1問目:友情 / 恋愛 ③
「聞こえませんでしたか? 先輩は悩みすぎなんです。だってまだ振られたかなんて分からないじゃないですか」
急な話題の緩急変化に俺は思わず混乱してしまう。
「一体どういうことだよ」
「そのまんまの意味ですよ。先輩」
それこそが柊の言いたかったことなのだろうと感じ取る俺は、ただ彼女が何を伝えようとしているのか理解しきれずにいた。
「……そのままの意味ってのは」
「逃げようとしてましたよね、先輩。待ち合わせの場所に行かないで帰る気だったんでしょう?」
待ち合わせ。そのことをなぜ柊が知っているのかも気になるが、それ以上に彼女の言葉が頭の思考を占領してしまう。改めて感じるが、こいつは本当によく俺のことを見ているのだと。
「なんで、そう思ったんだよ」
「まぁ、なんだかんだで1年近く一緒に過ごしてきた先輩ですから。……そうですね、なんとなくそう思っただけです」
1年間。俺と柊が出会い、共に過ごした時間。
部活の新入部員として迎え入れてから学校の行事でもたまに顔を合わせ、時折休日に遊びに行ったりと友人みたいな間柄ではあった彼女との関係性を、もしかしたら柊は大切に感じてくれていたのだろうか。
「もう一度言いますが先輩。先輩が告白した時点で、もう元の関係に戻るなんてことは叶いません。誰かに想いを伝えるというのはそういうことなんです。……ただ、それでも気持ちを伝えようと頑張った先輩は偉いと思います」
柊の透き通るような声が空気を伝わり俺の耳へと静かに届く。
そこに僅かばかりの感情を垣間見たように感じるのだが、それが一体どのようなものであるかは俺にはよく分からなかった。
「行くべきですよ先輩。逃げてはいけません。友奈先輩の勇気を無駄にしてもいけません。結果がどうであれ、あなたは行かなければならないんです」
「……もし、その結果お互い傷つくことになったとしてもか?」
「勘違い野郎の先輩は知らないかもしれませんが、女の人は強いんですよ。先輩の告白を断って、仲の良い友人が一人減ったところで人気者の友奈先輩にとってはただの思い出しかなりません。きっと笑い話にされてお終いですね」
「……もうちょい言い方ってものがあるだろうに」
「そうですか? これでもオブラートに包んだ方ですが」
口こそ悪いが、柊の言いたいことはよく分かった。行くべきなのだと、逃げずに決着をつけるべきなのだと彼女は伝えているのだ。
「友奈先輩の為にも行ってください。大丈夫です。私、笑い話は好きなので」
そう話す柊は、相も変わらずの無表情だがほんの少し――本当に僅かばかり笑みを浮かべている、ような気がした。
「……悪かったな柊。今度しっかりと笑えるネタ話でも持ってきてやるよ」
「えぇ、それはぜひ友奈先輩と一緒に聞きたいものですね」
「それは分かんねぇけど……じゃあ、行くわ」
そう言いながら覚悟を決めて目的地である教室へと向かおうとする俺は、最後に一つだけ聞いてみることにした。
「そういえば柊。給湯室の前にはいつからいたんだよ?」
「あら、どうしてそんなことを気にされるのでしょうか?」
「……いや、ずいぶんとタイミングが良かったと思ったんだが」
「そうなのですか? 分かりませんがきっと偶然でしょうね」
真面目に答える気の無さそうな柊は、そのまま先ほどの続きをとばかりに読書を始める。
先ほどとは違い完全にこちらへの興味は失せているようで、こうなっては言葉はもう届かないだろう。
やはり、柊詩乃はいつだってマイペースだった。
「……まぁいいや。……ありがとな、柊」
簡単にだけど感謝の言葉を伝え、俺は今度こそは部室を後にする。
冷え切った廊下に一度ぶるりと身体を震わせながら明石友奈の待っているであろう場所へと足を向ける。
「…………」
先ほど柊には言わなかったが、俺はもともと行くつもりではいたのだ。
ただ、勇気が持てなかった。曖昧な関係でいられるのではないかと、そのままでも大丈夫だと友奈が言ってくれるのではないかと思ってしまっていた。
『行くべきですよ先輩。逃げてはいけません。友奈先輩の勇気を無駄にしてもいけません。結果がどうであれ、あなたは行かなければならないんです』
あぁ、その通りだな柊。
きっちりと決着を付けなきゃいけないよな。
あの日の続きを、今日はっきりとさせなくちゃ俺も友奈も前に進めないよな。
友情か恋愛か、それを選んだ先の答えは、今扉の先に――。
☆☆☆☆☆☆☆☆
クリスマスの夜、私はその瞬間を目撃してしまった。
驚いた。上手くいくであろうと思っていた告白を、まさか告白した彼自身が保留にしたいと言い始めたのだから。
だけど気持ちが分からないというわけではない。
先輩だけではなく友奈先輩も悪かったのだ。あの瞬間の
おそらく友奈先輩にとって想定外の出来事だったのだろう。あるいは自覚するかしないかの境界線にいたのかもしれない。
だからこそ、きっとあの夜の出来事は二人にとって重要な出来事で、前に進むためのファクターであったのだと私は考える。
しかし、私にとって予想外であったのは先輩のメンタルが予想以上に弱かったことであった。あろうことか逃げ出そうとしたのだ。とんだチキン先輩だった。
正直なところどう転ぼうが関係ない事だと呆れかえっていた私であったが、なんとなく――過去の自分と重ねてしまい思わず背中を押してあげようと思ってしまった。
『そういえば柊。給湯室の前にはいつからいたんだよ?』
あの質問を問われた時、実に勘のいいことだと内心笑ってしまった。しかし同時にやはり先輩は勘違い野郎だな、と思わざるを得なかった。
あの時、私が助けたかったのは友奈先輩の方だ。もし私が口を挟まなければ、あのチキン先輩の様子を見るにどうなっていたかなど想像するに難しくない。
「まだまだ男を磨かなきゃですね、先輩」
ふと部室から窓を眺めれば、校門に向かう二つの影が見えた。
冬空は暗く、しかし澄み渡るような星空はよく見える。それらが地上を強く照らすことなどあり得ないが、今だけはそれで十分なのかもしれない。
「……にしても、眠くなってきましたね」
先輩が気が付くはずもないが、私は少しだけ嘘をついた。
いま手に持つ本は、優に二桁は読み耽ている愛書である。もちろん大切に、ていねいに読み進めたいという気持ちはあるものの、決して今日中に読み切りたいということなどなかった。
私――柊詩乃にとって、今日の読書とは時間を過ごすための手段でしかない。
「……ふぅ、あら、あまり待たされると帰ってしまいますよ?」
そんな風にぼやいた言葉に反応してか、テーブルに出していたスマートフォンがブルルルルと震え始める。
ちらりと画面へ視線を向ければ、そこには到着までもう少し時間がかかるとのメッセージが飛び込んだ。
時刻は夜近く、もうすぐ校門が閉められてしまうだろう。
出来れば部室で待っていたいのだが、校則を破ってまで果たすほどの約束なのかと言えば、それもまた少し頭を悩ませることになるのだが、しかしそれでもせっかくなので待っていたいのだ。
そう考えたから、部室の電気はすでに消してある。
「……もしかしたら、ここが私たちにとっての分岐点なのかもしれませんね、なんて」
そう独り言ちる私は、何杯目かもしれぬ湯呑に手を付け、身体を温めるように厚手のコートを身体に縛り付けるようにぎゅっと掴む。
顧問には事前に根回しをしている。多少の校則違反には目をつむってくれるだろう。
「……友情か恋人か、私だったら選ぶことが出来たのでしょうか?」
ふと、優柔不断で頼りない先輩の顔が浮かんだ。
彼はどうしようもなく情けなかったが、その過程は怪しいものであったが、最後にはしっかりと『選択』をすることは出来ていた。
そこだけは、もしかしたら尊敬してあげてもいいのかもしれないと私は思った。
――柊詩乃の物語は、まだもう少し先のお話になる。
《了》
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