第12話 イレンシアの場合 1.4

   ◇


 ウルハーグ王は、怒っていた。

 城代は殺され、姉姫は攫われ、捕らえたはずの王女には逃げられ、おまけに王都に竜まで出現したという。

 ティルディシアには勝てないのだとあざ笑うかのように。

 竜と天馬については、リゾリウァルトの突撃隊長とその副官が報告してきた。赤い服の恐ろしく強い少女が「聖女」と呼ばれ王女を救い出したという。

 城に着けば、誰かが反乱を起こし城を襲ったといわれた。「誰か」がはっきりしないが、ここでも天馬が見られたという。

 抵抗したものはことごとく殺されたらしい。

 妾妃たちが涙を流しながら口々に恐ろしかったと言い募る。ヴィミラニエの部屋には手に手に武器を持った侍女たちの死骸が折り重なって倒れていた。

 水盤は赤く染まり、手札がその上に浮いている。

 鳥便には、逃げおおせたと書いてあったが、すべての避難経路を確認させたところ、どこにも痕跡がなかった。

 城へ着いた親衛隊は、城の守りのため半分を残し、再びリアダール砦へと戻ることになった。野にあったリゾリウァルトの精鋭部隊が、それに従って乾いた土の上を疾駆した。

 天馬の軍団は速かった。

 リアダール砦近郊まで進軍していたのが、城まで引き返し、また元の位置まで戻るのに二日間しか掛けなかった。精霊である天馬は全く平気だったが、不眠不休には王ですら疲れをにじませた。

 リアダール砦を一望できる丘がある。

 それは地主から聞いて記憶していたが、そこまでが長かった。

 ようやく目印のよく繁った樹を目視できるところまで来ていた。

「王、見慣れぬ者が天馬に乗ってこちらの陣に既着したのですが……」

「何と名乗った」

「は、ティルディシアの代表だと」

「よし、俺が出る」

 まだリゾリウァルトの兵が到着していない。半分に減った天騎士団でルノーヴィア城塞都市を攻略できるかどうか、見極めなければならない。

 ラフィークを駆って陣の前に着くと、正面にいたのは話に聞いた赤い服の少女である。いや、裾の短い子どものような格好をしていたと聞いたのだが、いま正面にいるのは簡素とは言え布がたっぷり使ってある婦人の衣装に見える。天騎士であれば、騎士服が下賜されているはずだったが、正規の軍人ではないようだ。

 そして、隣には、まったく話に登らなかった平服の精悍な男が天馬に騎乗している。

 ティルディシアには野にこのような逸材がいたのか。

「グラン・クラン王、ウルハーグである」

「ティルディシア王女、イレンシアだ」

 ぴくり、とウルハーグの片眉が動く。

「ティルディシアには、セレンディアとイリアーディ、二名の王女しか記録されていないはずだが」

「私だって自分が王女って知ったのはちょっと前なんだ。隣国のあなたが知ってるわけない」

「斯様な口調、王女にはあらず」

「そいつは無理だぜ、王様。こいつは正真正銘、男として育てられた天騎士だからな」

「そういうお前は、なんだ。騎士服も着ず、無頼を装い我が前に現れたか」

 言外に、失礼だとの非難が含まれている。

「俺は傭兵だからな。騎士服なんてのには、縁がない」

「グラン・クラン王に、セレンディア王女からの親書を預かってきている。ここに」

 イリは丸められた羊皮紙を突き出した。

 ウルハーグはそれを近習に持ち帰らせた。その場で広げて読み下す。

「譲歩したつもりなんだけどな」

 眉根を寄せ、しかつめ顔をするウルハーグに、イリは声をかけた。

「譲歩だと!」

 雷が鳴ったような大声だ。耳の奥まで音が残っているような気になる。

「リアダール砦とヴィミラニエ姫が戻るんだから悪い話じゃないし、捕虜になってる人たちからも心の広い良い王様だっていう話が口伝えに広まるし、今までどおりフリオナ河も使えるし。こっちは待つつもりだから、よく考えて。あと、捕虜なんだけど、扱いについてはこの人に聞いて」

 フォーリが前へ進み出る。

 粗末な拵えはそのままだが、傷は手当され、健康状態の良さそうな壮年の男が、鞍上に座らされていた。

「所属名を答えよ」

 近習が声をかける。

「私は正規の軍人ではありません。陛下のお触れを読み、登録させていただいた軍属です。その……上官の名前も、覚えておりませんでして」

 頭を下げたまま、かしこまって答える。

「グラン・クランの民か」

 わずか柔らかな声で、ウルハーグが問うた。

「はい、ウルフィの近くのトラン・キルスで羊とヤギを飼っています」

「傭兵、尋ねる。貴様はトラン・キルスを知っているか」

「浅学なもんでね、グラン・クランは正直良く分からない」

「では――王女。いや、天騎士と呼ぼうか。知っているか」

「戦略上重要な地点以外は知らない。例えば、トラン・クィリタなら知ってる。鉄の生産地だ」

 戦列がどよめいた。

 そう有名な場所ではないが、戦人にとって鉄はなくてはならない資源だ。トラン・クィリタはグラン・クランの鉄の産地を十数え上げろと言われれば、入るか入らないかの知名度である。

「ふむ。私はどちらも知っているが、そうか。セレンディア王女は私を試すために貴様たちを寄越したのか」

「残念ながら不正解。私が志願した。あとのふたりはおまけっていうか、保証人」

「リゾリウァルトのイクテヤールとナグラーダを負かしたのは、お前か」

「かなり竜の君に手伝ってもらったんだけどね。完勝じゃないよ。殺せたわけじゃないから」

 さらりと言ってのけたが、その二人に伍する剣の腕前の兵は、そうそういない。

 ウルハーグ王が右手を上げた。周囲の天騎士が、一斉に矢を構えた。

 すると、ヴァシーの片腕から揺らめき立つ美女が現れ、高笑いをした。一斉にその矢が燃え落ちる。

『人間風情が小賢しい。これはわらわが大事に思うておる数少ない人間の一人じゃ、殺させはせぬえ』

 艶やかな美女だが、恐ろしい。

 矢の次に、弓まで燃え上がらせる。騎士たちは揃いも揃って手に馴染んだ武器を取り落とすという失態をやらかした。

 ウルハーグ王は息を飲んだ。彼とて精霊使いである。高位の精霊の存在に、背筋を凍らせた。

「逆らわないほうがいいよ。精霊っていうのは本来荒々しいものなんだから」

『分からんなら、風を逆巻いて天馬を落としてみても良いぞ』

 どうだ、と言わんばかりに、翼の生えた人の上半身が、イリの片腕から姿を現した。表情は猛禽類のそれである。

「王様一人のために兵隊を殺すことはないよ、フォウラーン。ねぇ、王様。その手紙にあるように講和を申し入れたいんだけど、どこかいい会場はないかな」

 邪気のない微笑みは凶器でしかない。

 それほどの精霊使いを遣わしたセレンディアの手腕に、今回は折れるしかなかった。

「砦の見える丘に、天幕を張る。そこを挟み砦の反対側に、我らは陣を敷こう。総司令としてセレンディア王女にも出向いていただきたい」

「確かにお返事、いただきました。さあ、帰ろうか、ミューリ、フォーリ、アシュレイ」

 首を巡らせたあと、あ、とイリは振り返った。

「王様、広場での演説とビラ配り、楽しい趣向だったよ」

 小さき星。姉姫が言っていたのは、これのことだったか。

 しかし小さくなどない、これはかなりの巨星だ。こうまでティルディシアに風が吹くとは。

「全軍、降下。ここに陣を敷く」

 あんな精霊にその身を委ねているとは何たる豪胆か。

「丘の上に天幕を張れ。絨毯を敷き、テーブルと椅子を並べろ。――貴婦人が来る」

 未だ会ったことのないセレンディアは、小娘と侮っていた当初の思いから、ティルディシア王国を支える化け物に、姿を変えていた。

 軽々しく后になどと言うのではなかった。共同統治という名の元に併呑する予定が、逆に食い殺されるところだったと、半ば安堵の思いだった。


   ◇


 セレンディアは城塞都市でできる限りの贅を尽くした装束に着替えるのに余念がなかった。

 とはいえ、無理は言わない。

 アルスロードのように着飾ることだけを頭に置いておくなどできなかった。ただ、大国の貫禄を見せなければという思いと、年少であるのを少しでも侮られまいとする思い、これに尽きた。

 金細工のティアラは、首飾りと耳飾りとのお揃いで、自分を引き立てる緑柱石はここぞという時に身に付けるお気に入りだった。

 グレージュのシフォンのドレスは細い彼女の身体を僅かにふっくらと見せ、エナメル皮のヒールの高い靴がちらちらと見える絶妙なカッティングが施されている。手には、レースの手袋と、愛用の金細工の扇。

 上品なその装いに、女性の天騎士たちは溜め息をついた。着てみたい、けれど無骨な己には似合わない。

 転じてイレンシアはというと、ひまわり色のタフタのドレスである。髪は結い上げてドレスと同じ生地の小さなリボンがちらしてあり、さながら夏の妖精といった感じで、伸びやかな彼女を年相応の貴婦人に仕立て上げていた。襟と袖口、腰のベルトと大きなリボンは鮮やかな黄緑で、こげ茶の編上げ靴を履いている。動きやすさを重視した装いで、腰には金の剣帯を着けていた。

 非常に愛らしい聖女様である。

 が、その聖女様はというと、リアダール砦の中で、その姿でいかに素早く抜刀できるかを何度も繰り返し練習している。

 セレンディアとは別の意味で、見ていてため息が漏れる。着飾ればこんなにも愛らしいのに、あの戦いの中で見せた気迫は何だったのだろう、と。可愛らしい姿で抜刀の練習なぞ、と。

 定刻に、王族専用の馬車がルノーヴィア城塞都市から出た。

 中にはセレンディアの他、イレンシア用に誂てあった濃紺のシンプルなドレスを着せられたヴィミラニエと、険悪な雰囲気をものともしない銀色の麗人、シェンハーディが乗っていた。一行はリアダール砦を経由してグラン・クランとティルディシアの国旗が掲げられた天幕へ、静々と向かう。砦からは後ろに護衛として天騎士隊の隊長と、傭兵団のヴァシーが加わった。もちろんアシュレイもである。

 丘の上の木陰に馬車が着くと、セレンディアは天騎士隊長にエスコートされ、天幕に入った。続いて、ヴィミラニエを半分支えるような形でイリが、後詰でシェンハーディとヴァシーが並んで入る。

 アシュレイは、木陰にとどまった。そこには、ウルハーグ王の愛騎ラフィークもいた。

 竜の気配に、アシュレイとミューリ、フォーリを除く付近の天馬たちは浮き足立っていた。大柄なラフィークですら動揺を隠せない中、アシュレイは至ってのんきに『ごきげんよう』と声をかけている。

「書記官」

 黒ずくめのウルハーグ王がしかつめ顔で呼んだ。

「あら、こちらは用意してこなかったのですけれど、竜の君に覚えていただいておくということでよろしくって」

「書記官より正確だね。私はそれでいいけど、そちらは」

 大いなる精霊の手を煩わすのはいささか躊躇われたが、精霊は真実を黙っていることはあっても、嘘はつかない。

 けれど、どうやらそういうものではなさそうだった。

「複写させよう。構いませんな、姉上」

「複写された内容を竜殿に確認させれば良いことじゃ。書面は必要ぞ」

 外交は、人がするものである。少なくとも片方がそう言うならば、そして複写で話が済むならば、ティルディシア側にも異論はなかった。

「戦時外交に疎い者ばかりで申し訳ありませんわ。建設的なお話にいたしましょう」

 セレンディアが言い置くと、イリが切り出した。

「まずこっちの条件。国境線は今までどおり、フリオナ河の中心。お后様は、ティルディシアから出さない。以上」

 なんとも簡潔に、要求を突きつける。

「ではこちらの条件。王姉ヴィミラニエと捕虜及びリアダール砦の返還、リゾリウァルトの文明化への支援。そして、イレンシア王女のティルディシア国王即位」

 最後の条件に、イリは目を丸くした。

「は?」

「ティルディシアの屋台骨がしっかりしているならば――穀物の採れる土地に魅力がないわけではないが――いらぬ心配をせずとも国内の不満分子程度、抑えるは容易い。その代わり、そちらの穀物を都合して頂くことにはなる」

「ティルディシアは支援を惜しまなくてよ。――それに、わたくしは」

 いったん区切ると、セレンディアは、はらりと金細工の扇を開いた。

「てっきり聖女を寄越せと言われるものだと思っておりましたわ」

「精霊付きの王女なぞに、我が王妃は務まらん。せいぜい国王位について足掻くが良い」

「良き好敵手となってくださいますのね」

 にっこりと微笑むセレンディアが、怖ろしい。

「ちょ、待っ」

 話を止めようとするイリに、セレンディアはその華麗な微笑みを向ける。

「これでわたくしは念願叶って降嫁できますわ。良くってよね、イレンシア」

「良くないよ。正式な国交回復とかどうするの、私はやり方知らないよ」

 はははと高らかにウルハーグ王が笑った。

「なるほど、ずいぶん先を見越している。王とはこうでなければな」

「王冠はかぶらないって、言ったじゃん!」

 駄々をこねる子どものように叫んでも、セレンディアは涼しい顔だ。むしろ、それをこそ望んでいたのかも知れないと、続く言葉でイリは思った。

「なるようにしかならないものでしてよ、イレンシア。諸侯の誰が文句を言おうと、わたくしが封じ込めましょう。わたくしとともに五年後、十年後を見越した計画を立てましょう。ウルハーグ王、あなたはティルディシアに甘い道を選ばせましたわね」

「たったひとりで敵地に乗り込んで視察するような破天荒な王を冠するティルディシアには、深い同情を寄せましょうぞ」

 承諾しなければ、丘の下にいる精鋭と戦わなければならない。それは、避けたい。

傭兵たちは善戦してくれたが、今、天騎士とリゾリウァルトの軍勢にリアダール砦が襲われたら、必ず勝てる保証はない。ここで折れておかなければ、消耗戦になることは必至だ。

 イリは不承不承、ヴィミラニエをエスコートしてウルハーグの隣に座らせた。

「次に悪いこと考えたら、精霊の軍団を作ってこっちから進軍する。同情なんか、されてやるもんか」

 悔し紛れに、毒づいた。

 それだけが、精一杯だった。

 異例に速やかに終わった講和会議は、お互いの陣営が望む形で終わった。

 リアダール砦からルノーヴィア城塞都市への橋は、グラン・クランから引き上げる歩兵でいっぱいになった。

 最後になった傭兵団が(団長が戻らないと動かないと言いはったのだ)フリオナ河の船上の人となると、撤収は完了である。代価のアレンジュラ金貨は、袋に山積みにされて船に載っていた。

 ゆっくり河を下って三日も進めば、カウシェンブルである。

 貴婦人の姿のイリの頭を、それぞれがくしゃりと撫でていく。

「聖女様。いや、立太子式と宣下があれば国王様だな。惜しいぜ、腕の立つ仲間がひとり増えると思ったのによ」

 全然悔しくなどないふうに笑って、エンティもイリの頭を撫でた。

「まったくだよ。こうなったら腹くくって親しい国交を望むよ。セレンディア様に内緒でラズナールまで行くから、たまにはおかにも顔を出してよね」

「しかしちびすけが王様とはなぁ……ありがたみが薄れるぜ」

「なんだとぅ」

 わしわしと動物をあやすように頭を撫でる手から、必死で逃げようとイリがもがく。

「トゥアには私以外の跡取りがいないんだ。兄上、帰ってくれるよね」

「親父殿が死んだらな。ソリが合わねぇんだ」

「何だよ、葬式には呼んでやるさ。泣くなよ」

「聖女様は口が悪ぃのが欠点だな。次は本物の貴婦人にお目にかかりたいもんだ」

 まったく貴婦人に対する態度ではない。そんなものは、必要ない。

 なぜならば、イリは、イリ・トゥアのままなのだろうから。

 衣服や呼称が変わっても、心は変わらない。

 いや、変わる者もいるだろうが、イリに関しては何故か大丈夫だと、海の男たちは確信していた。

 ひまわり色のドレスは、船が見えなくなるまで、橋の上に佇んでいた。



エピローグ


 グリュンディル朝は、二年の時を経て新しい国王を即位させた。

 ティルディシアとしては、エルシラ女王以来の、女性の王である。

 民の声をよく聞く女王だという。――どこでそれを仕入れるかは、伏せておく。

 天馬を愛で、よく育てた。王家に仕える天騎士を、倍にも増やしたと言われる。

 同時に存在した竜の巫女がいた。その王女はカラトラヴィアへは行かず、生涯を王宮で過ごしたという。

 女王を補佐したのは、王姉だった。政治に関しては女王以上に聡明で、時折いなくなる女王に代わり執務室にいることも多々あった。降嫁したあとも、何かと女王に頼りにされた。

 王兄であった人は、盛んに夜会を開いて、女王のための人脈作りに励んだという。それが本当にためになったのかは、知らされていない。

 善政を敷いた女王は、人々から愛され、いつしか伝説になった。

 エルシラ女王とアイリーン姫の子孫、イレンシア女王として。


 これは、ティルディシア王国グリュンディル朝の新たな始まりであった。

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聖女になれと言われました(仮) 黒姫彩歌 @hexe_psyca

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