悪漢どもと悪魔達の街

沓石耕哉

第1話 そして天使が訪れた


念じるだけで人間を殺せる男がいた。

さらに悪いことに、彼はしばしば短気だった。

よって、彼の周囲ではささいな事柄でも人が死ぬ。

男は平穏とは程遠い生活をしていたという。


「レナード、また狙われてるわね。はい、もう逸らした」

食卓の傍で手帳を読み返していた悪魔が、壁を指差した。

壁には破砕音と共に、コイン程度の穴が空いた。


「……飯を邪魔するアホは死んじまえ」

レナードは呟き、ふたたび出来合いのサンドイッチをかじる。

具を飲み込む間、次の銃声は響かなかった。


「狙撃手は死んだか」

「たぶん死んだんじゃないの?」

「確認しろよ」

「だって貴方が『死ぬまで死んでろ』って念じた方が早いもの」


チェシカの髪の内側からは、二本の角が生えている。

長くたらした赤い髪が、黒のスーツの上でよく目立つ。

彼女はこの街にのさばる悪魔のひとりだ。

現在はレナードの寿命など、その他こまごまとした対価と引き換えに、

彼の命を健全に保つために働いている。


「なんだってんだ。

 最近ようやく落ち着いたと思ったら、またこんなか」

「心当たりはあるわね。

 伝え損ねていたけれど、貴方に対する懸賞金が跳ね上がったって」


レナードはハムチーズサンドを食べ終え、

ひき肉チリソースサンドに手を伸ばす。

その合間にも、チェシカに対してぼやいていた。


「倍額になっても俺を殺そうとするアホが増えると思えなかったがな。

 ほかに理由だとか、言い忘れたことはないだろうな」

「そうねえ。貴方を殺そうとしている刺客の何人かは、

 アルルカンが直接スカウトしたって。

 今の雑な手合いは関係ないはずだけれどね」


アルルカンの名を聞くと、レナードも食事の手を止めた。

その名は、掃きだめの街イースト・スラムで、

最も恐れられている名前のひとつであった。

人によっては大仰に、

強大な悪魔との取引に成功したこの街の王だともささやく。


彼とレナードと大きな違いを挙げるなら、

向こうの方がまだ人望と呼べるものがあることだろうか。


「なんでそこをもっと早く言わねえんだ、馬鹿が」

レナードはぎろり、とチェシカをにらむ。

しかし彼女は肩をすくめるだけで、反省しているかもわからない。

悪魔達には人間や動物のような命はないので、

レナードが殺意を向けても殺せないのだ。


「仕方ないじゃない。

 貴方が極悪人であればあるほど私は嬉しいもの。

 考えなしに殺せば殺すほど、

 貴方という存在の希少価値はつり上がる、

 私はそう信じているのだから」


悪魔達は、それぞれ独自の価値観を信仰していた。

自らが認めた価値をこの世に増やし、集める。

それこそが喜びによって悪魔の力を高める唯一の方法であり、

永遠を生きる彼らが退屈から逃れるための、至高の目的だからだ。


「かといって貴方がいきなり死んだり、契約打ち切りも困るんだから。

 こんな風に情報を流すタイミングにも気を遣ってるのよ?」

「ハァーッ……」


長いため息のあと、レナードは食事を終え、べたつく口元を拭った。

彼はのろのろと歩き、壁にかけてあった拡声器を手に取った。

そのまま部屋の窓を開けると、


「俺を殺そうと考える奴は今すぐ全員死ね!!」


ハウリングを起こすのもためらわずに、叫んだ。

レナードが念じるだけで人は死ぬので、

こうして声に出すのは威嚇行為の一種と言えた。


「この声が聞こえた範囲の連中もとっとと死ね!!

 誰も近づいてくるんじゃねえぞっ!!」


レナードの住んでいる家宅の周辺は、ほぼ更地だ。

彼にこれまで差し向けられた災害のとばっちりであったり、

彼自身の無差別な殺意によって、

そこだけすっかり人の住まない荒地と成り果てていた。


建物の名残であった瓦礫の裏にいた狙撃手は、

数度まで『死をなかったことにする』ように、悪魔と取引を済ませていた。

だがこうも立て続けに殺されては、もう助からない。


レナードは、自らの殺しについて

まだ慈悲深いやり方だと思っている。

四肢をバラバラにしたり、内側から爆発させられ血飛沫になったり、

そういう狂ったやり方に執着する奴らの殺しより、

ずっと地味に、綺麗に死ねるのだから。


「これで満足か」

レナードが振り向くと、チェシカはニコニコと笑っていた。

彼は席に戻ると、冷めた泥水の味がするコーヒーをすすった。


「……おい、チェシカ。

 どうせ誰も、てめえだって信じたりしねえだろうがよ」

「貴方の唯一の味方を

 そこまで突き放す風に言わなくてもいいのに」


「俺はこれでも、イライラしねえ暮らしがしたいんだよ。

 誰にも邪魔されずに、うまいメシ食って寝る、

 それで文句ねえはずなんだがまったくうまくいかねえ。

 こうやって毎日のように人を殺しちまうからか?

 まあ、どう考えてもそれのせいだよな」


レナードの言葉は、ほとんど自問自答であった。

チェシカがなにか相槌を挟もうとしても、

それを許さないように、ぶつぶつと喋っていた。


チェシカはレナードの殺意でにごった目を覗き込む時、

人間でいうところの興奮や、危うさや、期待を覚える。

きっと彼こそ永遠の退屈をひと時は忘れさせ、

死と同義の虚無から救い出してくれる希少な人間である、と。


「俺は俺にうんざりしてる節があるな。

 だが俺の生活に邪魔なヤツらはそれ以上にうんざりする。

 決めた。皆殺しだ」


「そうこなくっちゃッ!」

ひどく喜ばしい返事をもらえたという顔をしながら、

チェシカは手を叩いた。

そのまま飛んでいきそうな勢いだ、

というかほとんど宙に浮いていた。


「……問題はアルルカンを、どう始末すればいいか。

 考えるのが苦手でも、てめえが全然協力的じゃなくても、

 今回こそはどうにかしないとな」


レナードが黙考を始めたその時、玄関のチャイムが鳴った。


キンコン。

誰も返事をしなかったので、数秒置いてから

チャイムはキンコン、キンコンと続けて鳴った。


「おい、誰が来た」

「さあ……?」

見てこい、とレナードが指示するよりも先に

チェシカの上半身は壁をすり抜けた。


ドアの先にいる何者かと、会話をしているらしい。

「レナードさんにお会いしたいのですが」

壁越しの不明瞭な声の中で、はっきりと聞き取れた箇所はそのぐらいだ。


「……開けてやったら?」

チェシカは体を戻すと、レナードをうながす。

彼女の判断では、即死の危険性はないらしい。


今、レナードの家の玄関に立つ者は、

レナードに悪意を持って近寄らなかった。

さっきまで響いていただろうレナードの怒声も恐れなかった。

なんならレナードは今もドアの向こうに殺意を送り込んでいたが、

相手が死ぬような手ごたえはまったくなかった。


「どんなイカレ野郎だ、てめえ」


状況から相手が何者であるか、ある程度の想像はつく。

それでも、あるいはそのせいでレナードは、

手の平の上にいやな汗が浮かぶのを感じた。

自分の心臓の音がうるさく、行き場のない苛立ちが募った。


レナードはドアノブをつかみ、乱暴にドアを開く。

彼の眼の前に現れたのは、

真っ白なチュニックワンピースとヴェールを身につけた少女だった。


少女の衣装は曇り空の隙間から降り注ぐ光芒のように、うっすら輝く。


「はじめましてレナードさん。

 私は天使をやっております、クリスとお呼びください」


少女はお辞儀をしてから、レナードの顔を見つめた。

「私はあなたを愛するために、ここにやってきました」


「おい、こいつ、件の刺客なのか」

「たぶん全然関係ない件」

チェシカもずいぶん面食らった様子だった。

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