第11話 イレンシアの場合 1.3

 二日後、夕刻。

 辺りはひどい雨に見舞われていた。

 砦の位置は確認できる。松明がたかれているからだ。

 ひとり上機嫌だったのは、マリエラである。率先して表に出て、今は馬車の屋根の上で鼻歌を歌いながらごろごろしている。

 イリは御者の座から離れ、雨を避けて客座に座っていた。

 砦を一望できる丘の上には、旅人が休めるようにと街道脇に大きな木が生えていた。ここに停まっていれば、傭兵たちが見つけてくれるだろうと踏んだのだ。確かに傭兵達はこちらを捕捉した。

 だが、視界は最悪。

 そして、二日を馬車の中で過ごした二人の姫君の機嫌も、最悪だった。

「あー。えーっと。竜の君、いつからこんななの」

「ずっとだが、何か」

 竜の精神構造は人には分からない。

 イリにとって居心地は最悪でも、シェンハーディにとっては苦痛でもなんでもないらしい。

「晴れていなければ、聖女の行動も見えないではありませんの。見せつけねばならないのでしてよ」

 はぁ、と曖昧にイリは返答する。

 セレンディアは苛立ちを隠そうともしない。ぱしん、ぱしんと、金の扇を開いては閉じを繰り返している。何度もだ。

「でもね、セレンディア様。まだみんなが来てないみたいなんだ。兵がいないと、挟撃もできない」

 ルノーヴィアとは、細かな行動の打ち合わせを、精霊を使って行っている。そして、リアダール砦の情報も、精霊を使って行っていた。

「あのウルハーグ王が取って返してきましてよ。それに挟まれたら……」

 戦を知らない頭でも、考えが及ぼうというもの。

「この辺の雨は、激しいけどすぐに収まるんだ」

 そのすぐが、数刻にも及んでいる。

「それに挟撃については大丈夫、みんなそんなに遠くじゃないから、近くにいるから。ここは砦がよく見えるけど、逆に砦からもよく見える。こんなところに、傭兵は集まらない」

 そう、いくら雨に濡れたとしても、だ。

 第一、大荒れの天候での出撃は、陸より海の方が危険性が高い。それを難なくこなすのだ、傭兵やつらは。

 簡単にくたばるわけがない。

「――傭兵、じゃと」

 それまで一言も話さなかったヴィミラニエの瞳が炯々と輝く。

「軍ではなく、傭兵じゃと申しおるか」

 ティルディシアの軍隊の動向には目を配っていた。なのにどうしていきなり襲われたのか。

「私自体が、存在を知るに及ぶ範囲外なんじゃなかったかな、王姉殿下」

 未だ小さき星なれど――と話したのをヴィミラニエは記憶している。

「ティルディシアなぞ、およそ頭の固い連中に牛耳られておると思うておったわ。不覚じゃ」

 悔しそうに拳を膝に叩きつける。

 戦端に関しては、ヴィミラニエの指摘は間違ったものではない。トゥアの将軍など、石頭の筆頭だ。数で優れば、ルノーヴィアは簡単に落ちると思っていた。勢いだとて、王の親征があったのだ、勝ることはあっても、王のいないティルディシアに劣ることはない。

 第一王位継承者は軽佻浮薄で暗愚だとの声がキユナータにまで伝わるほどだった。第一王女さえ押さえれば、すぐに屈すると思っていた。

「そなたさえ居らねば」

 グラン・クランの完勝は脅かされている。どころか、立場すら反転しそうなのだ。己が捕らえられたせいで。ヴィミラニエは毒づいた。

「なんて呼ばれても構わない。私は自分の国を守るために天騎士になったんだから。グラン・クランに侵略されて黙ってるほど、お人好しじゃなかっただけだ」

 本来なら、イリはルノーヴィア城塞都市に詰めているトゥア将軍の指揮下にいるはずだった。

 けれど、セレンディアが思い出してしまったから――もうひとりの王女の存在に、気付いてしまったから。

「十四の小娘にわらわが引っ掻き回されたじゃと!」

「ただの十四の小娘ではなくってよ、これはカラトラヴィアが育んだ、王の器に値する存在。あなたの弟がそうであるように、指導者となるべくして生まれ、教育された者。水盤と札がなければ何もできないあなたとは違っていてよ」

 わなわなとヴィミラニエの両腕が震える。

 セレンディアとて、ヴィミラニエから見れば十分に小娘である。為政者としてただならぬ才能を発揮していても、戦のいろはは分からない。

 分からないことが、幸いしたのだ。

 前例を無視し、アイリーン姫のとった行動を振り返った。それだけだ。

 フリオナ河を抑えなければ、負ける。これは避けたい。ではどうしたらいいか。

 そんなの、専門家に任せるのが一番に決まっている。

 天騎士は戦うものであり、治めるものでもある。ウルハーグ王がそうであるように、カリスマ性を以て迎えられる名誉ある存在だ。

 そしてティルディシアには竜の巫女がいる。竜を呼び出すにふさわしい力の持ち主が、王宮の奥の宮で眠っている。これを起こしさえすれば、竜の力はそのままティルディシアの力となる。

 アイリーン姫のように、二つを同時に所持する存在はいなかったが、双子という形で顕現していたのだ。

「わたくしは、間違った選択はしませんでしたわ。それをいま確信しておりましてよ」

 かつんと扉に硬いものが当たった音がした。

 マリエラが、天井から姿を現した。

『イレンシラディエラ、アシュレイが帰ってきたわ』

 扉に手をかけると、ヴィミラニエが恨めしげに言った。

「なにゆえ真名を呼ばれて平気なのじゃ」

「そんなの、信頼関係が成り立っていればいいんだから、簡単だよ。使役の関係でも主従の関係でもなくて。ウルハーグ王だって、真名を交わした親しい相手がすぐそばにいつもいるじゃない」

 精霊使いと精霊以外に真名を交わすものなどほとんどいない。

 ウルハーグ王が真名を交わした相手といえば、愛騎ラフィークしかいない。

「嫌いな奴に名前呼ばれるの、嫌でしょ」

 それだけ、と言ってイリは外に出た。

 月明かりが差していた。

 皆、白い巡礼の衣装を泥に濡らしていた。それぞれの硬い表情が、二日間の苦難を偲ばせた。

「誰も遅れてない、誰か知らない人が混じってない」

 互いに顔を見回し、肩を叩きあった。

「よぅ、生きてるじゃねぇか、男前が上がったな」

「てめえこそ、ひでぇ髭面だ」

「一雨来て生き返ったぜ、ずっと乾いた陸(おか)だったからな」

 イリはアシュレイに騎乗した。

 す、と右手の剣を掲げた。

「ここでへたると挟み撃ちにあう。カルディアが花火をあげたら合図だ、全員砦に突っ込め、いいか、死ぬんじゃないよ!」

「応!」

 全員が得物を手に突き出す。

「フォーリ、悪いけど馬車の先導を頼む。御者がいないんだ」

『いいよ、イレンシラディエラ。みんなのあとをついて橋を渡ればいいんだね』

「ん、そう。よろしく」

 どぉん、と鈍い音が辺りに響いた。

 リアダール砦の火薬庫が爆発したのだ。

 もちろん、犯人は火のカルディアだ。火の気のない場所でも火事を熾せると豪語するだけあって、やることが派手だった。

「行けぇっ!」

 イリの号令に、百七十二人が従った。


 急な爆発に続く蹄の音に、砦で休んでいた者たちは飛び上がった。

 見回りをしていた者も、突然の爆発に驚きを隠せないでいた。

 火薬庫は、城塞都市の石壁を砕くのに使う大砲のために準備されていたものだ。扱いは厳しく取り決められていた。

「誰だ!」

 見張りはすべてが火薬庫に注目した。その隙を突いた形で、まずグラン・クラン側の大門が破られた。

 夕食後の気怠さが、一気に払拭される。

「天馬がいるぞ!」

「王が来られたのか?」

「鎧を着てないぞ、何奴だ!」

「んなもん重たくって着てられっかよ、ホイっ」

 誰何をする暇もなく、剣の、槍の、餌食になる。

「金と女は後回しだぞ、陣を崩さず突っ切れっ!」

 乱戦だった。

 とにかく、無心に剣を振るっていた。

 相手の刃を躱し、自分の剣を叩き込む。それだけの作業が延々と続いた。

「一人になんなよ野郎ども!」

 紡錘形の形をとり、先頭をヴァシーが、殿をイリが務めていた。イリの前には、馬車がある。馬車を守るように海側にフォウラーンとカルディアが、山側にマリエラがそれぞれ防刃の盾を描いていた。

 イリは、手綱を取らずに、後ろ向きに立っていた。鞍にはつま先を引っ掛ける場所がちゃんと作ってある。宝剣は素晴らしい威力を発揮していた。当たる刃を皆砕くのである。だのに自身は刃毀れひとつしない。

 右の刃を砕き、左の盾を両断し、正面の相手の頭をカチ割る。まとわりつく黒のマントは、リアダール砦の者に引き裂かれ、とんでもない襤褸になっていた。血が黒くこびりついたレースの縁取りが、マントの下からちらちらと見える。

「きさま、小僧、女か!」

 追撃されつつ、最も的確な反撃を繰り返すイリに、どこからともなく声が掛かった。

「なんだ貴様、臆したか! しっかり目に焼き付けろ、私はティルディシアの聖女イレンシア!」

 まとわりついていた黒衣を脱ぎ捨てた。

 下には愛らしい赤のドレスを着ている。

 ただし、あちこちが綻び、血が滲んでいる。その血は既に黒く変色し、傷のあとは瘡蓋になっている。戦乙女ルディ・ランを思わせる勇猛ぶりだ。

 再び、鈍い音が響き渡る。砦の、ティルディシア側に面した門が砕かれたのだ――ティルディシアの砲台によって。

 リアダール砦の二千の兵は、二千の動きを為していなかった。ルノーヴィア城塞から、人が雪崩込んでくる。

 鈍い音は何度も続いた。リアダール砦の砲台の場所を、アシュレイは正確にトゥア将軍に伝えていた。砦の様子が分かれば、どこに撃ち込めば良いかは軍人が知っている。

「カルディア、ヴァシーに付いて。馬車だけ先に行かせる。傭兵団はここに残って掃討戦だ」

『良いのかや』

「何が」

『名乗ったであろ。的にされようぞ』

「願ったりだ。みんな斬り殺す」

 言ったとおり、左の首をかき斬り、右の額を突き割る。淡々と、死体を作り上げていく。

 防具はない。強いて言えば、攻撃は最大の防御、ということだ。

 カルディアは、ついとフォーリに寄り添った。

『馬車だけ渡すらしいぞえ』

『ふぅん。じゃ、連れてって、戻ってこよう。セフィオンとミューリが心配』

『そなたら、道を開けよ。馬車が通る』

 陣形は、紡錘型から円形状になりつつあった。そこにルノーヴィアからどんどん兵が流れ込み、陣は大きくなってゆく。

 突端はリアダール砦の河側の門である。そこにヴァシーは陣取って剣を振るっていた。

『セフィオンや、戻ったえ。馬車を先に渡せとイレンシラディエラからじゃ』

 カルディアのすぐ後ろに、既にフォーリがいる。フォーリが馬車を従えていた。

「扉は開いてんぜ、フォーリ。上からの矢に気をつけろ」

『はぁい。また戻ってくるからね』

 流石にリアダール砦も眠りから目を覚まし、反撃を強めている。

 ぐるりと砦を囲む塀の上から、矢が射掛けられていた。

「野郎ども、円陣はルノーヴィアの軍人に任せて塀に飛び移れ! まだ獲物がたくさんいるぜ!」

 ミューリが一気に塀の上まで駆け上った。流石に翼を持たない騎馬にはできないが、ミューリのおかげで道が開ける。馬を乗り捨てて、石段を追いかけた。

 塀の上に上がってしまうと、今度は四方の見張り台から丸見えになる。暗い、足元の安定しない場所での戦いが多い海の傭兵たちにとって、月明かりに照らされて足場のしっかりした場所で戦うのは一見簡単なように思えるが、敵も同様、次々に上から矢を射掛けてくる。

「砦から兵を追い出せ! ここを奪い取るんだ、得物が折れたらその辺の拾って使いな!」

 イリが叱咤する。

 ルノーヴィアからの援軍が、心強かった。

「くっそ、こっちに天騎士がいれば……」

 その呟きに、チェーンメイルをまとった兵士が答えた。いつの間にか背を合わせて戦っていたらしい。

「聖女様、ルノーヴィアにはラン騎士団の半数が到着しております!」

「ほんと」

「本当です、内、天騎士は百騎を下りません」

「よし、じゃお前、行って呼んできて。大丈夫、私には精霊の加護があるから」

 背面から一騎の存在が離れると、アシュレイに跨り、「空へ!」と叫んだ。

 蹄が濡れた大地を蹴る。

 大きく広げられた翼が羽ばたいた。ただそれだけで、矢を受け付けない。

 天馬は精霊である。一騎当千とはいかなくても、矢が自然に逸れてくれる。天馬どうしであれば蹴ったり噛み付いたりの攻撃が効くが、対人戦になると滅法強い。精霊を傷付けられるものといえば、精霊どうしの歯牙か、精霊により作られたものくらいしかない。例えば、イリの振う宝剣のような。

 だから、天騎士によって一気に砦を掌握できそうなことが分かると、それだけで高揚した。

 ウルハーグ王がキユナタルディスから戻ってくるまで、どのくらい掛かるか。それは分からない。

 帰ってくるまでにこの戦いにケリがつき、砦が己のものになっていたら、最低限の講和の条件も整う。

 返り血を浴びたイリは、獰猛な肉食獣と化していた。

 見張り台で、怯えた兵士が叫び声を上げた。

「来るなーーーー!」

「来るなって言われたら、行きたくなっちゃうじゃん」

 歳若い兵が、何度も何度も弓を射掛けるが、あるものはイリが打ち払い、あるものはアシュレイによって防がれる。

 イリはあっという間に距離を縮めると、血にまみれた金銀細工の宝剣を振り下ろし、兵を斬り捨てた。

「なっ……!」

 アシュレイは既に見張り台の上である。

「従うか、死か、選べ」

「化け物!」

「失礼なやつだな。私は生きた人間だぞ」

 だいたい化け物なんていうのは存在しないのにと言いながら、容赦なく剣で薙ぎ払う。

 下を向いて矢を放っていた弓兵も突き殺すと、月を背に、大音声で呼びかけた。

「生きたい者は投降しろ! 武器を持っているものは死ぬと思え! 今から裁きを下す!」

 ルノーヴィアからフォーリと天騎士隊が空を駆けてきたところだった。背を合わせていた騎士より先に、状況を把握して天馬の兵を連れて帰ったようだ。

 皆、剣ではなく弓矢をつがえ、動く的を狙っている。

「射掛けよ!」

 イリが、容赦なく命令を下した。

 二千の兵力が、あっけなく瓦解した。

 砦の本陣の武将が投降してきたが、時すでに遅し。

「大丈夫だよ、痛くないように、殺してあげるから」

 ひまわりのような笑顔で、この場の大将を屠った。

 たった百七十三人だったのが、今では千人を越している。

 血まみれの剣を放り出し、イリはヴァシーに抱きついた。

「やったよヴァシー兄上、この戦、勝ちだ!」

 返り血まみれの赤いドレスはいかにもこの場にふさわしく見えた。凄惨な血の跡がほとんど分からない。ヴァシーはイリをひょいと担ぎ上げ、肩車した。

「おい、死人はいねぇか、怪我人は」

「あー多分死んじゃいねぇな。俺ァ怪我人」

 にへら、と笑うエンティが手を挙げる。あー俺も俺もと三々五々、傭兵たちの手が挙がる。

「団長、おかじゃ死んでも死にきれねぇよ」

「なぁに、戦乙女がついてんだ、死なねぇよ」

 傭兵たちが肩を叩き合っていると、ルノーヴィアから来た歩兵が第一声を上げた。

「せ……聖女様! 万歳!」

 次第に万歳の声が大きくなる。

 リアダール砦が、ティルディシア軍の歓声で溢れかえった。


 橋を隔てたルノーヴィア城塞都市にも、その歓声は届いていた。

「ひとまずは終わりましたな、セレンディア殿下」

「トゥア将軍には物足りないんじゃなくって」

 河向こうの決戦は、ひと夜とかからず終わったらしい。

「いや、この度は老骨に鞭を打ちましたわ」

「あの子は王家がいただきますわ」

「――いささか、淋しいですな」

 将軍は酒瓶を抱えていた。終わったら呑もうと思っていたらしい。

「ヴァシーと呼ばれる傭兵団長が、よく働いたようでしてよ」

「はて……傭兵に知己はおりませんぞ、殿下」

「セフィオン・ヴァスフォートとか。良き後継がいらっしゃるのに、あの子が欲しいだなんて我が儘、許さなくてよ」

 将軍は髭を掻いた。

「わたくしは湯浴みをしますわ。誰か手伝って頂戴」

 遠ざかる足音を聞き終えてから、将軍は手酌で酒を飲んだ。

 論功行賞と傭兵団への支払いが残っている。何より講和が優先される。

 ティルディシアには、リアダール砦とヴィミラニエ姫というふたつのカードが残った。

 これをどう使うかはセレンディアも考えていることだろう。

 明日の朝にはキユナタルディスに戻ったウルハーグ王がまたこちらへ来ているだろうことを予想しながら、ちびちびと酒を煽った。


 兵士たちによる聖女様コールが終わると、二日間通して眠っていない傭兵たちは、砦に残っていた酒を掘り出して分け合い、暁闇には皆眠りについていた。

 その中で眠らず淡々と指示を出すイリの姿があった。

 ルノーヴィアに詰めていた兵を使い、砦の補修に当たらせた。砦の一画に捕虜をひとまとめにし、食事を与えた。

 怪我人は治療し、死人は簡単な弔いを済ませた。

「天騎士隊の隊長さん、どこにいるの」

「は、ここにおります」

「悪いけど、感覚の鋭い人を二、三人見繕って斥候飛ばして。ウルハーグ王はおよそ二百騎の天騎士を連れてる。襲われたら勝ち目がない」

 隊長は頷いた。あまりにもあっけなく敵が陥落したので、グラン・クラン軍に何か仕掛けられたのではないかと危惧していたのだった。

 天騎士は優秀な戦術家であるとともに、有能な戦略家でもある。数が倍違えば、それ以上の戦力差になるだろうことは簡単に予想がつく。

「聖女様はどこまで見通して考えておられるのですか」

「どこまで、って」

 隊長の顔を下から覗き込みながら、にっこりと笑った。

「もちろん、国の境界を定めるまで、だよ」

 分かるよね、と瞳が訊いてくる。

「そのためにはここを死守しなくちゃならない。向こうが手を打つ前に、出来ることをする」

「小官に愚考があります」

「聞かせて」

「は。捕虜を一人連れて砦を陥落せしめたことを敵国に知らせます」

「それで」

「親書を持たせ、講和の場を決めてくるのです」

「誰のお手紙」

「セレンディア王女殿下と聖女様の署名入りの親書です」

 どうもノリが堅くていけない。騎士団とはそういうものなのだろうか。

 アートゥアールの地の草の民や、カウシェンブルの海の民は、こんなにかしこまらない。そちらの方がイリは好きなのだが、隊長をいじめてもなにも出てこないので、やめにする。

「それじゃ、斥候出してる間に、セレンディア様に手紙を書いてもらって、それを私が持っていこう」

「危険です。大変危険であります」

「でもほかの誰かに行かせたら、間違いなく死体で戻ってくるよね」

「は……」

 しかし対案が浮かばなかったのか、それ以上を言えないでいる。

「私には十二になる子どもがおります。恐れながら聖女様はあまり違わぬお歳に見えます。あまりにも厳しい仕事かと存じます」

 ようやく紡ぎ出したのは、心配の声だった。

 くすりとイリは微笑った。

「ただの十四じゃないよ」

「は。戦術の妙、僭越ながら拝見させていただきました」

「任せてもらえる」

「同行をお許しくださるのであれば」

「隊長がいなくなったら、誰がこのあとラン騎士団の天騎士をまとめるの」

「副隊長が二名おります。総団長であるカリュンダルフ公爵もおいでです」

「じゃ、もっといい人選がある。ティルディシアの人は賛成しないかもだけど、傭兵団長のヴァシーを同行させる」

 くわっと隊長が目を見開いた。

「この戦はティルディシアの戦にございます」

「でも考えて。セレンディア様をお救いできたのも、ヴィミラニエ姫を虜囚とできたのも、傭兵団があったればこそだよ」

「しかし」

「しかしもかかしもないの。事実だもん」

 子どもっぽい言い方に、隊長の意思が揺らぐ。

「ウルハーグ王は、カリスマ性の塊なんだ。ほんとにかっこいいんだよ。それに、強い。圧倒的に強い。剛を倒すには柔で行かなくちゃ」

「見てきたような言い方ですな」

「うん、見に行ったもん。だからね、私は懐柔されない自信がある」

 ぐ、と喉に何かつかえたように、隊長は押し黙った。

「とりあえず斥候出して、向こうの現在位置の確認。同時にセレンディア様にお手紙をすくに書いてもらう。あの方ならこちらに不利なことは書かないから」

 目で訴えても、この少女は動じない。自分が行くと言ったら行くのだろう。

「さぁ、私は他の何かに着替えなくちゃだね。これじゃ使者にも立てないよ」

 ルノーヴィア側へと歩いていく。いつの間にか傍らにはアシュレイが並んでいた。

 身軽にその背に乗ると、あっという間にルノーヴィアの堅牢な門の中へと入っていった。

 天騎士隊の隊長は、大きく息を吐いた。


 ちょうど湯浴みを終えたセレンディアが無骨な室内でどうしようか考えていたところに、イリが入ってきた。

「まぁ、イレンシア。その血を落としなさいな」

「フィーニから替えの衣装届いてるかな」

「届いていてよ。湯浴みをなさい。血まみれではないの」

「ベタベタ塗りたくない。水浴びでいい」

「姉の言うことは聞くものでしてよ」

「手紙を書いて欲しいんだ」

 ひとつずつ、ドレスのパーツを外していく。長靴(ちょうか)など、一番先に放り投げた。

「ヴィミラニエ姫を虜囚としたこと、リアダール砦の兵士を数十名捉えてあること、砦を支配下においたこと、講和する準備がこちらにあること」

 絹のストッキングを脱ぎ散らかし、斬り裂かれた傷の多い赤のドレスは裂け目からピリピリと破いている。

「講和の場所と、人員の選別を願いたしってのと……」

 セレンディアの部屋の浴槽にたぷんと浸かると、あちこちがヒリヒリした。

 すぅ、と眠りに落ちたようだった。

 叩き起すのもかわいそうだから、とセレンディアは言われた通りの親書を書いた。書き上げたところで、イリに声をかける。

「お前の署名も必要なんじゃなくって」

 金灰色の真っ直ぐな髪を、繊手が梳く。湯船の中は既に水だった。

「ウルハーグ王が近くまで来ているわ。精霊たちが囁いているのが、まだ聞こえないかしら」

「……ん……」

 切り傷のある頬に、柔らかな手が優しく触れた。

「王女が、顔に傷なんてつけて」

 柔らかな布で傷口を拭う。

「この傷は、痕もなく消えてよね、お前たち」

「えぇ、あたしたちのセレン。大いなるお方がふたりもいるんですもの」

「そうよ、セレン、みっともなくはならないわ」

「可愛そうだけれど、起こさなくてはね」

 両手を頬に添え、額にそっと口づけた。

「イレンシア・ルーディ・ラン・グリュンディル。起きなさい」

 名を呼ばれると、薄い緑灰色の瞳が、とろりと開いた。

「セレンディア、様……」

「そうよ、イレンシア。お前の言うとおり、書簡をしたためてよ」

 むにゃとふたことみこと発すると、ようやく事態が飲み込めてきた。

 セレンディアの後湯を使ったのだ。加えてすっかり眠り込んでいたらしい。

「あたしたちのイリ、前に見た大きくて黒いものが、近付いてきているわ」

「起きてちょうだい、優しいイリ」

「せ、セレンディア様っ」

 ざばり、と湯船の中で立ち上がった。

「侍女を呼びましょう」

「いえ、ひとりで多分、多分……無理かもしれない」

 ほほほとセレンディアが声を立てて笑った。

 小者の服なら一人で着られる。

 けれど、用意してあったのは、袖も裾も長い、女性用のドレスだった。

「フィーニがコルセットをしなくてもそれなりに見える服を色々作らせたようでしてよ。たくさんあるけれど、戦場には赤が似合うわね」

 余計なことをと思わないでもなかったが、侍女たちが現れててきぱきと下着から何から着せられていると、だんだん頭がしゃんとしてきた。

「まったく、布の無駄だ」

 膨らんだ袖を、恨めしげに見やる。

「騎乗するから長靴ちょうかにして。お願い」

「コーディネートにはございません」

「イイんだよ、どうせこんなのズルズル引きずってたら見えないんだから」

 最後に、金で織られた剣帯が腰に着けられた。何となく、それで落ち着く。

「御髪はどうなさいますか」

「ひとつにまとまってたらいい」

「そういうものではございません。編み上げますのでお時間を少々」

「そんなものない。もう時間ギリギリだ。セレンディア様、出かける準備をしていてください。講和の場所、決めてくるから」

「聖女様!」

 侍女の引き止める手と声を振り払い、窓から飛び出した。すぐにアシュレイの背に乗る。

『そろそろ飛び出してくると思った』

「嫌な空気だね」

『そうだね、戦争の音がする。でも、治めに行くんだよね』

「もちろんそのつもりさ」

 リアダール砦は、のんびりと朝食をとっていた。戦いからの開放感である。

 ただ、天騎士たちはみな武装し、見張りを続けていた。小さな精霊もせわしなく動いている。

「よぉ聖女様、食ってかねぇか」

 傭兵のひとりがイリに気付き、声を掛けてきた。

 その声に、周囲の歩兵が目を輝かせながら集まってくる。それはまるで神を信仰する姿で、イリにとっては頭の痛い事だった。

「あー。あのね、みんな、よく聞いて。このままゆっくり食べてたら、食べ終える頃にウルハーグ王が親衛隊を連れてここに到着しちゃう。私はこれから捕虜一人と団長連れて、ウルハーグ王の進軍を止めてくる。でも、一応、武装していてくれると、助かる。意味が分かったら、他の人にも伝えて」

 とうに食事を済ませていたヴァシーとエンティは、塀の上から乾いた大地の方をじっと見つめていた。

 同じ危機感。

 アシュレイが塀の上に駆け上がると、ふたりは厳しい面持ちでイリを迎えた。

「来るか」

 ひとこと、ヴァシーが言った。

「来るね」

 短く、イリが返した。

「で、相談なんだけど、ヴァシー。一緒にあっちの王様のとこまで、行ってもらえないかな」

「そいつぁ相談じゃない。お願いってやつだ。しかもお前の場合は、命令に近いぞ」

 難しそうな顔を作るが、冗談めかして言う。エンティはイリの頭をぽふぽふと叩いた。

「にしても随分見違えたなぁ。これなら聖女様ってのにも頷ける」

「自分で着られないんだぞ。こんなの拷問だよ」

 まだ戦っている方が良い、と頬を膨らませて呟く。

「捕虜、連れてくか」

「ひとりだけ。フォーリにまた、頼めないかな。手綱を取れないように、鞍に縛り付けるから」

「だとよ、フォーリ、どうする」

『セフィオンが言うなら、仕方ないじゃないか』

 甘いねぇ、とエンティが嗤う。

「じゃ、一人連れてくる。待ってて」

 アシュレイをその場に残し、身軽に塀から飛び降りた。足音も立てないし、まるで猫科の何かのようである。

 捕虜たちも朝食の最中だった。

 ドレス姿のイリが目の前へ姿を現すと、何が起こったかと目を白黒させた。

「もうすぐウルハーグ王が到着する」

 おぉっと歓声が上がった。

「終戦の談判をしないと、多分、ここに繋がれたお前たちは見殺しにされる」

「王のためだ、仕方ないだろう」

「私はせっかく助けた命なんだから、生きて欲しいと思うよ」

「あれだけ残酷に殺しておいて、言うか!」

「どうとでも言うね。戦場では、殺さなくちゃ殺されるんだから」

 あたりはしんと静まり返った。

「では我らをどうするつもりだ」

 壮年の男が静かに訊いた。

「あなたがこの中で一番偉い人」

「いや、あの奥で放心されている方が、ただお一人正式な軍人だ」

 見ると、若者がうずくまり、ぶつぶつと何かを呟いている。戦場に耐え切れなかったのか。

「あー……あれじゃ、話になんない。次に偉い人は」

「皆同じ、軍属の扱いだ」

「一番年嵩なのは」

「私だ」

「じゃ、あなた。捕虜として、砦の現状をウルハーグ王に話せる?」

 できるよね、と言うイリに対し、男は胸を張って言い返した。

「恐れ多い」

「今あなたが話してる私だって、一応一国のお姫様らしいんだけどね、それでも恐れ多くて話せないの」

 皆が慌てて頭を下げた。軍属ということは、普段は兵士ではない。徴用された平民だ。彼らからすれば、王族とは雲上のものである。

「話してもらうよ」

 足につけた綱を切った。その剣を見て、男は呻いた。

「ティルディシアの聖女か」

「うん。そうらしい」

 親子以上の年齢差がある。大人と子どもの身長差もある。

「手綱のついてない天馬に乗ってもらう。落っこちないようにくくりつけとくけど、暴れないでね」

 壮年の男を連れて、塀に上がった。

 既にフォーリからは馬銜はみが外されており、鞍だけが乗っている状態だった。

「みすぼらしいの選んできたなぁ」

 エンティが男を見て言った。簡単な革の具足しかつけていないのだ、見栄えはしない。

「んーとね。軍人は全部殺しちゃったみたいなんだ。一人残ってたのは、心が壊れてる」

 悪びれもせずに言うのに、二人の男は苦い顔で笑った。

「確かにあん時ぁあんた、聖女様じゃなく鬼みたいだったもんな」

 ぷぅとイリが頬をふくらませた。

「鬼はないよ。もっと言い方ないの」

「殺人鬼じゃなきゃ冥府の女王だ」

 確かにな、とヴァシーが付け加えた。

「もう。んじゃ、出発。エンティ、ちょっとの間よろしく。戻ってこなかったら、ルノーヴィアに引き上げて、お金もらって帰っていいから」

「ヴァシーはどうなんだよ」

「だってヴァシーは私の騎士だもん。血と剣にかけて、誓ったよね」

 そういえば、とエンティが思い返す。

「帰ってこいよ。お前なら余裕でカウシェンブルの傭兵になれるぜ」

「エンティが私の騎士になってくれるんだったら、考えてあげてもいいよ」

 そいつァ無理だ、というのを背中に聞いた。

 アシュレイとミューリ、フォーリが、大空へ駆け出していった。

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