1問目:友情 / 恋愛 ②

☆☆☆☆☆☆☆☆





 その後、俺は急ぎの用事があるからと詩乃とともに部室に戻っていた。

 明石の……その何とも形容しがたい表情が鮮明に記憶に刻まれて、俺は大きく机に突っ伏す。

 目の前の少女から冷たい視線を感じる気もするのだがいまは無視してもいいだろう。


「やっちまったなぁ……」


 まさか給湯室で出会うことになろうとは、全くもって予想だにしていなかった。

 いや、明石が校舎にいる以上あたりまえの可能性だったのに、それを考慮できなかった俺が悪い。。


「自業自得ですね、先輩」

「……いつも思うんだけど、柊って人の心が読めたりするのでは?」


 自分では納得していたことを人に言われると無性に悔しくなるのはなんでなのだろうか? 実は本心では納得できてないからじゃね? などと、どうでもいい自己分析を始めそうになった俺は、ふと顔を上げ目の前にいる少女へと視線を向ける。

 その端麗な顔立ちに加え、綺麗に透き通る長髪に彼女の特徴とも言えるハーフアップ。また時折見せるその物憂げな表情がこれまた柊詩乃という存在をとても際立たせることから一部(主に男子)から大変な人気を誇り、一時期は学年問わず告白が絶えなかったとのことだ。


「……ふっ」

「……なんですか? 急に」


 が、それはあくまで見てくれに騙された残念な男子どもの話だと俺は知っている。

 たしかに、初めて出会ったころの俺もうっすらと……本当にうっすらと騙されそうになったことがある……かもしれない。

 しかし、実際に時間を共有し共に過ごしていくことによって嫌でも気が付かされるのだ。柊詩乃は非常に厄介な女であることを。


「それで、チキンオブチキン先輩はどうするんですか?」

「いや人をそんな天体観測しそうなロックバンドで例えなくても」

「……なんだかボケがいまひとつですね。本当にどうしたんですか先輩?」


 ――まぁ付き合いは悪くないとだけ補足しておこう。

 ついでに言えば頭が良い。勉強もそうだが……なんというか賢いというか。


「……なぁ、柊。柊はどう思う?」


 だから、俺はついついこの年下の少女を頼ってしまうのだ。まぁ、たまにではあるのだが。


「どう、とは。実に先輩らしく随分と言葉足らずではありませんか?」


 部室に入ってすぐに準備していた電子ポッドが音を鳴らすと同時に柊は立ち上がり、待っていたとばかりに自前の湯呑に熱々のお茶を湯呑に注ぐ。

 湯気立つ湯呑を両手に所定位置へと運び、再び椅子に腰かけて俺の方へと顔を向ける。

 そのままこくんと音を鳴らしのどを潤す柊は、人より若干の寒がりなのか電気ストーブで温かさを感じるはずの部室にいてなお厚手のコートを羽織っていた。

 特に今日はいつもより寒いと天気予報で聞いていたので柊なりの寒さ対策なのかもしれない。


「……明石のことだけど、俺どうしたらいいか分からなくて」

「『明石』、ですか」

「……違和感あるか?」

「それはもう。だってここ最近の呼び方ですよね。いつも『友奈』だったじゃないですか」


 そう、その時まではずっと『明石』ではなく、俺は彼女を『友奈』と呼んでいた。


「なぁ、柊。俺、よく分からないよ」


 2年前初めて会ったあの頃から続いてきた関係は、今まさに変化を余儀なくされていた。


「……俺、どうしたらいいんだろうな」


 再びの問い。学年が二つも下の女の子になんとも情けない姿を見せているが、それはもう今更である。

 内容が内容だけに頼れる人は少なく、さっきの明石の様子を見るに最早時間はないのだということに観念させられた。

 であれば肝心なのは自分で最良の選択をするためのヒントを得ることだ。それ以外は大した問題ではない。そう、大した問題ではないのだ。 


「…………」


 そんな俺の決意を知ってか知らずか、俺の顔をじっと見つめつつ再び湯呑に口を付ける柊は、やがて表情には見せずとも退屈そうに鞄から本を取り出し読書を始める。

 ……えっ?


「いやいやいやいや、柊さん?」


 実は予想は出来なかった訳ではないが、さすがの柊の無関心ぶりにツッコミせざるを得なかった。

 

「すみませんが静かにしてもらえませんか? 今日はこの本を最後まで読むために部室に来てるんです。帰れなくなったらどうしてくれるんですか?」

「いやそれはごめんだけど。……えっ、俺の話は?」

「…………」

「いや、噓でしょ!?」


 さすがの柊様。いつも通りのマイペースぶりに、いっそ安堵感すら覚えてしまう。

 ほんとブレねぇのなこいつ!


 その後抗議を続けるも徐々に強くなる無言の圧に耐え切れず、俺はやがては口を閉ざした。

 相談相手を間違えたかもしれない。いや、だけど他には――。


「退屈なんですよ。先輩の話は」


 そんな風に落ち込み始めた俺を見かねてか、読書に集中していたはずの柊はその程よく小さな口を開き始めた。


「……って、え? 退屈?」

「はぁ……。いいですか先輩? まず、先輩は私にどのような相談をしたいのでしょうか?」

「それは……俺はどうしたらいいのかって話を……」

「違います、そうではありません。先輩、話を聞いて欲しいのであれば誤魔化さずに伝えるべきです。マナーですよ」


 そう言いつつ読んでいた本をパタリと閉じた柊は、核心的な質問を俺へと投げかける。


「あなたは友奈先輩に振られるのが怖いだけなのではないですか?」


 いつもの無表情と変わらず、しかし感じる有無を言わせぬ圧力に俺は柊から目を離せずにいた。


「い、いや俺は……」

「そうですか、それならば話はここで終わりです。きっと私の見当違いだと思いますので」

 

 話は終わりだと告げ、手に持ったままの本に再び目を向ける柊。

 俺はそんな彼女に何かを言い返そうとし、だけど上手い言葉が思いつかずにいた。


「先輩、これはあくまで私の間違った意見ですので参考程度に留めつつ聞いて頂きたいのですが」


 ふと、彼女はぽつりと言葉を漏らす。

 視線を再び俺に向け、やはり表情を変えないままに話を切り出す。


「もしかしたら先輩は友奈先輩と今までの関係に戻りたいと考えているかもしれませんが、それは大きな間違いです。勘違い野郎の発想です。」

「……勘違い、野郎?」

「えぇ、勘違い野郎です。だってそうでしょ? 最初に告白したのは先輩なのですから」


 俺は勘違いしていたのだ。

 両想いだと思っていた。名前で呼び合い、部活こそ違えど時折二人で出かけたりする間柄で、周りから冷やかされることもあったけど、出会った頃と同じように兄妹みたいな関係だと自分自身に言い聞かせ、それでも満更でもなさそうな明石の姿を見て、俺は彼女のそれ・・が恋心であると思ってしまったのだ。勘違いしてしまった。

 そうなると、もう止められなかった。明石の……友奈のことを考えてしまうのだ。

 初恋なんて女子のように甘酸っぱい事なんて言わないが、それでも俺にとっては、ある意味では初めての『恋愛』だったのだ。

 

「……だから頑張っちまったんだよな。ファッション雑誌なんて初めて買ってみたよ。美容院で髪を切る時に『おすすめで』以外の注文だって初めてした。アルバイトも増やして友奈の好きそうなプレゼントも用意しちゃったりしてさ」

「それが勘違い野郎だって話ですよ先輩。それはただのエゴイズムです」


 さすがの柊。言葉の刃が鋭すぎて胸に刺さる。

 ――俺のエゴだった、ってなんだよそれは? 


「なら俺はどうしたらよかったんだよ。気持ちを伝えずにいたら良かったのか? 勘違いしたらいけなかったのかよ」

「そうですね。なんと格好の悪い先輩でしょう」


 涙こそ流れないが心はだいぶズタズタである。

 柊相手に話をする以上覚悟は決めていたが、しかしなんとも容赦ない。

 しかしここまで相談した以上どうするかという結果を出さなければいけない。

 俺は再び開こうとする柊の口に視線を向けつつ言葉を受け入れる準備をし、そして――。 


「仕方がありませんから私が付き合ってあげましょう。いや仕方がない」

「……そうか……いやいや、いやいやいやいや、どんなメンタルしてるのお前!?」


 驚きのあまり勢いよく立ち上がった。

 とんでもない爆弾を投下するじゃねぇか!一体こいつ何を考えているのか。

 ……え、もしかして柊が俺を……?


「冗談ですから。気持ち悪いですね。屈辱罪で訴えてもいいですか?」

「お前この雰囲気にどんな気持ちで冗談ぶち込んでくるんだよ! あたまバグってんの!?」

「女性に対してなんてことを。名誉棄損罪も追加請求させていただきます」


 本日初めて見せたまさかの柊の表情の変化は、実に俺を侮蔑するような冷たく嫌そうな表情で、そのまま鞄に入っていたスマートフォンに手を伸ばしどこかに電話するそぶりを見せた。


「……どこに電話しようとしてるんだよ」

「決まってます。ちょっと弁護士の叔父に」

「そこは冗談じゃないのかよ!」

「録音もしていたので証拠もあります」

「用意周到すぎるだろ!」

「…………」

「え、嘘だよな? そんなただの雑談で訴えることなんて出来ないだろ」

「…………あ、おじさん? 私ですけど」

「嘘だろ!」

「うっそぴょーん」

「反応が一昔前の上に腹立たしすぎるわ!」


 真剣に悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。

 こんな感情のこもってない「うっそぴょーん」なんて聞いたこともないわ!


「……はぁ……なんかアホらしくなってきたわ」

「えぇ、そうでしょうね。それでいいんですよ、先輩は」

「……は?」

「聞こえませんでしたか? 先輩は悩みすぎなんです。だってまだ振られたかなんて分からないじゃないですか」

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