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  • 第15話 思わぬつながりへの応援コメント

    お邪魔します。

    知人で国内では大企業の花形部署に就職した方がいらっしゃいます。
    仕事の関係であちこちに出向やら長期出張やら行くと、大学の後輩が取引先のえらいさんになってたりその逆もあったりで言葉使いは常に丁寧語を心がけていたと言っていました。

    就職当初は花形だったのが予算が減らされたり国の政策が変わったりで斜陽部署になったこともあり、仕事上の人間関係(上下関係)が大変そうでした…

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    人間関係、難しいですね。常に謙虚(卑屈ではなく)な姿勢でいる、ということは大切なことだと思います。

  • 第5話 内科研修開始への応援コメント

    お邪魔します。

    以前NHKで”総合診療医”という番組があって数名の研修医の方と指導医にあたる先生がお芝居に出てくる”患者”の病気を診断するというものがありました。

    テレビをほぼ見なかった(時間的にみられなかった)のですが、これは好きで頑張って帰宅してみていました。

    当時は勤務柔道整復師で、たまに取り上げられた症例が外傷によるものだったりすると翌日は先輩や師匠と「(お芝居の)あれで○○はイメージしにくいよね」などと話していたことを思い出しました。

    またやってくれないかなぁ

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    NHKの「総合診療医 Dr.General」、確かに最初のころは面白かったです。真っ当にビデオを見て病歴を整理すれば、正しい診断にたどり着けていました。

    ただ、「エンターテインメント」を意識し始めたのか、わずかな、「トリッキー」なシーンが診断の根拠、という、真っ当な臨床推論の仕方からずれていったので、仕事の影響もあり、見なくなってしまいました。

    ある放送回で「クローン病」という、消化管に炎症を起こす、比較的頻度の高い疾患が取り上げられていました。よくある症状の一つに「痔瘻(直腸末端部とお尻の皮膚の間に瘻孔ができる疾患)」があるのですが、その放送回の症例提示ビデオ、結局「患者さん坐っているシーンが一度もなかった」→「痔瘻が痛くて、実は座れなかった」→「だから『クローン病』」という展開で、思わずテレビを放り投げようか、と思ったことを覚えています。

    「クローン病」のよくある経過は、結構な腹痛、38度位の発熱、時に血便を伴う下痢が続き、「細菌性腸炎」にしては変だ、という事で下部消化管内視鏡をして診断がつく、というパターンです。「発熱」「腹痛」「血便」に全く触れず、「ただ『坐っているシーンがなかった』という事」から「クローン病に気づけ」という不自然な展開に腹が立ちました(笑)。

    編集済
  • 理不尽なクレームは、心が折れますよね>⁠.⁠<
    患者さんにもいろいろな方がいらっしゃるので、先生も大変ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    時に思わぬことでクレームがつくことがあり、びっくりすることがあります。

  • 第51話 後書きへの応援コメント

    医療分野はどうしてもわからない用語もあったりしましたが、流れはわかりやすく、濃厚な初期研修を見学させていただいたように思います。助走期間のような感じでしょうか。「お医者さん」たちはみんな、こんな感じからスタートしたのかあ、と。
    楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    元々書き始めたときは、自分の忘備録的なものとして書いたので、耳慣れない医学用語が多く、すみませんでした。

    私の修業した病院は、「現場で学ぶ」ということを重視していたこと、時代もそれを許容していたことから、忘れがたい経験をたくさんしましたが、今の初期研修医は私たちの時代より制限が増えたようで、その分「経験で学ぶ」機会は減っているようです。

    お読みいただき、ありがとうございました。

  • 第49話 そんなこんなでへの応援コメント

    やはり医師の方々にも、苦手なことがあるのですね(できない、という意味ではなく)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「医師」も「人間」なので、いろんな人がいます。人当たりのいい人、不愛想な人、頭はいいけど不器用な人、もう一つ頭は良くないがとても器用な人、心優しい人、黒い心を持っている人、千差万別です。

    ただ、「医療」の世界は非常に多岐にわたるので、多くの場合、その人の特性に応じたところに落ち着いていくことが多いです。

  • 確かに、聴診器を当てることは、患者の立場からすると「診てもらえた」という安心感になるのかもしれないですね。
    けっこう大事なことでもあるのですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「手当て」という言葉もあるように、患者さんの診察で、必ず痛みのあるところに触診をしたり、一般的な聴診をしたり、と患者さんに触れる診察行為は、その行為自体が「診てもらっている」という安心感を与えているだろう、と思っています。

    丁度昨日、医局で非常勤のベテランDr.と、「ワクチン接種の際に、患者さんに聴診器を当てているか」という話題になりました。私も、その先生も「聴診器を当てる」派だったのですが、一言二言問診をしてワクチンを接種する、という医師も多いかと思っています。COVID-19ワクチンの大型接種会場ではそのような形だったのではないか、と推測しています。

    短時間でたくさんの患者さんにワクチン接種をしなければならない場面で、「聴診所見でワクチンを中止する」という事態が発生するのはほぼほぼない(多分0.1%くらいかと思います)こと、聴診をするとどうしてもその分1~2分ほど時間を使うので、能率は悪くなることは否めません。そのためしばしば「何で予約しているのに、時間通りに接種でけへん(できない、という意)ねん!」とクレームがつくこともあります。

    しかし、患者さんの「医者はちゃんと診てくれている」という安心感、万一ワクチントラブルが起きた際にも「事前にきちんと医師は診察をしていた」という事実が残ることを考えて、「聴診を行なっている」ということで、そのベテランの先生と同意したところでした。

    編集済
  • 何でもそうかもしれませんが、やはり「正しく使う」ということが大事なのですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    抗生物質については「使うべき時はしっかり使う」「使わない時は処方しない」「使うべき時と使うべき時ではない時をしっかり分ける、という事が重要なのですが、なかなか常に医師自身の心の中で、それをしっかり保ち続けるのは難しいのが現状です。

  • 後で思い返して計算が合わないって、よほど必死に学んでおられたのではないかと思います。
    そして、
    >部長はたくさん飛んでくる画像の読影と並行で私の指導もしていただき、
    医師として経験を積んでいくと、今度は保谷先生が教える立場になるのですね…。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    医師の教育スタイルの一つとして「屋根瓦方式」というものがあります。ベテランの医師が教育する、というのではなく、年次の近い、例えば3年次の研修医が2年次の研修医を教える、というスタイルです。もちろん、現場では「屋根瓦」だけでは不十分ですが、同じような経験をしている年次の近い先輩だからこそ、躓きやすいところもわかるので、そういう点で教育効果がある、と考えられています。今でも有名研修病院では「屋根瓦型教育の充実」を病院の利点と挙げているところは多いです。

    もちろん、別編で後期研修医時代のバタバタを書きましたが、おっしゃる通り、後輩の疑問に答え、後輩と共に学んでいく、という後期研修医時代を過ごすことができ、とても貴重な時間だったと思っています。

  • でも、元気になってくれたのはよかった。
    最初にタイトル見たときはどきっとしたので。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「この患者さんがもし亡くなったら、この患者さんを殺してしまったのは俺だな」と、覚悟をしました。

    瞬間の判断で「この人を助けられた」の裏には、瞬間の判断ミスで「この人を殺してしまった」にもつながります。

    患者さんがお元気になられて、心の底からホッとしたことを覚えています。と同時に、多かれ少なかれ、どれだけ経験していても、このような瞬間に直面することがある、と思っています。そう思って、常に気を張って仕事をしています。

    正当な医療行為で、ミスがなくても患者さんが亡くなることはあります。それはそれで非常に悔やみますが、明らかに「自分のミスだ」と思ったときの恐ろしさと後悔は、今でも忘れることができません。

  • 糖尿病って、怖いんですね。
    私の知り合いにもいます。発病のきっかけはストレスだったらしいです。自分できっちりインスリン注射しているようですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    適切な治療を受けている糖尿病の方は、それほど問題にはなりませんが、コントロールの悪い状態が続くと、色々困ったことが起きます。

    ここで書いたようなトラブルが起きなくても、平均で、健常者と比べ、糖尿病の方は約10年、寿命が短い、という報告もあります。

    私の父も糖尿病でしたが、若くして心筋梗塞、脳梗塞などの血管合併症を来たし、41歳で亡くなりました。

    私の外来に受診された「75歳未満」の糖尿病の方には、結構「熱い指導」を行なっています。

  • 第4話 誰がどこを回る?への応援コメント

    僕の祖父も国鉄病院の院長だったのですが、こういう話は全然してくれませんでした。
    むしろ、『医者は嫌らしい仕事だ』と言っていたのを覚えています。
    これはとても興味深い。続けて読みます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私のこの話は2004年~2006年のことです。

    おじいさま、国鉄病院の院長をされていたとのこと。医者の世界では「非常に出世した人」になると思います。おそらくその立場に立たれるまでの権力闘争であったり、日本の医療界も、第二次世界大戦の闇を引きずっていた(引きずっている?)ので、「言葉にしたくない」ことがたくさんあられたのだと思います。

    私は「医師」になりたいと思っていましたが、「教授」とか「院長」にはなりたくない人間なので、そういう権力闘争とは無縁に過ごしています。日々、丁寧に患者さんを診察して、患者さんの気持ちに寄り添いつつ、見逃してはいけない疾患にも気を遣い、そうして日々の糧を得ている毎日です。

    お読みいただいて、ありがとうございます。

    編集済
  • 第33話 へき地研修に行くへの応援コメント

    病院を建てるとなると、経営という観点を忘れてはならない。…ジレンマですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私立の医療機関はすべて、同じ問題を抱えながら医療を行なっています。
    社会保障費、特に医療費の増大から、近年医療費は「患者さん負担」を増やし、「公的負担」を減らし、合計としてちょっとマイナス、という形で推移しています。

    なので、まっとうに保険診療を行なっている医療機関で、「儲かって儲かって」なんてところはありません。

    日本だけでなく、半年ほど前にイギリスでも、「王立看護協会」が「生活を維持することができるだけの給料を支払ってほしい」とストライキをしたほどで、医療費はどこでも大きな問題です。

  • 職業柄、逝去社員の書類を作成するのですが、出産直後に逝去された社員の訃報に接した時はショックでした。
    この時代にも、出産は命懸けに変わりないのだなぁと思いました。
    医療の進歩と先生方のお力に感謝、てすね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    小学校の時に人口ピラミッドの変化について学んだ「多産多死→多産小死→少産少死」への移り変わりと、1900年の統計での母体死亡率、周産期死亡率の値、現在の母体死亡率、周産期死亡率の値を見ると、周産期医療がどれだけ進歩したかがわかります。もちろんそれゆえに生じる困難もあるわけですが。

    医療の進歩が新たな問題を引き起こす、という点では、難しいところだと思ったりします。

  • 遅刻は、お医者さんならずとも、社会人としてはダメですし、二日酔いで手術も怖すぎます>⁠.⁠<
    それでもできちゃう技術は、すごいのでしょうけれども(・・;)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    一応、医師に定められた定時には、私たちはすでに手術室に入っているので、現実に遅刻をしていたかどうかは不明ですが、少なくとも手術室にはおられませんでした。

  • 今は子どもも、リビング学習とか言われてますものね。

    確かに新型コロナ流行時は、疎い私でさえ、保健所は大変だなと思った覚えがあります。まだ収束したとはいえないですしね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    長男君は受験生ですが、今でもリビング学習をしています。次男君は、音楽を聴いて、口ずさみながら(というか大声で歌いながら)勉強をしている(本当にしているのか?)スタイルで、長男君から「お前、うるさいから別の部屋に行け!」と言われて、リビングの横にある和室にこもり、ドアをしめ切って勉強を(多分)しています。とはいえ、リビングで勉強することも多く、今も、リビング学習続いています。

    今もリビングが、家族全員が心安く集えるところとなっていることに、家族みんなに対して、感謝です。

  • もう、かわいくてたまらないのが伝わってきます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    当時は「かわいい」というよりも、本当に「壊れ物」みたいな感じで、「下手なことをしたら、この命を失ってしまうかもしれない」と少し怖かったです。

    本当に「かわいい!うちの子、モデルになれるんじゃないか?(完全な親バカ)」と思うようになったのは1歳前後くらいからでした。

    ベビーベッドではなく、自分たちの枕元にチビちゃんを寝かせていましたが、「俺が下手に寝返りを打ったら、チビちゃん、押しつぶされちゃうよな」と思って、一緒に寝るのも気を使いました。

    少し時間が経って、彼が小学1年生。紅葉狩りに家族で出かけたのですが、まだ少し緑のもみじが残っていて、私が「この赤く染まった中に、パラパラと緑色が映えるのがいいね」と言ってから10分ほど経って、彼は生意気にも、私と同じセリフを宣い、「おぉ、生意気にも俺と同じことを感じているじゃないか」と思ったことを覚えています。

    男の子二人に恵まれ、父として「子供たちがもし悪い道に進むようなことがあれば、『命懸け』で止めなきゃいけないよな」と心の中で覚悟を決めました。

    幸いなことに二人とも、多少生意気で、それでも真っ当に育っています。二人とも高校生になりましたが、それでもまだ私の方が力が強いので(背は一番低くなりましたが)、もしもの時は路線変更、頑張れそうです(多分その必要はないですが)(笑)。

    編集済
  • いつも思っていたのですよね。
    お医者さんて、のんびりお酒飲んだりできる時間あるのかなぁ?って。
    ドラマ見ていると、いつも緊急呼び出しが掛かっているので(・_・;)
    でも、お医者さんだって、ちゃんとお休み取らなくちゃダメですよね!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    先日、「飲酒をして診療した」ということで問題だと報道されていましたが、40年ほど前は、それほど患者さんの来ない病院では、当直中に少し晩酌をしても良かったとか悪かったとか…。

    循環器内科の指導医は、札幌の有名病院で修業をされ、そこの循環器内科のトップの先生はいわゆる「神の手」と言われる人だったそうです。お酒好きで、頻繁に弟子たちを連れて飲みに行っていたそうです。緊急カテの呼び出しがあると、飲んでいるメンバーの若手がまず出動。若手では手に負えない時には中堅が出動、中堅でも厳しいときには御大が登場、となっていたそうでした。なので、お酒を飲んでいる人は飲んでいるようです。

    ちなみに私は、普段はお酒を飲みません。たまにですが、夜に呼び出しがかかることがあるからです。職場の忘年会など、「あぁ、この日は飲んでいてもしょうがないよね」というときだけ飲んでいます。

    20歳を機に、禁酒禁煙です(笑)。

  • 第9話 腎臓が消えた?への応援コメント

    いわゆる「引き」がものすごく強い方って、いらっしゃいますよね。
    わたしは事務職ですが、それでもレアなイレギュラーケースを引き当てる事が多い方です……
    岸村先生は本当にものすごく大変だったとは思うのですけれど、狩野先生がおっしゃるとおり、自分の勉強のためには物凄い幸運(患者さんの方には大変失礼な言い方になってしまいますが)でしたね。
    それにしても、本当に様々な病気があるのですね。自分が知らないだけで。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    修業をする中、あるいは今も常に修業の身ではありますが、患者さんの「しんどい思い」に寄り添う自分とは別に、「こんなに診断が難しく、稀な症例を診断できた自分、すごい」という自分もいて、なかなか難しいところです。

    「医師」という仕事はある種「職人」であり、私自身の専門とする「総合診療」「総合内科」は、広い視野から、患者さんの訴え、身体診察と簡単な検査で「診断をつける」という事を「良し」とする仕事なので、「職人」としての喜びがあるのですが、これは患者さんのハッピーとは相反することなので、悩ましいです。

    患者さんが良くなって、というのはこちらもうれしくてお互いにハッピーなのですが、その喜びだけでなく、「職人的喜び」もあるところが難しいところです。

  • 第8話 チーム替えへの応援コメント

    気管支内視鏡…
    母が受けて、あれは二度とやらない、と言っていたのを思い出しました。
    検査は、する方もされる方も、大変ですよね>⁠.⁠<

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    確かに、あまり楽な検査ではないですよね。

    気管支内視鏡をする場合は、やはり肺癌など重篤な疾患を疑う場合なので、如何ともしがたいところはありますが、しんどい検査は、確かに受けたくないというお気持ち、よくわかります。申し訳ないなぁ、という気持ちもありつつ、検査を行なっていました。

  • お医者さんて、なるまでも大変ですが、なってからも大変ですね。
    分かってはいましたが、やはりそうなのだなぁと、改めて思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    今の医学教育では、臨床実習中の学生は全員、国の基準をクリアして「学生医」という立場で実習を受けています。資格を有しているので、私たちよりはもう少し実践的な臨床実習を受けている(はず)ですが、それでも、研修医になりたてで、心臓にかかわる急性のトラブルに直面すると、「助けて~!!」という気持ちになると思います。

    そこで、自分の力不足を強く認識し、そして初めて「能動的」かつ「積極的」に学ぶようになるのだ、と自分の経験からは考えています。

  • やはり閉鎖病棟というのもあるんですね。

    かなり昔の戦隊もので、敵の幹部同士のしのぎ合いがあり、敗れた方が精神を病んでしまって、身元不明の人間として病院に保護され、「一生治らないらしい」と関係者にささやかれながら閉鎖病棟に連れて行かれて…「続く」となった回があったことを覚えています(もちろんこの幹部はその後二度と登場しない)。
    今思うと、戦隊ものでよくやったなあ、感受性の強い子どもなら泣くレベルの演出だぞ、もう現代ではできないだろうなあ、という話でした。これも時代ですかね…。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「閉鎖病棟」というと仰々しく感じますが、普通の病院の病棟で、窓から出られない(あるいは落ちることがない)ように「格子」(と言っても、最近のものはデザイン性が高く、「鉄格子」の直線的な威圧感がないようになってます)がついているのと、病棟の出入り口がカギ付きのドアとなっているので、鍵を持っている人でないと出入りできない、ということくらいが特殊なところで、あとは普通の病棟とそれほど大きくは変わりません(保護室は別です)。

    精神科病院は結構大きな病院が多く、スペースもある程度広くとられているので、閉鎖病棟内に、ロビーのようなスペースがあって、ソファが置いてあったり、床に直接座れるようになっていたりして、「閉鎖感」はあまり感じません(出入りするときは不便ですが)。

    閉鎖病棟に入院となる理由も様々です。躁うつ病の「そう状態」の人は、脱走して他人に迷惑をかけないため、「うつ状態」の人は「自殺防止」のため、「統合失調症」の人は、病状によって様々です。「被害妄想」の強い人は、「外から人が侵入できない」ということで安心しますし、妄想に支配された陽性症状の強い人(そう状態と似た感じ)は、脱走防止目的となります。

    躁うつ病、統合失調症でも妄想が強くて活動的(陽性症状と言います)な人は、投薬で改善し、退院する人も多いです。厳しいのは統合失調症でも「陰性症状」(人格の荒廃、妄想に支配されているが活動性の乏しい人)の強い人は、やはり退院は難しいようです。

  • ブラックユーモア!
    素敵です(´ω`*)
    ブラックユーモアって、実は相当気を遣わないと言えないものだと思います。
    少しでも気を抜くとただの毒舌になってしまいますものね。
    医学生の就職先はマッチングで行っているのですね。
    これも運命のめぐりあわせ、というものなのでしょうか。
    不思議なものですね。波長が合ったのですね、双方の!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    見学で言ったときはとてもブラックな師匠でしたが、研修医として入職すると、師匠はとても紳士でした。

    ただ時々「悪い目」をして「黒いこと」をいってニヤッとしておられました。

    本当に頭のいい人だと思います。頭の良さと、たくさんの経験に裏打ちされた、尊敬できる師匠です。そのもとで修業できて、今でもよかったと思っています。

  • なんだかとっても分かるような気がしました。
    心構えの違い。
    でも、おそらく6~7割の方が、ほーちゃん(ほーちゃん、って可愛らしい呼び方ですね♪)と同じような感覚ではないかと。わたしは間違いなくほーちゃん側です。
    タケさんすごい。
    わたしも見習わ……できなさそうなのでやめておきます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本当にこのエピソードは、私の頭をぶん殴ってくれました。

    タケ、格好いいです。

    余談ですが、タケ(のモデル)、今は大学教授になっています。

    医学部の教授になるには、業績と、タイミング(たまたま教授が退任され、空席になった)、それと人望が無ければなれません。

    同期が立派になるのはうれしいとともに、ときに自分の姿を振り返って、啄木の

    「友がみな 我より偉く見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ」

    という歌を口ずさみます。

  • 前回のお返事ありがとうございました。脳内の電気信号でしたか。ナルホド。

    帝王切開の経験があります。十数年前ですが、下半身だけ麻酔で、意識がありました。縫合のとき、縫い合わせるというより、パチンパチンとホチキスのような感触だった気がします。

    コロナ直前の秋に、別の手術で全身麻酔を受けましたが、なんというかあれは…奇妙な感覚でしたね。術後、「寒い寒い」と言っていたらしく、電気毛布にくるまれている状態で、徐々に意識が戻って、暑かったです(勝手だなあ私)。

  • かつて手術を受けたとき、半身だけの麻酔と、全身麻酔を、それぞれ経験しました。どちらも、効く直前に「カシャン」という、ガラス器具が床に落ちて壊れるような音を、頭の中で聞いたような気がします。両方ともだったので、私の意識の中で麻酔って、そういうイメージなのかなと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私が全身麻酔を受けたのは子供のころで、「子供の全身麻酔のかけ方」と「大人の全身麻酔のかけ方」が異なるので、何とも言えませんが、おそらく脳の中ではそのように感じられるような脳の電気の流れが起きていたのかもしれません。

    私の全身麻酔の記憶は、「くさいガスを吸わされたら、急に目の前がガラス細工のようにキラキラと飛び散って…、で気が付けば手術が終わってた」というものでした。大人は最初に静脈麻酔で眠らせてしまうので、子供の吸入麻酔よりも一気に効きます。

  • 第25話 人工透析科の日々への応援コメント

    カラフルな身体…ナルホド。やはりそうした方も受診されるのですね。当たり前ですが、ふとそう思ってしまいました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この仕事をしていると、「病気」という切り口からではありますが、たくさんの人の「人生」を眺めることになるので、いろいろな思いを持つことが多いです。

    カラフルな体でも、筋を通す人も多いですが、本文で書いたように言葉を失ってしまう人もいます。

    「人が生きていくこと」って、とても難しいものだなぁ、と考えさせられることの多い毎日です。

  • 足して13ヶ月(笑)。
    当時よほど大変だったことが想像されます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    確かに12カ月で回ったはずなのですが、なぜかローテートした診療科と期間を数えると13カ月になりました。

    この文章を書いたのが、初期研修を終えて15年ほど経った後なので、記憶があいまいになっているのはご容赦のほどを。

  • 毎話、楽しく読ませていただいております。自分が角川の編集長でしたらすぐにでも本屋さんに並べたい面白いお話です。
    僕も長い期間、入院していたことがありますが、同じようなことが何度かありました。
    病院の人手不足で車椅子に座ったまま放置など色んな目に遭ったこともあります…。
    おつらいですが、仕方ない…けれど患者としてはやるせない…。
    応援しています。お仕事頑張ってください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    患者さんにやるせない思いをさせないように、これからも頑張っていきます。

    ありがとうございました。

  • 第51話 後書きへの応援コメント

    唐突に終わった感じが・・・

    先生の次回作に期待します。

  • 第45話 小児科研修への応援コメント

    私も1年間主力製品の工場で研修させてもらった。その後、主力製品を直接扱うことはなかったが、会社の中でその製品の話をする時に研修の経験をベースに考えることができた。あの研修の期間はとても密度が濃くて得難い体験だったと思っている。

  • 新しいことに失敗はつきもので、その次に再発しないことが大切。失敗しない人は成長もしない。

  • 第25話 人工透析科の日々への応援コメント

    私も腎臓悪いので気になるところではあります。

  • 第15話 思わぬつながりへの応援コメント

    不思議な縁やね。でも、上下関係が微妙・・・。

    作者からの返信

    本文記載の通り、保谷君は鳥端先生を、「上級医・上司」として接していました。実際に、保谷君の年齢と一緒の医師は、職場では「医長」クラスになるので、自分の実年齢は意識せず、あくまで「医師としての経験年数」で上下関係を判断していました。自分より若いけど、年次の上の先生から厳しく指導されても、あまり気にせず「先輩から叱られた」と思っていました。

    保谷君の大学時代の同期では、お兄さんが私と同期、弟さんが「医長」クラスの医師になっていて、自宅ではお兄ちゃん、職場では後輩として態度を変えていた、という同期もいます。

  • 確かに最初の縫合は緊張しそう(素人)

  • 第1話 前書きへの応援コメント

    待ってました!