第7話 実体なき凶器


(痛覚は必要最低限に調整してあげたけども、このおぞましさよ!)

後で復元されると折り込み済みでも、

お気に入りのガラス細工を自らの手で粉々にするような所業だ。

チェシカは自らの行為に歯噛みした。


「マズイぜ!! 手柄があのデカ女ひとりに取られちまう!」

(ああ、まずい。まんまと悪魔にも天使にも距離を取られた)

ゼンは力任せに槍を引こうとするが、

レナードは予想外に粘り続け、

穂先を自分の腹に埋めたまま動こうとしなかった。


そしてゼンの槍が自由になったのも突然だった。

レナードの体はならず者達の銃弾の干渉により、穴だらけになってしまった。

人形のように力をなくしたレナードが、そのままぐらりと地面に倒れた。

「しまった……!」


「待て! この場合の取分どうなるんだ?」

「アルルカンなら全員分払ってくれるだろ!?」


「……んなわけあるか」

レナードの遺体が、消失した。

代わりに、離れた場所で座り込んだ天使の隣で

無傷のレナードが堂々と立っていた。


「はッ」

いきなり消えたレナードをまだ見つけられていない人間もいる。

レナードは滅多に手を付けることがない、ベルトのホルスターに手を伸ばした。


家なら拡声器があるのでそちらで用事を解決している。

実銃だと重くて疲れるので、出てくるのは音だけの空砲だ。

銃口を空に向けて引き金を引く。溜め込んだ憤怒が爆発した。


「クソどもがァッ!! いくら殺しても死なねえよ!!

 てめえらが死神呼ばわりしたせいで

 俺は本当に死ななくなったんだからなぁあ!!」


「なんだ?! レナードの悪魔がなにかしたんだ!」

「いや、でもあんなズタズタになってたのに……

 なんでちょっとも歳食ってないんだ?! ズルじゃないか?!」


ハッタリはかなり効いたようで、ゼン以外の邪魔者は動揺していた。

戦意が縮こまり、脚が引けている者もいる、

この場では逃げようと思った者から無為に死んでいくと決まっているのに。


「ひあっ、ぎ、ぐえ――」

「ま、まだ戦える、戦えるよなあ! まだ……!」

顔を青くして、おかしな声を上げながら倒れる者達が増えてきた。

集団側についた悪魔達は別れを惜しむような、

笑いをこらえるような顔で倒れていく人間を見守っている。


立て続けに空砲は鳴る。

「死ね! 死ね! 逃げる奴も全員!!

 この場で俺の姿を見た奴はすぐに死ね!」


ゼンは、まだ諦めきってはいなかった。

チェシカを狙い、槍が投擲された。

無論チェシカは槍の軌道を脇に逸らそうと調整する。

マニアリが更に妨害を重ねる形で、軌道が再修正される。


「んぎぎぃ!」

槍を力で退けるのは断念したチェシカは、

自力で身をひねって回避に成功した。

マニアリの支援によって、

槍はブーメランじみて回転しながらゼンの手元へと戻ってきた。

その頃にはゼン自身もチェシカの眼の前に。


(ああそれでも、そろそろか。私の時間が尽きる)

モスプラムの支援であろう爆炎が尽きた時に、

既に自分の寿命も無為に尽きる覚悟はしていた。

襲撃以降、標的から眼を離したことはない。

それでも周囲の様子は把握している。

もう銃声ひとつどころか、何の音もしない。


(こんなものか、私の終わりは)

戦いの幕引が近いのをはっきり自覚しながらも、

ゼンの体は動き続けている。

これまでの人生の積み重ねが、意識しなくとも繰り出され続ける。

その度に不可視の壁に穂先が阻まれる。

時間が経つほどに、動きは鈍り、牙が届く希望は無くなる。


(モスプラムをあれだけ焚き付けておいたくせに、

 つまらない終わり方だ。

 さすがに申し訳が立たないかもな)


ゼンの後方にそっと、マニアリが近づいてきた。

彼も精霊銀そのものは恐ろしいようで、

ある程度の距離を保っているが、ゼンに語り掛けてきた。

「……あなたの死後、精霊銀の槍は回収させて頂いても?」

「好きにしろ。死人が財宝を持っていても意味がない」


ゼンの肉体年齢が最盛期を遠く過ぎ、

技に体が追い付かなくなってからの方が、

マニアリにとって彼女の価値は更に上がった。

皮肉なことに彼女は年老いれば老いるほど、

老衰死までの時間が引き延ばされていく。


(なるほど悪魔の言う通り、

 自分の命そのものには、とやかくいうほど価値を感じない。

 ろくでもない死に方をするとは思っていた。

 だが……私は何故こうなるまで、

 もはや挽回もできないのに戦い続けていられるのか)


チェシカはもはや自分の保護にだけ集中すればよかった。

壁は倍以上に分厚く、ゼンでは貫くことはできない。

彼女の背後には、ただ一人への殺意の視線が被さる。

チェシカは老いたゼンを無感情な瞳で、何も言わずに見つめる。


(わかったぞ! 私はただもっと槍を振っていたかったのだ)


老婆は膝をついた。

しかし地に倒れ伏すことはなく、そのままの姿勢で絶命した。

彼女の死を見届けたマニアリとチェシカは、無言だった。

やがてマニアリは静かに胸を開き、空を仰ぎ見た。


「戦士ゼンが遺した価値よ、

 約束により、すべてマニアリの糧となるがいい」


ばっ、とゼンの遺体は黄金の煙に分解された。

別にかしこまった台詞の必要はなかった。

ただ、悪魔は気に入った人間の遺したものを

持ち帰る時に、特別に声をかけることがある。

それが彼らなりの敬意の表し方であった。


「いい価値でした。

 最後に自分の願望に思い至らなければ、もっとよかったのですが」


離れた方で煙が立ち上る様子を、レナードとクリスも眺めていた。

天使の姿はみずみずしさを残すが、

手放しに若いとは言えない頃合いに差し掛かっていた。


レナードは眼をすがめた。

こっちに向かっているチェシカの後ろを、

なぜかマニアリもついてくる。

チェシカが飛ぶように走り始めると、マニアリも走り始める。

マニアリがやがてチェシカを追い越す。


「っ……?!」

なんとマニアリの方が先に、レナードの目前にたどり着いた。

危機感にやや身を固くしたレナードに対して、

マニアリは丁寧な礼を返した。


「初めましてレナード様。

 先程から見ている限り、あなたの価値もなかなか魅力的です。

 なにか取引の予定はありませんか?

 チェシカがしぶっているせいで取り寄せられない物などは?

 私は彼女より事故死予防コストを低く取引できますよ」


「――こんにゃろ! やめなさい!! 私のレナードよ!!

 どうせ本気でもないくせにコナをかけるな! はやく帰りなさい!!」

追い付いたチェシカは、マニアリの後脛に執拗なローキックを繰り出す。

だがマニアリは微動だにしない。

こんな悪魔同士のじゃれあいは、彼にとって無意味で無価値だ。


「一回でも俺の敵になった奴は大嫌いだ。

 死なないなら早く眼の前から失せろ」

レナードの声音はつららのように冷たく鋭い。

おかげでチェシカがとても嬉しそうに両腕を振り上げた。


「いや……待て。ちょっと気が変わった」

「なんでぇ?」

チェシカが露骨に落ち込んだ顔をした。

レナードは周囲を見渡して、ちょっと歩いてからある物を拾い上げた。

先程まで愛用していたヘルメットだ。


「一欠けでいい。さっきの槍の欠片をよこせ」

「貴重な精霊銀を、

 そのようなガラクタで取引なさるおつもりですか」

「だってガラクタ大好きだろ、悪魔」


マニアリが少し憐れむような眼をチェシカを向けたので、彼女は憤慨した。

「なによっ! だって好きでしょう?!」


「それは悪魔によるかと。

 しかし、レナード様は取引の価値を軽く見るお方だったか」

マニアリは首を振った。

レナードは少し考えてから、ごそごそと自分のコートを脱ぎ始める。


「コートとオモチャの銃もつけてやる。

 一年以上それはそれは大事に手入れしていた」

「成程。私の最初の見立てよりも、

 貴方は自らの寿命をきちんと惜しんでいるらしい……さて」


レナードとマニアリの取引は、成立した。

レナードは消えたコートの代わりに手の平の上に落ちてきた、

針のような薄く細い金属片をしばらく見つめた。


「取引、ありがとうございました」

マニアリはレナードの機嫌を損ねないよう、

するりと輝く煙になりながら退散した。


「なんだか寒そうな恰好になってしまいましたね、

 もうすぐ日が沈みますが、そのような薄着で大丈夫ですか?」

クリスが話しかけてきたが、レナードは無視した。


「私はそれ、預からないからね」

へそを曲げてしまったのか、ただ精霊銀が怖いのか、

チェシカは眼を合わせようとしないままだ。

彼は針をハンカチで包み、ジーンズのポケットにしまった。


「チェシカ。俺がまだ殺しきれていない奴が

 この辺りにいるんじゃないか」

「え~、そんなのいつも通り『死ぬまで死ね』って念じれば……」


やっとチェシカが振り向き、レナードの顔を見た。

「…………」


その後、彼らはお互いの顔を見つめながら、黙って思案した。

チェシカが見る限り、

レナードはまだ苛立ちが収まりきっていないようだ。


「ふうん、そこまで言うなら探してきてあげましょうか」

チェシカはにこやかに表情を整えてから、

手のひらを差し出してきた。


「シャツはまだ必要だ」

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