4問目:白 / 黒 ③
☆☆☆☆☆☆☆☆
騒がしくも盛り上がりを見せた憩いの時間を経て、俺――黒崎祐一は友人を連れて自室に戻った。
妹の真希は未練がましく俺たちを見ていたが、元より交友の場を設けるための時間ではなかったのだから仕方がない。
「悪かったな比呂。うちの妹が迷惑をかけた」
「なーに言ってんだよ。全然気にもしてなかったぜ」
結果として予定していた時刻を約一時間程度過ぎてしまった事実について、俺はひとまず比呂に謝罪しておく。
彼が気に留めていないことは見て取れるが、それが一つの礼儀だと思っているからだ。
「しっかしあれがお前の妹か。祐一とは似ても似つかねぇ性格にびっくりしたわ」
「どうだ。あれが俺自慢の妹だ。お前なんぞに嫁にはやらんぞ」
「ばーか。漫画の読みすぎかっつーの」
そんな軽口を叩きつつ、俺は赤色のビーズクッションを比呂に差し出す。
つい先日、部屋が質素過ぎるという理由をもとに何故か真希が用意したインテリアグッズの一つである。
ちなみに使用頻度は断然真希の方が多いわけだが、そこは何も言うまい。強いて文句を言うのであれば俺の部屋に置くものなのだからと支払いを持たされたことくらいだろうか。
まぁそれも結果としてこうして役に立っているわけだから問題はないと思うことにしよう。
「おーサンキュ。よし、それじゃあ早速頼むわ」
比呂は、鞄からクリアファイルを取り出しその中からいくつかの資料をテーブルに広げる。
その表紙に掛かれている文字は大学、専門学校と様々あるが、要するに今後の進路に関わる内容にちなんだものになっている。
「まさか俺もこの時期に進路相談を受けるなんて思わなかったぞ」
俺と比呂は高校三年で、今は六月の初旬。一般的には進学就職問わず、既に大半の学生が進路を決め進んでいる時期になるはずだ。
「まぁな。頼んでおいてあれだが俺自身もそう思うよ」
頼まれたのはつい先日、学校の休み時間だった。
真面目でもなければ不真面目でもなく、いつもはのらりくらりと過ごしていた彼は、真剣な眼差しを以て俺にこう告げた。
『なぁ祐一。進路について少し相談に乗って欲しいんだ』
比呂は比較的距離感の近い友人であったが、いうなればそれくらいの存在でしかなかった。
遊びには行くし学校でつるむことはあっても真面目な雰囲気で私情に踏み込むような話をすることはない。気楽なだけの関係を保ってきたはずの彼の表情を、俺は今も鮮明に覚えている。
それはもちろん、比呂の『事情』についても――。
「よし、それじゃあ始めるか」
「あぁ、よろしく頼むぜ」
それから俺は、比呂からの進路に関する相談に一つ一つ答え続けていった。
比呂は決して頭の悪いやつではなく、俺としてはむしろ賢い部類であるとさえ思っている。
とはいえ地頭が良くても『真剣に勉強をする』という価値観をこれまで培ってこなかったこと、こと勉強に関しての集中力などライバルにアドバンテージを取られている部分は否めない。
ここはもはや比呂自身のモチベーションをどう維持するかが鍵になりそうだ。
「……例えば、この大学に進学した場合は」
「一般的に見ても名門の一つだな。学力を考えれば少し難しいが無理ではないと思うぞ。ただ……」
正直、大学合格を決めたわけでもない俺がアドバイスする身分ではないとも思うのだが、友人の真剣な悩みにそんな話を持ち出すほど無粋な真似はしない。
ここで大事なのは正しい答えに導くこと以上に、彼自身の可能性の輪を広げてあげることである。
人は良く誰かに悩みを相談したがる生き物だが、結果として最後に決断すべきは他社ではなく自分自身なのだ。
彼が最もベストと考える進路以上に、この話を通じて一つでも検討材料が増えたり、挑戦したいと思う話につながったりすれば、それは比呂自身の未来に繋がるはずだ。
それが俺なりの、友人に対する誠意の形である。
「ふぅー、もうこんな時間か。ほんとわりぃな祐一」
「あぁ、もう二十時になるのか。これだけの時間を話していたのだ。さすがの比呂と言えど疲れただろう」
「まぁこんな頭を使ったのは久々だな。だけど、おかげさまで少し考えがまとまったよ」
「そうか。それはなによりだ」
気が付けば二時間以上比呂と話をしていたようだ。
比呂の持参した資料に一通り目を通しつつ交えた相談会は、どうやら僅かでも彼の糧と出来たらしい。
「……しっかし、お前の部屋男子っていうか女子の部屋みてぇな飾り付けがしてあるよな」
息をつき辺りを見渡しながら、比呂は俺の部屋への感想を口にする。
「実は先日真希と買い物に行ってな。殺風景だからという理由でインテリアグッズを買わされたのだ」
「あの窓に置いてあるサボテンとか」
「そうだ」
「やたらハートマークな掛け時計とか」
「それもそうだ」
「……じゃあ、あの棚に並ぶ少女漫画とかもか」
「それは俺だ」
「むしろそれはお前なのかよっ!」
ある一点を見つめ指差す比呂は唐突にツッコミを入れ始める。
なんだ。思いのほか元気ではないか。
「いや部屋に入ってから少し気になってたんだが正直驚いたわ。お前少女漫画とか読むのな」
「少女漫画を読むのか、と言われれば難しいのだがあのシリーズは買い読んでいるな。普段は漫画を読まない俺でも楽しさが分かる作品だぞ」
「……まぁどうせ真希ちゃんだろ。……ちょっと今度読ませてくれよ」
「あぁ。いいぞ」
比呂の言う通り最初は真希に勧められて購読した作品だが、俺はその内容をとても魅力的に感じた。
物語は至ってシンプルなストーリーとなっており、高校生活を過ごす学生たちの恋愛劇を書き記したものになるのだが、そこで登場する人物たちの兼ね合いがこれまた楽しく、ありきたりな話、ご都合主義な展開。どれも漫画だからと一言で片付けられるような物語にさえ、俺は心躍らされていたのだ。
正直言ってしまえば誰かと作品についての話などしてみたかったのだが、やはり少女漫画だからということで話題にあげづらい内容であったことから、比呂を引き込めることが出来れば少し楽しみが広がることだろう。
「どうする。何冊持って帰る?」
「いや、そこまでではねぇよ! 次来た時読ませてもらうくらいでいいわ」
そうか。それは少し残念だな。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「そういえば、例の部活はどうだ。順調か?」
そろそろ引き上げるかと片付け始める比呂に、俺はふと思い出した内容を口にする。
最後の一年を迎える三年生が新しい部活を立ち上げたというニュースは噂こそ立たなかったものの、一部の間で話題に上がっていた。
特に設立者があの白柳比呂であり、立ち上げたのが『文芸部』であるという事実。知る人が知れば驚きを隠せないのも無理な話ではない。
「あぁ、まぁな。俺もよく五人も人が集まったもんだとは思ったが、一年の柊ってやつがメンバーを引っ張ってきてくれてな。あいつには感謝してるよ」
「ほぉ、ということはお前以外全員一年生なのか?」
「いや、祐一も知ってる二年生が一人いる」
「二年生? 誰だ。
「
その名前を聞いた瞬間、俺は思わずテーブルで片づけを進めていた手を止めてしまう。
最初に二年生と聞いた時、比呂の親しい友人で該当するのは
「……そうか、四条くんが」
「あぁ、俺も驚いたぜ。柊から友奈を伝って文芸部設立の話を聞いたみたいだが、まさかあの四条が入部してくれるとはな」
「……そうか。いや、そうだな」
四条紅葉。ふんわり柔らかな優しい印象をもたらす容姿に人の好い性格。
学校でも男女問わず非常に人気の高い二年生の女子生徒とは、去年多少なりとも縁があった。
俺も、おそらく彼女も恋愛感情などは持ち合わせてはおらず、純粋に先輩と後輩の関係を築いてきたわけだったが、ある経緯を経ることにより、今でも時折メールで連絡を取り合う程度の中になっていた。
最近だと進路の相談について話があったが、部活に入ったような話題はかけらも感じ取ることはなかったと思う。
「まあ部活自体は基本不定期開催みたいなものだからな。部室に入れば人がいる時も、まったくいないときもある。四条も週に三日くれば多い方だぜ」
「そうか。一応順調そうでなによりだ」
だが、それでも少し安心したところはある。
四条くんが、彼女が自分から進みたいといえる未来を一つは見つけたということなのだろう。
それはきっと、彼女にとって大きな一歩になっているはずなのだから。
「すまない、つい話をしてしまうな」
「まだそんな遅い時間でもないし気にするなって。今日は楽しかったぜ」
「ためになった、ではなくてか?」
「そうとも言うな」
その時比呂の手に持つスマホが音もなく震え始める。
電話だろうか? 画面に表示された名前を見て比呂は表情を変える。
「わりぃな祐一、用事が入りそうだ。また明日学校でな」
「あぁ、また明日。学校でな」
スマホの震えは止まったが、比呂は急ぎ足で部屋を後にする。
会談したから真希の声が聞こえるが、あの調子では挨拶もほどほどに家を出られるだろう。真希も決して空気の読めない女の子ではない。
「さて、俺は勉強でもするかな」
テーブルに残ったグラスを二つほど台所で片付けた後、俺は再び部屋に戻る。
比呂にはあれほどアドバイスをしていた俺だが、受験が待ち受けている状況は彼と同じく変わることはないのだ。
手を抜かず、一歩一歩前に進むほかない。
「あ、お帰りー。ねぇなんの話をしてたの?」
だが、どうやら今日は勉強が出来そうにもないのだと心の中で苦笑いする。
好奇心に目を輝かせ、期待するような眼差しで部屋に待ち構える愛すべき妹をどうするか頭の中で考え、まずは一つ話でもすることに決める。
「どうだ真希。学校生活は楽しいか?」
《了》
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