやくのを背に、マニアリも地上に戻る。


---


異様な広さの部屋の壁三面は、無数の小窓で区切られている。

小さな区切りひとつひとつの正体は、

投影機によって映し出された街のあらゆる営みだ。

あるいは街の外の一部の景色もそこにある。


そして床のあちこちで塔のように積み上がっているのは、

サリィとアルルカンそれぞれが

お気に入りの場面を収めたアルバム達だ。

この街の人間の死と絶望の瞬間が、丁寧に切り取られていた。


サリィは椅子を揺らしながら、予報紙を眺めている。

アルルカンは小窓のひとつに歩み寄り、じっと覗き込んでいた。

荒地でひとりぼっちで横たわるライオンが、

ハゲワシやハイエナに狙われているシーン。


「なあサリィ……もしかすると、

 俺になにか隠し事でもしてんのかい?

 予報紙には何か、面白いことが書いてあったのか?」


問いかけながら振り向いたアルルカンの顔は、

なだらかで真っ黒な仮面に覆われていた。

覗き穴だけは開いているが、

その奥にある瞳の色も闇でわからない。


「私は、アルルカンに親切にしてやろうと思いついた。

 サプライズプレゼントのような……ものだ」


「そうかい? 

 うーん、サリィがそこまで言うなら

 楽しみにとっておくかね! くくく!」


アルルカンは別の小窓を覗きに歩いていった。

新しい窓に映っているのは、

疾走するレナードのバイクだ。


「どっから連れてきたか知らないが、

 可愛い子連れてるじゃないか。物珍しい恰好だよなァ!」


---


「私もヘルメットを用意すべきなのでしょうか」

クリスはレナードの背中にしがみつきながら、ぽつりと呟いた。


「自分の安全を気にかけることが、

 まわりまわってレナードさんを助ける時に役立つなら、

 もっと気をつかうべきなのでしょうか?」


レナードのバイクが急停止したため、

クリスの体重が前のめりになり、レナードの背中に圧がかかる。


「ほんっとうるせえぞ、てめえ」

レナードは自分のヘルメットを脱ぐと、

乱雑にクリスに被せてやった。その後、改めてバイクは発進した。


「すいません! これではレナードさんの安全が損なわれるので、

 あまり意味がないというか、すなわち本末転倒ではないでしょうか!」

クリスが、うなる風とエンジン音に囲まれた中で、大きく声を出している。

それはレナードもわかっているが、無視した。

いつの間にかチェシカがまた隣にいて、にやにやと笑っている。


「お揃いでもうひとつ用意してあげましょうか?

 それにこの先はサポーターや防刃チョッキとか

 あればあるだけ安心しない? お安くしておくけれど」


「俺の住んでた家の瓦礫の価値は、どのくらいだ」

商機を見出したらしいチェシカの表情は生き生きとしていたが、

それを聞くと呆れたものに変わった。


「ガラクタをおしつけてきたと思ったら、

 よくもまあアレで交渉する気になるわね!」

そうは言いながら、彼女の腕の中にはひとつのヘルメットが出現した。


「そう言いながら回収しちゃった私も私だけどさ。

 今回はほとんどおまけだからね」

小さくつけくわえながら、

チェシカはレナードにヘルメットを被せてやった。


「これで一安心ですね!」

やりとりを見ていたクリスから、ほっとしたような声の評価があった。

「こんなのあってもなくても、死ぬときは死ぬ」

レナードは、ぼそりと返事をした。


突如として、レナードのバイクの燃料タンク部分は爆発した。


(今日はあと何回、こんなことを繰り返せば

 アルルカンのところにたどり着くのか……)

宙に投げ出されながら、レナードは考え事をしていた。


(人生においてあと何回、ふざけたことに巻き込まれる?

 それは俺が死ぬか、俺以外全員死ぬかまで続くかもしれんのか?)


レナードが平然としていられるのは、

チェシカが既に事態に対応しているからだ。

彼の体は爆発に巻き込まれるより先に宙へと浮いていた。


レナードは少しだけ視線を傾けた。

自分とは別の方向へ、打ち上げられる天使が見える。

ワンピースの裾は焦げているが、大きなケガはまだなさそうだ。

ヘルメットのバイザーは黒く、表情は見えない。


思いのほかゆったりした時間感覚の中で、

レナードはまだ考え事を続ける。

(俺はあいつの財産をしぼり取ってやりたい。

 悪魔達は人間の価値を奪う時、どうやっている?

 よく知っている方法の、真似をすれば簡単なはずだ)


「チェシカ……」

結論は出ているも同然だが、実行するのはしゃくに障る。

自分以外を助けるような行為は、

レナードが人殺しになってからの人生で、これが初めてかもしれない。


(俺の命を長引かせたいなら

 防刃ベストを出すよりも先に、天使を無傷で助け出せ)

「了解!」


言葉にせずとも考えただけで、悪魔は融通を利かせてくれた。

レナードはタン、と両足での着地に成功した。

クリスはやや干渉が遅れたせいか、

ごちんとヘルメットから着地させられた。

「成程、こうやって役に立つのですね……」


超自然発火能力パイロキネシス! でも悪魔の直接干渉ではない」

「じゃあ人間の力だな? 殺せる」

レナードとクリスは無傷だ。

そして殺人鬼の意思は四方に放たれたあとだ。


また三名の周囲で爆発が立て続けに起こる。

チェシカは人間と天使への直撃を妨害しつつ、

彼らの視覚や聴覚を保護する。


(早く死ね)

レナードは自らを害そうと考える者すべてを呪った。

まだ攻撃は止みそうにない。

命を使い潰させるために、見えない相手に殺意を燃やし続ける。

発火に紛れて、新たにエンジン音が三名に向かってきていた。


「レナード、先にあいつ!

 向こうのあいつの方から全力でやっつけてくれない?!」

「ああ?!」


レナードはチェシカに背中を蹴られて振り返った。

悪魔が悔しがる顔を見たことはあっても、

ここまで怯えた顔はレナードも初めて見た。


ぼろのスクーターにまたがった長身の女が、

まっしぐらにこちらへとやってくる。

進路がかるくよろめく様子から、レナードの殺意は効いている。

が、やはりまだ命が尽きる気配はない。

そしてバイクの影の中から、一体の悪魔がぬうと出現する。


「はっ、破産させられるッ! 冗談じゃない!!」

チェシカの声音はわなないている。

恐怖の視線は、女の背負った長物の刃に向けられていた。

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