第12話 そして悪魔は立ち去った
取引すべき街の人間は、あっという間に死に絶えてしまった。
街の悪魔の四割は予報紙の更新によりこの結末を察知していたが、
あまりにも急展開だったせいか、ろくな用意もできなかった。
ほとんどの悪魔達は呆然として、街の終焉を受け入れるしかなかった。
しかし、彼らの立ち直りは早かった。
かき集めた価値を精算し、自分にとって価値の低いものは売りに出し、
街の建物、身寄りのない死体、全ては少しずつ解体されていた。
毛髪一本に至るまで、埃の一握りに至るまで。
黄金の煙が絶え間なく立ち上り、
イースト・スラムそのものが夢のように消えていく。
街の境界があったはずの線から外側にて、
新しい毛皮に着替えたカクタスが、
しばらく輝く煙と星々を見つめていた。
やがてカクタスは小さな青色の翼をはばたかせ、
西の方角へ飛んでいった。
---
「俺と一曲、踊っていってくれよ」
「これ以上は貴殿にかまっても、
私の直接的な価値は増えないとしても?」
アルルカンは待ちきれないようで、
返事を聞く前からステップを刻み始めている。
「記念だよ記念、思い出にはなる。
悪魔同士でだって価値はつくれるはずだぜ本当のところ!
人間の方がたくさん殖やせて、たくさん笑って泣いてくれて、
収穫と消費に都合がいいってだけでさ!」
必要だからやり始めたこととはいえ、
アルルカンは人間の体にずっと閉じこもっていた。
サリィも強固な結界と法を維持するために、
一ヶ所に留まり続けていた。
お互い体はなまっていてもおかしくない。
「そこまでいうなら、よかろう」
「ダンスのための曲を流そうぜ」
「何がいい?」
「そこは偶然に身を任せてみよう、さあ頼んだ!」
選曲はマニアリのセンスに託された。
彼はずるりと古風なレコードを取り出した。
蓄音機から流れ出したのは『コロブチカ』であった。
「フォークダンスか、悪くはないだろう」
「俺としちゃ速さが物足りねえけどな!」
文句はあったが二人はおおむね素直に、
牧歌的に踊り始め、やがて手を離す。
「出て行っちまうんだな?」
「ああ。部屋の中にこもり過ぎて、飽きたゆえ。
ひとつの場に君臨するのも悪くはないが、
しばらく自由に羽を伸ばそうかと」
「そしてこれが俺達の関係の終わり、
これもひとつの破滅の形。あばよ、サリィ」
「そうか。ではさようなら、アルルカン。
機会があればまた手を組んでやろう」
マニアリは少し離れたところで
世界版予報紙を読み込んでいた。
「もし人間が聞いていれば、ぞっとしない会話でしょうな」
彼がコメントした頃には、もうサリィの姿はなかった。
アルルカンは、マニアリの方へ振り返り、
やはり手を差し出した。
「お前も一曲、踊っていくかい?」
「実はひたすら踊りたいだけでしょう、あなたは。
さて、私も未だに悩ましい。
破滅の香りと絶望の香り、どちらを優先して付き従うべきか」
---
チェシカは、街の残骸を背にして歩いていた。
別に飛んでいってもいいし、
その方が次の価値を見つけにいくためなら効率がいいに決まってる。
だけど今の彼女は急いでいない。
悪魔にだって、ゆっくり今後のことを考えたい瞬間がある。
「――そうやって気持ちよく余韻に浸ってるところだっていうのに
なぁんであんたが後ろをついてくるんだかね台無しよッ!」
「てめえのせいで行くアテがまぁったく思いつかねえからだよ!
ブァーカやろう!!」
シャンもまた、チェシカのすぐ後ろを歩いて移動していた。
不毛な言い争いは何の価値も産まないのですぐにやめて、
二人は仕方なく並んで歩き始めて、世間話を始めた。
「いっそ、こんだけやらかしたお前についていったほうが
俺にも悪運のおこぼれが回ってくるかと思い始めてなぁ……。
マニアリがそういうやり方をしているから参考にしようかと」
「あのねえ、私だってこんな派手にやると、
『やりすぎ!』って周りからいい顔されないでしょうよ。
正確に言えばレナードがやったんだけど、後押しはしたし。
あーあ、しばらく顔見知りには会わないような遠くまで
高跳びしなきゃいけないかも……」
チェシカがふと空を見上げると、
夜明けの空にくらげのような、白いものが浮かんでいることに気がつく。
薄く透き通ったそれは、
チェシカの手元にふわりと舞い落ちたのだった。
「これは……まさか」
(ごきげんよう、チェシカさん。
気がついてくれて嬉しいです)
布切れの正体は、託された価値を使い果たした天使だった。
クリスの髪に被さっていたヴェールこそが、天使の本体だったのだ。
チェシカは物珍しそうに、
ぴらぴらと布の裏表を確かめるように検分した。
「復活の力を得るためとはいえまあ、
そこまで普段のリソースを削る覚悟はたいしたものだこと!」
(お恥ずかしい話ですが、うまく風に乗ることも難しくて、
捕まえてもらって、とても助かりました)
「ふーん」
チェシカはちょっと考えると、
捕まえたレースの布を、自分の二本角にひっかけた。
「結果を見れば貴方のおかげで、私は随分いい価値を得た。
少しの間だったら世話してあげても、いいわよ。
次に人間のいる場所に着くまでなら」
「今にも破けそうで見ていておっかねえなあ」
「じゃあハンケチみたいに胸元にしまった方がいいかしら」
(その方が安全でしょうけれど、今は風を浴びていたいです)
「わかった。ええと」
(クリスとしての姿と名前は、
レナードさんのために使い果たしました。
今はただのヴェールとお呼びください)
「……レナードもねえ、
もっと搾ろうと思えば搾れたけれど、
あれはあれで悪くはない終わりなんじゃないの?
人間がやりたいことやって死ねるのは、幸せらしいじゃない」
「俺の方はひどいもんだぜ本当に。まったく利益が出なかった」
「いい気味よ」
「うるせえそこのヴェールちゃんさえいなければ
俺のバルバリッチの方が勝ってた」
「実際の結果として勝ったのはレナードだけどぉ?
というかやり口が陰湿なのよ私の操作の癖だって
どうせ二束三文で売っぱらったんでしょう」
「キリねえぞこれ」
「そうね。やめるけどそれはそれとして
シャンの所業は向こう百年は許されない」
(ひょっとして、お二人とも仲が良いんですか?)
ヴェールのささやき声にどちらも応えなかった。
「……レナードは本当のところ、
神経の細い男だってのはねえ、わかってたわよ。
あいつがこれだけのことをやってくれるとは、
一昨日まで思っちゃいなかった」
(レナードさんのしたことは、素晴らしき偉業です)
「天使みたいな肩書を負ってる奴らにはそうなるかも?
いやいやそれもどうかしら!
悪人が減れば、残りの善人の中でも、
暮らしの悪いやつらが利己主義に染まるだけじゃないの」
(そうならないように、人に愛を伝えたいものです。
ええ、悪人なりの愛も存在することがわかりました。
それでも私の在り方としては、
心に余裕がある人が増えた方が都合いいでしょうから)
「私が昨日手に入れたのが、
人類最後の悪人の価値だとは思いたくないものねえ……」
「希少性は世界一になるんじゃねえの、それ?」
「あんたねえ、それなら確かにパワーは手に入るかもね。
でもそれじゃ私がこの先、
なにを目的に暮らせばいいかわからないじゃない!」
「そりゃそうだ。退屈で破産しちまうよ」
ひとでなし達は思い思いに喋る。
そして朝焼けの色を眺めながら、
(人間だったら今頃、あの赤が眼に染みてるところだなあ)と
考えたり、記憶容量の無駄になるからと、すぐに忘れたりしたという。
---
こうして一人の男が愛を得て、
悪いことをした人間は死に絶えて、
身勝手な悪魔達は方々に散り散りになり、
人の減った世界は以前より少しだけ、平穏になったという。
イースト・スラム最期の日についての記述、了。
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