第15話 二丁目団地の6号棟(1/2)
子供の頃の私は団地に住んでいた。
コンクリート作りのでっかい団地。四階建てなのにエレベーターもついてない、昔ながらのやつね。
全く同じ作りの建物が6棟あって、見た目は全く同じ。ただ壁面に「1〜6」の数字が書いてあるって違いだけ。
あそこに住んでいた頃、私は子供ながらに、自分ちは裕福じゃないんだなってわかった。
屋上の貯水槽は遠目にもサビて茶色く見えるし、ベランダの手すりなんか何年も塗り直した感じがない。一階の郵便受けはカギもついてない上に、扉のネジが緩んで外れかかってた有様。
管理組合とか機能してなかったんだと思う。うちも含めて、羽振りがよさそうな住人なんて見かけなかったしね。
でもまあ、それなりに部屋は埋まっていたと思う。安いってだけで住む人は一定数いるみたい。
けどあの6号棟だけはちょっと様子が違った。
1〜5号棟までは隣接してるけど、6号棟は後から増設したのか少し離れたところにあった。
その6号棟だけやけに空室が多かったの。
外から見ても、洗濯物や布団の干してある部屋が明らかに少なかった。
6号棟だけが少し離れているのも相まって、どこか異様な雰囲気だった。
とはいえ私が住んでいたのは別の棟だったから、6号棟には近づくことも、近づく理由もなかったの。
あの子と出会うまではね。
団地には3号棟と4号棟の間にちょっとした広場みたいなのがあった。
ボロいけど滑り台とかブランコとかがあるの。建てた当時はお金があったのかもね。
私はよくそこで一人で遊んでた。外の公園に行けば友達はいたんだけど、話の流れで「誰かの家に行こう」ってなるのが嫌だった。ボロい団地に住んでいると知られるのが嫌だったから。子供ながらに。
私みたいに外の公園へ行かず、広場によく来る子供は結構いた。私は広場にいる子に適当に声をかけて、割と誰とでも仲良く遊べた。幼稚園くらいの小さい子も混ぜて鬼ごっこや砂遊びなんかをしてた。
4年生の頃には団地に住んでいる子はほとんど顔見知りになっていた。名前も、住んでいる棟も頭に入ってたくらい。
でも、ある時。見たことない女の子が広場にいたのよ。
同じ歳くらいの子で、くすんだ色のワンピースを着てた。
人のこと言えないけど、私より貧乏な家の子だって一発でわかった。
広場には他に誰もいなかった。女の子はブランコをきぃきぃと漕ぎながら、ぼんやりと団地の入口らへんを眺めてた。
「何してるの?」
いつも広場の子に声をかけてるようなノリで話しかけると、女の子は「見てるの」と短く答えた。
「見てるって何を?」
私が尋ねても女の子は答えない。買い物袋をぶら下げたベビーカーを押す女の人が、駐輪場の前を通りがかったくらいだ。知り合いっぽい様子でもなければ、他に観察するようなものは何もない。いつもの団地の光景が広がっているだけ。
ま、いいや。深く考えずに私は「遊ぼうよ」と誘った。すると女の子は目をぱちくりさせて、はじめて私の方を向いた。
でもそれきり何も話さないから、私が勝手に話を進めてブランコに連れていった。
ブランコに漕ぎながらの会話もほとんど私が喋っていた。
その中でもわかったことが少しだけある。
女の子はひとつ年下で、名前は「せいら」。
そして住んでいるのは、あの6号棟だということだ。
「私たちはじめて会うよね。もしかして引っ越してきたの?」
学校で顔を見たことはなかったし、広場でも姿を見たことがない。
私の質問にせいらは首を横に振った。ただやっぱりそれ以上何も話さない。
正直、せいらの無愛想な態度に私のテンションは少し下がっていた。
日も傾いてきたものだから、私は「そろそろ親が帰ってくるから」と適当に話を切り上げてブランコを降りた。
するとそんな私に、せいらはいきなり声をかけきたの。
「また遊ぼうね」って。
いやあんま楽しそうにしてなかったじゃない。そう思ったけど、私は「うん。またね」って返した。
人見知りなだけで、せいらはこういう子なのかもしれない。それに誘ってもらえたのは悪い気もしなかったしね。
それから私とせいらはちょくちょく広場で遊んだ。貰い物のおもちゃとか砂遊びの道具とか、色々持っていったりして。
相変わらずせいらはあんまり喋らない。でも歳が近い子もあまりいなかったし、私はなんとなくせいらと遊ぶ機会が多くなっていった。
でも今思えば、あの時気づくべきだったと思う。
せいらと積極的に遊んでいたわけじゃない。他の子と遊ぶ機会が減っていたのだ。
あの出会いからというもの、せいらは頻繁に広場に姿を見せた。そしていつも一人でいる。
どういうわけか他の子たちが広場に姿を見せなくなったのだ。
ある晩、私は夕食を食べながら母親にそんな話をした。
母親はテレビを横目に見ながら「あー、なんか最近引越ししてる人多いらしいね」と言った。
「え、誰が」って聞くと、母親はめんどくさそうに何人かの名前を挙げた。
どの家の子も知り合いだったけれど、引っ越したなんて初耳だった。
でもさ。そんな知らないうちに友達が引っ越すなんてことある?
せめて挨拶くらいするでしょ。もうすぐ引っ越すって。
じゃなければよっぽどの事情があって、伝える間もなく引っ越しちゃったってことだけど……急にみんながそんな事情を抱えることなんてある?
なんで引っ越したのかを聞いても、母親は「知らない」って言うだけ。答えるのが面倒なのか、本当に知らないのかわからないけど、とにかく私はなんか嫌な感じがした。
いつからこうなったのかはハッキリしていた。
広場でせいらと出会ってからだ。
私はテレビの横のカーテンを開けてみた。私の家は3号棟の4階で、広場を見下ろすことのできる位置にある。
夜の広場に浮かぶ街灯の灯り。私は視界の端に、小さく動くものが見えた。ブランコだ。
せいらがブランコに腰掛けてこちらを見ていた。
こっちの方を、とかじゃない。あれは完全に私を見ていた。
どうして家に帰ってないの、とか、こんな夜中に何してるの、とか。今思えば疑問はいっぱいある。
でもあの時の私は別のことで頭がいっぱいになった。
どうしてせいらが私の住む部屋を知っているの?
教えたことはないはずだった。3号棟に入っていくところまでは見えたにしても、何階の何号室かなんて外からじゃわからない。そういう作りになっているはずなのに。
——もしかして
思い立つと、階段の曲がり角から私の背中を覗くせいらの姿が目に浮かんだ。
私は声をあげてカーテンを閉めた。
あんまり勢いよく閉めたものだから、母親が「何よ。何かあんの」と聞いてきた。
私は「広場……誰かいる」みたいに、曖昧な言い方をした。
根拠はないんだけど、なんだか名前を出すといけないような、ヤバいような気がしたのだ。
母親は重い腰を上げると、カーテンを開けて外を見渡した。どこよって聞くから、ブランコ、とだけ伝えた。
一通り眺めると母親は「誰もいないじゃん」と言って私を手招きした。見てみろってことだろうけど私は黙って首を振った。
「こんな夜中に人がいるわけないじゃん。面倒な気の引き方しないでよ」
気だるそうに言うと、母親はそのままベッドに行ってしまった。
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