第13話 ヴェールのおぼえがき


「どうして私が選ばれたのでしょう」

ベッドに横たわるクリスは、

眼前の天使を名乗る存在にぼんやりと、問いかけた。

天使は、身なりのいい壮年の男の姿をして、

かつての助手と同じ名前を名乗った。顔の輪郭に、面影を感じた。


「お話した通り、あなたがこの街の中でも

 指折りに親切で、人を愛し、愛された人だからです。

 少なくとも私はそう評価していますよ。

 この姿を授けてくれた人も、そう言って紹介してくれました」


クリスにとっては不思議でならないことに、

自分の視線がどうしてもある一点に吸い寄せられる。

話をしている相手の顔より、

その首に巻かれたストールが気になってしまうのだ。

白の繊細なレースに似た布は、淡く光るように見えた。


「……私はあなたが思うほど、

 自分が慈愛に溢れた人間とは思えません、とても」


クリスがまだ脚を病まず、活動的であったころ、

彼女は医師として働いていた。

確かに色々な人間を助けてきたし、感謝もされた。

しかし救えぬ人もいた。見知らぬ人から敵対心をもって罵られることもあった。


クリスに納得してもらうためにはどう言うべきか、

天使はちょっと考えた。


「ええと、そもそも人間の一生は本来、

 等しく無価値なのではないかと思うのです。

 そして無価値なのは、我々のような存在の営みも同じです」


柔和な笑みと裏腹に、眼の前の天使を名乗る男はそう断じた。

クリスはその冷たい感触に、

(きっとこの相手と心からわかりあうことはできないだろう)

と予感した。


「……だけど我々は、無価値であるはずのなにかに、

 それぞれの価値を見出すことが可能です。

 偶然や、他者の営みの中に、自分だけの大切な価値を」


全体で見れば何十億といる人間のうちの、

生まれては死んでいくだけのひとりでしかない。

けれど、誰かにとってはそうではない。

クリスも友だとか、恩師だとか、そうした人々の顔ぶれを思い出した。


「私はこの魂が揺れ、喜ぶことに従っている。

 あなた自身がどう思っていても、

 あなたのこれまでの生に、私はそれだけの価値を見出した。

 欲しい価値を得るために、私はあなたの願いに報いる。

 単純化すれば、それだけのことです」


ちょっとした沈黙の向こう側で、

小鳥の鳴声と、子供の声が聞こえてくる。

クリスはこの会話が白昼夢である可能性を考える。

死に際の幻のようなものかもしれない、と。


天使は現実感をつかみきれないらしい彼女の顔を見て、

まだ説得しきれていないと判断した。

さらにううん、とうなる。


「なんだか冷たいお話になってしまいましたね。

 でもいわゆる本音で言えば、そんなシンプルなものです。

 私もあなたから見れば超常的な存在でしょうが、

 私以上に超常的な存在など、数え切れぬほど存在します」


(やはり冷たい質感の話になっている、と

 指摘した方がいいのだろうか)

天使がにこにことして話をしてくれるものだから、

どう口を挟むべきか、クリスも少し困っていた。

二人とも少し首をかしげて、お互いを見た。


「世界を創った神の上に、神々を創った神がいるはず。

 世界は彼らの遊び場であり、

 思いついた形にするために工夫をこらして干渉している……

 彼らからすれば我々は等しく運命の駒であり、奴隷なのですよ」


(傲慢なのか謙虚なのかよくわからない存在に思えてきた……)

クリスは天使に向けて懐疑的な眼を向けていたが、

それでもせっかくの機会なので、何かを願おうと考えた。

天使は死後、クリスのこれまでの姿を使うのと引き換えに、

願いをひとつ叶えてくれるという。


(突然言われても、何を願えばいいものかしら?)


クリスは結婚をしたこともあるが、子供は生まれなかった。

自分の子供がいた人生を考えた時期もある。


もしくは、彼女の手でも救えなかった病人が、

今からでも助かったことにならないだろうか。

家族の死に際に立ち会えずに泣いた人々が、

最期に話ができたことにならないだろうか。


けれど過去を変えるような願いは、

これまで積み重ねてきた自分の人生を崩れるような心地がして、

クリスには少し怖かった。

いっそ世界平和でも願うべきだろうか?


もっと俗な願いはどうだろうか。

若返って、脚を治してもらうだとか。

けれど天使は誰かの姿を燃やさないと、力が使えないという。

自分の死後になってから叶えられる願いというと、

随分と使い道が限られるではないか。


結局クリスは、世界平和ほどではないにせよ、

それに類する突拍子もない願いを口にしてみた。


「たとえば世界中で最も愛されない人に、

 愛を与えられるものかしら」


彼女の人生では袖すら掠らず、

想像も及ばない不幸の中にたたずむ人間がいるとする。

死後の臓器提供のような形で、

その人を助けてやることができるのなら。


縁のある人を助けていた人生で、おまけでもう一人ぐらい、

ちょっとしたズルか魔法のような

おせっかいをしてもいいものだろうか。


天使はとてもいい笑顔を向けて、頷いた。

「愛に報いるために、精一杯やりとおします!」


---


その老いた女性のちょっとした親切心が、

あらゆる悪人がむごたらしく殺される切欠になるなんて、誰も知らない。


軽率な願いが何を起こすか、

彼女らには想像力が欠けていたのかもしれない。

だからといって彼女を非難できる人間が、

その時点で地球に存在できるか?


---


はじめまして。ヴェールです。

上位の方々に直接、連絡を出すのは初めてなのですが、

名乗るだけで経歴や用件が伝わるというのは本当なのでしょうか。


私は、チェシカさんとシャンさんの勧めで物語を書きました。

彼らとお話をするうちに、

「せっかく獲得した価値を都度ほぼ全部使い切ったら意味ないでしょうが」

「原価とか利益の関係を理解していないのか」

などと非難轟々、たくさん指摘をされてしまいました。


たしかに物理的な身体がないのはひどく不便なものでして、

今回はヴェール以外の姿を獲得するため、努力しました。


詩のような、物語のようなものを書くのは初めてでしたが、

特にシャンさんは親切なアドバイスをくれました。

『締切間近の作家ばかり狙って

 取引を持ち掛けていた時期があるので基本的なことはだいたいわかる』

とのことで、とても心強かったです。


モーツァルトに霊感を授けた悪魔のようにはいかないでしょうが、

このお話は、アイデアに困窮した作家との取引に出そうとも考えています。

そして上位の記録魔の方々は、大事件に関わった人物達の

情緒的な創作品も集めているとのことでしたので、今回お送りする次第です。

どうか良い価値になるといいのですが。


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川のほとりで

作:ヴェール


あるところに女の子がいました。

彼女は努力して医者になり、たくさんの人を助けました。

おばあさんになるまで長生きして、それから死んでいきました。


あるところに男の子がいました。

彼は人殺しでした。

たくさん人を殺してから、彼自身も若くして死んでしまいました。


死んだあとで、

おばあさんと男の子は、川のほとりに立っていました。

おばあさんは彼が何者か知りませんが、

男の子は、彼女が何者かなんとなくわかりました。

(いつか怪我をした自分を、助けてくれた人だ)と。


男の子はおばあさんに「ありがとう」とだけ伝えて、

立ち去ろうとしました。

おばあさんはそれを引き留めました。


「俺が礼を言った理由を、俺が何者かを知れば、

 あんたきっと絶望するさ。

 それでもあんた、知りたいのか?」


男の子は皮肉に笑おうとしましたが、

その笑顔があまりにぎこちないので、

おばあさんはほうっておくことができませんでした。


「信じがたいお人よしだ、あんたは」

「そんなことはありません、

 自分でいうのもどうかと思うけれど、

 人並の親切のうちだと思いますよ」


彼らの頭上に、彼らが知らない太陽が昇りました。


おしまい。


---


天使ヴェールが書記魔の魔神に差し出した手紙と物語は、

『イースト・スラム 最期の日』の補記として買い取られた。

対価として、銀鳩一羽の剥製が天使に贈られた。


---


『悪漢どもと悪魔達の街』 完。

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悪漢どもと悪魔達の街 沓石耕哉 @kutsuishi

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