第16話 二丁目団地の6号棟(2/2)

 あの日から私は広場で遊ぶのをやめた。


 理由はもちろんせいらだ。あの子と顔を合わせたくなかった。

 わざわざ遠回りして、広場が目に入らない階段から建物に入るようにしたくらいだ。

 

 下校後は基本、カーテンを閉めて部屋に引きこもった。

 昼間のつまんないテレビを見たり、ボロくなった絵本を何回も見返したりして暇を潰した。


 おかげでせいらと会うことはなかったんだけど、それでも外の異変は感じていた。

 その頃には広場から子供の声が全く聞こえなくなっていたのだ。


 あるとき、仕事から帰ってきた母親が「なんかお隣さんも引っ越すってね」と言った。4歳くらいの男の子がいる家。

 なんでって聞いても、知らないよって。不思議そうな顔をしていたから、母親としても不可解な引越しだったんだと思う。


 私はこの異変にせいらが関係しているように思えてならなかった。

 根拠なんてない。けど確信めいたものを感じていた。


 次の日になって、学校帰りの私は久しぶりに広場に立ち寄った。

 あの夜に私の部屋を見ていたことも含めて、せいらを問い詰めてやろうと思ったのだ。


 幸いにも今日は母親が休みの日だ。何かあっても部屋に駆け込めばいい。


 人気ひとけのない広場で、ブランコに揺られているせいらの姿を見つけた。


 彼女は笑っていた。私がせいらの笑顔を見たのはその時が初めてだ。

 それも私の姿を見つけて、とかじゃない。団地のある一点を見つめて笑っている。


「ねえ、何してんの」


 思えば最初に出会った時と同じ声かけ。でもそのトーンは明らかに攻撃的だった。

 私の呼びかけに答えず、せいらはただ口を開いて笑っている。その態度にイラついて私は色々とまくし立てた。あんたが何かやってるんでしょ、とか、私の家をどうやって知ったのよ、とかそんな感じで。言いがかりみたいな内容もあったと思う。


 肩を掴まれてもせいらは何も話さない。ただただ一点を見つめて笑っている。


 何よ。何がそんなに面白いのってのよ。

 そう思って私はせいらの視線の先を追った。


 その先には、休みをとった母親が一人でいるはずの私の部屋があった。









 一目散に戻った部屋はもぬけの殻だった。


 鍵は空いていて、テレビはつけっぱなし。飲みかけのジュースが入ったグラス。

 明らかに母親がここにいた痕跡がある。なのに部屋中のどこを探しても姿は見当たらない。


 玄関にはちゃんと母親の靴があった。

 外出したのではなく、この部屋から消えた。そんなイメージだ。

 

 言い知れない不安の後に、怒りがさざ波のように押し寄せた。

 私の母さんをどこにやったんだ! って。

 

 猛スピードで階段を駆け降りて広場へと戻る。せいらの姿はブランコから消えていた。

 近くに姿が見えないのを確認した私だが、次に浮かんだのはあの6号棟だった。


 せいらは6号棟に住んでいる。その部屋のどこかにいるはず。

 空室だらけのあの棟なら見つけられるかもしれない。私ははじめて6号棟へ向かう坂道を駆け上がった。






 



 近くで見る6号棟は、やっぱり他の棟とは雰囲気が違った。

 

 駐輪場に止めてある自転車。そのほとんどが放置自転車のように朽ちている。一階は軒並み雨戸が閉まっており、庭の草は生い茂っていた。もうずいぶん人の手が入っていない様子。郵便受けにはカピカピになった新聞がはみ出している。


 私は息を呑んで階上を見上げた。洗濯物やシャッターだけじゃなく、エアコンの室外機とか、そういうものもヒントになるかもしれない。


 実際に廊下に侵入してみると、扉の表札は空室を見分ける上で当てにはできないことがわかった。明らかに引き払っているのに、表札は残したままの部屋が多すぎる。


 って言っても、もしその中の一つに「せいら」の名前があれば、それが手がかりになる。漢字は聞いてないから知らないけど、それらしい字を見つけたら呼び鈴を押してやればいい。


 片っ端から扉を眺めていく。我ながら不審な動きをしているものだから、住人に怪しまれないかが心配だったが、そもそも住人と鉢合うことがほとんどなかった。階段で一度だけおじいさんとすれ違ったくらい。


「こんにちは。……君はこの棟の子かい?」


 そう聞かれて、私は「友達を探しにきたんです」とホントなんだか嘘なんだかわからない返事をした。

 友達? と聞き返すおじいさんに、約束に遅れちゃいますので、と言い残して階段を駆け上がった。思えば「探しにきた」とか言っておいて「約束に遅れる」じゃおかしいけど、気にしている場合じゃない。


 黒いカビや苔の生えたコンクリートの廊下を走って回る。3階までは、子供のいる感じの部屋はなかった。


 残るは4階。


 階段を上がってすぐ、右手の突き当たりにピンクの自転車が見えた。

 ハンドルについたうさぎは錆びていて、目から茶色い涙を流している。雨風に晒されて、もうずいぶん時間が経ったものだとわかる。


 タイヤカバーには、かろうじて読める字で「聖来」と書かれていた。


 1こ下のせいらが乗るものにしては明らかに小さすぎる自転車。

 でも間違いない。ここがあの子の部屋だ。確信を持った私は呼び鈴に手を伸ばした。


 その時、後ろから私の手首を誰かが握った。

 階段ですれ違ったおじいさんだった。


「この部屋に近づくのはやめておきなさい」


 おじいさんの口調は穏やかだったけれど、しかし有無を言わせない何かがあった。

 普通に考えたら初対面の人に手首を掴まれるのって尋常じゃないよね。でも私はなんだか、危機一髪のところを止められたような、そんな感覚だった。


「この部屋って……」


 そこまで言って私が言葉を詰まらせると、おじいさんは「儂にもわからん」と首を振った。


「この部屋がどういう部屋なのかはわからん。だが近づいちゃならん場所だというのは、にぶくなった今の儂にすら肌に感じる。

 この6号棟にお友達はおらんよ。悪いことは言わない。やめておきなさい」


「でもそれじゃ母さんが……!」


「母さん?」


 私は泣きながらこれまでの事情をおじいさんに話した。せいらが見つかるかどうかはともかくとして、母さんがいないままでは、私はどこにも帰れない。


 事情を飲み込んだおじいさんは「相談してみよう」と携帯電話を取り出した。

 最初は警察にでも電話をかけるのかと思った。しかし15分ほど経ってやってきたのは、町内会長さんとその奥さん、学校のそばにある神社の神主さんだった。三人とも学校行事や地域のお祭りの時なんかに見かけたことがある。


 町内会長さんの奥さんは私の姿を見るなり「今日はうちに泊まっていきなさい。学校にも連絡しておくからね」と優しく言った。町内会長さんも「子供たちにも、今日は一緒に遊んでやるよう言っておいたから。安心しなさい」と言った。


 神主さんは険しい顔で、おじいさんと何か話していた。

「ねんがからまっている」「はらえるかどうか」みたいな言葉が断片的に耳に入った。


 何がなんだかわからない。でももうこの先は、私が口を挟める領域ではないのを感じた。










 私が町内会長さんの家で過ごしたのは2晩。3日目の朝になって、母親が家に戻ったとの知らせを受けた。


 家に戻ると確かにそこに母さんがいた。ぼんやりした表情だったが、体調に異変はなさそうだった。


 どこにいたのかと私は尋ねたが、なんだか気づいたらこうなっていた、みたいな要領を得ない返事。

 付き添ってくれた町内会長さんの奥さんは「帰ってきたんだからいいじゃない」と言って、私を元気づけようとしてくれた。


 今思うと不自然だけど。親が二日も消えたら、育児放棄のこととか含めて詮索してもいいはずなのに。

 

 かくして私には日常が戻ってきた。しかしどうしても解決していないことがある。


 あのせいらちゃんという女の子の存在だ。


 窓の外。6号棟の入り口には何台ものパトカーが止まっていた。

 これは後から新聞で知ったんだけど……6号棟の4階。つきあたりの部屋からは女の子の遺体が見つかったそうだ。


 損傷の具合から、もう何年も経ったであろう遺体。

 ゴミの散らばった部屋の片隅で、体を丸めるように横たわっていたのだという。


 部屋を契約していた成人男女の行方はわかっておらず、現在捜索中——新聞記事の内容はそんなものだった。


 せいらちゃんはどうして私の元に現れたのか。どこから来て、どこへ行ったのか。今でもわからないことだらけ。


 それでも私はあの日……6号棟に足を踏み入れて良かったと思う。どうしてかはうまく言えないけれど。





 それからほどなくして6号棟が、続いて4・5号棟も住民が減って閉鎖。今では6棟全部が立入禁止になってるみたい。


 ——え? そんな話聞いたら見てみたくなるって? 

 怖いもの知らずね。っていうか命知らず?


 遊び半分で行くならやめておきなさいな。


 立入禁止の場所にはね。入っちゃいけないだけのわけがあるの。


 そこには必ず理由があって……そこにいた人間の想いが残されているものなんだから。

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××立入禁止区域×× ここプロ @kokopuro

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