第6話 精霊銀の穂先
モスプラムは祈るように指を組んでいた、
指に強く力をこめすぎて、手の甲は爪が刺さり血がにじんでいる。
彼の周囲からは霜が割れるような、奇妙な音が断続的に鳴っている。
ある種の超能力をもつ人間が極度に集中する際、
そのような怪音がもたらされることがあるという。
「くそお、絶対もう何人か揃ってからがよかったってえ……
正気の沙汰じゃない」
「がんばれ、モスプラム」
うずくまる人間の隣では、喋る黒猫がのんびりとへそを空に向けていた。
モスプラム達は小高いビルの屋上、
レナードのバイクが破裂した事故現場からかなり離れた場所にいた。
彼らはサリィから貸し出された小型の投影機のおかげで、
刻一刻と変わる状況を追うことができる。
「なにか気を紛らわせるような話をしていてよ、
怖くて気が狂いそうだから」
モスプラムは自分の心臓が奇妙に動くのを感じ取る。
いきなり拍動が早くなって、そのまま爆発するような嫌な感触。
これこそがレナードの殺意の力だと身をもって知りながら、
悪魔の力で体内の不吉が寸止めされる。
これがもうモスプラムの体の中で数十回も繰り返されていた。
「それじゃあ、ゼンのもっていた精霊銀の話でもしようか。
彼女のもっていた槍の穂先に使われていた、青い銀色さ」
黒猫の声は子供に昔話を聞かせるような、優しい響きをしていた。
「精霊銀は人間達の願いに応えるため、
超常存在達がしぶしぶ創った物質さ。
悪魔に騙されたから復讐したいとか、その手の願いを叶えるために、
同業から嫌われるのを覚悟して提供した精霊がいるんだね」
「うん……」
「悪魔は命がないって言われているけれど、
精霊銀に切り裂かれると、身に蓄えてきた価値を失ってしまう。
だから僕らはあの武器がすごく苦手なんだ」
「聞いたこともない話だね」
「そりゃめったに出会うものじゃないから。
チェシカの顔を見たところ、
知識はあるけど実物を目撃するのは初めてかな?」
モスプラムの視線がレナードからチェシカへずれたが、
どちらにせよ爆炎に阻まれるので標的たちの顔はよく見えない。
脂汗が彼の頬をつたい、顎から落ちていく。
(集中、集中し続けろ)
「……もしある悪魔がこれまで集めたすべての価値を失い、
物理的世界に干渉するための燃料すら残らなければ、
『封印された』とか、もっと俗なら『破産した』とか表現される。
闇の中でなにもできない退屈は――僕らにとって死に等しい!」
今にも心が折れそうなモスプラムだったが、
一瞬だけ瞳の光が強くなった。
希望の灯火を見出したような光だった。
(頼むよ、頑張ってくれよう、ゼン……)
---
(誰かに励まされるまでもなく、やれることはやる)
ゼンの手中のデリンジャーが火を吹いた。
狙ったのはクリスの胴や脚であったが、
やはり弾道が悪魔により逸らされていることが確認できる。
「駄目だった」
彼女は撃ち終わった拳銃をほとんど捨てるかのように、
無造作にマニアリの方へ投げた。
「そもそも動いている状態での狙撃は、慣れてなければ難しいかと」
「知っている。浮気はするものじゃないな」
ゼンは呼吸を整え、改めて標的を見据える。
(天使も保護対象に入ったか。
それが悪魔の利益になるなら、そうなるのも当然だろう。
やはりいつもの得物でなくば)
「マニアリ! あんたと直接話す機会ってあんまりなかったわね!」
まだ距離があるが、悪魔同士なら会話に問題ないのだろう。
無表情なマニアリに対してチェシカは不敵に笑い返そうとしたが、
その動きはいかにもぎこちなく、視線は槍の切っ先から外せずにいる。
「さっき空の上でお会いしましたよ」
「どうだったかしらねえ、急いでいたからわからないわよ!!」
会話中もレナード達の周りでは空気が爆発し続けていた。
チェシカはレナードとクリスへの火炎直撃を妨害し続けている。
悪魔は音に合わせて赤髪を震わせ、腕を振り、
やがてそれは見えない壁一面に生えた鍵盤を叩くような、
操り人形の糸を調整するような、
パントマイムにも似た奇妙な動きに近づきつつあった。
「――エエエいッ!!」
甲高い怪鳥音のような声と共に、
長身の女はスクーターの座席の上に立ち、跳躍した。
二輪車は減速無しにレナードに向けて突っ込んでくる。
チェシカはレナードの背中を掴んで飛び下がった。
そしてスクーターの燃料タンクは
内部からの小さな爆発により、大炎上を起こした。
チェシカは熱風を逸らし、更に後方へ下がろうとするが、
彼女はいきなり重力を思い出したかのように急降下した。
「うぅっ!」
マニアリの両腕もまた、見えぬ指揮棒を振るうように動いていた。
悪魔達は見えない力で互いを牽制している様子だ。
「あなたの逸らし方や、宙へと飛ぼうとする時のクセは……
事前にあなたと旧知の悪魔から詳しく聞いています」
「シャンかあの野郎ッ!! 絶対許せねえ!!」
チェシカは全力でキレていたが、
レナードを保護する手腕はいまだ正確無比だ。
そこにマニアリの支援によって滞空していたゼンが、
鷹のような鋭さを伴って落ちてくる。
槍の切っ先はレナードの顔面すれすれを掠める。
あと半歩近ければ顔が両断されていたかもしれない。
ゼンが更に前へと踏み込む。
その突きはレナードの鳩尾と喉笛をそれぞれ打ったが、
直撃を不可視の薄い壁が阻んだ。
そして三打目は、レナードの顔の脇をかすめながら、
後ろのチェシカの顔面に吸い込まれようとしていた。
「ぎいぃイヤッ! 破産ヤダーッ!」
無論チェシカ自身も槍を警戒していたが、
どうもレナードを守りながらとなると防壁は薄くなる。
彼女は紙一重で避けるが、一筋の赤髪が穂先に切り取られた。
悪魔から離れた髪は無色の煙になり、
首飾り、誰かの遺髪の束、アイスピックなどの形に膨れ上がったと思うと、
砕けるように霧散した。
「私のコレクションぐァッ!!」
「害されるのが嫌なら、その男をここに置いていけ」
「大事な収入源を手放すのも嫌ッ!」
「チェシカァ!」
レナードは思い切り地面を両脚で蹴り上げた。
意図を汲み取ったチェシカはもう一度、
泣きそうな顔のままレナードを持ち上げる。
今度は物理的推進力の助けもあってか、二者はまともに後ろに跳んだ。
「あの女ァ、さっきから手応えねえが人間であってるんだな?」
「マニアリが張り切って大サービスしてやってるんでしょう。
あいつらそういう目をしてるもの!」
チェシカは槍から距離がとれたおかげか、いくらか落ち着いた様子だ。
「あいつは『自分の命が惜しくない奴』が好きって聞いたことある、
面倒だろうけど諦めないで殺し続けておいて!」
ゼンが二者の方へと追い縋ってくる。
あまりの速さにレナードは悪魔の助力を疑ったが、
それは彼女の純粋な歩法技術と脚力の賜物だ。
(心臓の違和感も少し慣れた。
だがあと何回、あいつの殺意に耐えていられる?)
ゼンが死をなかったことにするために燃やす若さは、
他の人間と比べて明らかに安く済んでいた。
しかし彼女自身は、一秒ごとに肉体のたしかな衰えを感じ取る。
槍を振るうために必要な若さ、全盛期が、
彼女にとっては恐ろしい速度で遠のく。
(モスプラムは……まだやれるか?)
レナードの周囲の爆発間隔はじょじょに長くなっていき、
威力そのものも減衰していく。
一方で路上の遠くの方では、クリスが頑張って走っていた。
「なんということでしょう、
みんなあっという間にあそこまで遠くに……」
クリスが路上に放り出され、ようやく立ち上がった時には、
みんなにすっかり置いていかれてしまった。
なお彼女の周りでも小爆発は起きており、
チェシカの守護もまた彼女から爆風と熱を逸らす。
そして爆風と入れ替わりで、彼女の周囲に銃弾が踊り始めた。
「いたぞ、レナードだぁ!! ――げぼあっ!」
いつの間にやら十数人のならず者達、
ついでに彼らとの取引を狙う悪魔がゼンとレナードを取り囲んでいる。
無論ならず者達もレナードの殺意に晒されているので、
痛痒と緊張で派手に胃液を吐くものもいた。
「俺達も聞いたぜ、
アルルカンが今度はなんでも願いを叶えてくれるって……」
「ここで殺しに行かなきゃ男が廃るだろって心がささやくンだヨ!」
おたけびと共にゼンとレナードの間に割って入ろうとする者もいた。
が、一定の距離から見えない壁に阻まれたように近づけないでいる。
マニアリは寄ってきた悪魔達の数を確認して、壁の強度を更に強めた。
仕方なしに発砲すると、どうやら凶弾は素通りできる。
だから全員とにかく手持ちの銃で撃ちまくる。
「こんな時に限ってバカ共が寄ってたかってよぉッ!」
被っていたヘルメットを投げ捨てたレナードの顔には、
大量の汗が浮かんでいた。
死んでくれと呪うだけでも、消耗し続けるものはあるらしい。
とうとう発火能力者はこと切れたのだろう、周囲の爆発は止んだ。
だが今度は銃弾だの得体のしれない力をまとったナイフだの、
凶器の雨がレナードとチェシカを苛んでいた。
無差別な銃撃の余波はゼンにも及んでいたが、
彼女にはマニアリの保護が十全に働いている。
対してチェシカは、自身とレナードとクリス、
三者の保護に力を割り振りしなければならなかった。
「私じゃちょっと手数が足りないかも」
背後のチェシカが冷静に、素直に弱音を吐いた。
レナードの経験からして、それはこれまでにない危機を示す。
(仕方ねえ、ならやれ)
レナードはチェシカを一瞥した。
悪魔は思考をそのままに読み取る。
「本当にそれでいい?」
(ここで使わなきゃなんのために囲った天使だ?)
「――なんていうか私にとっては不快で不安な提案なのよねえ!」
チェシカはひどく苦々しい顔でレナードを突き放した。
ゼンは眼を見開く。
間近で感じる殺意の呪いが、
激しい向かい風に似て全身を撫でたように感じた。
「がっ、あ」
レナードはわざと、自らの腹部に槍が刺さるように飛び込んできた。
彼女も敵対者の自殺行為を、とっさにかわす経験はなかった。
それも怯えを隠せていない眼をしたままの相手を。
「痛え。痛くて今にも死にそうだ」
口の端をひきつらせるレナードは、
そのまま槍の柄を掴み、ゼンが押しも引きもできないよう力を込める。
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