第2話 死神も死ぬような日

『俺を殺そうと考える奴は今すぐ全員死ね!!』


レナードの怒声は、遠く離れたある場所でも観測されていた。

薄暗い部屋の壁には投影機によって、レナードのあばら屋が映る。

眺める人間が二名、機材の運用を担当している悪魔が一体、

それから人間達の足元をうろつく猫が一匹。


「これがついさっきの出来事で、

 ぼくらまさにレナードを殺すための算段を立てているけれど、

 まだ誰も死んではいないよね?」

「少なくとも私の体には、なんの異常もない」

「アルルカンの言ってた対策はひとまずは有効ッてことだよね」


若い男のパーカーフードからこぼれる髪は、

奇抜な蛍光色に染められている。

彼は寄ってきた猫を膝に載せながらしゃべり続けた。

もう一方はハカマをまとったの長身の女であり、

背後の壁に彼女の得物である槍が立てかけられている。


『レナードはひんぱんに死を送り込む条件に、殺意を指定する。

 ならば悪魔との取引により、読心や洗脳の力に対する防護を施せ。

 自らの殺意を隠せば、死の呪いも迷子になっちまうだろうさ』

……と、いうのがアルルカンの提案であった。


「でも弱ったなぁ、たとえば向かってくる奴ら全員死ねってのはさあ。

 なんの罪もない一般通行人が買い物しようとして、

 あいつのいる方角に歩いたら死んじゃうってことなのかな?」


殺意をごまかすだけでは、レナードの対策として十分とは言えない。

人間達はしっかりその事実を意識していた。

現に、機材の操作をしているマニアリは、一瞬だけ音声をゼロに調整した。

おそらくそうしなければ、人間達が無駄死にする可能性もあったのだろう。


「奴も四六時中、見境のない殺意を振りまいてはいないだろう。

 それでも、近づく時には覚悟がいるな。

 だからこそ我々も命の一部を奴らに差し出す」


「ぼくはイヤだな一回でも死ぬの。

 若さがどんどん損なわれるくせに、

 死の苦しさをごまかすには別払いしろなんて言われるしさ!」


「臆せば逆に死に近づくぞ、モスプラム」


流れ者の戦士であるゼンは、冷たい瞳で男を一瞥した。

モスプラムは居心地悪そうな顔をして、

猫を撫でようとして逃げ出された。

猫は不安からくる撫での荒さが気に入らなかったらしい。


「三人、最悪の超能力殺人鬼相手にたった三人の刺客ねえ、

 この街の王様に直々に見出されたとはいえねえ……」

彼はそわそわと、改めて辺りを見回した。


「バルバリッチはどこに行ったの? トイレかな?」

「バルバリッチどのと、シャンどのは」


暗がりから声を出した者を、人間二名は振り返った。

ラピスラズリと闇の混じったような長髪を腰まで垂らし、

黒タキシードを基調としたドレスをまとう、陰鬱な雰囲気の女性。

大悪魔サリィが突如として、そこに現れた。


彼女は暗い瞳で、ふたりの人間の価値を見定めるように、

じっと視線を注ぎながら、唇を開く。

「彼らは……単独でレナードに突撃するそうだ。止める間もなかった」

「は?」


---


「とりあえず、もう少し詳しく話せ。

 それからてめえをどうにか追っ払う方法を考える」


レナードは食卓の椅子にかけていたが、

そのたった一脚以外、腰かけられるような家具は全て壊れている。

一方、チェシカぐらいの余力ある悪魔なら、宙に腰かける程度は造作もない。

彼女がそこに腰を落としても空気椅子になるはずが、

ぼすんという柔らかい布地に受け止められたかのような音が鳴った。


クリスは少し首をかしげて、考えをまとめると、立ったまま話を始めた。


「私ははるか遠くの地からここへ至りました。

 価値の取引をしてくれた人間の願いを叶えるためです。

『世界中で最も愛されない人に、愛を与えられるだろうか』と

 相談されたので、私は肯定しました」


愛、というのはレナードもチェシカも久しく聞かない言葉であった。

クリスは話を続けていたが、

二者は腹ばいのペンギンのようにツルツル滑っていく

「愛」の響きを噛み砕こうと苦心している。


「様々な情報から判断して、

 レナードさんこそが彼女の考える愛の概念から、

 最も縁のない方だと判断いたしました。

 そして、私はあなたに愛を与えにやってきました」


「いらん世話だから取引相手のところに帰れ」


穏やかそうな天使は、ここでしっかり首を横に振った。

「ごめんなさい、それは不可能なのです。

 これは、彼女が死の間際に願ったものですから。

 彼女はもう存在しておらず、価値は前払いされました。

 私は願いを叶えるしかありません」


レナードは自らの眉間を揉んだ。

天使は悪魔と同じく命がないから殺せない。

同様に『面倒なことしやがってイライラさせるな殺すぞ』という脅し文句は、

向こうの取引相手である故人には通用しない。


「これは……どうすりゃいいんだ、チェシカ」

「そりゃあ天使ちゃんが満足するまで

 愛を注いでもらえばいいんじゃないの?」

「ふざけてんじゃねえぞ」


「私達はいつも真面目よ、

 それは天使の肩書のグループだって変わらないでしょう?」

「はい。私は特にジョークを解さないと評価されがちです。

 なので、かなり真面目な部類の天使だと思われます」


この世界で天使と悪魔に違いがあるとすれば、

『重んじる価値観』程度のものだ。


真面目な善人の魂に価値を感じているなら、

彼らはなるべく清廉で潔白な姿で取引をもちかけようとする。

逆に愚かな悪人から寿命を巻き上げることに価値を感じているなら、

刺激的な恰好をして挑発をする。

精霊も、妖怪も、幽霊も、地域や振る舞いで呼び名は違うが本質は同じである。

人間との取引、あるいは仲間内で価値の取引を求める、人以外の存在だった。


「あのな、融通の利かねえ化物はてめえ一人で十分だってんだよ」

「実害はないみたいだから、しばらく放っておいてもいいじゃない。

 レナードを取引相手にしたい、って言ったなら話は別だったけどね」


レナードはしぶとく天使を問い詰めることにした。

「具体的に愛を与えるっていうのは、どうやるつもりだ」

「そうですね……例をあげるなら、この家はひどく荒れ果てていますね。

 掃除し、補修をすれば、きっと貴方の心は穏やかさに近づきます。

 いかがでしょう? まずは掃除用具をそろえなければいけませんが……」


レナードは、背丈が自分の半分あるかどうかの天使を見つめた後、

その小ささで何時間かけて部屋中を磨くのか考えそうになった。

それから馬鹿馬鹿しさに呆れて、天井を仰いだ。

(チェシカの言う通り、空気だと思えばいいか?)


クリスはレナードの朝食の痕跡を見て取った。

「食生活もあまりよくない様子です。

 私は料理について得意とはいえませんが、栄養指導は可能ですよ。

 塩分が多いと高血圧などのリスクが高まりますし、

 ビタミン不足は体の調子を崩します」


レナードがちらりと顔を向けると、

クリスは使命感に満ち満ちた表情を浮かべている。

(気にせず過ごすのは無理かもしれん)


「ビタミン剤なら私がたまに出してあげてるわよ、

 生活保全サービスの範囲内だから」

チェシカは茶々を入れてくる程度で役に立ちそうにない。

早くも根負けしかけているレナードは、

悪魔に寿命や髪束いくらでうるさい天使を追い出せるか、

聞き出さねばならないと思い詰めはじめた。


「……どうした」

彼はそこで、チェシカの異変に気がつく。

彼女の顔はこわばり、視線と指先は震えている。


「うまく、逸らせないなこれは……

 なんて厄介な弾を用意してきたんだか……

 この感じ、シャンだな……あの野郎……」


ぶつぶつと呟いたあと、チェシカは早口でまくしたてた。

「レナード、まず四年六ヵ月で前取引しましょう。

 それなら私でも二回は死ななかったことにできる早く

 お釣りが出たらきっちり返す」

「いきな――」


取引の同意には遅かった。

晴天の霹靂のごとき、凄まじい轟音でレナードの台詞は途切れた。

彼はそのまま家の壁ごと、音速で飛び込んだ巨体にひき潰された。


砲弾が貫通したあばら屋が、ガラガラと音を立て崩壊した。

土煙の中から人間らしき影が勢いよく立ち上がった。


「成功だ!! 成功したぞ、シャン!!」

銀色にきらめいていたバリバリッチの装甲は、

人間だったクズ肉で真っ赤に染まった。


殺人者レナード、死す!

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