第10話 カタストロフ(上)

「レナード! レナード起きたらどう、もう着いたわよ!」

チェシカが運転手席のヘッドレストをバンバン叩いて、

居眠りをしていたレナードを起こそうとしてくる。

彼はしぶしぶ眼を開けた。

視界の端にいたのは不気味なほど表情のない男の顔だった。


「ようこそ、レナード様」

車窓をぬぅと覗き込んだ男の正体は、悪魔マニアリだった。

殺意の向け損をしたので、レナードの機嫌が大分悪くなった。


「出やがったな。

 てめえらなあ、いっぺん追っ払ったあとすぐ出てくると、

 ハッキリ言って身構えちまう、顔見たくねえんだよ!」

「そう言われても私はここで住み込みをしていますので」


不興を買ったのを気にしたのか、

マニアリはちょっとだけ窓から離れた。


「そちらの準備ができたら、

 アルルカン様とサリィ様のいる部屋までご案内いたします。

 お待ちしておりますよ」


マニアリは一礼する。

その姿は建物から漏れる明かりを避けて歩き、闇へと消えた。

レナードの乗っている車のエンジン音も消えて、

あたりはひどく静かだった。


「作戦タイム取っていいみたいね。

 で? アルルカンを殺す算段はついた?

 ここまで来て前回と同じ無策じゃないでしょうね?」


チェシカは運転席側から後ろへ身を乗り出す。

クリスも真似をして、レナードの顔を見つめた。


「……さて、どうすっか」

「まさか本当に何も考えてないわけ?」


リクライニングを縦に戻しながら、レナードは首を振った。

「一応、本命とプランBを考えた。

 どっちもうまくはいかねえような、

 内心では……どうにかなる気がしないような」


チェシカとクリスには、内容を相談しなければならない。

事前に確認したいこともあった。


「なあ、俺は今まであいつを殺せないでいるが、

 実はあいつも俺を直々に殺すつもりなんて、ないんだろ。

 どうだよ、チェシカ」


チェシカが口を開いた。

レナードにはそれが、今にも返事をするような仕草に見えたが、

なぜかその後は無言のままだ。


レナードは身を乗り出して、さらに問おうとする。


---


サリィとアルルカンがそろって覗き込んでいた、窓が暗転した。

接続を切ったのはアルルカンだった。


「監視を続けなくていいのか?」

「いいや、あいつが頑張って

 俺の殺し方を考えてるんだろ?

 なのに俺が全部知っていたら、つまらないじゃないか」


「なるほど。傲慢だが、王を名乗る者ならば、珍しくもない」

「別にそんな堂々と名乗ったことはないはずだけどなァ、

 みんな好き勝手呼び始めただけで! 気に入っちゃいるがさ」

サリィは手元の予報紙に視線を落とす。

アルルカンは機嫌よさそうに部屋の中を歩いて一周した。


「何か景気のいい飲み物でも開けちまうおうかな?

 シャンパンか、ワインか、エールでもいい。

 乾杯して飲み終わる頃には、あいつもここに辿りつくだろ」


「どうだろうか……だが、

 アルルカンがお望みなら、ワインを出そう」

立ち上がったサリィが空間を撫でるようにして引き出したのは、

小さなテーブル、ワインボトルが一本、

飲み口のすぼまったグラスがひとつだ。


「最近はこうしたことは、

 マニアリどのが気を利かせるのに任せていたが。どうぞ、一杯」

「うむ。で、グラスはひとつなのか? 乾杯するつもりだったが」

「悪魔は食事を摂らないからな」


「趣味の合う悪人と共に掲げた酒は、

 まあまあ良い価値になりそうだがね?

 ……なんだか今日はつれないなあ? サリィ?」


「私も今日最大の楽しみを、

 目一杯楽しむために、大事にしているところだ」

「ハハァ、我慢してからパァッとやりたいってことかね。

 ケーキの苺を最後に残したい女の子みたいに……!」


アルルカンが酒と共に、

小窓にそれぞれ流れゆく街の悪事を楽しみながら、しばし経った。


「ほら、もうそこまで来たみたいだぜ」

アルルカンは、ワイングラスを置いた。


---


執事悪魔が扉を引き、

ろくでなしの人間と、おつきの人でなし共を、

道化の王様のいる部屋へ招き入れた。


この街の支配者達は、各々お気に入りの椅子にかけている。

サリィはロッキングチェアを揺らしていた。

そしてアルルカンは真っ赤なボールチェアをぐるりと回し、

レナードと向き合った。


「御機嫌ようレナァド。

 久々に話をしに来てくれたようで嬉し「オラアアァッ!!!」


アルルカンが言い終わるか終わってないかの時点で

レナードは大きく腕を振りかぶり、何かを投げつけた。


「これはあくまで人間の意思の尊重と支援であり、

 街の掟と支配者への謀反の意はありませーん」

チェシカは気のない声で宣言しながら、

飛んでいくそれに対し

軌道修正、加速、進入角度、諸々の調整を施す。


どちらかというと放物線を描いて落ちるはずだった精霊銀の針は、

一瞬で閃光と化し、アルルカンの心臓を貫通した。

針は椅子の背もたれも貫通し、壁に突き刺さってやっと停止した。


「てめえの正体。

 アルルカンはこの街でのしあがった人間のふりをする一点だけで、

 猛烈にタチの悪い、ただのクソ悪魔だ」


レナードは、アルルカンが死なない事実を認めるのが怖かった。

彼が怒っても憎んでもどれほどの殺意を注ぎ込んでも

死なない存在というのは、かなり限られてくる。

そしてそれらの存在は、人間の力ではどうしようもできない。


人間を直接害することを嫌がるチェシカが

最初は渋りながらも、この段階において手伝ってくれた。

それも予想の裏付けになるはずだ。


すなわち、この一撃でアルルカンを始末できないのなら、

レナードはこの街の悪魔達の遊び道具になるしかない。

これまで通りに。これからも死ぬまで永遠に。


「――今度は推理ゲームを始めたのかい?

 おめでとう! 正解に限りなく近いぜ!!

 帰ってもあんまり言いふらしてくれるなよおぉ?

 噂のひとつふたつとしてならまだしも、

 つまらない真実なんて皆が知ってもいいことひとつもないさァ!」


アルルカンの舌の回り方をレナードと比べた場合、

同じ時間で倍以上の台詞を詰め込める。

彼は椅子からゆらりと立ち上がり、胸の穴の開いた部分を撫でた。

上等のスーツの上に、一筋の鮮血がしたたる。


「訂正しておこうか? 正体に近づいたご褒美として?

 俺は人間であり、悪魔である。この身体は特注品。

 悪魔のアルルカンが直接憑りついているわけさ!

 珍しいだろう? 剣や鎧に憑りつく悪魔は多いが、

 こんなことやる悪魔は全然いやしないもんなッ!」


人間の傷は悪魔が治してやれる。

精霊銀の魔力は、人間の肉が鈍らせる。

手を離した時、アルルカンの胸の傷は完治している。


「人間のアルルカンは永遠の名声と命を手に入れることができて、

 悪魔のアルルカンとサリィは、

 俺がただの人間だと思い込んでる愚物共を

 嘲笑って楽しみながら価値を集めるって寸法だなァ!

『自分も運良く良い悪魔に見染めてもらえば、

 この街の王様のように……』とくらァ!」


「疑問になりそうなことを先回りで全部説明してくれます、

 なんて親切なお方でしょう」

思わずクリスがひっそりコメントを漏らした。

それを聞き逃すアルルカンではなかった。


「いいか天使ィ! 悪魔なんてのはみんな親切にできてるさっ、

 人間を地獄へ連れて行きたいなら

 道路は綺麗に舗装してある方が都合いいからなァ!

 どっから迷い込んだか知らねえが覚えて帰りな!! はァさて」


すっ、とアルルカンは椅子の裏に回り込んだ。

彼は屈みこんですぐに、

壁に刺さった真っ赤な針を見つけ出した。


「……まあ、こんなチャチなサイズでも

 何百回何千回と突き刺さったらヤバかったかもな。

 ――とはいえ初手からコレとは思わなんだがな!

 思い切りよすぎねえかぁ?! よっとぉ!」


アルルカンは回収した針をサリィの方へ投げ込んだ。

サリィは虫でもつまむかのように、

どこからか取り出した箸を使って針を受け止める。

そして針は光り、この世界から消失してしまった。


「で、危ないので針は没収した。

 槍はマニアリから買い上げてある。

 次はどうすんだ? レナァド?」

アルルカンは挑発的に、

両手で手招きするようなポーズを取った。

チェシカはレナードと顔を見合わせた。


「格好つけて投げちゃったせいで本命が失敗したわね。

 回収用に糸でもつけておけばよかった?」


「どうせ抵抗されて殴り合いにでもなったら勝てねえよ。

 俺ァもともと非力なんだから。自分でもわかっている」

「私も相手になるのがマニアリだけならまだしも、

 サリィが怒ったら絶対勝てなーい」


「……なんか気に喰わねえな?」

アルルカンの声のトーンが一段下がった。


「わかった。

 レナードがいやに落ち着き払っているのが気にくわないんだ。

 どうしたんだよ、前会った時はあんなに悔しそうで、

 苦しそうで、すげえいい顔してたじゃないか。

 サリィも褒めてたぜ、もっと怒って、絶望してやれよレナァド!」


アルルカンが、じょじょにレナードとの距離を詰めていく。

レナードはそれを無感慨に見つめていた。

アルルカンは慎重に相手の動向を見極めようとする。


「おい……まさかとは思うが、貴様ァ眠いのか?!

 なんだよ、俺と楽しくお話している最中じゃないのかよ!!」


アルルカンはそのままレナードの両肩を揺さぶり始めた。

レナードはうっとうしかったのでやる気なく、

それでいて力強く相手の脛を蹴りに行った。


「イデデッ! いひひっ、ヒィーヒッヒッヒ!!」

アルルカンはあえて蹴りを避けなかったらしく、

そのまま大げさに片脚で飛び回った。


「チェシカ、俺にも椅子用意しろ」

「うーんマニアリ! お客様が困ってるんですけど?」

「そちらはセルフで用意をお願いしています」

「サービス悪いなあ!」


「緊張感のカケラもねえ!! どうしたんだよ一体!!

 せっかく念願の宿敵とご対面だってのに

 あんまりだぜ、ヒヒヒッ……!」


人間の体を持つ者は、お互いに椅子にかけなおした。

チェシカが即席で出せた椅子は、

これまでレナードに押し付けられてきた

ガラクタをつぎはぎして出来上がったものだ。


座面と脚はコンクリート、手すりはパイプ、背もたれは無し。

腰を落ち着けたレナードは、深く息を吐いた。

頭を掻いたり、首をぐるりと回したりする。


「一体、今が何時だと思ってる?

 いつもの俺だったらとっくに寝てる時間だ」

「シンデレラだってまだ帰ろうとしない時間だぜ!?

 健康優良児か貴様は!」


「……眠くてたまらないのに寝付けないのは、

 相当イライラする」


苛立ったから人を殺すのか、

人を殺すのに苛立ちが必要なのか、

何時の頃からかレナードは区別がつかなくなっていた。

気がついたのは『あまりに人を殺し過ぎた』と、

自分で感じ始めたあたりだと思う。


瞬間的な苛立ちで殺すなら、まだいける。

一旦落ち着くと頭をちらつきはじめる、

人の命を奪う冷たい重さを、思い出したり、

思い出さなかったり。


重さがあれば、それを無理矢理に吹っ飛ばすために、

レナードはあえてストレスを溜め込まねばならない。

この時はそういう瞬間だった。

アルルカンへの恐怖を、

そしてこれからの自分の行いへの恐怖をねじ伏せられるかどうか。


「うん……ああ、行けそうだな」

レナードは立ち上がった。

まっすぐに背筋を伸ばして、正面を見据える。


「本当は出会いがしらの一撃で、

 てめえが風船みたいに破裂してくれればよかった。

 それで俺にちょっかいをかけてくる奴はいなくなって、

 俺は平和に飯食って寝て暮らす」


アルルカンはぞくぞくとした喜びを身に溜めた。

こんな夜は、おぞましい退屈のことなんてすっかり忘れられる。

せっかくならレナードの瞳の凝った闇を、

充血しきった白目を、もっとしっかり覗き込みたくてならなかった。

椅子から身を乗り出し、今にも飛び出しそうだ。


「ただ、そういうのは、人殺しらしい願いではないんだろ」

死神の眼が、一瞬だけ伏せられた。

彼は首を少しだけ天使の方に向けた。

その一瞬だけ、その眼は殺意を抱かない。


「……だから、これからてめえのために、

 とびきりキツい嫌がらせを考えてきた。

 たぶん、チェシカとかは特に喜ぶ。

 なんといってもこれから俺が死にかける度に、

 残りの寿命を差し出して死ななかったことにする取引をした」


「おお。貴様が?

 あれだけ嫌がってたってのに意外だなあ?」


「ついでにそこの天使には……

 先に『ありがとう』って言っておいた」


「ふうん? くくっ……いやあ、

 知りたければいくらでも覗き見ができたが、

 お前がどう頭をひねってくるのか楽しみで、

 盗み聞きはやめておいたんだ。

 どういう心境の変化があったんだろうな?」


「ああ、ひょっとしたらテメエらも……

 これから起こることは喜ぶのかもしれねえのか。

 それは凄まじく腹ただしいことだろうけど、

 まあ、もうどうでもいい。手遅れになった」


ぱしん、ぱしん、という、

まるでフィラメントが切れるか、霜が割れるような、

奇怪な音がレナードの周りで鳴っていた。

アルルカンは眼をすがめる。

レナードはアルルカンを見ていないが、何かを見ている。


アルルカンはすぐさま後ろを振り向いた。

壁の小窓にはイースト・スラムのあらゆる風景が映っている。

その全ての画面に溢れている倒れ伏した人間。

もしくは、悲鳴、悲鳴、絶命の顔!


「何を している?」


「――決まってる!!

 もうなにもかもクソでめんどくせえから

 『全員死ね』って思ったんだよ!!」

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